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えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

本能寺の変がなく、「先進的な思想の」織田信長が全国統一していたら、日本はもっと早く西欧文明を取り入れていたか?

そう単純な話ではないでしょ、という話をします。

信長が、日本を統一したあとも依然として南蛮貿易大好き、キリスト教おおいに結構、ヨーロッパ文明大歓迎、という革新的な王様でいたかって考えれば、そんなことはあり得ないでしょう。

信長がキリスト教に寛容だったのは、宣教師が貿易船を連れてくるから、です。日本国内にまだ敵がいる限り、南蛮貿易で鉄砲弾薬を優先的に輸入できる者が圧倒的に有利なのは間違ありません。

しかし、日本を統一した時点で、キリスト教は脅威でしかなくなります。

そりゃそうでしょう。

日本にキリシタンが増えるってことは、日本文化がヨーロッパに侵食されるってことであり、天皇の命令よりローマ教皇の命令を聞く日本人が増えるってこと、つまり日本がイスパニアやポルトガルの属国、植民地にされるってことなんですから。
実際、豊臣秀吉は、九州征伐を完了して日本統一を目前にした頃から、手のひらを返したように宣教師を追放したり処刑したり、キリスト教弾圧に転じています。
信長がもし本能寺を免れて長生きして日本統一したとしても、絶対に同じことをしたでしょう。
これはキャラの問題ではありません、日本の支配者としての当然の責任です。

キリスト教はお断りだか貿易はガンガンしたい、っていう虫のいい話は、通りません。

宣教師も貿易船も、要するに日本を文化的、経済的に支配したいから、わざわざやってくるんですから。
ヨーロッパ文明の無制限な輸入をキッパリ跳ねつけることが出来るかどうかが、国家の指導者の責務と言えます。

徳川家康は陰キャだったから南蛮貿易をやめた、ってのは大間違いです。

最終的に布教と貿易を切り離せないカトリック国であるイスパニア、ポルトガルを切って、プロテスタントのイングランド、オランダとのみ貿易をすることで、ヨーロッパ文化の流入を最小限に抑えて、交易の利益を確保しました。
徳川幕府は基本的にこの政策を継承することで、260年の泰平を実現しました。

もちろん、この間に日本人は眠っていたわけではありません。独自の文化はべらぼうに花開き、産業は目覚ましく進歩しています。

徳川幕府が倒れたあと、明治政府が「文明開化、産業革命」を実現できたのも、日本が欧米諸国に簡単には支配されないだけの体力がついていたから、と言えます。
徳川の鎖国という悪政によって日本は停滞した、というのは、幕府を倒して成立した明治維新政府によるネガティブキャンペーンなんです。
大河は、いうまでもなくドラマの一種ですので、考証よりも視聴者の理解しやすさが優先です。
分かりやすいドラマの鉄則は、
「ドラマの登場人物は、呼び名、髪型、衣装、そしてなにより性格を、コロコロ変えてはいけない」ということです。
(但し主人公だけは例外的に「成長」を許されます)

つまり、登場人物の呼び名は、誰に呼ばれる時も同じでなければ、観客がついて来ないんです。これは老若男女、家族揃って観てもらう(というタテマエで制作されている)国民番組である以上、仕方ありません。

さらに、その呼び名は(実在の有名人については)「歴史の教科書に載っている名前」でなければいけません、これが大抵の大河の暗黙のルールになっています。そうしないと視聴者から「歴史のお勉強にならない」と怒られるのです。

「上総介さま」「弾正忠さま」なんて呼んでいたら「信長、って正しく呼んでくれないと、子供の歴史の勉強にならないじゃあないか」って抗議電話がNHKに殺到する、っていうのはさすがに昔の話としても、そういうマインドは確かに残っていて。

