えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

クリストファー・ノーラン監督「オデュッセイヤ」の感想を改めて(いまさら)。
ちょっと違った、オデュッセイア。ゼンレイヤに引っ張られてしまいました。
ゼンレイヤが画面に出てきた瞬間に「ああ、これはスパイダーマン(ブランド・ニュー・デイ)を裏返しした話だな」と直感しました。
世界から(特に恋人MJから)忘れられたスパイダーマン、に対して、記憶を消して世界を忘れたいオデュッセイア。なるほど、この主人公は、自分から「自分の過去を忘却したがっている」トラウマ男です。

彼の消したい過去ってのは、この監督の前作からの流れからしても明らかです。

「ネルソンさん、でなくオデュッセイアさん、あなたは人を殺しましたか」。

木馬作戦を立案指揮したオデュッセイアは、トロイ陥落の立役者です。しかしそれは「トロイ大虐殺」の総責任者、というトラウマでもある。
彼はその責任から逃れようとして、何年間も女と島に引き籠っているわけです。そこに追いかけてくる「幻想のアテナ神」ゼンレイアは、彼のトラウマが生み出した何か、でしか有り得ません。

異国民は殺してもいい。異民族は滅ぼしてもいい。略奪しても、虐殺してもいい。何故ならヤツラは同じ人間ではないから、怪物だから。そういうエクスキューズが生み出した「オデュッセイアの記憶補正」が「一つ目巨人」であり「巨大な鎧戦士たちの国」でしょう。ギリシヤ兵たちは、漂着した島で勝手に資材調達しようとして、しっぺ返しを食らう、アタリマエなんです、それは結局、侵略であり虐殺です。被害者のように語るのが傲慢なんです。

「キルケーの魔女」のエピソードあたりから、主人公はコトの本質に気づきはじめます。自分達ギリシャ人は、侵略者であり略奪者である、豚の姿が相応しい、ということを見せつけられたわけです。

彼が妻子のもとに「帰れない」訳は、帰還して英雄と称えられたらば、虐殺者としてのトラウマと向き合わされる事になるからだ、というのが、徐々に分かってくる仕組みになっている。これは、単純にスペクタクルで面白がっていてはいけない、というか、勿体ない映画でしょう。
先行上映のときに、池袋のアイマックスで見ました。「これは、アイマックスで見なくてはいけない映画だ」と思う一方「アイマックスでなければ見る意味はない」とは言えません。

「どうする家康」 では、長篠・設楽ヶ原合戦前に、本多忠勝が信長を斬り殺そうとする場面があります。
信長は「徳川は同盟ではなく家来になれ、拒むなら敵と見なし滅ぼす」言い出し、激高した徳川家臣団の中でも最も血の気の多い本多忠勝が、信長を斬る寸前までいって、辛くも取り押さえられます。
もちろん、こんな場面は、あくまで「どうする家康」というドラマのフィクションでしょうが。
このとき、もし本当に忠勝が信長を斬っちゃったら? というのをオアソビで考えてみましょう。
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史実とドラマは全く別物、というのが大前提だとして、本多がホントに信長を斬っちゃった、という場合の、ドラマの続きを想像しましょう。
当然、家康はこの時点で覚悟を決めなければなりません。
本多忠勝の行為は、突然乱心したわけではありません。徳川家臣団の不満の総意を代表して「やってやった」のですから、家康は忠勝を支持しなければならない。自分の家臣団は織田と決別する道を選んだ、だったらそれに乗っかるしか無い、と腹を決めねばなりません。

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忠勝を先頭とする徳川家臣団は、総出で秀吉以下の織田の武将を片端から斬り殺した上で、主君家康を担いでこの場を脱出します。もちろん脱出できますよ、だってこのドラマは「どうする家康外伝」ですから、家康は死にません、絶対に。
次に家康がやるべきことは、無傷の徳川家臣団を率いて、武田軍に合流することです。
信長を斬っちゃった以上、家康が武田といつまでも戦う必要は全くありません。とっとと和睦して同盟しましょう。はい、降伏でも亡命でもなく、あくまで同盟です。
武田のほうから見れば、家康が軍門に下ってきた、降参してきた、と思っても、ここは面子を立ててやって、家康を客将として遇するはずです。
家康を殺して徳川家を潰すより、味方にして使ったほうが、お得に決まっているから、です。
日本の将棋では、敵の駒を取ったら味方として使えるのです。戦国時代の同盟関係なんて、そんなものです。
主君の突然の戦死?で大混乱に陥った織田軍は、尾張あたりまで撤退します。その空白状態を突いて、武田の支援を得た家康が、遠江と三河を織田から奪還します。はい、桶狭間の後と同じ手順ですね。
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さて、面白くなるのは、ここからです。
さっき「秀吉以下を切り殺して」と書きましたが。
いや、秀吉は生き残ってもらわなければならない、てゆうか生き残るでしょう、ムロツヨシですから。
生き残った秀吉は、信長の死で混乱に陥っている織田軍団を魔法のような手際で乗っ取り、まるごと羽柴軍団に衣替えしてしまいます。本能寺後の中国大返し、山崎、賤ヶ岳、というあの手際を、史実より数年前にやるだけですから、容易いはずです。ムロツヨシですから。
かくて、数年後には、羽柴軍と徳川・武田連合軍が、小牧長久手あたりで決戦することになるでしょう。
兵力的には中央を押さえた羽柴が圧倒的に優位でも、勇猛果敢さにかけては徳川、武田に侮れないものがあるはずです。
もちろん、徳川軍の先頭には、「魔王を斬った男」レジェンド本多忠勝が、まるで王騎将軍のように屹立しているはずです。
どうなる家康!
 

