えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「映画ちいかわ 人魚の島のひみつ」

カワイイを期待して観に行った子供たちが号泣してトラウマを植え付けられる、という世評がなければ、たぶん見なかった種類の映画です。

いや、私は無知な大人でした、「ちいかわ」をナメてました、ごめんなさい。
これは全国民が観たほうがいい映画でしょう。本気で。

怖い、と言っても、スプラッターとかジャンプスケアとかいう、分かりやすい恐怖ではない、いわゆる「怨念の連鎖」がテーマの、倫理観が揺さぶられる類いの怖さですね。

しかし、こんなもんを子供に見せるな、と言う現代人は、デオドラントされ過ぎてるでしょう。
実際、オレらが子供の頃には、このテのトラウマ的な恐怖漫画とか結構あったし(楳津かずお、みたいな)、ドロドロの怨念恐怖映画みたいなのを夜中にコッソリ見て「人間の暗部を見てしまった~」みたいなことってあって、そうして「オトナになった」もんだよね、って思う。

考えてみれば白雪姫だって眠り姫だって、おとぎばなしって結構ドロドロの愛憎劇なんだし、根源を辿っていけば「怪物も魔女も、最初から悪ではない、人に害をなすには、それぞれ、それなりの理由がある」わけです。

そういうものに、なるべく幼いうちに、知っておくのもいいことだ、と思います。


この物語って、原型は「七人の侍」ですよね。黒澤明の。
島民たちは、自分達を襲ってくる魔物を討伐するために、外から「討伐」する人をカネで雇おうとする。ところが、自分達は戦わないわけですね。
この時点で、なんか「人魚対島民」の戦いで、島民が護るべき善、人魚が討伐されるべき悪、ってのが、なんだか怪しいな、と子供でも思える仕組みになっているんですよ。

「ちいかわ」の世界では、主人公たちや主なゲストキャラだけが、ちゃんと描かれていて。その他の「その他大勢」は目鼻もない茶色いカタマリにしか描かれない。

このへんは「ちいかわ」という世界の作法、ということなのかも知れないけど。
その「茶色いモブ」たちの中に、いわゆる「真犯人」がいた、というのには、ちょっと意表をつかれました。
推理小説でいうところの「叙述トリック」みたいなものでしょうか?
頭にハッパ一枚、とハッパ二枚、の二人組(夫婦? 兄妹?)が、そういえば島に着いた時から挙動が不審だったなあ(タンサンで狼狽える、とか)って、これ、なかなか分からないですよ、しまった、もういっぺん見に来なきゃ、と思いますよね。
いろいろと、お見事な映画だったな、と思います。

先週は、中国大返しが裏も何もなく成功し、さあ山崎の戦いだ!天王山で小一郎が活躍するはずだ!と思ったらこれも、画面上ではほとんど戦闘らしき戦闘もなく、呆気なく勝利して。

えっ、これだけか!と思ったら、なんと死んだと思った光秀さんが、秀吉と茶の湯で最期の語り合い、というオリジナル展開でした。

秀吉が、どうやって軍事的に光秀を上回ったか、っていうのは、このドラマではさして重要ではないんですね。

そんなことより、秀吉はどうしても光秀に聞きたかったわけです。

「俺の大好きな、あんなに素晴らしい信長様を、なんで殺そうと思ったのか」

ということを。

なるほどなあ。それはドラマとして、ちゃんと聞いておきたいことだよなあ、上手い構成だなあ、と思う一方。

私ら観客にしてみれば、光秀が謀叛する動機、理由なんか、ここまでに充分に見せられてきて、よーくわかってるわけで。

むしろ、秀吉がどうしてそれが「分からない」のか、ってほうが、私には不思議で仕方なかった。

ここまで何度も何度も、パワハラ上司・信長に梯子を外されて殺されかけた秀吉こそ、光秀の気持ちが分かりそうなもんなのに、と心の汚れた?凡人の私などは思ったんですよね。
秀吉本人だけでなく、家族も本人も、信長に対して全く含むところがない無邪気さを発揮していました。
主人公の小一郎は勿論、信長に人質の息子を殺されかけた黒田官兵衛も「殿、御運がひらけましたぞ」的な台詞も態度も一切ありませんでした。
寧々さんに至っては、本能寺の変を聞いて「上様が大好きなアノヒトが、後追い自殺でもしかねない」ですって。それはあんまりおめでたすぎやしませんか、って。夫はもしかして信長暗殺にいっちょかみしているんじゃないか、とか毛ほども考えないんでしょうか?
そういうことは全く考えない、陰謀、謀略、とは縁がない、忠犬のような、もとい、イノセントな一族郎党なんですね羽柴一族は、少なくとも、この「豊臣兄弟!」では。

