えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

もしも秀吉が「中国大返し」に成功しなかったら、柴田勝家が先手を取って明智を討ち、天下を取れたのではないか?
さて、どうでしょうね。

本能寺の変が起こった時、柴田勝家は北陸で上杉軍と戦っていますから、同じように「足止め」されている状態です。まず、これを何とかしなければいけません。
加えて、秀吉は毛利と水面下で交渉をしており、信長出陣のプレッシャーをかけて、ほぼ和睦寸前だったと予想されます。

対して勝家は上杉の魚津城を落とした直後ですが、バリバリ上杉と交戦中であり、これを放置することは出来ません。

秀吉が「大返し」が出来ないのに、秀吉より条件が厳しい(そのうえ、秀吉より機転がきくとは思えない)勝家が、明智討伐に動けるとは思えません。「どのような戦略・戦術を」取るかとか言ってる余地はない、ように思えます。下手をすれば先に明智と上杉の同盟が出来て、柴田が真っ先に潰される可能性が大です。
それを避けるための唯一の策は、とにかく「大急ぎで、上杉と和睦する」ことですが、さて、勝家の外交能力で、それが出来るでしょうか。

秀吉が「大返し」出来たのは、彼が「外交能力の化け物」だったから、と言えます。

信長が消えたにも関わらず、毛利を「今、自分と同盟したほうが、絶対に得だよ」と説き伏せた交渉能力は、奇跡的です。

「大返し」が奇跡といいますが、何日で軍隊を畿内に戻したかということより、毛利が追って来ないように手を打ったほうが、よほど奇跡的なんです。

この芸当は、信雄や信孝はもちろん、柴田にも丹羽にも難しいでしょう。
つまり、秀吉が「大返し」してくれなかったら、彼らは各個撃破されて明智の天下になった可能性が大です。徳川家康は、明智と和睦して東日本の支配に目を向けるでしょう。

持統天皇の話の続きで、藤原京、の話をします。
「~宮」と「~京」の違いは何か、という説明で、
「従来は天皇が住んでいた宮殿で政治を行なっていたが、天皇が変わると政治を行う場所も変わるのは不便なので、持統天皇は、天皇が変わっても同じ場所で政治が行えるようにと、藤原京を作った」
というような説明が書いてあったが、天皇の代替わりで変わるのが宮、変わらないのが京ということなら、べつに天皇が変わっても宮を移さなければいいだけの話ではないのか?
とまあ、そういう話ではないんですよ、って話です。
なぜ、持統天皇は「藤原京」を建設したのか、って話をします。


億、兆のうえの単位が「京」であることからもわかるように、京、というのは「ものすごくたくさん」という意味です。
つまり「京」というのは「大都会」のことを指します。

「宮」というのは文字通り、天皇の住まいです。「宮殿」というように。
飛鳥時代の途中までは、天皇が住んでいる宮殿に豪族の代表が集まってきて、会議をし、政治運営をしていました。昔はそれで国の政治が回っていた、その程度の規模だった、ということです。
当時の政治は「分野ごとに、各豪族に丸投げ」というシステム(軍事は物部氏に、祭祀は中臣氏に、という具合)だったので、役所の建物を「宮」の周りに建てたりする必要はなかったんです。
天皇の私邸が「宮」ですから、天皇が変われば「宮」も変わります。
前の天皇が死んだら、その宮には死のケガレが残ると考えられますので、新しい天皇がそこに移る(乗り込んでくる)ということはありません、新しく宮を建てるんです。これが古代日本人の考え方です。
宮が移るといっても、飛鳥盆地のあっちとかこっちとか、たいして距離があるわけではありませんから、家来である豪族たちも「天皇が変わると政治を行う場所も変わる」といっても別に不便はなかったわけです。

しかし、豪族政治の象徴である蘇我入鹿を「飛鳥板葺宮」で暗殺し(乙巳の変)、その結果成立した「大化の改新」政府は、人心一新のために天皇の宮殿をまず難波に、次に新天地・大津に移動させ、そこで政治を行うことにしました。「難波宮」「大津宮」と呼ばれます。
大化改新のリーダーであった中大兄皇子=天智天皇が目指したのは「中央集権制」、つまり政治を天皇が一元的に管理するシステムです。
そのために、大豪族たちの本拠地である大和盆地から敢えて離れた場所に「宮」を造成し、家来たちも地盤から引き離した宮の周りに住まわせよう、ということにしたわけです。
これはつまり「宮のまわりに、家来を集めて、都会を作る」という企画、といえます。なので、正式な名称ではないものの、歴史学者は「難波京」「大津京」という用語を使う場合もあります。
これって、物凄くざっくりした譬えをすれば、豪族たちがいきなり「参勤交代」をさせられるようになった、ようなものと考えてください。
自分達の勢力を削いで天皇家に力を集めよう、という企みに間違いないわけで。当然、反発を買うわけですよ。
なので、天智天皇が死ぬやいなや、不満豪族たちが弟の大海人皇子を担ぎあげて起こしたのが「壬申の乱」です。結果として大海人が勝利して、天武天皇となり、もとの飛鳥に「宮」を戻して、もとの豪族連合による政治を復活させた、わけです。
しかし、天武天皇はすでに老齢で病気がちで、政治の実権はやがて鸕野讚良皇后が掌握するところとなります。この人は、父・天智の理想とした「天皇を中心とする中央集権制」を実現すべく、大胆な新政策を推し進めます。この人こそ、日本史上最大の女傑「持統天皇」です。