お市様は「戦国一の美女」などと言われます。

ホントにそんなに顔が美しかったの? 顔だけなら、美しい女性なんて、もっといたのではないの?

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いえいえ。そういうことではないんですよ、

日本史では、不幸な死に方をした人を「美女」と呼んで鎮魂するんです。 

実際の御面相は関係ないんですよ。 お市様は、落城を二度経験し、二度目の落城で死んでいます。こんな悲劇的な女性は戦国時代でも珍しい、だから「戦国一の美女」なんです。 

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その3人の娘は、両親が同じなんだから顔のツクリがそんなに違うはずが無いのに、長女の茶々だけが美女と言われるのは、初と江は畳の上で死んでいるからです。

茶々は、三度の落城を経験した挙句に死んだ、これはもう、レジェンド級の美女です。但し大坂の陣はもう戦国時代ではないので、戦国一の美女とは言えません。 

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秀吉の妹のあさひ(旭姫)は、無理やり離婚さすぇられて、徳川家康との再婚を強いられた「相当に不幸な女性」ですけれど、そのうち慣れて、晩年は穏やかに暮らしています。

こういう女性は、わざわざ美女と言ってあげなくても大丈夫。

そのへんは、江も同じです。秀吉の都合で何度も離婚・結婚をさせられましたが。最後は二代将軍の妻で三代将軍母ですから、勝ち組です。この人も、後世の我々は美女と持て囃す必要はないのです。

実質今週初登場の三好信吉(後の秀次)には、正直、不安というより、暗澹としました。同じ思いをした方は、多いと思います。

私にとって最高の秀次は「真田丸」の新納慎也さんでしたが。この人は「いい人」ではあるが「有能」とは言えなかった。山田涼介さんは、これとは完全に真逆のキャラを見せつけてくれました。あるいは大河史上いちばん有能な秀次かも知れませんが、性格的には難あり、です。

「小牧で兵が動けば報告が来るはずだった。敗戦は、報告をよこさなかった奴が悪いのだ、私は責任を感じていない!」
初仕事でしくじった新入社員が、何を言っているのか。
これを秀吉にではなく秀長に言ってくるところが、また困ったヤツで。オーナー経営者に嫌われるのは嫌だから、中間管理職に訴えてくる。こんな新入社員、嫌ですよ。
彼はただの新入社員ではなく、オーナー社長の甥っ子だってところが、始末が悪い。
このドラマが「豊臣兄弟!」であることの弊害が、もろに出ています。

羽柴株式会社は、完全な同族経営者です。カリスマオーナーの親族で経営陣が固められ、血縁のない家臣は永久に使用人です。

三好信吉は、戦争経験が全くない素人にも関わらず、軍議の席で秀吉の隣の上座に座っています。反対側の秀長とほぼ同格の扱い。蜂須賀正勝や黒田官兵衛といった功労者の先輩たちをも、見下す地位をいきなり与えられている。
これ、現場はやる気を無くします。
さすがに、秀吉、間違ってませんか。たとえ甥だとしても、将来の幹部候補だとしても、最初は末席に座らせて、先輩の仕事を学ばせるべきなんじゃないですか?
秀吉の人事は、明らかに間違っています。ダメな同族企業の典型です。