では、こののち秀吉が、織田家から天下を簒奪していく過程を、どのように正当化していくのだろう、このドラマは?ってことですけど。

ポイントは、棚ボタで大兵力を手に入れた織田信孝の、度を越した?イキリ方ですね。

中国攻めの時に出てきた織田信忠もそうでしたけど、信長の息子たち、みんな信長からパワハラ体質だけ受け継いだみたいな、家臣団に威張り散らすばかりの奴ばかりです。

天下人ってのが、親の跡を継いでなれるモノ、と発想するあたり、すでにその器ではない、ですね。

本能寺の変の「真相」とは、というのは日本史好きが最も大好きなテーマですから、今年は「何説」を取るのか、といった期待と言うか考察というかが、大河ドラマごとに盛り上がるわけですが。

「豊臣兄弟!」の脚本展開が見事だったのは、信長に裏切られた長宗我部元親、追放された鞆の浦将軍足利義昭、毒殺されかけた徳川家康、いま巷で流行っているいろんな「黒幕?説」をいったん全部表に出しで、しかもそれを一つずつズラしてスカして否定してから、最後は「結局、信長って、昔っから、みんなに恨まれてたんですよ」という「至極まっとう」な描写で締めくくったところだと思います。

本能寺の信長に炎の中で幻影を見せる演出は、秀逸でした。これはドラマでしか出来ないことですが。信長は明智光秀、比叡山で虐殺した子供たち、義弟の浅井長政、実弟の織田信勝、そしてその子のハムレット織田信澄の「亡霊」と次々に出会います。

このシーンは「リチャード三世」を持ってきたな、とシェイクスピア・マニアの私は膝を打ったわけですが。

これは死に際の信長の走馬灯、脳内世界ですから。要するに、クローディアス信長には、こうした面々に恨まれている、という自覚、罪の意識があったわけです。祟られても仕方ない、まさに「是非に及ばす」ってところです。

明智光秀は、本能寺の変の際には、現場ではなく、少し離れた鳥羽にいたらしい(三重県じゃないです、鳥羽伏見の戦いの鳥羽です)というのが最近分かったらしいですが。
ドラマで光秀本人が現場にいなくて絵になるか? 大丈夫です。本能寺には、幻影(生霊?)が現れればいいのですから。


大河ドラマって、劇的事情から主人公はあらゆる歴史的事件の現場に遭遇しなくちゃいけないから、結構な高速で移動してるんですよね。「龍馬伝」では土佐から神戸や京都まで一瞬で動いてたり。
しかし「生霊」を使えば、リアリティラインが全然違うことになるわけで。
ドラマならでは、です。生霊まで出てくれば、もはや歴史の推理や考察とは別物の世界です。

「光秀の生霊」を炎の中で見た信長は、「オマエじゃない!」と一蹴します。可哀想に光秀(の生霊)! 信長にしてみれば、本能寺で襲ってきたのがたまたま直近で恨みを買った光秀だったけど、その原因は、理由は、なんて、(このドラマにおける)信長の人生においては、どうでもいいことなんです。

いやはや、信長って本当に、最後まで家来をヒトと思わないヒトなんですね。
ホントに自分が「死に際に語りたい」相手は、オマエではなく、俺が殺した「弟たち」なんだ、ってことです。

松永久秀や荒木村重も、出てきません。てことは、信長は「家来」に恨まれても何ともない、ってことなんでしょう。家来は家族じゃない。つまり光秀同様に「お前じゃない」対象なんです。

信長にとって、死に際に会うべきなのは「身内だけ」なんでしょう。
信長の「奥さん」は、最期まで遂に全く姿を現しませんでした。本能寺の知らせにショックで卒倒するのも、妹のお市さんの役でした。