 

皇后は、滅んだ近江朝の遺臣たちから、有能な者を次々に復活させて、天皇中心の政治システムを確立していきます。この中でも最も貢献したのが「中臣不比等」、父・天智の側近だった中臣鎌足の息子です。
実は、大化の改新、壬申の乱、といった過程で、かつての大豪族たちの力はだいぶ弱まっていて、代わりに台頭してきたのが、天皇の側近の「官僚たち」といえます。不比等は、その筆頭です。
不比等らが推進した「天皇中心の国家建設」の三本柱が、「日本書紀の編纂」「大宝律令の制定」「新しい京の建設」です。
律令とは、要するに氏族ごとの仕事丸投げをやめて、豪族の構成員を個人として「天皇の家来」つまり官僚として組織しよう、ということです。もと豪族たちは、氏族単位で自分の領地に住むのではなく、おのおの個人の貴族として天皇の宮のまわりに屋敷を建てて、そこに住んで政治に参加することになります。
その貴族たちに物資を供給するために庶民も集まってきます。こうして、天皇の宮の周りに大都市が形成されます。


飛鳥時代の途中までは、天皇の宮殿のまわりに必ずしも人が集まって大都会を形成するとはいえませんでした。難波宮や大津宮も、あくまで過渡期なもので、本格的な大都市ではありませんでした。
天皇中心の政治体制を確立するためには、計画的、意図的に、宮のまわりに大都市を建設しなければならないんです。
そうなれば、天皇の代替わりごとに宮を新築するのでは間に合いませんから、京の中心に壮麗な宮を建てて、代々の天皇がそこに住む、ということにしなければならないんです。
これが「藤原京」です。

ちなみに「藤原不比等」は、この藤原京の建設に多大な貢献をしたことで天皇から「藤原姓を賜った」と考えられます。

父の鎌足が死に際に藤原姓を賜ったというのは不比等の「粉飾」ではないか(一代でのし上がった成り上がり者、と見られたくなかった)というのが、私の推論です。

直さん‥。
冒頭から、幸せ一杯描写がこれでもか、って描かれたので、わあ怖いな怖いな、今日くるのかな、と思って、気が気でなかったんですよねえ。

「中村に帰る」って言ったとき、やめとけ、今だけはやめとけ!って叫んでしまいましたよテレビの前で。どんどん自分でフラグ立ててるじゃん!

それでも、お父さんに騙されて閉じ込められた、あれで「あ、今回はこのオチか」と、一瞬安心したんですけどね。このまんま中村に抑留されてれば、取り敢えず今週は大丈夫だ、って。

ダメだよお父さん!花嫁衣装持たせて帰すんだったら、せめて4、5人は護衛つけないと!戦国時代なんだから、さあ!

いつか来るとは思ってましたけど。

墨俣一夜城の回の悲劇。

なかなか厳しいです、今年の脚本。


最近、頻繁に「モノを置き忘れる」ようになりました。カードがいっぱい入った定期入れを置き忘れたときなんか、人生終わったかと思いました。

まあ、それはさておき。

遣隋使に行った小野妹子は、煬帝から貰った国書を無くしてしまうという大失態を犯した、と言います。
紅緒さんが市電のなかに原稿を置き忘れたのに匹敵する、日本史上希にみる大チョンボ、というべき事件ですね。

小野妹子は、百済の手のものに奪われた、って言い訳したとかしないとか。で、小野妹子は責任取って謹慎か降格にでもなったかといえばそんなこともなく。全くおとがめなし。
どういうことなんだろう。

これ、なんか、森友や加計のときの、官僚の言い種と、すごく似ているな、と思っちゃうわけですよ。
表に出たら都合の悪い文書は「破棄しました、復元は不可能です」っていっとけばいい。
どうせみんな「おいおい、そんなはずないだろ」と思ってるけど、「ま~、官僚のやることだからなあ」って諦めてるんでしょう。

この外交政策の責任者(厩戸王、という名前で、後世には聖徳太子と呼ばれる人)としては、「日出処の天子とかカマして、超大国相手にちょっと大きく出すぎたかな、うあ怒ってるよ、こりゃマズいな」という返書の内容だったんじゃないだろうか。

こんなのを皆に見せると、野党から国会で「政策ミス」として責任を問われるから、「国書はありません、無くしました」ということで隠蔽し、政治責任を免れようと考えたんでしょう。
つまり、アベったんです。

実際「国書をなくすとは何事だ」と一応、叱責はしますけど。天皇だって薄々感づいてたと思いますよ。
「ああ、厩戸、しくじったんだな、それを隠蔽してるんだな、じゃあ、じょうがないな」
って。