歴史的文脈は軽視できない、だから「大河」は「大河」なんです。
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NHKが巨額の予算を投じて制作する大河ドラマは、全国民が見るべき意義のあるモノでなければならない、という、まあ信念というか信仰というか矜持というか、とにかく「日本史の知識として役に立つモノ」でなければいけないという縛りが厳然と存在します。
だから「信長」は誰でも分かるように「信長様」と教科書通りの名前で呼ばれなければいけないんです。
但し、今回の「豊臣兄弟」では、秀吉と秀長だけは「主人公なので」成長とともに名前も衣装も性格も、変わっていいことになってます。
その他は、信長を含めて、基本的に呼び名も見た目も性格も首尾一貫していなければなりません。
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柴田勝家も、丹羽長秀も、毎回同じ(ような)色の衣装を着ていますし、毎回「柴田らしい性格」「丹羽らしい性格」に描かれなければいけません(脇役なので)。
柴田は今から秀吉が大嫌いで、お市様に惚れていなければいけませんし、信長は今から「部下を切り捨てる残酷さ」を強調しておかなければいけません。
大河のように大人数が入れ替わり立ち代わり出てくる連ドラでは、脇役一人ひとりのキャラクターは短時間で観客に印象づけなければなりません。だから、呼び名は重要です。「視聴者にいちばん通りのいい名前」で統一しておくのが、正しい戦略といえます。
豊臣兄弟は、何故、仲が良いのか?
それは、父親が大名でも大金持ちでもないからです。
父親に地位か財産があれば、兄弟のうちどちらが受け継ぐかで、必ず争いが起こります。

ドラマ「豊臣兄弟」には、いろんな「きょうだい」が出てきますが。

信長だけでなく、戦国大名の多くは、兄か弟を倒して今の地位にいます。
「親族というのは、団結するものだ」というのは、思い込みです。
争いごとは、赤の他人とではなく、まず、近い親族同士で起こるものなんです。 
何故って、人間社会の争いのほとんどが「財産争い」、もっと言えば「相続争い」なんですから。
親の財産を、兄と弟のどちらが多く相続するか、これが人間の争いの根本です。カインとアベル、海彦山彦。旧約聖書でも、古事記でも、最初の争いは「兄と弟」のあいだで起こるものでしょう。
赤の他人の財産を強奪するより、弟や甥の財産を横領するほうが、ずっと簡単だってことは、普通にわかります。

しかし、もともと相続する財産や地位が全然なければ、兄弟で争う理由はありません。

たぬきオヤジ家康は、まるで生まれた時からずーっと天下を乗っ取ろうとばっかし考えていた、みたいに言う人が、世の中にはいっぱいいますけど。
そんなわけ、ないじゃないですか。
信長だって秀吉だって家康だって、若い時はふつうに頑張っているんだけど、どこかの時点で「あ、こりゃオレ、天下が取れるかも知れないぞ」と意識するわけでしょうね。
それがどこか、って言われても、明確に「このとき」というのはたぶん、本人に聞いてもわかんない、とは思いますけど。

で。

家康は、いつ天下を獲ろうと意識したか、ってことですけどね。
秀吉の政権が上手く運営されている間は、そんな気は起こす必要はなかったんじゃないでしょうか。

あんまりこういうこと言う人はいませんけど。

秀吉は、国家運営のパートナーとして、家康を物凄く信頼していた、頼りにしていた、と思われます。
日本の東半分は家康に丸投げして任せた、と見るべきで。つまり日本のナンバー2のポジションが保証されていれなら、なにも無理して並風立ててトップ取りに行こうとは、人間、なかなか思わないもんです。

関東に左遷されて不満が溜まっていた、というのも、ちょっと違うと思います。

家康は、関東移封の直後からバリバリと江戸の都市開発、利根川の付け替え工事と関東全域の土地改良に着手しており、自分が間違いなく(秀吉以外としては)日本の最大勢力の地歩を確保できる、という確信を持っていたはずです。
だから、秀吉の政権が上手く機能しているうちは、天下を奪取することは考えられないでしょう。まあ、秀吉の死後には豊臣家の執政として権力を振るえそうだし、それは事実上「天下を取った」ことになる、それで充分じゃんか、って話です。