歴史上の「本能寺の変」と、それに続く「中国大返し」については、私は私なりの「考え」がありますが。

今回の「豊臣兄弟!」について語るときは、それは封印したほうがよさそうです。
なんでって、怨恨説にしろ四国説にしろ、突き詰めていけばどーしても「秀吉が噛んでくる」んですよ。
でも、このドラマの秀吉は、無邪気な程に「信長さま崇拝」で固まっています。あんなに何度も信長に梯子を外されて殺されかけたのに、「家族ではなく家来」扱いしかされてこなかったのに、秀吉は、信長には全く複雑な感情はないんですね。
どうして?と正直思いますけど。
信長は秀吉を特別に気に入っていた。それは確かです。その理由は、小一郎とセットだから、「弟と仲がいいから」なのは、間違いないです。
勿論、このドラマの信長、限定の話です。

中国大返しには、何の謎も不自然もありません。

こうしてドラマになれば、駆けつける池松さんの純粋まっすぐな表情を見れば、これは納得せざるを得ない、てゆうか、余計な邪推をしてすいません、ってなるわけで。
まあ、当たり前ですが、「麒麟がくる」の佐々木蔵之介さんとは、全く芯から別の人物だ、ってことなんでしょう。

「豊臣兄弟!」では、中国大返しが可能だったのは、小一郎が信長を迎えるために事前に街道を整備してしたから、です。何の謎も不思議もありません。「すべて主人公の手柄」というのは大河ドラマのお約束ですから。

さて、次は山崎です。開戦前夜?
天王山を抑えるのは、確か‥。
本能寺の変の理由、つまり光秀が謀反した動機は「不明」と言われていますが。
それは「あの人があんなことをする動機なんか思いつかない、信じられない」という意味で不明なのではなく。
「いろいろ原因と思われることは思いあたるけど、うーん、ありすぎて、どれか一つには決められないよね」という程度の話です。
織田信長が、カリスマ創業社長にありがちな、独善的でパワハラ気質のワンマン社長であった、というのは、まあ客観的に間違いないところです。
そういうブラックな企業体質に適応して、ついていける能力がある家来だけが、重役待遇で生き残っている。
でも、いつまでも耐えていけるかっていえば、コイツらも人間ですから、疲弊して限界が来て脱落していく者が次々出てくるのは、ある意味アタリマエの話なんです。
大河ドラマを観ているなら、これまでも「松永久秀」や「荒木村重」といった武将が、信長についていけずに謀叛を起こして亡ぼされたのを見ていたはずです。「本能寺の変」は、あれと同じことがまた起こっただけです。
信長の遺体が見つからないのは、本能寺の建物が全焼してしまったため、死体が判別不能になった、どれが信長だか分からなかった、というだけの話でしょう。
あそこで信長が死んだことは状況証拠から言って間違いありませんが、死体が確定できない、ということです。
「実は脱出して生き延びたのだ」みたいなファンタジーを語る人は当時からいっぱいいましたけど、生き延びたのなら何で出てこなかったんだ、って話です。
安土城の家康を接待しての宴席に毒が、というドラマの展開には、これは二ひねり、三ひねり、があって、ちょっと解説しないと「面白さ」が分からないんですが。
そもそも、明智光秀が織田信長に謀反した動機が分からない、ということで、講談や芝居では「分かりやすい、光秀が信長を恨む理由」というのが創作されてきたんです。

「明智光秀が、安土城での家康の饗応(接待)の仕切りを任されたのだが、出てきた魚が「臭い」と織田信長から難癖をつけられて、散々に罵倒され打擲を受けた、これに恨みを持った光秀が、信長を殺した」という「物語」です。これは当然というか残念ながらフィクションですが、これが史実だと思いこんでいる人が未だに多いです。

しかし近年、明智光秀の子孫を自称する歴史作家のトンデモなストーリーが、結構流行ったんですが。信長が、邪魔になった家康を暗殺しようとして、光秀に命じて家康の食事に毒を入れさせようとしたのだけれど、「正義の人」光秀がそれを拒んで、逆に信長を殺したのが本能寺の変だ、っていうんですね。
まあー支離滅裂な話ですけど(何故支離滅裂と言えるのかの説明は長くなるので省略します)、これも結構「なるほどー」とか言ってる歴史マニアは多いんです。
この「饗応の魚が腐っていた」という伝統のある嘘話や、「信長は家康を毒殺しようとした」とういう最近流行のトンデモ説や、あれやこれやの諸説を衝き交ぜて、独自の解釈、首謀者は実は織田信長の甥の信澄だった!ってのは面白いじゃん、という、この「豊臣兄弟!」で初めて出てきた新ストーリーに基づいて脚色したのが、今日の「豊臣兄弟!」の描写です。