文書を隠した官僚は、責任どころか、手柄になります。
小野妹子は「秘密は墓場まで持っていく」ことで結局、最後は出世します。
そういうもんです、今も昔も。小野妹子は「飛鳥の佐川」でしょう、たぶん。
いや、俺の勘違いだったら、ごめんね。小野妹子については。
壬申の乱とは、何か。
という話を、書きます。
壬申の乱のとき、鸕野讚良皇女(のちの持統天皇)は、夫に味方して、弟を倒し、父の都を滅ぼしました。

鸕野讚良皇女(のちの持統天皇)にとって、大友皇子(弘文天皇)は腹違いの弟です。この時代、腹違いの兄弟なんてのは、基本的に敵です。
鸕野讚良の母は、右大臣・蘇我倉山田石川麻呂の娘である遠智媛(おおちのいらつめ)です。
中大兄皇子(天智天皇)たちによる乙巳の変(いっしのへん)と言われるクーデターは、蘇我氏の本宗家(蝦夷、入鹿の親子)と、分家の倉山田石川麻呂たち兄弟の「内部分裂」に上手く乗っかったことで成功したものです。
その結果成立した「大化改新」政府というのは、半分以上は「蘇我政権」なんです。
この話、長くなりますので端折りますが、鵜野讃良の祖父である蘇我倉山田石川麻呂は、内部抗争により粛清され、結果として鸕野讚良は一時「日陰の皇女」のようになります。
とはいえ、倉山田石川麻呂に代わって権力を握ったのはその弟たちであり、近江朝というのが蘇我氏の勢力をバックにして成立していたことには変わりありません。蘇我氏の勢力の何割を味方に付けられるかで、政権の行方が決まるのです。
鸕野讚良は、一時は父親が退けられたとはいえ、依然として「王家に準ずるロイヤルファミリー」である蘇我氏のプリンセスです。
いっぽうの大友皇子の母は、伊賀采女宅子娘(いがのうねめやかこのいらつめ)という、地方豪族の娘に過ぎません。蘇我氏の血は一滴もひいていません。
飛鳥時代から現代に至るまで、日本史の常識として、母親の身分がすなわち息子・娘の格にダイレクトに直結するのは、常識です。大友皇子が皇位を継ぐのには、もともと無理があったんです。

鸕野讚良の夫である大海人皇子が、本当に天智の同母弟であったのかには、おおいに疑問があります(実は「父が違う、天智の兄」ではないかというのが私の推察ですが)そこは長くなるので論じないでおきます。

大海人皇子が天智の同母弟であれば(つまり天智と同じく両親とも天皇という血統)、当時の常識としては明白に大友より大海人のほうが「格上」です。しかも天智の娘を何人も(しかも、みな蘇我氏の血を引いている)妻にしていますから、この点でも大海人のほうが皇位を継ぐに相応しいと、誰しもが思っていたところです。
ところが、天智は「何がなんでも息子に天皇を譲りたい」と、大友を継承者に指名し、大海人にプレッシャーをかけて退けました。豊臣秀吉の晩年によく似ています。
これは正直言って横車です。おおかたの賛同は得られません。なにより、近江朝の大スポンサーである蘇我氏の支持を受けずらい立場です。
蘇我としては、自分たちの一族の血をひく皇女を妻としている大海人が天皇になってくれれば、蘇我氏の血が天皇家に残り、外戚として権力を維持するチャンスも続くわけです。どう考えたって、そっちを応援します。
鸕野讚良皇女の立場はもっと明快です。蘇我の血を引いていない腹違いの弟なんか、ほとんど赤の他人です。それ言ったら夫の大海人も蘇我の血は引いていませんけれれど、自分が生んだ子供を皇位に付ければ、蘇我系王朝は復活するんですから、一旦立ち上がれば、いま近江朝に従っている蘇我一族は、こぞってこちらに寝返ってくるであろうことは確実です。
壬申の乱は、鸕野讚良にとって、負けるはずのない戦いだったのです。

大海人は「天智の弟」ということになってますが、実は父親違いの兄である可能性がある、と書きましたが。実際、皇位についた時点で大海人=天武天皇はけっこうな高齢で、すぐに病気がちになり、飛鳥浄御原宮の実質的な権力は皇后である鸕野讚良=持統皇后が握ることになるわけです。

(このはなし、「藤原京」建設の話に続きます)
直さん、本当に病気でしたね。
「どうせ予告編トリックだ」という私の予想は、見事に外れました。すみませんでした!
まあ、この2人はまだ祝言してないから、子供が出来てはいかんわな。

今週の小一郎は、明らかにパフォーマンスが落ちていました。

理由は完全に直さんです。

「実家に帰る宣言」と熱病のダブルパンチで、小一郎は職場から長期離脱することになります。こういう言い方したら申し訳ないけど、小一郎としては今までの回でもっとも「活躍していない」回と言えます。