近年にも「有能な?」社長の息子が威張り散らして現場を威嚇して、挙句に問題起こして倒産した企業が思い浮かびますが。

そんな平成令和の話をしなくても、直近でそういう実例があったのを、秀吉は知っていたはずです。
織田家、です。

織田信長は、天下一統を目前にした時期から、あからさまに息子たちを優遇し、羽柴や明智ら家来たちの上位に置きました。こいつらはなまじ自分が有能だと思っているので態度もデカく、歴戦の家臣たちを上から目線で支配しようとしていました。家来たちが、面白いはずないんです。いくら頑張って働いても、所詮はこの若造たちの使用人、怒りも湧いてこようというもので。本能寺の変の根本原因は、コレではないかとすら言われます。

信雄は馬鹿でも、信忠や信孝には武功もあって有能だ、と言う方もいるでしょうが。そんなのは所詮は「下駄をはかせて貰った手柄」です。小牧長久手で、三好信吉が初陣なのにいきなり大将にされたのと、同じです。

ここまでの「豊臣兄弟!」は、親族の絆で上り詰めていくドラマでした。しかし今回明らかに、頂上で折り返し、あとは「親族が逆にしがらみになって」下っていくばかり、という運命が見えています。



秀吉が、家康を関東に移したのは「左遷」だったのか?
そうではありません。
秀吉は実は、家康を日本統治のパートナーとして、ものすごく頼りにしていたんです。

家康の関東移封に際し、本拠地に江戸を指定したのは秀吉であるとも言われており、これは「草田舎」の江戸を開発させることで家康の力を削ごうという嫌がらせだ、などとよく言われますが。
これは違います。
なんでか。江戸と大坂は、ものすごくよく似ているからです。
湾の奥にある低湿地のなかに浮かぶ町を、大規模土地改良と都市計画によって、大都市に生まれ変わらせる。
これはまさに、秀吉が大坂でやって成功させたことです。

大坂だって、もともとは低湿地の中に石山本願寺がポッカリ浮かんでいるような土地だったんです。そこを秀吉が全力で改良して、巨城を中心とした大都市に仕立て挙げたんですよ。
同じような条件の未開の土地が、東日本にあるじゃあないですか。
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「家康殿、日本のために、東にもうひとつ大坂を作ってくりゃー」くらいの意図が、秀吉にはあったんです。
もちろん、そのためには、関東をバラバラにして何人かに分け与えたのでは。到底無理です。
江戸の低湿地を沃野に変えるためには、河川の大規模な改造が不可欠だから。なので、関東全域を、一人の実力者にドーンと任せなければならない。
これをやれるのは家康しかいない。家康に任せるなら、根こそぎ引っ越して関東に全力を投じて貰わなければならない。
なんなら、東日本の支配を家康に丸投げしても構わない、くらいの国家構想でいたはずです。江戸の都市開発を成功させたら、関東を「家康王国」として呉れてやっても構わない。
「西の豊臣、東の徳川で、手を取って日本を発展させていこうじゃにゃあか」というのが、秀吉の国家構想だったんです。
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こんなこと言うヤツは、滅多にいないと思いますが。
秀吉が外様大名にしたのは、もとの本拠地から加増と称して苦労させて力を削ごうというイジワルばっかだ、という言い方も、よくされます。
家康の関東だけではありません。上杉は越後から会津に飛ばされ、黒田は播磨から九州に飛ばされ、伊達は米沢から仙台に飛ばされた。これみんな秀吉のイヤガラセ、と解釈することはできます。
しかし、こういう異動を恨みに思うか、チャンスと見るかで、それぞれの武将の将来が決まるといってもいい。
未開の地に新しい都市をオレの手で作る、これに燃えないようなヤツに、天下は語れません。
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伊達政宗が新しく本拠地にした仙台は、規模は小さいながら大坂や江戸ととても良く似た地形であり、事実、仙台は奥羽随一の大都会に成長しました。米沢にいたままでは、伊達はそこまで勢力を伸ばせなかったでしょう。
日本全体の発展のために、伊達の仙台移封がどんだけ貢献したか。秀吉の「日本総活躍政策」は、結構、当たっていたんです。
九州で五十万石やるぞ、と言われて慌てて断った、といわれる石田三成などは、やはり所詮それだけの人物です(
その話が本当ならば、ですが)。

秀吉による大坂の街づくりの成功を目の前で見て知っている家康が、江戸で同じことができないと思うはずがない。むしろ意気に感じたはずです。
なにかとブツブツ言ってみせたのは、家臣たちの不満を吐き出させるガス抜きのためでしょう。

秀吉だって、天下を取ってうれしいはずです。いや、秀吉の性格からいって、舞い上がってるはずです。これから日本をどう盛り上げていくか、アイデアに溢れていたはずです。
地位奪われないようにひたすらディフェンスしていこう、危ないやつをどんどんつぶしていこう、なんて考えてたのたら、ガッカリです。
秀吉はそんなちっさい人物ではありません。

つまり、秀吉の「日本でいちばん有望な土地を、家康殿にまるごと任せるでよお、あんじょううみゃ~こと、やってちょうよ、未来の日本のために」という天下人秀吉の太っ腹が、現代日本の繁栄につながったんです。
て、くらい、ポジティブな考え方をしたいもんじゃあないですか、せっかく日本史を好きで語っているのなら。

徳川を潰しておけば豊臣家は安泰だったのに、という発想をする人が、世の「豊臣贔屓」にはやたら多いんだけど、それって根本的にどうでしょうか? 