大河ドラマは、歴史を正しく描いている、というのは、そもそも勘違いです。今日の本能寺は「真説」でも「新説」でもなく、一つのファンタジーに過ぎません。その程度に思って楽しんだほうがいいです。
「嘘だ、間違いだ」と大河ドラマをけなすのも間違っています。スレた歴史マニアの趣味にも応える、ちょっと高度なファンタジー・エンターテインメントです。

本能寺の変の理由、つまり光秀が謀反した動機は「不明」と言われていますが、それは「あの人があんなことをする動機なんか思いつかない、信じられない」という意味で不明なのではなく、「いろいろ原因と思われることは思いあたるけど、うーん、どれか一つには決められないよね」という程度の話です。

 織田信長が、カリスマ創業社長にありがちな、独善的でパワハラ気質のワンマン社長であった、というのは、まあ客観的に間違いないところです。そういうブラックな企業体質に適応して、ついていける能力がある家来だけが、重役待遇で生き残っている。

でも、いつまでも耐えていけるかっていえば、こいつらも人間ですから、疲弊して限界が来て脱落していく者が次々出てくるのは、ある意味アタリマエの話なんです。

大河ドラマを観ているなら、これまでも「松永久秀」や「荒木村重」といった武将が、信長についていけずに謀叛を起こして亡ぼされたのを見ていたはずです。「本能寺の変」は、あれと同じことがまた起こっただけです。

遺体が見つからないのは、本能寺の建物が全焼してしまったため、死体が判別不能になった、どれが信長だか分からなかった、というだけの話です。あそこで信長が死んだことは状況証拠から言って間違いありませんが、死体が確定できない、ということです。

「実は脱出して生き延びたのだ」みたいなファンタジーを語る者は当時からいっぱいいましたけど、生き延びたのなら何で出てこなかったんだ、って話です。

安土城の家康を接待しての宴席に毒が、というドラマの展開には、これは二ひねり、三ひねり、があって、ちょっと解説しないと「面白さ」が分からないんですが。

そもそも、明智光秀が織田信長に謀反した動機が分からない、ということで、講談や芝居では「分かりやすい、光秀が信長を恨む理由」というのが創作されてきたんです。

「明智光秀が、安土城での家康の饗応(接待)の仕切りを任されたのだが、出てきた魚が「臭い」と織田信長から難癖をつけられて、散々に罵倒され打擲を受けた、これに恨みを持った光秀が、信長を殺した」という「物語」です。これは当然というか残念ながらフィクションですが、これが史実だと思いこんでいる人が未だに多いです。

しかし近年、明智光秀の子孫を自称する歴史作家のトンデモなストーリーが、結構流行ったんですが。

信長が、邪魔になった家康を暗殺しようとして、光秀に命じて家康の食事に毒を入れさせようとしたのだけれど、「正義の人」光秀がそれを拒んで、逆に信長を殺したのが本能寺の変だ、っていうんですね。

まあー支離滅裂な話ですけど(何故支離滅裂と言えるのかの説明は長くなるので省略します)、これも結構「なるほどー」とか言ってる歴史マニアは多いんです。

この「饗応の魚が腐っていた」という伝統のある嘘話や、「信長は家康を毒殺しようとした」とういう最近流行のトンデモ説や、あれやこれやの諸説を衝き交ぜて、独自の解釈、首謀者は実は織田信長の甥の信澄だった!ってのは面白いじゃん、という、この「豊臣兄弟!」で初めて出てきた新ストーリーに基づいて脚色したのが、今日の「豊臣兄弟!」の描写です。

大河ドラマは、歴史を正しく描いている、というのは、そもそも勘違いです。今日の本能寺は「真説」でも「新説」でもなく、一つのファンタジーに過ぎません。その程度に思って楽しんだほうがいいです。