悪いけど「墨俣プレハブ作戦」は、ソレ今までのどの秀吉も思いついてやっていたヤツで、小一郎の独創的アイデアって感じは、今更しません。

良く言えば「小一郎は、直さんがいてこそ、力を発揮できる」、意地悪い言い方をすれば「こじらせ女子は、男の足手纏いになる」という言い方もできます。

前回の「私と仕事と、どっちが大切なの」的な発言の延長で、毎日まいにち死ぬか生きるか的な生き方をしている小一郎に、ほとほと疲れたんだろうな、てのはもちろん、理解できるんですけど。

主人公のモチベーションを落とさせる言動は、やはり、退場フラグ、と言わざるを得ない、ような気がします。あくまで一視聴者の個人としての感想ですが。

あ、もちろん私も、直さん大好きですよ。「架空の登場人物は大河に要らない」的な心無いことを言うのは大間違いだ、とも思っています。

これはあくまで、ドラマの展開予想の話をしているまでです。なんか、退場の布石が打たれているような気がする、という話をしておる、わけです。

病気になるのは本人の責任ではありませんけど。

しかし、雨の中で必死に祈る小一郎って、実に、らしくない。名医を探して駆け回って連れてくるとか、画期的治療法を思いつくとか、なんか頭脳系の活躍が出来なかったかなあ、と思ってしまうんですけど。

今回の主たるミッション「川並衆の頭目、蜂須賀小六を味方につける」ことには、小一郎は全く貢献できなかった、てのは、うーむ、というところです。

あ、今年は小六って言わないのか?

主人公が小一郎なのに?

松尾諭さん、死なずに本当に良かった!
いや、「豊臣兄弟」の、大沢次郎左衛門の話ですが。

‥あ、持ってたんだ、石!

使わずに済んで、よかったな。

松尾諭さんと仲野太賀さん、ほとんど親子みたいな雰囲気になってて。なんかもう胸熱でしたね。

この人物は、ずっとあと、豊臣秀次に仕えていたという話もあるので、またドラマに登場する、かも知れません。

一方で、今回「あ、フラグ立ったんじゃね?」という人物も、何人かいました。

まず、信長。さすがに第六回にして第六天魔王の面目躍如です。このひと、絶対にいずれ誰かに後ろから刺されるよね。

次に、佐々成政。あの態度は、ない。そりゃ魔王の手下としては普通のことやっただけかも知れないけど。主人公の豊臣兄弟からは、かなり恨みを買いました。このひとは豊臣の天下になったら、先行き暗いです。

一方の前田利家は、危うく助かったな、という印象(このドラマでは、ですよ、あくまで)。

柴田勝家も、ちょっと崖っぷち感が出ていた、という話は、先日書きましたが。

しかし、いちばん「あ、まずい!」というのは、直さんでした。

「藤吉郎さんと私と、どっちが大切なの!」
これは言っちゃあいけない台詞です、やっぱり。

仕事と私と、どっちが大切なの?

てのは、男がいちばん言われて困る台詞ですけど。それ言っちゃうと大抵、その夫婦はあんまり良くない方向に向かうんですよ、というのは、あくまでドラマのセオリーの話ですけど。
これはなんか、その状況にちょっと似てるな、と。

「私と藤吉郎さんと、どっちが大切なの、あなたがいなくなったら、私はどうなるの!」

それはもう、駆け落ち同然に清洲まで連れてこられた直さんにしてみりゃ、当然の主張です、間違いありません。
が。
これはなんか、言っちゃいけないこと言っちゃった感で一杯ですね。
だって、このドラマは「豊臣兄弟」なんですから。
案の定、次週予告で直さんフラついているんで、世間は沸騰してます、「フラグ立った!」って。
いや、たぶんあれは、子供が出来たんじゃあないかなあ、と私は予想しますけどね。来週、病気で倒れて、っていうのではないでしょう。

しかし「史実の秀長には、実子はいない」んですよね、確か?(確認できてないだけかも知れませんが)。

つまり、子供が出来たとしても、そのあと「べらぼう」のてい(橋本愛さん)と同じになる可能性も?

白石聖さんの直さん、評判いいです。このまんま秀長の正室にしてしまえばいいのに、という声もありますが。

残念ながら、これから出てくる秀長の正室は「吉岡里帆さん」と公式発表されています。
大河ドラマというのは、こと主人公に関していえば、正室と側室と複数の妻がいるって状態を、あまり描かない風潮があります。私の記憶では、それを堂々とやったのは「独眼竜政宗」と「信長 KING OF ZIPANG」のとき、くらいじゃあないかな、と思うのですが、あ「どうする家康」はやってたか、でもあんときは瀬名公認だったし。

主人公の初恋の女性は、たいてい第一回から登場します。しかし、それが劇の最後まで登場し続ける可能性は少ないです。いずれ「史実の妻(夫)」と交代せねばならないから、ですね。

光る君へ 毎熊さん(直秀)、松下洸平さん(周明)
どうする家康 有村架純さん(瀬名)
鎌倉殿の13人 新垣結衣さん(八重)
青天を衝け 橋本愛さん
麒麟がくる 門脇麦さん(駒)
おんな城主直虎 三浦春馬さん、高橋一生さん
真田丸 黒木華さん
軍師官兵衛 南沢奈央さん
風林火山 貫地谷しほりさん
主人公の初恋の人、というのは、実在か架空かに関わらず、大抵、早目に消えます。