秀吉が天下をとれたのは、降伏してきた者を片端から受け入れて、積極的に人材活用していく、という度量の広さがあったからです。
豊臣が天下を失ったのは、直接の原因は、秀吉が度量の広さを忘れて、後継者を自分で粛清してしまったからです。
しかし本質的に言えば、皆に支持される政策を続けていけるシステムを作ることしか、「安泰」になる方策はありません。
要するに、豊臣秀吉の晩年の政策から人心が離れていたから、豊臣政権は消えたんです。
だから、「人心が離れないような政策」を晩年の秀吉が選ぶことが、豊臣政権存続の絶対条件です。
そうでなければ、仮に家康をすり潰すことが可能だったとしても、秀吉の死後、他の外様大名が台頭してきて天下を簒奪するでしょう。
毛利も上杉も島津も伊達も、秀吉のおかげで大名にして貰ったわけではありません。豊臣がダメだと見れば必ず背きます。
心配の芽を全て摘んでおけ、というなら、外様大名すべてに難癖をつけて日本全土を焼け野原にするしかありません。それじゃあ日本が滅びます。そもそも、そんな発想しかできないヤツには、天下は取れません。
「自分の息子さえよければ、日本が焼け野原になっても構わない」、そんなヤツに誰がついてきますか
史実の秀吉は、さすがにそんなバカじゃなかったから、天下をとれたんです。

晩年の秀吉にとって、家康は親友と言っていい存在です。
トップの座をかけてぶん殴りあった同士が、喧嘩が終わったあとでお互いを認め合った大親友になる、なんてお話は、よくあるでしょう。
秀吉にとって、家康は、そういう存在です。

一代で成り上がった秀吉にとって、回りはイエスマンの小物だらけです。親類にも家来にも、自分が一目置けるような人材がほとんどいません。弟の秀長は先に死んでしまいました。あと、信頼できる友人といえば、せいぜい前田利家と徳川家康くらいでしょう。ほかは、自分に比べればはるかに小物で、頼りになんかなりません。
利家だって、秀吉の敵に回ったことはあります。そうして切磋琢磨してきた相手こそ、共に語るに足る存在になる、自分の子分一筋のヤツなんか、頼りにはなりません。

家康が、最終的に豊臣家を上回り、滅ぼしたのは、未来の結果論です。
それは当時の秀吉には予測しようのないことですし、家康だって、自分が将来そうするなんて、当時の状況では思っていなかったはずです。
ついでにいえば、前田利家だって、もしそのあと長生きしてたら、豊臣の天下を簒奪する結果になってたかも知れない。そんなの、分かりません。
「だって親友だから」なんてのは、結果からみて言ってるだけです、親友だろうが実の子だろうが、裏切るときは裏切ります。

いったん敵になったヤツは徹底的に滅ぼす、講和も降伏も認めない、というのが織田信長のやり方。その信長が最後どうなったかは、みなさんご存知のとおり。
敵であっても、降伏してきたらもう仲間、みんな一緒に日本統一、というのが豊臣秀吉のやり方。いったん仲間になった者はとことん信頼するのが秀吉流。
だいたい、毛利も島津も上杉も伊達も長曽我部も、かつて秀吉と敵対していたことのある「外様大名」です。それを全部取り込んだ形で成立しているのが豊臣政権です。
「五大老」のなかでも、秀吉が若い頃に味方として一緒に戦ったことがある前田利家と徳川家康は、いわば旧友と言っていい。毛利や上杉より、家康のほうがよっぽど信頼できそうなもんじゃあないですか。

子飼の家来は何人いても、みんなひよっこです。ほんとに実力があって頼りにできる人物は、家康くらい、なんです。
死に際の秀吉が警戒するとしたら、むしろ毛利や上杉でしょう? あと島津も伊達も、みんな怪しい。だってこいつら、若い頃からの友人じゃあないし。