ターニングポイントは、明らかに秀吉の政策が破綻してきた頃です。

秀吉政治から人々の心が離れれば、秀吉の死後に自然に「天下」は自分のもとに転がりこんでくるでしょう。ムリをする必要もなく、熟した柿が落ちるように。
これは個人的な想像ですが、秀吉が秀次を粛清し
これで秀吉から人心が離れ、同時に豊臣政権は「関白のいない非合法政権」になってしまいました。
家康が「イケる!」ってその気になったのは、この時だ、と私は思います。
秀吉は、あくまで自分の血筋に天下を譲りたい、と妄執している「小物」だってことも、これで明らかになりました。いわば、天下の私物化です。
こんな奴には、人はついてきません。

このあと、朝鮮出兵の失敗により、秀吉バブルは完全に弾け、豊臣政権の命脈は事実上、終わりました。

秀吉が死ぬ直前には、家康は「天下が取れる」と確信していたと思います。
明智光秀の本音(だと思う、多分)が沢山聞けて、良かったです、今週は。

将軍義昭から「あの兄弟をこちら側にスカウトしろ」というミッションが出たからでしょうが、光秀、よくそんな事まで藤吉郎に話しちゃうな、って私は寧ろ、びっくりしてしまいました。

「麒麟がくる」のときの主人公(十兵衛)は、毎週毎週、悩みまくっていました。

しかし、分類としては同じ「白光秀」でも、今年の光秀は一切ブレそうにありません(脇役だからそんなブレてる時間はない?)。

自分は絶対に将軍の忠臣であること、泰平の世は義昭だけが作れること、信長は天下人の器ではない、と考えていること。

そんな危険水域の話まで、光秀は藤吉郎に堂々と語ってしまっています。
大丈夫か?
いや、人の心を獲ろうって思うなら、自分も心を曝け出すこと、それしかない。それが人間の当たり前。
多分、光秀は藤吉郎を「話せば分かる男だ」と踏んでいるのでしょう。人間の善性を信じてるんです。
光秀はそういう男なんです、たぶん。「義」の人なんです。

しかし、世の中には、そうではない、人間ではない者がいるんです。

平気で嘘をつく、平気で他人の梯子を外す、他人を誰も信じない、決して本音を語らない、目的のためには手段を選ばない、何の痛痒も感じない、そういう人間ではない、「鬼」が。

二条城の壁をぶち破った向こうに、暗い隠し部屋と禍々しい縄梯子。ホラーでしたね、戦国版「怖い間取り」ですね。

あの隠し部屋こそが、信長の心、なんです。

光秀は、藤吉郎や小一郎が、嫌いではないのでしょう。だから本気で「助けよう」と思っているんだ、と私は思います。

あんなブラック上司は早く見限って、我等と共に正しい道を歩め。光あるうち光の中を歩め。

おそらく、のちに「あの事件」を起こした後ですら、光秀はずっと、そう思い続けるんじゃないか。事を起こせば、秀吉はきっと、こちら側に来る、と思っていたのではないか。

そんな気がします。
寧々さんの「本名」を知っていますか。
「豊臣吉子」です。
これは、関白太政大臣の正室として天皇から位階を受けたときに、臨時につけた「その場限りの本名」です。
ちなみに茶々(淀殿)の諱は「浅井菊子」です。
こういう、普段は絶対使わない本名のことを「諱(いみな)」と言います。

北条政子という女性は実在しません。

「北条政子」はいわば「教科書用語」みたいなもので。源頼朝の妻であるこの女性が「ほうじょう、まさこ様」と呼ばれたことは、ありません。
この女性の呼び名として唯一記録に残っているのが「政子」という名前ですが、これは結構歳をとってから朝廷から官位を貰ったときに臨時に付けた名前です。
天皇から位を貰うときは「諱(いみな)」という正式な名前が必要ですが、この時代に女性で「〇子」というような諱(いみな)を持っているのは、貴族の娘だけです。
地方豪族の娘は、いちいち諱なんて持っていません。だから政子の妹の名前は、ドラマごとに違います(鎌倉殿の十三人の「実衣」というのは三谷幸喜氏が付けた名前で、ムーミンに出てくる「ちびのミイ」から取ったとか)。

