江戸時代の旗本は、播磨守のほうが壱岐守より格上、とかそういうのあったのか、という素朴な疑問 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 守名乗り、つまり武家官位 というのは、は幕府が一括して朝廷に申請して貰うわけですけど、旗本ならだいたい三千石以上、あるいは奉行などの役がついた時点で貰えます。位階は、一律で従五位下、これは普通の大名と同じです。つまり、大名と直参旗本は、ほぼ全員、一律です。(例外は、旗本なら高家、譜代大名なら老中とかになったとき、外様なら国持、などです)。
 この、全員一律、ってのがいいんです。もちろん、役職には上下があり、石高にも差があるわけですが、位は、面倒がないように、みんな一緒です。
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 で、このナントカの守、あるいはナントカの頭などもありますが。律令で位を貰うということは、イコール朝廷で何かの仕事をすることですから、位には自動的に仕事の肩書きがついてくるわけですね。従五位下の位には、従五位の下相当の肩書きがついてくる、はずですが。
 ところが、ピタリ従五位下相当の肩書きって、そんなに種類があるわけじゃないです。ここで拘ってしまうと、みんな名前が同じになってしまう。そこで、「そのあたりの肩書きなら、まあいいってことにしよう」となったわけです。播磨守と壱岐守は本来、格が三つくらい違うわけですけど、まあ、そこは考えない、同じ従五位下にしておきましょう、ということです。どうせその国をホントに治めるわけじゃない、要は「身分証明書の発行記号」と同じようなもんです。パスポートの記号がAだろうがZだろうが別に何も差がないのと一緒です。

 大名や大旗本の場合は、代々同じ名前を名乗りますが、新たに役がついて守名乗りをもらえる者は、同姓同名が出ないように、上役や同僚とカブらないように、というような、いろんな事情で何の守か決められたので、そんなに贅沢は言えません。たまたま、よさそうな国の名前が来ることもあるし、貧乏そうな国の名前が来ることもあるけど、それは別に気にしない、みんな位は従五位下。何の守であっても誇らしさは変わらないでしょう。


 ちなみに、大岡忠相は、山田奉行になったときに大岡能登守、そのあと江戸町奉行に出世して大岡越前守 になりますが、能登より越前のほうが大国だから、という意味はぜんぜんありません。単に、職場が変わって周囲とカブっちゃたので変えた、というだけです。