そんなこと言ったって、結局、家康は秀頼を殺したじゃないか、豊臣を滅ぼしたんじゃないか。
でも、それは「そういう不幸な成り行きになってしまった」だけで、家康がずーっと豊臣を滅ぼそうとばっかし考えていた、というのは、そりゃ違いますよ。
家康としては、豊臣家の執権(か何か)として政権を握ることができさえすれば、秀頼を殺す必要は何もなかったし、秀吉も「そういう体制」を望みながら死んでいったはずです。

そうすると今度は「秀吉は、腹黒い家康に騙されていたんだ」と言われるんでしょうが。
じゃあ、明智光秀は、ずっと織田信長を騙していたのか、羽柴秀吉はずっと虎視眈々と主家を乗っ取ろうと考えてたのか。織田信長は、最初から足利義昭を利用するだけ利用したら追放してやろうと考えていたのか。
そんなこたあ、ないでしょう。人間、そこまで「未来に対して計画的」なはずはない。
未来人が、歴史を逆算して語っちゃ、いけないんですよ。

少なくとも、家康はこのときまで「天下一の律義者」として通っていたんです。これは客観的な事実ですし、主観的にも「猫かぶり」ではありません。石田三成は「真実を見抜いていた」んではなく「対立派閥にいたせいで色眼鏡でしか見られなかった」といえます。
徳川家康は、秀吉が死ぬ瞬間までは、秀吉にとって「親友」だったであろうことは間違いありません。
つまり、「豊臣家の安泰のために潰しておくべき存在」の一番手は家康ではない、ということです。

歴史を知ってる者が、あとからの視点で当時の人間でアレコレいうのは、岡目八目というやつです。

徳川が豊臣を滅ぼした、ならば徳川を潰しておけば安泰か? 否です。
徳川がなければ毛利か島津か上杉が天下を奪いにきます。前田だって分からない。そいつらを全部潰せば、「豊臣恩顧」だと思っていたヤツが豹変するでしょう。徳川も毛利も上杉もいなくなっても、石田三成は絶対に欲を出さずに忠犬でいるか? 悪があるから善がある、悪が消えれば、善の中から悪が生まれるんです。
危ないヤツは潰しておけという発想には、どこまでいってもキリがないんですよ。
 

織田信雄が「無能な馬鹿殿」であるという評価が世間では一般的ですが、これは正直、司馬遼太郎と、そのフォロワーたち(三谷幸喜を含む)の演出・誇張が多分にある、という気がします。
乃木希典と同じで、司馬遼太郎から無能の落胤を押されると、世間がみんな「史実」だと思い込んでしまうってとこがあって。

信雄は、確かに目覚ましい戦績を挙げる名将ではないですし、政治的に上手く立ち回れる抜け目なさもないです。

しかし、それなりに気骨を見せ、その場その場では頼りにされ、身分ある貴人として天寿と全うし、子孫は小なりといえ大名旗本として何家も続いているのだから、「それなりの人物」ではあったのではないか、と私は思います。

織田信雄は、本能寺のあと(例の清洲会議の配分で)尾張清洲城主になり、そのまま小牧。長久手で秀吉に逆らったり講和したりしながら頑張り続け、百万石の領地を持っていました。

その尾張から、家康の旧領(三河、遠江、駿河)への転封を命ぜられ、拒否したことで改易されます。これは、秀吉と信雄のプライドがぶつかった結果でしょう。

天下が秀吉のものになった、というのは事実として認めざるを得ないとしても、織田信雄としては「自分だけは別格だ、秀吉の家来ではない、主筋として丁重に遇されてしかるべきだ」という誇りがあったはずです。

いっぽう秀吉は、「信雄にもいいかげん、豊臣の家臣であることを自覚してもらわんとな」というのがあります。天下を治める以上、「オレは別格だ」というのを、のさばらせておくわけにもいかんのです。
「客ではなく、家来である」ということを示す一番の方法は、「命令ひとつで転勤させることができる」というのを、満天下に示すことです。秀吉に「動け」といわれれば素直に動く、というのが、家来というものです。
実際、黒田を播磨から九州に移し、伊達を米沢から仙台に移し、上杉を越後から会津に移し、そして徳川を東海から関東に移す。このことで、彼らは秀吉の家臣であり、豊臣秀吉が日本の唯一の支配者である、もはや逆転はありえない、ということを証明した。信雄にも同じことを求めたわけです。
しかし信雄は、この待遇が自分に許せなかった。「尾張は、織田家固有の領土だ」と考えていたかも知れません。そういう「過去の事情」を全部無視して「他所に動け」なんていう命令に簡単に従うことは、百姓上がりの加藤だの福島だのと同格の、完全に秀吉の家臣である、と認めることになるのです。
だから、信雄にとっては、オールオアナッシングなんです。他に移ればもっと領地を増やしてやるといわれても、それはありえないんです。プライドが許さないんです。そんなことを飲むくらいなら、大名などやめて無一文になったほうがマシだ、ということです。
秀吉にとっても、オールオアナッシングは同じです。家来になる以上は全面的に従ってもらうしかありません。領地を減らしてでも尾張を残してやろう、なんてのはありえません。家臣である以上、おとなしく動け。でなければ去れ。これだけで
信雄が転封を飲めなかったのは、仕方ないでしょう。過去に生きる人ですから。家康は、飲みました。昔は自分より格下だった秀吉の命令に従い、慣れ親しんだ土地をあっさり捨てて、すっきりと関東に移りました。秀吉様の家来でございます、といって生き残り、未来に天下を取る可能性を残しました。オトナですね。