頼朝の妻だった女性が従三位の位を受けたのは、夫が死んでから十三年も経ったあとです。
このとき、父親の名前「時政」から一字貰って「政子」という諱を臨時に付けて、「平政子」として位を貰ったわけです。
適当だなあ、って思うかも知れませんが、諱ってのは普段の生活では絶対に使わないものです。
正式な文書に署名するときと、天皇の前に出るときくらいしか使いません。だから「平政子」ってのも、その場限りの名前です。
とにかく、彼女が「政子」になったのは、だいぶ歳を取った、未亡人になった後なんです。頼朝は、自分の妻を政子と呼んだこともないし、将来政子になるとも思わずに生涯を終えた、ってことです。

ドラマの中で、この女性が若い頃から「政子さん」と呼ばれているのは、おかしいといえばおかしい、間違いといえば大間違いなんです。この女性にも「八重」とか「実衣」とかと同じような、田舎の女性らしい名前で呼ばれていたはずなんですけど。
しかし、この女性の名前として記録に残っているのは「政子」だけで、これが「本名」として教科書にも載っていて、日本国民はみんな、この女性は「政子」だと思いこんでいるので。
今更ほかの名前を想像で付けても違和感ありまくり、NHKに抗議が殺到するでしょう。
だから、しょうがなく、どのドラマも、若い頃から政子だったことにするしかないんです。
これは「方便」というものです。

何故、源頼朝の妻なのに、平政子なのか? というのは現代人だけの感覚です。結婚すると妻が夫の苗字に変る、というのは明治以降に戸籍制度が出来た以降の話で、日本史のほとんどの時代では「夫婦別姓」です。

それと、「源」「平」というのは「姓(氏)」で、北条というのは「名字(苗字)」ですが。
京都貴族は屋敷の場所、地方武士は領地の名前を通称として名乗るわけですが、女性は基本的に、名字は名乗りません。だから「北条実衣」でも「伊東八重」でも「比企比奈」でもありません。
「北条政子」というのは、この女性の名前をどう教科書に書くか、という場合に、便宜的に「こう書こう」と文科省が決めた、というだけの「用語」なんです。
「本圀寺の変」という名称は、この「豊臣兄弟」のオリジナルなんでしょうか、それとも以前から歴史界隈では使われていた呼び名なんでしょうか?
もちろん、この事件は知ってましたけど(カゴ直利先生の漫画にも出てたしね)、これを本圀寺の変、というとは、私は初めて聞いたんですけど。

なるほど、と思いましたね。

当然、このドラマで近々必ず起こることを誰もがみんな知っている「本能寺の変」を連想させるためのネーミングですが、どちらも「時の天下人」を狙って、宿所の寺を軍勢が包囲した、という事象は全く同じですから。
違いは、義昭暗殺は失敗し、信長暗殺は成功した、という点だけです。

ときどき「叛逆が成功したら変、失敗したら乱だ」という人がいて、この説明が意外と広くネットでは広まっているんですけど。これは残念ながら間違いである、と言いたいです。

成功か失敗かで変か乱かを区別するなら、「本圀寺の変」は大間違いだろう、と抗議すべきでしょうけど。いやいや、いやしくもNHKがそんな間違いをするはずがないんです。

「桜田門外の変」は井伊大老の殺害に成功しましたが、「蛤御門の変」または「禁門の変」は、長州は御所占拠に失敗しました。

成功しようがしまいが、短期間・限定場所で決着がつけば変、複数・広範囲で一定期間続けば乱でしょう。

Googleの和英翻訳で調べてみると、

「乱」はwar(戦争)、「変」はincident(事件)です。
「乱」は対等な戦争(どっちがいいも悪いもない)ですが、「変」は犯罪事件(犯人と被害者がいる)です。
「乱」は一定期間続くので「応仁の乱」「天正壬午の乱」など年号などで呼ばれることが多く、「変」は一瞬、一現場で終わるので「応天門の変」「桜田門外の変」など事件現場の名前で呼ばれることが多いです。
但し乱も変も、首謀者(スター)の名前で呼ばれることもあります。平将門の乱、とか、藤原純友の乱とか言いますが、これは正式には(教科書的には)「承平天慶の乱」と言いますよね。

