えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「龍宮の誘い」
田辺弁慶映画祭、昨年のグランプリ。テアトル新宿でレイトショー、今日から一週間公開。初日満席!

うあー、とんでもない代物を観てしまいましたよ! ポスターの(いささかグロい)印象の、はるか斜め上の衝撃、自主映画でよくぞこんなもん撮ったもんだ。主人公のサイコっぽさが夢に出そう。


キャストほぼ全員、舞台挨拶に登場、
あんなに目がヤバかった主役(#戸張瞬)が、とても好青年?

山田純 監督と写真撮りました。

若っかいなあー!

ロビーがほとんどお祭り騒ぎ。なんかいいモン観たな。





織田信長は「平家の末裔」です。
「平氏」ではなく「平家」の子孫、つまり平清盛の子孫、てことになります。

清盛の息子や孫は、全員が壇ノ浦で海に沈んだんじゃなかったっけ?

いいえ。清盛の長男・重盛(小松殿)の次男「資盛」が、壇ノ浦で死なずに九州に落ち延びて(と、言われていて)。

その子孫(を自称する者)は結構、います。有名なところでは長崎円喜(鎌倉幕府の最後の得宗・北条高時に仕えた内管領)、小松帯刀(幕末薩摩藩の家老、維新の影の立役者)などがいますが。一番の大物はやはり、織田信長です。
本当ですか?とか言うのは「野暮」、とされています、日本史においては。先祖については言ったもん勝ち、他人の先祖自慢はアレコレ文句言わずに信じておけ、ってのが「作法」です。
「平氏」と「平家」が同じだと思っている方がまだまだおられますが、間違いです。
「平氏」は日本中に散らばった桓武平氏の子孫全てを指します。北条も三浦も畠山も、平氏です。全国にゴマンといます。
「平家」とは、その中で京都で貴族に成り上がった一族、つまり「平清盛と、その家族」のみを指す固有名詞です。〜家、という言い方は貴族にしか使いません。
なぜ「源氏と平家」であって「源家と平家」ではないかといえば、このとき平清盛のほうは京都で貴族をやっていて、源為朝の孫たちは地方に散らばって武士をやっていたからです。
従って「平家の子孫」といった場合は、平氏ならば何流でもいいわけではなく、平清盛の子孫でなければ当て嵌まらない、わけです。

死とは、不条理なものです。
病気で死ぬこともあれば事故に遭うこともある、穴に落ちて死ぬ人も、餅で死ぬ人もいる。現代であっても、そうです。

「この命を犠牲にして、世の中を救うぞ!」なんていう勇敢で崇高な死に方を自ら選べるなんて人間は、一握りです。多くの人間は、何の予感もなく、不意に理不尽に人生を終えるものです。

「この死に方は、カッコ悪い」なんて言うのは、失礼ではないだろうか?と思うんです。

ドラマが「通説」と違うことをやると、すぐ「史実と違う、許せない」と怒る人が、まだまだいますけど。

信長、秀吉、家康って、いままで何十、何百のドラマや小説になっています。三、四年に一回は同じ名前が出て来ますが、今更「通説」と同じ人物を見せられても、面白くもない。いつもとおんなじ信長、秀吉ならば、いまさら観なくてもいい。NHKさんに制作していただかなくてもいい、と私は思っています。

武田信玄も、いままで「描き尽くされてきた」レギュラー人物の筆頭です。

それだからこそ、毎回同じような信玄っぽい信玄が出てくるようなら、毎年大河を作る意味はありません。
威厳ある信玄、立派な信玄の次には、傲慢で欲深な信玄、戦争ジャンキーのヤバい信玄、が来る。そういうふうに作品ごとに、バリエーションがあって欲しい。

その意味で、子供たちと餅を搗く穏やかな好々爺・信玄(高島政伸さん)、これはなかなか新鮮で、良かったです。これでこそ大河、と思いました。

そんな「今までにない信玄」の最期は、どんなふうが相応しいだろう。

不謹慎な言い方かも知れませんが、是非「今までにない死に方」にチャレンジして欲しい。
「おんな城主直虎」のときは、松平健さんが「幽霊に取り殺される」という斬新な死に方をしてくれて、これは観たことなかった、良いぞ良いぞ、と思ったもんです。
ぜひ、あれを上回るモノが欲しいところです。

三方ヶ原で勝って、いよいよ天下に指先が届いた、というところで、信玄は「毒殺」の罠を危うく免れる。天は我を助けた、と信じたその直後、餅を喉に詰まらせる。
長年の不摂生のせいで血を吐いて死ぬのなら、まだ理由があります。敵に暗殺されたなら、それはそれで必然性があります。恨みで呪詛されるのも、因果というものです。観客はなんとなく納得できます。