この差はどっからきたかっていえば、人間の器、といいたいところですが、要は「生い立ちの差」だと思います。

上杉も、伊達も、同じように秀吉の転封命令を受け入れています。彼らは生きるか死ぬかの戦国時代を戦い、ひとつ間違えば領地をすべて失うという修羅場をくぐってここまで来ました。いまさらつまらん意地でそれを失うわけにはいかないんです。

もちろん信雄だって、彼なりに戦ってはきました。しかしやはり信長の息子として器量を試されるというレベルであり、ここで負けたら一族滅亡、という修羅場をくぐったことはなかった。
だから尾張百万石も「自分の力でもぎ取った」ものではなく「生まれながらに与えられていた」もののような感覚だったのではないか、だから織田家のプライドより百万石が大事とは思えなかったのでしょう。

(ちなみに「どうする家康」の信雄は浜野謙太さん)

追放された信雄は出家して常真と名乗り、そのあとあちこち流罪になったあと、家康の仲介で赦免され、秀吉の御伽衆となり一万八千石を貰います。

プライドはどうした、といいたいところですが、御伽衆というのは家来ではなくいわば客分、相談役か顧問のようなものです。同僚には前将軍の足利義昭もいます。身分だけは高いので、肥前名護屋城にも麗々しく出陣していますが、もちろん戦争に参加するつもりは毛頭なく、一種のパレードのようなものです。こういう立場が落ち着きどころだったのでしょう。

ところが秀吉の死後、その息子が家康の家臣になることを頑なに拒み、しまいには大阪城に籠城する羽目になったとき、常真(信雄)はそのまんま豊臣の相談役で大坂城内に居るという、なんとも皮肉なことになりました。かつての自分と同じ「愚行」(と信雄が思ったかどうかは想像でしかないですが)を、他ならぬ秀吉の息子がやらかしている。しかも、なんか秀頼と淀殿にやたら頼られて、大坂方の総大将にでもされそうな勢いだ。

信雄にとって「表舞台」で活躍する最後のチャンスですけど。こんなところで他人のために頑張るなら、若いときに自分のために籠城して華々しく死んでるわい、というところでしょう。馬鹿馬鹿しくなって逃げだすのは当然と思われます。豊臣贔屓の連中からはいまだに裏切者だなんだ言われますけど、オレは豊臣家の家来ではない、再送から最後まで、というプライドは、あったんじゃないかと思います。
赤い衣装の宮澤エマさん、成長した息子・三好信吉(のちの豊臣秀次)の世話を、なんとも甲斐甲斐しくしてますけど。

この光景観て、大河をずっと見ているファンは

「あれっ、早くもフラグ立ってない?」
と思いませんでした? 思ったよね。
不吉なんですよ、赤いエマさんは、こう言っては申し訳ないけど?

「鎌倉殿の13人」の実衣(政子の妹、義時の姉)も赤い衣装がトレードマークでした。夫の阿野全成とは夫婦仲が良くていつもイチャイチャ?していましたが、運命に翻弄された全成は兄・頼朝に睨まれて斬られ、のちに息子まで嫌疑をかけられ殺されるんです。

斬られる直前の全成が妻の名を叫ぶと、雷鳴とともり空が真っ赤に光るシーンは、感動を呼んだものです。
この阿野全成を演じていたのが、新納慎也さん。
「真田丸」で豊臣秀次を演じて、「誰だこの強烈な個性の人は!」とお茶の間を騒然とさせました(ミュージカルの舞台ではすでに有名な人でしたけど)。
新納慎也さんの豊臣秀次も、阿野全成と同じく、人がいい好人物?でした。でも、殺されました。