もう一つ、war(戦争)と訳される言葉があります。「役(えき)」です。

中央政府によって編成された軍隊が、辺境の反乱軍や、外国軍と戦うのが、「役」です。
天皇から刀を授かった将軍が、外敵討伐という「お役目」を果たすために、軍隊を率いて、粛々と都を出発して辺境に遠征していく、そういう風景を想像しましょう。
「前九年の役」「後三年の役」は辺境叛乱勢力との戦い、「文永の役」「弘安の役」は元寇つまり外国との戦い。
で、我らが藤吉郎秀吉が出世したのちにやらかすのが「文禄の役」「慶長の役」つまり朝鮮出兵ですが。
たぶん今年は、そこまではやらないでしょう。だって、そんときは小一郎がもう居ないから。
今年のタイトルが「豊臣兄弟」なのは、秀長を主人公にすれば、晩年の秀吉が闇落ちするイヤーな景色を描かずに済むから、だと私は思ってます。

すいません余計な前置きが長くなりましたが。

私が言いたいのは、(史実は知りませんが)このドラマで描かれた「本圀寺の変」は、明らかに「本能寺の変」のプロトタイプだってことです。
将軍義昭は、先頭に立って守備隊を鼓舞し、もはやこれまでとなると潔く自害しようとします。もし、三好三人衆がヘタレでなければ、本圀寺の義昭は、本能寺の信長と同じ運命を辿ったでしょう。
だから、というのも変な話なのを承知の上で申し上げると、この「本圀寺の変」には、のちの本能寺に繋がる要素が、少なくともこのドラマは本能寺をどう描こうとしているかの、ヒントが詰まっていた、ように思うわけです。
信長は、自分が京都から引き上げたあとに、義昭が襲われるような事態を、全く予測もしていなかったのか?
どうも、そこからして怪しい気がするのは、私だけでしょうか。

足利義昭は、人の上に立つに相応しい器の男である。

織田信長は、平気で部下の梯子を外す男である。
明智光秀は、どこまでも筋を通す義の男である。
斎藤龍興は、どこまでも信長を倒そうとする執念の男である。
羽柴秀吉は、結構なスピードで「大返し」できる男である。だから、というのも変ですが。
なんか、本能寺がうっすら見えてきませかんか?
斎藤龍興、死なず!
少年龍馬だった濱田龍臣さん演じる斎藤龍興、生きてました、てゆうか、なんか逞しくなって復活してきました! 嬉しい!

正直言って、龍興は「豊臣兄弟」にこれまで登場したキャラのなかで、私が最も共感してしまうキャラかも知れません。

無能な三代目と家臣からも侮られ、虚勢を張って強権的に生きて来た美濃国主時代。しかし、負けて逃亡し、守るものがなくなったことで、なんか解放され、逞しくなって帰ってきたような気がします。
いいなあ、龍興! こういう裏番キャラが、大河には必須なんですよ!

機転が効いて、異能があって、毎回みごとに危機を乗り越え、階段をスイスイ登っていくような主人公たちより、こういうコンプレックスと挫折を抱えた凡人、「無能の人」のほうに、私は自分に近いものを感じる訳です。

信長への復讐に執念を燃やす龍興、今回は、祖父道三の兜を被っていません。「俺は俺だ」と吹っ切れて、肝が据わった感があります。

それに比べて、三好三人衆の甘いこと‥、こいつら所詮は「負ける前に逃げた」やつらで、全てを失った経験がないんですよね。龍興とは覚悟が違う、と言っていいでしょう。

斎藤龍興は、このあとも反信長陣営を転々として、朝倉氏と共に戦う、はずです。
粘れ、龍興。生き恥をさらしても、生き続けろ!?

我々「司馬遼太郎世代」てゆうか「国盗り物語」をバイブルにしてきた人間は、斎藤龍興なんて美濃から逃げた時点で「歴史から消えた」奴でした。その後どうしたか、なんて気にしたこともありませんでした。

生きてるんですよ、負けた奴だって。歴史は、信長や秀吉みたいな天才だけで作ってるわけじゃあ、ないんですよ。

本國寺の変で、もう一人「国盗り物語」的バイアスを大いに裏切ってきたのが、足利義昭ですね。

この将軍は、人の上に立つ器です。
明智光秀が忠義を尽くすに足る人物です。
先取りして、もう一度言っちゃいましょう、本能寺の黒幕になれる男です。
(もちろんこれは、「豊臣兄弟」限定の話です、史実がどうだかは、知りません)

最初に「従者に身をやつして」登場するような人物が、小物のはずがない、これは歌舞伎以来、ドラマの鉄板あるあるです(‥だと思う)。

今年は、寧々さんの出じろが少ない!
今週はついに寧々さん出ませんでした。せっかく浜辺美波さんをブッキングしているのに、この扱いはなんでだ?

