戦国時代や江戸時代の「何の守」は、たいてい領地と関係ない地名なのは、どうしてか | えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 前田利家は、織田信長の家臣で能登の領主だたころ、「土佐守」(とさのかみ)だったそうです。なんで? 能登守じゃないの? というのが今日の設問です。

えいいちのはなしANNEX えいいちのはなしANNEX

 回答例、 この場合の「土佐守」は、単なる身分ランクを表す「身分証明書の記号」のようなもんです。。
 平安時代、朝廷に力があった時代には、身分ある者はみな、天皇から「官位」を貰っていました。「官」は仕事上の地位(ポスト)で、「位」は役人としての職級(ランク)、これが一組になっています。たとえば総理大臣級の高級貴族は「従一位太政大臣」、中級貴族で地方の県知事(というより実質は税務署長+警察署長)に任命されると「従五位下土佐守」といった名前を貰うわけです。「従五位下」が位、「土佐守」が仕事上の地位の名前です

えいいちのはなしANNEX えいいちのはなしANNEX
 そこで、「土佐守」って何か。
 平安時代までは、土佐国(いまの高知県)の警察と徴税の権限は、「国司」の長官、「土佐守(かみ)」が持っていました。しかし、鎌倉幕府が「守護(しゅご)」という役職に武士を任命し、各国に派遣すると、「守護」が「国司(守)」の仕事を全部奪ってしまったのです。ややこしいですが。「土佐国守護」は「土佐守」とはまったく別の、幕府が新たに作ったポストです
 そのため、「守」は仕事のない有名無実の存在になりますが、依然として肩書だけは残っていて、誰かが名前だけ任命されている、という状態になります。
えいいちのはなしANNEX-wa09 えいいちのはなしANNEX-wa05
 さて、戦国時代ごろになると、大名や武将たちが、ハク付けのために、この「守」の肩書を勝手に名乗ったりするようになります。京都の朝廷にも、本来こういうことを一括取次する幕府(将軍)にも、すでに勢力がないので、本当かどうか判定する人がおらず、名乗り放題になるのです。僭称といいます。実際に一国どころか一郡を治めているわけでもなくても、まあ名乗るだけなら名乗っても勝手、になってしまいました。
 とはいったものの、自分のいま住んでいる土地の「守」を名乗るのは、あきらかに図々しすぎますので、勝手に名乗るなら、どこか遠いところの「守」を名乗るのが普通なのです。「いや、ウチの先祖はもともと土佐の国司でな、あっちのほうから流れてきたんだよ」とでもいえば、もともと出自なんぞ怪しい戦国武将ですから、もっともらしく聞こえます。
えいいちのはなしANNEX-lv07 えいいちのはなしANNEX-wa04
 この「何何の守」という肩書は、本名を名乗らないのがしきたりの日本では、「通称」がわりで、お互いに呼び合うのに使われるようになります。たとえば「利家どの」とは絶対に呼びません。「土佐どの」と呼ぶのです。

 呼び合うためですから、隣のヤツとは違う名前にしなければ意味ありません。尾張国に住んでいる武将がみんな「オレは尾張守がいい」と言いだいたら不便でしょうがないですから、みんなそれぞれ適当に遠慮して、遠くの国の守を適当に名乗ったんじゃないでしょうか。たぶん、こうして、「何の守」という名前は実際の領地とは全然関係ない、というのが定着していくのです。
えいいちのはなしANNEX えいいちのはなしANNEX
 いっぽう、実際に一国の主となったものは、京都の朝廷に献金して、正式に「従五位下三河守」に任命してもらったりします。京都の天皇には、まだ「身分証明書発行所」としての機能が存在したわけです。
 さらに、信長、秀吉が京都の天皇を抑えて統一事業を推し進めると、大名・武将に一括して「従五位下ナントカの守」の肩書を貰ってやるようになります。「官」と「位」は必ずセットなので、「おまえらは、みんな出世して貴族の一員になったんだぞ」ということで、従五位下の位と、そのシルシである「何何の守」という名乗りを、一律に貰ってやります。
 ここで「どこの土地の名前を貰えるか」は、適当な場合が多いです。現実に治めている土地の名前をやってしまっては、あとで配置転換しづらいじゃないですか。家康の「三河守」のような場合もありますが、これは家康が先祖代々三河の領主だったから、特に認めてもらった、と考えてください。
 ですから、前田利家のように、あくまで信長の部下として能登を任されている者は、先々どうなるか分からないですから、「能登守」ではなく、ぜんぜん違う「土佐守」という肩書を貰うわけです。これは「私は従五位下ですよ、一応貴族階級ですよ」という証書に過ぎません。パスポートの記号にある文字がAだろうがXだろうが名前とも出身地とも関係ないのとおんなじです。AよりXがいいなんてことがないのとおなじで、何の守でも基本はランクの違いはありません。
 というわけで、「例外(国持大名など)を除いて、武士の「何の守」というのは、基本は領地とは関係ない」という仕組みは、江戸時代の大名・旗本にも受け継がれています。同時代に「信濃守」が何人もいたりしますが、ただの肩書、記号にすぎないので、構わないわけです。
 ただし「薩摩」「安芸」「加賀」のように、現にその一国をまるごと治める「国持大名」がいる場合は、他の者はその名前を名乗らないことになってます。「土佐守は、土佐一国を治める山内氏以外は名乗らなくなります。これは、江戸時代の話です。