山田涼介さんの信吉が、新納慎也さんに比べるとかなり「クセのある」キャラに設定されているようなのも、不安に拍車をかけます。

なんかね、宮澤エマさん(の演じるともさん)、今年も同じような目に遭いそうな気がしませんか?
‥いや、なんかね、狙って赤い衣装着せられてませんかNHKさんに?
関ヶ原というのは、言ってみれば、自民党の総裁選挙みたいなものです。
この戦いは、豊臣対徳川の戦いではない、と言うのはよく言われるとことです。秀吉なきあと、豊臣政権(=日本政府)の舵取りをするのは誰が相応しいか、というときに、「家康総理がいい」という陣営と、「家康総理ではイヤだ」という陣営とができて、おたがいが「こちらに投票しろ」と、有権者たる代議士(大名たち)に選挙運動を繰り広げたわけです。

投票日になって、石田三成が「自分に投票してくれる、と言っていたから大丈夫」だと思っていたのが、大半が「裏切って」家康に投票した。つまり、石田三成の票読みが甘かった。甘過ぎた。それだけの話です。

軍略とか何とか、のレベルの話では全くないんです。吉川広家も小早川秀秋も、投票日にいきなり気が変わったわけではありません。投票日前に、勝負はすでに決まっていたんです。
要するに「三成の政治力が、追いつかなかった」というだけの話です。

選挙のずっと前から明確に態度を表明している者もいれば、投票日直前まで駆け引きをする者もいます。間違った行動ではありません。代議士にはバックに自分に投票してくれた多くの支持者がついているのと同じように、関ヶ原に集まった大名たちにも、バックにそれぞれ膨大な数の家臣と領民がついているんです。判断を間違えたら、自分一人が腹を切って済む話ではないんです。

戦略、戦術で戦争に勝ったり負けたりできるのは、双方が「統一された軍隊」である場合だけです。

例えば、川中島に集まった兵士は、すべて武田信玄か上杉謙信か、どちらかの家来です。最初からユニフォームを着ています。途中でユニフォームを着替えて向きを変える奴はいません。だから、信玄監督と謙信監督の知恵比べが成立するんです。
しかし、関ヶ原は、それとは全く違う戦争です。
関ケ原に集まった武将たちは、徳川家康の家来でもないし、石田三成や毛利輝元の家来でもありません。自分の判断で投票先を変えても、裏切りでも何でもないんです。

とはいえ。
小早川秀秋は、家康に「東軍に味方します」と確約した上で、松尾山に陣取っています。吉川広家は、決して動きませんと確約した上で、南宮山に陣取っています。
つまり、関ヶ原周辺への布陣が完了した時点で、投票は終わっている、と言えます。
票はすでに投票箱の中にあって、もう石田三成の努力や知恵でどうにかなる話ではありません。
戦闘は、開票に過ぎません。開戦前に勝負は決まっていたんです。

関ヶ原は「上杉と武田と、どちらが強いか」の戦いではなく、「徳川家康と石田三成と、どちらが与党(味方)を沢山集められるか」の競争なんです。裏切りも密約も、すべて「多数派工作」の一部であって、それこそが関ケ原の戦いの本質です。そういうシステムのゲームなんです。
戦場での軍略だの戦術などは、関係ないんです。
「徳川四天王」というのは後世の講談で出来たユニットであり、活躍時期も違うので、実際には一堂に会したことは多分ない‥的な話を、以前に聞いたように思ったのですが。


「賤ケ岳の七本槍」は、㏚上手の秀吉が組ませた、リアルタイムのユニットです。武功にも実力にもだいぶ差があるのを、強引に七人組ませています。北陸戦線の戦いだったから、北斗七星にあやかったんだと私は睨んでいますが、要するに「7」という縁起のいい数字に揃えた、ってことです。

なんか、メンバーの数が限定されていると、プレミアム感が増して盛り上がるんですよ、たぶん。武田二十四将とか、AKB48とか、関ジャニ8とか。

ところが、徳川のほうには、そういう気の利いたユニット名がないんですよ。㏚下手なんでしょうか。
それじゃあ話が盛り上がらないと考えた後世の講談師が、徳川の武将で有名なのを四人組ませて四天王にした。当然、あとから作った「架空のユニット」なので、世代の違う四人を活躍時期を無視して並べているんだ、ていうような話でした。

しかし、今年の「豊臣兄弟!」は、視聴者サービスをしてくれます。
やっぱり、こうして横並びになってドーンと出てくると、流石に「おおーっ」盛り上がりますね。七色星団決戦を思い出した。

中でも、クイッと首を傾けた瞬間に「あ、こいつはヤバいヤツだ!」ってびんびん来たのが、榊原康政!誰だこいつ!

あっそうだ、栗原類さん、出るって言ってたな!
いや、このひと存在感が凄いよ、と思いつつ、紀行を見た後、いつもの習慣でETVにチャンネル変えたら、えっ、こっちにも榊原康政出てる!なんで!