理由は簡単です。普通の秀吉ドラマでは妻の寧々さんがやるはずの事を、今年は全部、小一郎がやってしまうから、です。まあ「豊臣兄弟」なんだから、これは仕方ないわけですが。

たとえば、墨俣に素早く砦を築くには、どうすればいいか?というとき、汁物の料理を作ってた小一郎が、「そうか、下拵えが大事なんだ!」と気付くシーン。
あれなんか、ホントだったら寧々さんが料理して気がついたっていい場面ですよね。しかしこのドラマでは、木下家の家事も寧々さんより小一郎がやっているような印象を受ける。
なんか心配になってきました。主人公が「持っていく」のは仕方ないにしても、寧々さんはこの先、どうやって存在感を発揮していくのだろうか、って。まあ余計なお世話でしょうが。

私は浜辺美波さん不足を補うため、「センセイ君主」とか「君の膵臓を食べたい」とか「屍人荘の殺人」とか「アルキメデスの大戦」とか、古い映画を見まくってます。

あ、「ほどなく、お別れです」はもちろん真っ先に観に行きました。あれは、良かったですよ。

なぜ今年の大河には「帰蝶」が登場しないのか?これも理由は明白。「お市」さまが、信長の奥さんがやるべき事を全部、やってしまうから、です。

もちろん、宮﨑あおいサンが大物だから、ってのはありますけど。

このドラマのお市と信長の仲は、なんか只事ではないな、っと感じるのは、私だけでしょうか?なんか、仲のいい兄妹っていうより、恋人のように見えます。

この「豊臣兄弟」のドラマでは、つねに夫婦より兄弟(兄妹)のほうが、大切なんです。そういうテーマのドラマなんです。だから、帰蝶の居場所はないんです、このドラマでは。

直さんは「私と藤吉郎と、どっちが大切なの!」と叫んでましたけど。もちろん、兄のほうが大切なんですよ、だってこれは、そういうタイトルのドラマだから。申し訳ないですけど。

藤吉郎にとっても、寧々さんより小一郎が、大切っていうか、重要なんです。これはしかたない。
来週から出てくる小一郎の(歴史上実在の)奥さん「慶(吉岡里帆さん)」も、ストレス溜まりそうな予感がします。
ドラマの焦点が、兄弟(兄妹)の愛憎に集約されています。
今週は足利義昭が、兄に対するアンビバレントな感情を語っていました。徹底してます。
お市が浅井家に嫁いだのも、それが兄信長の役に立つから、です。
しかし、夫である浅井長政(中島歩さん、チート級に、いいひと!)の愛に、絆(ほだ)されていきます。
これは、どういうことか? 夫婦より兄弟、という原則がついに崩れたのか?
私は敢えて、そうではない、と言います。

つまり、これで浅井長政は、真の意味で信長の「弟」になるわけ、ですよ。義理の、ではなく、心から信頼できる弟になるんです。

信長の弱点は「弟を殺したトラウマ」です。その代償行為でお市を溺愛していた、とも言えます。
その市が愛するなら、浅井長政は、弟です。信長はようやく「弟」を得るんです、信頼できる兄弟を。
‥‥。
さて、どうなるんでしょう。
天草・島原の乱というのは、本質的には圧政に苦しむ農民の一揆であり、宗教弾圧が主な原因ではなかった、という見方が今日では有力です。
しかし、彼らは「キリシタン一揆」という看板を掲げ、これがあたかも宗教戦争であるかのような演出をした。それは何故か。
「キリシタンの旗を掲げて城に籠っていれば、海の向こうから救世主がやってくる、かもしれない」と考えたから、それしかないでしょう。
何の希望もなしに、田舎の農民一揆が全日本の幕府軍を相手に籠城するなんて、バカげています。彼らは天使の軍団が地上に降臨するが如く、イスパニアの大艦隊が来襲してくるのを待ってたんですよ。
この「キリシタン一揆」に対して、幕府はオランダ船に命じて、一揆勢が立て籠る原城を砲撃させています。
何故?
原城のキリシタンはカトリックであり、オランダはプロテスタントです。
これは「同じキリスト教徒」ではなく「不倶戴天の敵」になります。