「嘘だ、間違いだ」と大河ドラマをけなすのも間違っています。スレた歴史マニアの趣味にも応える、ちょっと高度なファンタジー・エンターテインメントです。

「マジカル・シークレット・ツアー」
公開からそろそろ一か月で、シネコンでも終わりかけていますが、見逃すと惜しい映画だと思いまして。
有村架純(主婦)、黒木華(研究者)、南沙良(若い妊婦)。
いろんな意味で、男社会から圧迫されていた三人の女性が「海外闇バイト」で知り合い、シンガポールからの「金塊密輸」をやる話。
女三人の犯罪モノというと「万事快調 オールグリーンズ」を思い浮かべますが(南沙良さんここにもいるし)。女子高生三人のブッ飛んだ「やらかし」に比べて、オトナの三人の行為は、犯罪としてはグダグダで穴だらけで。
そりゃ捕まるよ、という話なんですが。

どこかのユーチューブで、映画業界人のおじさんたちが「犯罪があんまり向井格でバカバカしくなった」と言ってケナシていたのを聞いて、なんか、そこじゃあないだろう、と甚だ不本意に思ったわけで。

これ、ケイパーものじゃあなくて、男社会に圧迫されていた女たちが「解放される」物語なんだ、ってところを、見て欲しいなあと思うわけです。
「アイ・ワズ・ア・ストレンジャー」

この映画が扱っている「現実」の重さからすれば、「面白かった」とか言っていいのだろうか、と逡巡ところではありますが。これがもう、どの娯楽映画よりも、圧倒的に面白かった。
正直、俳優さんには知った顔もなく、起こっていることが「現実」としか思えない切迫感があり。
都合のいいエンタメ物語ではないなら、主人公だって最後に報われるとは限らない、途中で理不尽に死んでしまうかも、いや、その可能性のほうが大きい。
とてもじゃないけど観客気分で観ていられない。

爆撃のなかで毅然と奮闘する医師の女性、こんな良い人が、こんな愚かしい戦争のせいで死んでいいはずがない。と思いたいのだけれど。

なにしろ我々は、ついこのあいだ「シラート」を経験してるんですよね。
医師の娘さんが「私たちがどんな悪い事をしたの?」と叫んだのが胸に響きましたが。
パレスチナの「神」は、正しい者を助ける、訳ではないんですよ。

次々に視点人物を変え、いろんな立場の人間の目を通しているのが、効いています。正しい者も、愚かな者も、間違った者も、強い者も弱い者も、この巨大な「現実」の前には誰も「救い」を約束されてなどいないんだ、という。正しい者は報われる、みたいな偽善を語らない。これは物語ではない、現実だから。
何か、本物を見た、という実感があります。

「四国問題は、すなわち中国問題」

という話の、続きですが。

以下は、ドラマでは描かれていない話になりますが。

信長が長宗我部に「四国は斬り取り次第」を許したのは、瀬戸内の制海権を奪取するため、水軍を支配する阿波、讃岐、伊予の大名たちを征服させよう、ということです。

そのため、明智光秀に長宗我部との外交関係を担当させていたわけですが。

現に中国攻略に四苦八苦している羽柴秀吉にしてみれば、「それって、あと何年かかるんだ?」って話なわけですよ。今すぐにでも、毛利与党の村上水軍と対抗できるような織田方の水軍が欲しいんです。

そこで。

阿波の三好長慶を味方に引き入れたのは、実は秀吉が水面下で交渉した成果だ、と言われているんです。これによって三好配下の淡路水軍が味方につき、毛利攻めがずっと有利になります。

当然、長宗我部元親は激怒、明智光秀は梯子を外されて面子丸つぶれ、ということになります。

いわば、光秀は秀吉に出し抜かれたことになるわけです。

光秀というのは、もともと戦争よりも政治外交の能力で信長に重用されていたのに、得意の外交でも秀吉にしてやられた。

織田家内でのポジションはダダ下がり、このままでは林や佐久間と同じように無能の烙印を押されて追放されてしまう・・・。この不安が「本能寺の変」に繋がった、というのが、筋立てです。

しかし、この「豊臣兄弟!」では、この筋立てにはなりません。秀吉も小一郎も、三好の取り込みには全く関与していませんし、明智を出し抜こうというような意図は全くありません。当然でしょう、NHK大河ドラマ主人公たちが、仲間を陥れる?ようなコスイことするのは有り得ませんから。

だとすると、本能寺にはどう持っていくのだろう、と思っていたところに出てきたのが、従来ほとんど注目されていなかった「織田(津田)信澄」という人物です。

父を叔父に殺され、復讐心を胸に秘めて生きる、「ハムレット」です。そういえばこんないいキャラが明智光秀のすぐそばにいたのに、今までほとんど注目しされなかったのでしょうね。