「日曜美術館の五十年展」が駿府で、もとい、静岡県立美術館で開催、そのリポーターが栗原類さん。コラボか?これはコラボなのか?





アートを語る栗原類さん、またこれが異様な存在感で。なんか凄い。
大河の榊原康政は、戦うのだろうか?いやが上にも期待だ。「天野っち」もね。
若き日の松平元康が、可愛がっていた小鳥を今川義元に「殺せ」と命じられた、あの話は史実なのか?
そんな話はもちろん残っていません。完全なフィクションでしょう。
それにしても、この今川親子の描き方、「どうする家康」の野村萬斎さん、池端淳平さんとの「落差」が物凄いですね。このへんが大河を見続ける醍醐味って言えますが。
何故、この「豊臣兄弟!」では、こんな「創作エピソード」を作ってまで、抑圧的で傲慢な今川親子に仕立てたのか。
それはもちろん、ドラマ展開の上で必要だからでしょう。

まず、間違いない史実ですが、家康は妻の築山殿(瀬名)と、その息子で嫡男の信康を、殺しています。

この事件は、というか家康の行為は、「この母子は、宿敵武田と内通している」という疑いを織田信長から掛けられ、家康の手で処罰するように、とプレッシャーを受けたのが理由である、と一般には言われています(私は実際の歴史としては、この「通説」には疑問を持っていますが、今日は踏み込みません、ドラマの話に専念します)。

信長から「処分は家康殿に任せる」という書状を受け取ったとき、家康はあのときの今川義元の「教え」を、というかトラウマを、強烈に思い出さざるを得なかった。

もしここで、家康が信長の意向を忖度せずに、妻と息子を処断しなければ、家康本人が信長の疑惑を受け、やがて滅ぼされることになったでしょう。

あのときの今川義元の「教え」があったからこそ、忘れられない強烈なトラウマとして残っていたからこそ、このときの家康は助かったんです。この今川義元も、やっぱり家康の「メンター」です。

この世界で生き延びるためには、自分の掌の中にいる愛する者を、命じられれば躊躇わず握り殺さなければならない。「おまえに選択肢はない」のです。

家康は、そういう地獄を生きてきたのです。

っていうのが、この「豊臣兄弟!」の世界の設定です。すいません私はいまドラマの話「だけ」をしていますよ、史実がどうだったかの話は、今はしません。

「豊臣兄弟!」という世界観を作り上げるために、若き家康にトラウマを植え付けるエピソードを演じる役割を、誰かが演じる必要があった。そこで、ちょうどいいポジションにいたのが、今川義元・氏真の親子だってことです。

築山殿・信康事件をもって、家康を「冷血漢」と罵る人は、世間に結構いますが。

史実の築山殿との夫婦仲が良かったか悪かったか、信康は父に謀叛しようとしていたのか、そういう検証はしていません、少なくともこのドラマでは。なので、私も語りません。

松下洸平さんの家康が「こういう人間」、つまり本心を押し隠して、時には皮肉たっぷりの、時に能面のような冷たい顔をする人物となるに至った、その理由を描くために、「意地悪親子」はキャスティングされています。

史実と違うのは当たり前です。この今川親子は、ドラマの必要のために、ここに配置されたんです。

しかし、家康はついに、「選択」しました。

長丸(のちの秀忠)は、かつて自分の手で殺した信康の、生まれ変わりに違いありません(於義丸はどうした、って話も、今はしません)。
養子と人質は違う、人質は生贄じゃあない。分かってます、そんなことは。
でも、理屈じゃあないんです。
二度と、掌の中の愛する者を害させない。家だの天下だのより。大切なものがあるんです。
だから、小牧長久手です。

それにしても。

この大鶴義丹さんの今川義元は、小栗旬さんの織田信長に、実に良く似ているんですよね、そう思いません?
羽柴兄弟にとっての信長と、家康にとっての信長は、全く違う。当たり前ですけね。秀吉や秀長は、いろいろ酷い目に遭ってもきたけど、総体としては、自分達を引き上げてくれた信長への尊敬と愛着が確固としてある。
だけど、家康にとっての信長は、ちいかわで言えばセイレーンみたいなもので、今川義元と同じ「でかつよ」でしかないんです。
このへんの決定的な「世界観の差」は、今後のドラマでも大きな意味を持つでしょう。秀吉の作ろうとしている「新しき世」と、家康の「それ」とは、どこかが違うんですよ。

あ、ついでに言いますが、今回、ようやく実感しました。家康と石川数正は「兄弟」だったんですね、まさに。