でも、大抵の人間は、理由も必然性もなく、不意に人生を終えるんです。

この不条理さこそ、ご都合ではないリアルだ、と私は思いました。

外様大名と譜代大名は、存在意義が大きく違います。
外様というのは、幕府ができる前からその土地の大名だった者がほとんど。幕府に貰ったわけではないので、幕府のほうとしても、余程の落ち度がなければ、移封するから動けとは言えません。

譜代というのは、先祖代々三河徳川家の家来だった家のこと。もとは三河や遠江の小領主だった者が、徳川家康が天下を取ってくれたお陰で、何万石の大名になった、つまり「徳川のおかげで大名にして貰った」わけです。領地はもともと将軍様からの頂き物ですから、動けと言われれば動く、これは当たり前です


譜代大名というのは、徳川の家来ですから、指名されたら幕府の職に就かねばなりません。

江戸幕府というのは、三河松平家という田舎の小大名の家政機関がそのまんま大きくなったものです。だから、幕府の仕事は、譜代の家来だけでやるのが当然なんです。

江戸幕府というのは官僚機構であり、世襲なのは将軍だけ、老中も奉行も「息子がそのまま跡を嗣ぐ」という仕組みにはなっていません。けっこうな実力主義で、しょっちゅう人事異動があります。

それに合わせて、領地も移動しなければならない。
幕府の仕事で実績を挙げれば加増されていい領地が貰えるし、しくじれば減封されて僻地に飛ばされます。
その過程で、特に手柄も失敗もない大名も玉突きで移動させらることもある。これは仕方ないんです、もともと将軍様から貰った領地ですから、事情が出来たから動け、と言われたら、引っ越しするのは義務なんです。
当然、引っ越し費用は全部、自分もち、です。封建制度というのはそういうもので。主君の命令で戦争するのも土木工事するのも参勤交代するのも、全部、最初に貰った領地の収入に込み込みです。これが御恩と奉公の原則です。

この「玉突き異動」の煽りを食うのは、普通は譜代か、親藩です。親藩といっても御三家やその支藩は聖域ですので、主に越前松平家の分家などになります。

親藩は幕府の職には就けないので手柄を立てる機会もないんですけど。もともと手柄ではなく血筋で貰っている領地ですから、動けと言われれば文句を言う筋合いではないわけです。

「引っ越し大名」という星野源主演の映画がありましたが。あの一代のうちに五回だか引っ越しさせられた大名(及川光博)は、越前松平家の分家です。


転封が続くのは当然、大名の経済的負担は大きいです。が、それが目的ではないのは、転封させられるのが主に譜代と親藩だ、ということからも明らかでしょう。意地悪がしたいならまず外様を転封させるでしょうが、そうではありませんから。
なお、参勤交代も「大名の経済力を削ぐため」というのも間違いですが、これはあちこちに書いてあるので繰り返しません。
豊臣秀頼の実父ではないか、と当時から噂されていたのは、大野治長です。
淀殿の乳母「大蔵卿局」の息子、つまり乳兄妹です。淀殿の側近くに近侍していたことから、密通の噂は秀頼出生直後からありました。

資料的根拠というなら、毛利家臣内藤隆春の書状、興福寺の僧の「多聞院日記」、朝鮮軍人の捕虜・姜沆(きょうこう)の日記「看羊録」といった文書に書かれています。
もちろん、どれも噂話をそのまま書いたレベルで、真実である根拠にはなりませんが。当時結構広まっていた話であるとは言えます。
もちろん、皆んなが言ってるからホントだろう、て話には全然ならない、というのは現代のyoutubeやTikTokやSNSと同じですが。

石田三成は、たぶん、ないです。秀吉が朝鮮出兵で肥前名護屋城に来ていて大坂を留守にしている間が怪しいとなっていますが、この間は石田三成は朝鮮に渡海していました

ただ、竹中直人主演の大河「秀吉」では、茶々(松たか子)に誘惑された?三成(真田広之)が、茶々を押し倒すシーンが描かれました。
このドラマの三成は、誠実ヅラして腹に一物ある野心家に描かれていて、かなり面白かった。あのシーンの衝撃は結構、現代人の印象に残ったんじゃないかな、と思います。