先週、信澄が光秀に「足利義昭様からの密書」も持ってきたときは、おお今年は「義昭黒幕説」でいくのかな、と思ったのですが。

義昭はこの時、毛利領内の鞆の浦で「鞆幕府」と後世呼ばれる政治活動を継続中で。光秀をけしかける可能性は充分にあるわけですが。

しかし、だったらどうして折角の保護者・毛利と何の打ち合わせもしていなかったのか。毛利はせっかく本能寺で信長が死んだのに、それを生かさずアッサリ秀吉と和睦してしまった。義昭が「黒幕」だとすれば、少々お粗末です。

しかし、あの密書も実は信澄が偽造したものだった、とすれば、いや大したものです。なんかいろいろ、見事に辻褄が会います。

「ハムレット」終盤の重要アイテムが「偽手紙」なのは、皆様御存知でしょう(・・・ですよね?)。

あ、なんかシェイクスピアマニアでもある私、なんかとっても盛り上がってきました。

もちろん、ドラマですから、「信澄主犯説」という画期的な新説を提示してきた、ってわけではないでしょう。あくまで「こうも想像できる」という大河ドラマならではの面白さ、と言っていいと思います。

欲を言えば、信澄がハムレット、光秀がポローニアスなら、オフィーリアを出して欲しかったですね、光秀の娘で信澄の妻、という女性に。

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おお、三好康長を演じている「妹尾正文」さん、私この人よく知ってます! 

渋谷のジャンジャン(山手教会の地下の小劇場というかライブハウス、先ごろの「もしがく」でも完全再現してました)で「シェイクスピアシアター」という劇団が毎月毎月シェイクスピアを上演していたんですけど、そんときの主要メンバーの人です。その後蜷川幸雄さんのところに行ったり、とにかくずーっと舞台で活躍していた人です。いやあ感無量。


さて。

信長が、長宗我部元親への「四国は斬り取り放題」を突如「気が変わった」と言って撤回したのは、阿波の三好が「降参」して保護を求めてきた、からです。

三好というのは、例の本國寺を襲って小一郎と明智光秀に撃退された「三好三人衆」のことです。三好康長はその一族ですから、信長にとっては宿敵みたいなもの、のはずだったのですが。

「あんな小僧(長宗我部)に領地を奪われるくらいなら、織田信長様に降参して守って貰ったほうがマシでござる」と、ほんとハッキリ本音を言ってます。

このドラマでは描かれていませんが、これの背景にあるのは「瀬戸内海の制海権」の問題なんです。

秀吉の中国侵攻が、苦労に苦労を重ねているのは、もちろん向こうのバックに毛利がいるから、です。

この毛利の「粘り腰」の秘訣は、陸では劣勢でも、実は瀬戸内の水軍を味方に付けていて、物資や兵站輸送で圧倒的に優勢だからです。

この水軍は、伝統的に毛利の与党である阿波、讃岐、伊予の、三好、十河、河野といった大名の配下にありました。信長としては、これらの大名を屈服させて、水軍を我が手にしたい。そのために、土佐の長宗我部と同盟して「斬り取り次第」と焚きつけていた。三好たちを背後から圧迫させようとした、」これによって毛利攻めを有利にしようと考えたわけです。

つまり「四国問題」イコール「中国問題」なのです。

ところが、その宿敵三好が、降伏してきた。
三好さえ味方に付けば、配下の淡路の水軍を毛利攻めに使えるわけですよ。
信長にとっては、ならば長宗我部との約束なんぞは、どうでもいい、となるのも当然で、もちろん長宗我部は激怒、光秀のメンツ丸潰れ、でもそんな小さな話は、スーパーカリスマ信長にとっては、どうでもいい些事です。

この話、つづきます。すいませんこのあと実は秀吉が出てくるんですが。
その瞬間の信忠には、状況がサッパリ分からなかったはずです。

なにしろ、父が一番信頼していたはずの光秀が、父を襲って殺しているんですよ。

他の誰のところに光秀の手が回っているのか、あるいは誰があらかじめ光秀と組んでいるのか、全く分からないわけです。
だって、あの頭のいい光秀が、事前になんの根回しもなく、こんなことを始めるなんて、普通に考えれば、あり得ないじゃないですか。