「べらぼう」の瀬川は、死ななくて本当に良かった、でも、あれは特例みたいなもんです。

もし「麒麟がくる」の十兵衛と駒ちゃんが、あの旅の途中の納屋みたいなところで「結ばれて」いたら、駒ちゃんは生きてなかったと思います。
あそこで危うく「何もなかった」から、駒ちゃんは最終回まで生き残ったんだと言えます。
直さんには、なるべく長生きして頂きたい、と私個人としては強く思います、が。

第六回「兄弟の絆」、織田信長が、弟の信勝を殺した経緯が、改めて回想の形で描かれました。

信勝か、かねてより「自分のほうが優秀なのに、タワケの兄貴が跡継ぎなのは納得いかない」と考えており、実際いちど謀反を企てて露見していますが、この時は母親のとりなしで、厳罰には処されす許されました。

しかし、その信勝が性懲りもなくまた謀反しようとしている、と柴田勝家が通報してきます。柴田はこのときは信勝付きの家臣だった、つまり彼は「主人である信勝を裏切った」わけです。

信長は、仮病を使って寝込み、もうすぐ死ぬから、と信勝に見舞いに来させます。信勝は、信長が病で死ぬならしめしめと思っていたのが、いざ信長の顔を見たら全く健康だったのを見て、これは騙されておびき出されたか、と悟って、短剣を抜いて信長を刺そうとしますが、その瞬間、隠れていた柴田勝家に切り捨てられます。

とまあ、このへんの「信勝おびきだし作戦」の経緯は、今回のドラマでは詳しく描かれていませんが、それは今までの大河ドラマで何度もやったんで「皆さんご承知でしょう」ということで、今回はダイジェスト回想シーンにした、ってところです。

この「豊臣兄弟」のドラマでは、信勝の謀反が本当だったか否かは、明確に描かれてはいませんが。ポイントは「柴田勝家が、主(あるじ)を売った」ということです。

もちろん、弟信勝は兄信長の家来なんだから、柴田勝家は「織田家の家来」である以上、信勝付きとはいえ信長の家臣であることには間違いないんで、弟信勝の謀反を信長に通報するのは、当然といえば当然なのですが。
信勝は、勝家を信頼していたからこそ謀反の気持ちを漏らしたのでしょうから、それを信長に通報したのは、やはり後ろ暗いことです。
もしかしたら、このときの信勝には、信長への謀反の意思はもうなかったかも知れない。
しかし、一旦背いた弟は、信長にとって不安要因であり、なんとか排除したいと心の底で考えていた、のかも知れない。
それを「忖度」した柴田勝家が、信勝の些細な言動から「謀反の意思あり」と通報した、なんてストーリーも、あり得るわけです。
だとすれば、これは、今回の佐々成政の行為にとっても良く似ている、相似形だと言ってもいいくらいです。信長の不安を取り除くためにキタナイ泥を被っている、それが忠誠というもの、なんですよ。

ちょっと深読みが過ぎましたが。

信長は、大沢次郎左衛門(松尾諭さん)に「こいつは斉藤を裏切ってここに来た、いちど裏切った者は必ずまた裏切る、だから信頼できない」と言って殺そうとするわけです。かつて弟に何度も裏切られたことがあるからです。

そこに、信長と信勝が幼いときはとても仲が良かった、という描写が入ります。この二人は、戦国大名の子として生まれていなければ(つまり、家督相続で争うような立場でなければ)ずっと仲のいい兄弟だったはずです。根っからの悪人が裏切者になるわけではありません。立場が人を裏切らせるんです。

信長が今回、小一郎に「兄を裏切って、自分が出世しろ」と唆しているのは、信長の「トラウマ」の表れ、といえるでしょう。仲の良かった弟をだまし討ちで殺した、それは「自分だけが冷酷で異常なのではない、人はみんな、そうなんだ」と言いたかった、わけです。

しかし、小一郎の「走れメロス」作戦で、暴君信長の心も感動的に動きました。信長も「人間も、捨てたものではない」と思ったのかも知れないし、かつて仲の良かった弟を殺すしかなかった自分を後悔しているのかも知れません。
涙の理由は、観た人それぞれが想像するのが良いでしょう。

柴田勝家(山口馬木也さん)が、ものすごい勢いで「私は、絶対に信長様を裏切りません!」と叫んでいた、あれを見て「ああ、柴田はやっぱり忠義者だ」と思うだけでは、今回の話を理解したことにはならない、と思います。

彼は一度、信勝を「裏切って」いるんです。つまり「一度裏切った者は、必ずまた裏切る」という信長の言葉に、自分もそれに当てはまってしまうんです。
だから、彼は必死に「私は絶対裏切りません」と訴えていたんです。本当に信頼されているという自信と安心があれば、あんなところでわざわざ忠義アピールをムキになってすることはないんですよ。
「織田の家臣って、なんでみんな大声で怒鳴ってるんだろう」ていう人がいましたけど。
たぶん、みんな、不安なんですよ。いつ信長から切られるか、わからないから。