大野治長は、大坂の陣ではそこそこ活躍しますが、やはり歴史好きしか知らない名前です。

石田三成のほうが日本史教科書的にもずっと「大物」ですから、現代人が淀殿の不倫をでっち上げるなら、こちらのほうが相手役としてネームバリューがあります。

「#サンキューチャック」
#スティーブンキング、原作。
実は一昨年の映画で、ようやく日本公開。なんでそんなに遅れた? 多分、当てる自信がなかったんだろう。


と、いうわけで。観ましたよ。そりゃあ、みんな勧めるから。

第三章から始まる。地球が、いや宇宙が滅亡する、って時に「チャック、39年ありがとう」という広告が溢れる。なにこれ?
SFなのか、ホラーなのか?
最後まで見たら分かるのだろうと思ってみてましたが。
凄く良い映画だ、ってことは分かったけど、実は結局どういうことなのか分かりませんでした。

で、慌てていくつかネタバレ動画を観て、あーなるほど、そういう仕組みか!って分かりました。

これは、すごい映画です。が、ネタバレできない予告編や解説では「凄い」というのが伝わらない。これは確かに動員が難しいだろうな。
しかし、結構みんな観てる。映画好きほど観てる。
吹奏楽部ってのは、ほぼ体育会系だ。
しかも 北宇治高校 は全国金賞を目指しているくらいだから、厳しさは半端ない。
大会メンバーに選ばれるか否かの緊張感、切迫感もある。所詮高校の部活なのに、と疑問もある。運営体制への反発もある。ちょっとした綻びから全体のモチベーションが下がり、組織は崩壊しかねない。
そんなこんなは「青春」の一言で押し切れるもんではないわけで。
うああ他人事ではない!これは、俺たちも、かつて通った道でもある。楽器できなくてもさ。

松竹の持ってる人気アニメシリーズだけに、新宿ピカデリーも気合いが入っていて。

ちなみに「みどりの日ですぅ」というのは、メンバーの一人に「本名緑輝(サファイア)、通称みどり」、〜ですぅ、って口調の生徒がいて、その声優さんがメインを張ってるイベント、てことです。
着ぐるみマスコットは、楽器ユーフォニアムを模している、らしい。初めて会ったな。

ところで、最近の学園漫画は、主人公が帰宅部なのが多いなあと思うんですよ。

松竹系の映画館で予告編後にかかるお願い動画の「#正反対な君と僕」もそうだし。「#薫る花は凜と咲く」もそうだし。誰も部活してない。

「#桐島、部活やめるってよ」の時代は、遠くなっているのか。

「響け♪ユーフォニアム」みたいに、部活で全国目指して頑張る、青春ってこうだよな、って思ってた自分は、古いのだろうか、と思うと、なんか感慨深い。
だからこそ、このアニメには頑張って欲しい。はい、実は先週も観たんで、2回目です。


声優さん目当てに集まっていた観客のうち、かなりの数が、舞台挨拶が終わると映画見ずにゾロゾロ退場したのには驚いた。別の会場の舞台挨拶を追っ掛けるのだろうか。

あの人たちは、部活なんて、やってなさそうだな。

お市さん、「いつまでも、あなた様をお慕いしております」と言って、浅井長政を自ら介錯しました。
いろいろご意見もあるでしょうが。私は、斬新な演出だ!と感心した、とだけ申し上げておきます。
でもさ。
このあと、お市は柴田勝家と再婚するんですよね。さて、ここまで言って、どうすんだろう。

そういえば。

「どうする家康」のお市様(北川景子さん)は、夫である柴田勝家に対して完全に家来に対する口調で喋っていました。

まるで「北ノ庄の城主は(柴田でなく)自分だ」と言わんばかりのその態度は、どうなんだろう、と思って観てました。

当然、勝家と刺し違える、みたいなシーンもありませんでした。まるで城主だから、落城したら死ぬのは当たり前、夫は別にどーでもよい、一緒に死にたいわけでもない、という態度に見えました(あ、これドラマの批判ではありませんよ、目新しい演出だ!と感心しただけです)。

この「豊臣兄弟!」では、どうなるか?