当時、本場ヨーロッパでは、新旧キリスト教徒が血で血を洗う「宗教戦争」を繰り広げていました。この世界史的な認識抜きに「島原の乱」を語ることはできません。
プロテスタントのネーデルラント(オランダ)は、もとはカトリックのイスパニア(スペイン)の領地であり、宗教弾圧を受けており、激しい戦争の末に独立を勝ち取ったばかりです。
いわば、オランダにとってイスパニアは憎っくき敵であり、したがってカトリックを奉じる島原の一揆勢も、仇敵の一味なんです。

天草・島原の乱は、単なる日本の農民一揆の範囲を超えて、カトリックとプロテスタントの「世界大戦」の一環になっていた、とまで言ったら大袈裟過ぎるかも知れませんが。
少なくとも「そうなりかねない」と幕府が考えたとしても、あながち杞憂ではありません。
だから、この乱の早期鎮圧のために、どんなに真剣になっても、過剰なことはない、ってことです。
海外勢力の干渉を招く事態の芽は、早目に摘まなければならない、これは国家統治の常道です。
キリスト教にどう対応するか、というのは、常に、そういう視点で考えなければならない問題なんです。

ちなみに、天草・島原の乱の首領・天草四郎時貞は、大坂夏の陣で死なずに密かに逃れた豊臣秀頼の遺児、という説があります。

いや、もちろんトンデモ説ではあるんですが、あながち根拠のない話ではない、というのは。
天草四郎自身がソレを匂わせる演出をしていた形跡があるからです。原城の跡から豊臣の桐紋がついて遺物が発見されたりしています。
まあ真実ではないにしても、天草四郎が豊臣の末裔を自称していた可能性はあります(もちろん、幕府にとっては面白くない話なので、この話は揉み消されて歴史の闇に消えた、という筋書きですけど)。
つまり「原城の籠城戦は、大坂の陣の復讐戦である」という見方もあるんです。どういうことか?

そこで、大坂冬の陣・夏の陣ですが。

何故、豊臣秀頼は、寝返って城方に就いてくれる豊臣恩顧の大名なんか一人もいない、もはやどこからも援軍は来ない、と分かったのに、なお大坂城に籠城したのは何故か。
実は、秀頼がイスパニア宣教師と交渉していて、ローマ教皇の命令で「十字軍」を日本まで派遣して貰おうとしていた、という形跡があります。これはトンデモ説ではなく、記録も残っています。

大坂牢人の中には、多くのキリシタン武将がいたことは事実です。幕府の禁教令のせいで、日本にはもはや大坂城しかキリシタンの居場所はなくなっていたからですが。豊臣秀頼は、これを利用しようとしていたんです。

残念ならが、イスパニアやポルトガルにはそこまでの力はもはやなく、実際には「カトリック艦隊」は大坂にはやってきませんでしたが。
このプランが「ハナから無理」だったのか「惜しいところで間に合わなかった」のかは、正確な世界情勢を知っているわけではない豊臣側からは、分かりません。

原城の籠城軍の中には、当然、大坂で敗れた牢人がいて、秀頼の「カトリック艦隊援軍プラン」を知っていた者がいたでしょう。

彼らが「大坂城は間に合わなかったが、もう一度乱を起こせば、今度こそ」と考えた、というのは充分に考えられます。
だからこそ、天草四郎という少年を「豊臣の末裔」に仕立てて、キリシタン艦隊を呼ぼうとしたのだ、という筋です。

ますます世界情勢についての正確な情報がない一揆勢にとって、これは「一縷の望み」ではなく、それなりにあり得る期待だった、はずです。

だから彼らは、キリシタン一揆を「装った」んです。