武田信玄も、上杉謙信も、「信長を討つ」という上洛戦の途中で、病気で死んでいます。
これって、信長に都合よすぎやしないか? 実は両方とも、信長が忍者でも使って暗殺したんじゃないのか、とまで言う人も、世の中には結構、いますけどね。
それって、おそらく逆なんですよ。

人間は、まだまだ元気なうちは「やりたいことは、いつでもやれる」って思ってるもんで。本当にやりたいことは最後にやれればいい、って、いろいろ回り道してたりするんです。
ところが、体調が悪くなって、自分の寿命がもうさほどないと気が付いた途端に「あ、急がないと間に合わない、やり残して死にたくない」って思って、焦りだすものなんです。
信玄も謙信も、あと何十年も生きられるっていう確証があれば、上洛戦なんか起こさないでしょう。
だって上洛戦なんてオールインのギャンブルですから。「もうすぐ死ぬ」って予感があるからこそ、始められるもんなんですよ。

逆にいえば、信長からすれば、「あ、アイツついに動いたか、つまりもう長くないってことだ」って分かったはずです。
暗殺とか、小細工する必要はありません。粘っていれば、そのうち自然に消えてくれます。
信玄も謙信も、間違いなく病死です。自分の持病で勝手に死んだんです。
長生きできなかったのは自分の不摂生のせいですから、天下が取りたいなら、酒を控えましょう。

信玄と謙信は、どうしていつまでも信濃あたりで戦っていたんだ、なんで元気なうちに上洛戦を起こさなかったんだ、という言い方は、間違っています。
信玄にとっても謙信にとっても、「北信濃の支配権の争奪」が人生の最重要の関心事であって、これを放置して天下とか上洛とか、夢みたいなことを言い出すことはあり得ないんです。 
もし、お互いもっと長生きしたとしても、信玄と謙信は決して同盟しません。どっちかが隙を見せたらすかさず背後を衝こうとしていた関係です。

ところが信玄は、たぶん自分の人生がそう長くない、ということを悟った時点で、「天下、というのを最後に狙ってみたい」と思ったんでしょう。
本願寺などを通じて反上杉勢力を支援し、謙信を動けないようにしてから、ようやく遠江・三河侵攻にかかっています。
謙信はこのとき、信長と同盟関係にあり、包囲網には加わっていません。敵の敵は味方ですから。 
もし、信玄が上洛戦で手こずったら、謙信に隙を突かれて信濃を奪い返されるます。その危険性は十分にありました。危険なギャンブルだったんです。
それでも上洛戦を起こしたのは、信玄が「自分の死期を悟っていた」からです。そんな泥縄なエンディングノートに実現可能性が極めて薄いことは、本人も分かっていたはずです。

信長が四面楚歌で絶体絶命のピンチだった、というのは、嘘とは言わぬまでも誇張です。
信長を囲んでいる全勢力が、一斉に攻めてくる、ということは、有り得ない。それぞれの事情があるから、です。
前回の総選挙では与党(そのときは自公)が過半数を割りました。でも、野党が維新から共産まで大団結することは有り得ない、それなら、政権交代に追い込まれる心配はない。それと同じ話です。

さて。
上杉謙信が織田領に侵攻したのは、信玄の死後だいぶたって、武田が徹底的に弱体化し、いっぽうで上杉と本願寺の協力関係が出来てからです。
つまり、武田に背後を衝かれる心配がなくなったから、ようやく中央を目指す気になったのです。 
しかし、この時すでに、上杉と織田の勢力差は歴然でした。天下をほぼ手中にした織田に対して、上杉は依然として越後の地方大名に過ぎません。単発の戦争には、謙信のカリスマ性で勝てるかも知れませんが、長期戦になったら到底勝ち目がないことは、最初から分かっていました。

謙信が北陸で織田勢相手にいい戦いをしたのは、織田が毛利攻めにエネルギーの大半を費やしていて、こっちに兵力を割かなかったからです。
もし今の織田が全力で来れば、上杉には到底、勝ち目はなかったでしょう。

それは謙信だって分かっているはずです。
それでもギャンブルに出てきたのは、謙信も「自らの死期を悟っていた」からです。
自分の体調くらい、自分で分かります。
謙信は酒を浴びるように飲んできました。おそらく自分を「軍神」だと思い込むために必要だったのでしょう。おかげで体はボロボロで、脳の血管はキレる寸前だったんです。
それでも謙信が京都目指して戦争を始めたのは、「一度は天下取りというものに挑戦してみたい」という、まあ最期の死に花を咲かせたい、という種類の話です。