浅井との婚儀の前、お市は勝家に「お前と一緒になっておけば良かった」みたいなこと言ってましたけど。

あれから、もう何年も経ってます。お互い成長しています。

お市は、柴田勝家との再婚を「あくまで体裁上のもの」と割り切って、実際には夫婦の感情は無い、という演出になる可能性もあるかなあ。

北川景子さんのお市は、夫より兄より初恋のひと家康が頼り、という、いささか斬新過ぎる設定でした。 

北川景子さんの茶々は、父母を殺した秀吉より、母を裏切って助けに来なかった家康が憎い、という、いささか不思議な設定でした。

今年は、どうなるでしょう。

「オールド・オーク」の感想を書きます。

途中から、完全にネタバレになります。そうでないと語れないので。御諒承ください。できたら観てから読んでください。

主人公のパブ経営者の「TJ」は、いくつもの「取返しのつかない挫折」を味わったまま歳を取り、人生の終盤を、ある種の諦めを抱えて生きている、これが私には見事に身に詰まされるというか、よく分かりすぎるんです。

寂れた炭鉱町で、人々の唯一の憩いの場であるパブの経営も、どこか惰性というか、熱が籠っていないのが、良く分かる。

それが、シリアから移民してきた人々、特にカメラが趣味の「ラヤ」と心を通わせていくうちに、「まだ、やれることがある」というふうに、異なる共同体の融和を目指して、新たな生命力を、徐々に取り戻していく、という物語である、と私には見えました。

TJが封印した奥の広間には、かつて熱中した炭鉱争議の写真が飾られているのだけれど、その結果敗北し、そのせいで私生活も失った、喪失の象徴であったわけで。その部屋にラヤを入れて古いカメラを見せたのは、何十年ぶりに心を開いたきっかけになった。

広間を改装して生き返らせ、地元住民とシリア移民がともに集う「こども食堂」を開いたのは、まさに、彼が失われた人生を取り戻した風景なのだと思う。

しかし、この「人生の取り戻し」は、いちいち上手くいかない。水道と電気を破壊され、保険にも入っていなかった広間は復活不能になる。これが、移民を憎むかつての仲間による妨害工作だと知ったときの絶望感といったら、ない。

かつて海辺で自殺しようとしたのを思い止まらせてくれた愛犬を、無意味に理不尽に殺された事件は、結局ダメだった、という彼の思いの象徴になる。

その同じ海に、今度こそ本当に絶望して赴いたTJ、ところが、ここに突然「知らせ」が入る。ラヤの父が死んだ、という。これで彼は逆に死ぬのを思い止まる、わけだけど。


この「ラヤの父の死」の報を聞いた町の人々が、次々に弔問に訪れる、彼を裏切った親友も。しまいには街路を埋め尽くすほどの人数になる。何故か、住民と難民の融和が成し遂げられてしまった。

あれ、おかしいぞ、おかしいぞ、そんな上手くいくはずないぞ、と私は見ていて思ったんですよ。映画も最後を絶望的にしたくない、というケン・ローチ監督の意図だとしても、これはご都合すぎないか?

で、思いました。これは、映画のトリックなのではないか?

実はTJは、あの海で溺れて死んでいるのだ。そこから後は、彼が観た「夢」の世界なのではないか。自分は何かを成し遂げて死んだのだ、と思いたい、彼の願望が、あのラストシーンなのではないか?

そんなふうに解釈すると、あのラストは腑に落ちる、と私は思うのですが。如何でしょうか。


といったことまで考えさせたのですから、この映画が圧倒的に心に刺さったことは、間違いないです。

 

斎藤龍興は、まだ生きている!私の今期一番の推しキャラです。再登場嬉しい。

「一乗谷に、長く居すぎたか」

朝倉義景、まさに井の中の蛙。かつての美濃国主時代の自分を重ね合わせていたか。
なんなら、朝倉陣営でいちばん戦が分かってる風なのが、龍興です。着実に成長してる、ように見えるのは、私の贔屓目でしょうか?

濱田龍臣さん、今回も生き残った。

まだまだ出番あるはずです。
本能寺にも絡んでこないかな。なんなら最終回まで生き延びて欲しい。

ちなみに斎藤龍興は、一般的には、天正元年(1573年)8月の「刀禰坂(とねざか)の戦い」で戦死した、とされている、そうです。

「織田信長に敗れた朝倉義景の軍勢の一員として越前(福井県)で奮戦し、26歳で討ち死にしました」
但し、長島一向一揆に混じりその後、病死したという説もあるそうです。
つまり「確定していない」ってことです。
私は「(史実とやらがどうあれ)死ぬシーンが画面にハッキリと出てこない限り、そいつは生きているのだ、それが大河だ」と考えています。

ドラマに再登場する、しない、は別ですが。

少なくとも視聴者が「あの人きっとまだ死んでないよね、また出てくるよね」とワクワク期待してても、いいんです。

なので「麒麟がくる」の十兵衛光秀も、「どうする家康」の千代(古川琴音さん)も、「光る君へ」の直秀(毎熊克也さん)も、きっとまだ何処かで生きている、と思ってます。