「歴史は繰り返す」は、古代ローマの歴史家のクルティウス・ルフスの言葉とされ、「歴史は繰り返さないが、韻(いん)を踏む」は、アメリカの作家のマーク・トウェイン(『トム・ソーヤの冒険』で有名)の言葉とされているようで、歴史は、似たようなことが起こるという意味です。
ここでは、日本で、過去と類似した事例が、現代も発生していることを、取り上げていきます。
■求心力が低下すると、権力は分裂する
前近代の日本史を大雑把にみると、主導した政権(政治権力)は、おおむね、天皇親政→摂関政→院政→武家政と、次々に変化しましたが、新勢力が主導するようになると、旧勢力は、しだいに形骸化していきました(実がなく、名ばかり・形だけに、有名無実化しました)。
摂関政から院政へ移行すると、やがて、摂関家が分裂し(5摂家)、院政から武家政へ移行すると、やがて、天皇家が分裂しています(両統迭立→南北朝)。
つまり、権力の求心力が低下すると、その権力が分裂する傾向にあり、これは、現代でもみられます。
自民党から民主党等の連立へと政権交代した際に(2009年)、自民党は、分裂しなかったので、政権奪還できましたが(2012年)、民主党は、下野すると、やがて、分裂してしまいました(立憲民主党・2017年、国民民主党・2018年)。
●摂関政から院政へ移行すると、摂関家が分裂
院政の開始は、8歳の息子の堀川天皇(73代、母が藤原師実/もろざねの養女)へ譲位した(1086年)、白河上皇(72代)からですが、当初は、息子への譲位が目的で、上皇が政権を主導するつもりはなく、摂政・関白の師実(頼通/よりみちの息子)・師通(もろみち)父子が政権を主導しました。
しかし、師通が38歳で急死し(1099年)、息子の忠実(ただざね)がまだ22歳と若年で、大臣未経験だったうえ、師実も60歳で死去したので(1101年)、上皇(治天の君)が天皇の家父長として、政権を主導するようになり、忠実が関白を後継したのは、父の死から6年後の28歳でした(1105年)。
この時期には、摂関家にかわって、上皇の権力が強化されたので、院政の開始は、師実・師通父子の影響が完全になくなった1101年からで、これ以降、摂関政は、しだいに形骸化していくとともに、摂関家が分裂し、摂政・関白の就任は、各家交替で、幕末まで継続されましたが、有名無実でした。
摂関家の分裂は、保元の乱(1156年、忠実の息子・頼長/よりながが戦死)・治承3年の政変(1179年、平清盛が後白河院政停止、松殿基房/もとふさが関白解任→2代目の近衛基通/もとみちが就任)・建久7年の政変(1196年、九条兼実/かねざねが関白解任→基通が再任)がきっかけです。
まず、藤原忠通(ただみち、忠実の息子)の息子が3派(近衛家・基実/もとざね、九条家・兼実、松殿家・基房)に分裂し、そのうち、松殿家は、2代目・師家(もろいえ)で断絶しました。
つぎに、近衛家の3代目・家実(いえざね)から、鷹司家・兼平(かねひら)が、九条家の3代目・道家(みちいえ)から、二条家・良実(よしざね)と一条家・実経(さねつね)が、分派したので、5摂家の分裂になり、しだいに摂関家の求心力が低下していきました。
●承久の乱後、朝廷・院庁が衰退し、幕府が隆盛すると、天皇家が分裂
承久の乱(1221年)で、鎌倉幕府軍が、後鳥羽上皇(82代)軍に戦勝したのをきっかに、幕府は、東日本から西日本へも勢力拡大すると、朝廷・院庁を掌握・統制していったので、しだいに天皇家の求心力が低下しました。
そのような中で、後嵯峨天皇(88代)は、息子2人の後深草天皇(89代、1246年)・亀山天皇(90代、1259年)に、次々譲位し、院政しましたが、亀山の息子・後宇多天皇(91代)を皇太子にして、死去しました(1272年)。
そして、兄の後深草(持明院統)と弟の亀山(大覚寺統)の確執がきっかけで、まず両統迭立(兄弟の子孫どうしで対立し、両派が皇位継承の請願合戦・幕府が裁定)、つぎに南北朝分裂(1336年)になりました。
●自民党が政権を奪還すると、民主党が分裂
民主党は、下野すると(2012年)、維新の党と合併し、民進党を結党しましたが(2016年)、希望の党との合併が破断になると(2017年)、一時5派に分裂、現在は、立憲民主党と国民民主党に2分されています。
よって、せっかく2大政党制のために、小選挙区制を導入し(1996年)、一方がダメならば、他方を支持できる体制を、いったん成立させたのに、民主党自体が崩壊(自壊・自爆)してしまったのは、責任重大で、必要な時に、選択肢がないのが、現在の状況です。
自民党にとっては、与党だった民主党を、「悪夢」の3年3ヶ月といったりしますが、国民にとっては、下野で分裂してしまったので、自民党がダメでも、支持の受け皿にならず、政権交代を任せられない民主党を、今後の「悪夢」とみるでしょう。
衆議院議員の総選挙は、政権選択の選挙といえるので、敵対する政党・勢力どうしの合戦とみれば、投票する国民の関心は、政権を担当する勢力が、一枚岩になっているかを、最重要視するのではないでしょうか。
権力集中(集権、一枚岩)の勢力が戦勝し、権力分散(分権)の勢力が敗戦したのは、飛鳥期の白村江の合戦での唐・新羅連合軍が倭・百済連合軍に勝利、戦国期での武家勢力が寺家(僧兵)勢力に最終的勝利・天下統一、江戸期の大坂の陣での徳川家康軍が豊臣秀頼軍に勝利、の先例があります。
●現在の政権交代の可能性
最後に、日本での政権交代の可能性を、みていくことにします。
まず、日本と、先進諸国の、世論調査での政党支持率は、次に示す通りです。
※日本の政党支持率(2024年8月NHK、小数点以下を四捨五入)
・日本:自由民主党30%、公明党3%、立憲民主党5%、国民民主党1%、日本維新の党2%、日本共産党3%、他10%、無党派46%
※先進国の政党支持率(5%単位で簡略化、5%以下は他)
・アメリカ:民主党30%、共和党30%、無党派40%
・イギリス:労働党45%、保守党20%、自由民主党10%、リフォームUK10%、緑の党5%、他10%
・フランス:国民連合30%、アンサンブル15%、社会党15%、不服従のフランス10%、共和党5%、緑の党5%、再征服5%、他15%
・ドイツ:キリスト教民主・社会同盟30%、ドイツのための選択肢15%、社会民主党15%、緑の党15%、ザーラ・ワーゲンクネヒト同盟5%、自由民主党5%、他15%
先進国では、英米のような2大政党制でなくても、第2・3党が10~15%もあり、日本では、与党(自民+公明)が33%・1/3で、先進国の第1党とほぼ同じですが、無党派が46%・1/2で、異様に多いのが特徴です。
なので、民主党(立憲+国民)が、わずか6%なのに、すぐに政権交代を主張するのは、おこがましく、再結集がなければ、私は、そのうちに、ネットを駆使し、世論調査を反映した、直接民主制(世論の割合で賛否を配分するのが党議拘束)の政党が登場して、無党派を取り込むとみています。
(つづく)