信長は「謙信も、あのときの信玄と同じく、遠からず死ぬぞ」見切っていたはずです。だから北陸で多少押し込まれても、慌てて増援する必要は全く感じなかったんです。
謙信は、あそこで死ぬ運命だったんです。
・・・いや、「だから、もし、って言ってるだろう、IFの設定にいちいち文句をつけるな」と、あなたは仰るでしょうから。
仮に謙信の死期がもう少し先で、上杉軍が北陸を突破して近江を狙うとことまで来た、としましよう。
流石の信長も、安土城を攻められるような話になったらたまらんので(あの城は、完全に権威見せつけのための見栄え優先で、実戦を想定して作っていません)、そこまできたら毛利や長曾我部に向けようとした予備軍を、上杉対策に振り分ける必要は出てくるでしょう。となれば、信長、秀吉の天下統一は「ほんの少々」遅れたかも知れません。
とはいえ、山陰山陽四国に展開している軍の主力を、北陸方面に回すほどのことでもありません。天下統一事業を着々と進行させながら、信長は謙信が死ぬのを待ってえばいいのです。
多少、早いか遅いか、だけです。慌てることはありません。

そうか、今週末は選挙とオリンピックが重なるから「豊臣兄弟」はお休みか。
人質になって梯子を外された藤吉郎の運命やいかに、てゆうか松尾諭さんの次郎左衛門はどうなる、の話は再来週に持ち越しです。
 
ところで、「どうして、信長の妻の帰蝶(濃姫)が一向にドラマに出てこないの?」と、界隈がザワついていますが。
帰蝶は、「豊臣兄弟」には、出ないでしょう。
だって、そのぶん「お市(宮崎あおいさん)」の出じろを増やせるから、です。
今年のお市は、あきらかに、普通なら信長の「妻」がやるような役割を担っています。
このドラマは「豊臣兄弟」だから。
秀吉との関係でいえば、お市は重要人物だけど、濃姫はほぼ関係ありません。
そういえば「どうする家康」にも、濃姫は登場しませんでした。家康とも、ほぼ関係ないから。
そもそも帰蝶(濃姫)って、司馬遼太郎先生が「国盗り物語」で膨らませたおかげで有名になったけど。史実ではほとんど実像が分かっていない、いつまで信長の傍にいたかも全く分かっていない、いわば「架空に近い」女性なんですよね。

ということで、「大河ドラマでの、信長の奥さんの変遷、みたいな話をさせてください。
「麒麟がくる」の川口春奈さんが大人気だったお陰もあり、信長の奥さんといえば帰蝶、と今ではみんな思っていますが。
実は、帰蝶の影が極端に薄い時代、というのがあったんですよね。ほんの十年前まで。

 
三十年ほど前のNHK大河ドラマ「国盗り物語」(信長は高橋英樹さん)では、帰蝶=濃姫(松坂慶子さん)は信長の生涯ただ一人の愛妻でした。
本能寺にも一緒にいて、薙刀で明智軍と戦って死んでいます。
信長だって立派な戦国大名なんだから、跡継ぎ確保のために側室はたくさんいたはずなんですが、そうした女性は影も形もでてきません。
原作者の司馬遼太郎先生は、戦後民主主義者であり猛烈な愛妻家でもありましたから、一夫一妻制の信奉者です。史実はどうあれ英雄・信長に側室だの愛人だのメカケだのがいることは許せなかったのでしょう。
ですから、斉藤道三の娘を唯一の愛妻と定め、道三は娘婿の信長に美濃を譲るという遺言を書いて死んだ、ということで小説「国盗り物語」の第一部と第二部をつなげました。
いわば「司馬先生の独自のポリシー」が、この設定には大きく反映しています。
大河ドラマと司馬遼太郎のコンビネーションの威力は、強烈ですから、しばらくはこの濃姫像が国民的スタンダードでした。

ところが、十数年前の「信長 キング・オブ・ジパング」(信長=緒方直人さん)では、濃姫(菊池桃子さん)と信長との関係は終始微妙となる一方、「しの」という側室(高木美保さん)が登場してきます。
さらに「秀吉」(竹中直人さん主演)では、信長の「事実上の正室」として、生駒家の後家・吉乃(きつの、斉藤慶子さん)の存在がものすごく大きく描かれるようになります。
このあいだに何があったのか。「前野家文書」という新発見資料に注目が集まった時期です。
 新発見といっても、伊勢湾台風のときに浸水した愛知県のある旧家の土蔵を整理していたら、文書が出てきた、これが前野家文書、またの名を「武功夜話」ですが、これを詳しく読んでいくと、吉乃という女性が信長の事実上の正妻であったということが「判明」したのです。
歴史好きは色めき立ちました。これで、信長にまつわる大きな謎が解明されるからです。
正妻のはずの濃姫が、嫁いだという記録があって以降、ほとんど資料に出てこないのは何故か。
子供も産まれていないし、実は信長と濃姫は政略結婚以上の関係ではなかったんじゃないか、愛情などなかったんじゃないか、と推測してもかまわん、という雰囲気になりました。
司馬先生はなんか間違えてたね、ということになってたんです、世の中の空気は。
 
