会社移転。
今から6年前、スタッフがまだ5名だった頃。
とても「オフィス」と呼ぶにはためらわれるようなフロアで。
木造のせまいフロアでスタッフがヘッドセットマイクやクラウドネットワークを駆使しながら働く姿は、面接希望者や一般訪問者の目から見ても異様な光景だったと思う。
スタッフも増えてロジスティック機能の見直しもあり、ようやくオフィスらしい場所へ。
そして敬老の日、祖母の墓前で移転の報告。
「見てくれてるかな?」
7年お世話になったシステム会社を辞めて愛媛に戻った時、祖母はまだ認知も進んでなくて元気だった。
「ぼちぼち、おしよ。」
システム会社にいた時と同じペースで働く自分を見て、祖母はよくつぶやいてた。
「6年もかかったけど、ようやく会社らしくなったよ(笑)」
「昨年末、覚悟を決めるほどの経営危機に直面してね。でも乗り越えたから安心して。」
「七海は(ありがとう)を言えるようになったんだ。泰山も来年から小学校だよ」
報告の途中から降りだした雨は優しくて温かい。
「見てくれているよね」
涙を溜めた空が、思わずこぼした祖母の笑顔と重なる。
「色々あるけど絶対に負けないし、みんなを守るからさ。まぁ上からしっかり見ててよ。」
樫の木は向かい風によって強く育ち
ダイヤモンドは高い圧力によって生まれるように。
これからもタフなマインドで乗りきろう。
雨のせいか、石手寺の鐘がいつもより響いて聞こえた。
復興地に立ってみて初めて理解すること
先日、札幌から仙台に向かいました。
被災した仙台空港から市内に向かうバスの車窓からはいまだ山積みになった車両と津波の爪跡そのままに横転した家屋・・・
思わず言葉を失いました。
すこし前にベストセラーになった養老孟司氏の著書「バカの壁」では、人間のイマジネーションの「脆さ」をこう表現しています。
「知るということは根本的にはガンの告知だ」
「ガンになって治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。
そうしたらあそこで咲いている花が違って見えるだろう」
その花が「違って見えた」段階で、去年までどういう思いであの花を見ていたか?多分、思い出せない。
では、その花が変わったのだろうか?そうではない。
それは自分が変わったということに過ぎない。
「知る」というのはそういうことなのだ。
(新潮新書『バカの壁』より)
著者である養老孟司氏は意識的・無意識的に関わらず、考えることをやめる境界線を「バカの壁(思考停止)」と表現しました。
深い思考を伴わない「知」は単なる「情報」に過ぎない、とも受け取れます。
新聞やネットでの情報だけを知り、少なからず私も「思考停止」になっていました。
しかし、実際に仙台空港に降り立って見る景色は明らかに違っています。
まだまだ、人として、会社としてやるべきことはある。
改めてそう思う仙台でした。
「若さの価値とは」
ええっと…。
今朝の朝礼で「若さの定義とは何か?」について話しました。
「若さ」とは失敗を恐れずに挑戦する勇気であり、なにごとも吸収する知的好奇心。
逆に何かを失うことを恐れ、ビジネスを取りまく環境や内容に好奇心を向けなくなった時点で人は老います。
いかに生体年齢は若かろうとも。
若さというのは確かにそれだけでそれなりの価値があります。
しかしその価値とは無条件に一定ではないとも思います。
失うことを恐れずに挑戦し
あきらめることなく経験し
何度も学ぶために失敗する
そうすることで「若さ」というものはバリューアップしていきますが、逆に失うことを恐れ、チャレンジすることをあきらめ、好奇心を失えば「若さ」はバリューダウンしていきます。
子どもは「あれなに?」「これなに?」と好奇心の塊だからこそ限りないバリューを持っているのであって、何かにつけてあきらめる理由を見つけ、親や先生やはたまた上司の言われたことにしか関心を向けなくなった時点でどうしようもなく年寄り臭い「若者」になっていくのでしょう。
ふと。
新人研修係の女性スタッフが「は~いっ!もっとテンションあげて電話取っていこ~っ!」と声を張り上げて教育する姿勢は本当に「若さ」を感じます。
そういう意味でも・・・
当社が本当の意味での「若さ」を育成する風土を堅持すること。
そのことがこの日本の<バリューアップ>に繋がれば最幸です♪
しかし・・・。
そんなことよりも・・・。
「正露丸」は日露戦争時代に作られた露西亜(ロシア)を征服する丸薬という由来のウンチクのほうが遥かにスタッフの反応が良かった・・・
くぅ~・・・