このときの信忠の身になって考えてください。

こんだけのことをやったんだから、光秀は当然、誰かと組んでいるに違いない。
中でも一番怪しいのは誰か? っていえば、それは勿論、弟の信雄か、信孝じゃあないですか?
父の信長が、長男の自分ばかり可愛がり、早々に家督まで譲ってしまった、弟たちは、兄の家来に甘んじざるを得ないということに、不満を抱えてるんじゃあないか?
そのくらいのことは、当の信忠も感じていたはずです。いや、感じてもいなかったとすればオメデタさ論外ですけどね。
まともな認識力のある信忠が、本能寺で父が殺された、軍勢はこっちにも迫っている、という状況でサテどう考えるか。
真っ先に思い浮かべる顔は、弟の信雄か、信孝でしょう。だっていま、戦国時代なんですよ。叛乱で子が親を殺した、弟が兄を殺した、あるいは殺される前に親が子を殺した、兄が弟を殺した、そんな例は身近にいくらでも転がっていたんですよ。そうです、父の信長こそが、ソレやった人間じゃあないですか。
その息子が、同じ考えをしない訳がないじゃあないですか。

いちばんヤバイのは、信孝です。

母の身分が低いせいで不当に冷遇されている、と思っているはずだ。
光秀に、「私が信長と信忠を殺して、あなたを織田家の当主にしてあげます」と持ち掛けれられれば、誘いに乗るだろう、乗るに決まっています。
 
それなら、同腹の信雄だって話は同じです。父と兄がいるうちは自分は日陰者だ、ならば、と考えないか。いや、いかにも考えそうです。だって父の弟の信勝がそれやったじゃあないですか、あっそういえば名前の読み方も同じだし、同じことをやらない保証なんて一つもない。
同母弟ってのが一番危ないんですよ、戦国の世界では。何故なら家臣団にしては「嫡男を担げば、主家への謀叛にはならない」って言い訳が立つからです。
信雄が「父も母も同じ(つまり遺伝子は同じ?)なんだから、織田家の跡継ぎは兄貴ではなく俺でも良かったはずだ、兄貴さえ消えれば俺が嫡男だ」と思っていたとしても、全く無理はありません。
 
これは、信雄か信孝か、どっちかが明智と組んでいる、いや両方ということもあり得るぞ。
信忠が逃亡して、信雄か信孝の陣に駆け込んだら、そこで弟に「飛んで火にいる!」って殺されてオシマイ、ってことは、充分に考えられるじゃないですか。
織田家に忠実だと思われていたどの重臣だって、光秀に通謀していないとは言い切れません。
まさに疑心暗鬼、五里夢中なんです。
「もう周りには光秀の手が回っているに違いない」と思うのは、まったく無理のないことです。
 
こういうとき、窮地に陥った人間はどうすべきか。登山で遭難したときと同じです。無闇に動き回らず、その場で身を護りながら助けを待つ。これが常識的にもっとも確かな判断です。
籠城を決断した信忠の判断は、間違いではない。いくら未来人が空の上から見て「バカだなあ」と言ったところで、その時その場にいた信忠の身になって考えたのでなければ、なんの意味もありません。
 
もちろん、これは常識の話で。
こういう常識人には天下は取れません。
「ヤバシ」と思った瞬間に、家来も家族も全部捨てて身ひとつで一目散に逃げる。恥も外聞もなく逃げる。それで死んだらそれまでですけど。一種の動物的カンで、ギャンブルを打てる、そういう人間のうちの運がいい者が天下を取れます。
信長も、かつて越前攻めの途中で浅井が裏切ったと聞くや、家来を全部残して一目散に逃げました。そのとき秀吉や光秀、家康は殿(しんがり)を勤めてヒドイ目にあった、もとい、奮戦して事なきを得ました。彼らは、「天下をとる人は、ああでなければ」と学んだんじゃないでしょうか。
 
古くは漢の劉邦も、蜀の劉備も、家族を置き去りにして逃げて逃げて逃げ切ったエピソードがあります。
本能寺の変を聞くと、家康は一目散に領国に逃げました。結果、正解でした、こういう人間だけが、いずれ天下を取れる(かもしれない)。
信忠は、所詮はそういう器ではなかった、ということです。