しかし、この「前野家文書」、そんなに手離しで信用していいのか、という反省が、やがて主流になっていきます。
理由は、この文書が「面白すぎる」からです。
信長は事実上の正妻である吉乃の住む生駒屋敷に頻繁に滞在し、秀吉ら家臣とともにさまざまな戦略を練ったりしており、その様子が「実際に聞いたこと」として、つぶさに描かれています。
あまりに面白いと、最初は熱狂しますが、そのうち「本当か? これ、盛ってないか?」ということにもなります。
要は、吉乃と生駒家にとって、あまりに都合がいいのです。
 
この前野家文書、リアルタイムのものではなく、かなり後世、江戸時代に書かれたものであることは、実は最初からわかっていました。
であれば、書いた者に都合よく相当の脚色がされているに違いない、と考えるべきですし、信長と秀吉が作戦について語りあっている様子などは全部「創作である」と考えたほうが妥当です。
となると、吉乃が信長の「事実上の正妻」というのも、かなり怪しくなります。
現在、前野家文書は、学術的にはほとんど「偽書」扱いされています。つまり、現状では、信忠と信雄を産んだ吉乃という女性が「いた」ということ以上は何もわからないのです。
ちなみに、綾瀬さんが帰蝶を演じた映画「レジェンド オブ バタフライ」では、吉乃はワンシーンだけ登場しています。演じていたのは見上愛さん、光る君への中宮彰子様です。
 
ちなみにちなみに、今年の主人公である小一郎秀長がクローズアップされるようになったのも、この「秀吉」からではないかな、と思います。このときの原作は「豊臣秀長」という著書もある、堺屋太一先生です。この先生が、濃姫を消して秀長を押し出したのに大きく貢献しています。秀吉の奥さんも「ねね」ではなく「おね」になりました。
NHKも「軍師官兵衛」では内田有紀の濃姫が華々しく復活し、本能寺で信長と一緒に死ぬ、という松坂慶子パターンを踏襲しました。やっぱ、司馬遼太郎先生が正しい、ということになったわけです(ちなみに「信長協奏曲」の人物設定はほとんど「国盗り物語」の引き写しです)。
でも実は、濃姫だって、「分からなさ」は、吉乃とどっこいです。
濃姫については、信長のところに嫁に来た以外は、確たる記録が、何もありません。
 「濃姫」という名前がその後、一向に記録にでてこないので「早くに病死した」「美濃攻めの前に実家に帰された」という説もありますが、結局「いつまで信長の正妻として生きていたか」も、分からないのが実情です。
 
 本能寺で信長と一緒に戦って死んだ、というのも(大河ドラマなんかだとたいていそうなってますが)、後世の物語作家の想像に過ぎません。
本能寺の直後に安土城から脱出した女性に「安土殿」という名前があり、いかにも正室っつぽい呼び名なので、これが濃姫のことだという説もあります。
つまり、信長が死んだ後まで生きていて、どっかで余生を送ってたかも知れないのですが、そのとき何とよばれていたかも分かりませんから、確認しようもありません。
濃姫は、史実的には全然わからない、幻の女性です。
 
だから、ドラマや漫画の濃姫は、登場する物語ごとに、ぜんぜん性格も違えば、設定も違うのです。
「信長のシェフ」の斉藤由貴さん、「信長協奏曲」の柴咲コオさん、「軍師官兵衛」の内田有紀さん、「麒麟がくる」の川口春奈さん、それぞれ、ぜんぜん別の人物像でした。

そういえば漫画原作の「信長協奏曲」って、実はまだ完結してないんですよ、恐ろしいことに。だから漫画の濃姫が本能寺のときどうしてるのかは、まだわかりません。
それにの漫画原作の濃姫は淑やかで可憐な、柴咲さんとは正反対の性格だったりするんですよね。
ドラマ・映画版(信長は、他でもない小栗旬さん)では、とんでもない跳ねっ返りの女性像でした。そのほうが、絵にはなる。
我々は歴史学者ではなく、史料も存在しないのだから、好きに想像をふくらませて一向に構わないわけで。本能寺で勇ましく薙刀で戦って華麗に散る濃姫が好きなら、それでいいし、安土城を健気に守る濃姫が好きなら、それでもいい。いちいち史料によって証明する義務はないわけですが。
裏を返せば、どう想像しようと自由なほど、史実では分かっていない女性なんだ、ってことです。
ドラマのテーマが「信長メイン」でなければ、登場させる必要はない。その分、お市の存在感を大きくしておくのが、ドラマとしては正解、と言えます。
 
余談ですが。

NHK「国盗り物語」では、もともとは織田信長は藤岡弘さん、濃姫は浅丘ルリ子さんの予定だったのが、いろんな事情で高橋秀樹さんと松坂慶子さんになったとか。

「麒麟がくる」の事情になんか似ている。沢尻エリカさんより、川口春奈さんでよかったな、と言う向きは多いですし。

それにしても、松坂慶子さんの濃姫は、しょっちゅう出てきて毎回可愛いけど、何をするっていうんでもなかったな、という気もするんですよね。

濃姫だけでなく、全部の女性が、みんなそうでした。そういう時代だったんだなあ、って思います。