山崎貴監督、神木隆之介、浜辺美波、青木崇高、永谷咲笑(明子)、佐々木蔵之介、安藤サクラ、山田裕貴、吉岡秀隆、飯田基祐(東洋バルーン係長・板垣)、田中美央(駆逐艦“雪風”元艦長・堀田)ほか出演の『ゴジラ-1.0』。

 

1945年、特攻用の零戦で小笠原諸島の大戸島に降り立った敷島浩一(神木隆之介)は、昔から島の住民に“呉爾羅(ゴジラ)”と呼ばれる正体不明の巨大生物と遭遇、凶暴なその怪物のために敷島と整備兵の橘宗作(青木崇高)以外の守備基地の人員すべてを失う。やがて終戦後、復員して焼け野原となった東京で出会った大石典子(浜辺美波)と彼女とは血の繋がらない娘・明子(永谷咲笑)とともに暮らし始めた敷島は、機雷の撤去作業の仕事中にかつてのあの巨大生物に再び襲われる。その巨大生物・ゴジラは東京を目指していた。

 

ネタバレありです。

 

ゴジラ生誕70周年記念作品。日本製ゴジラ映画(実写)30作目。

 

この映画の存在を知ったのがいつぐらいだったか覚えていませんが、そんなに前ではなかった気がする。おそらく初めて予告を観たのはYouTubeででしょうが。

 

監督が山崎貴さんだと知って、あぁ~、なるほど、と思った。

 

山崎貴監督は『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の冒頭でゴジラを登場させていたし、西武園ゆうえんちのアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド」を手がけている。僕は西武園ゆうえんちには行ってませんが、以前YouTubeにあげられてた「ゴジラ・ザ・ライド」の映像は観ました。

 

とてもよくできたゲーム映像、といったような印象だった。

 

「三丁目のゴジラ」の時にも「ぜひ山崎監督でゴジラ映画を」というファンの声はあったし、だから2016年の『シン・ゴジラ』に続く7年ぶりの日本産ゴジラ映画の新作に山崎監督が抜擢されたことは、ある意味納得ではあった。可能性として一番ありうる人選だな、と。

 

僕が山崎監督の映画を劇場で鑑賞するのは『ALWAYS 三丁目の夕日'64』以来、11年ぶり。その後も何本も作品を撮られてますが、観ていません。2017年公開の『DESTINY 鎌倉ものがたり』は、その後TVの地上波で放送された時にちょっとだけ観ましたが、集中できなくて途中でチャンネル替えてしまった。

 

山崎監督が生み出すVFX(視覚効果)映像には興味はあるものの、俳優によるドラマ部分のシナリオや演出には大いに不安があった。

 

それから、今回は舞台となるのが1945年ということだったので(実際には1945~47年で、47年が主な舞台となる)、僕は山崎貴監督の戦争観がどのようなものなのか知らないから、それも不安要素でした。特攻隊を美化したり、戦前戦中を理想化して描いたりしやしないかと。

 

関係ないけど、この映画の上映前にも特攻隊を描いた映画の予告篇が流れていて、ほんとに気分が悪くなったものだから。以前、その映画の主演女優さんが予告の中で語っていた「涙なくしては観られない」とかいう宣伝文句には反吐が出そうだった。特攻隊ってそんなお涙頂戴なものだろうか。映画自体は優れた作品かもしれませんが、予告篇の印象は最悪だった。

 

で、『ゴジラ-1.0』の方も結構恐る恐る観たんですが。

 

「朝ドラ」+「三丁目の夕日」にゴジラ映画をかなり無理やり引き寄せたような作品だった。

 

VFXは一見の価値ありで、これまで作られたゴジラ映画(ハリウッド版含む)の中でももっともリアルで迫真性のあるものだったし、劇場の大きなスクリーンでこそ観るべきクオリティだったと思います。あらためてゴジラの巨大さを実感させられた。

 

 

 

新宿歌舞伎町のTOHOシネマズのビルに設置されているゴジラの実物大の首の模型、あれを間近で見たり地上から見上げた時に感じるのと同等の迫力とリアリティがあった。

 

それだけでもまず凄いことなので、そこをちゃんと称賛したうえでの感想です。

 

冒頭でのゴジラとの遭遇、これはスピルバーグの『ジュラシック・パーク』を大いに意識したものだろうし、平成ゴジラ・シリーズでのゴジラザウルスのくだりも連想するし、それももちろんひっくるめたうえでの演出でしょうね(そーいや、平成ゴジラもやけにスピルバーグを意識した演出があったな)。

 

まぁ、その場面では神木隆之介演じる敷島がヘタレ過ぎて、そのせいで整備兵たちが殺されるので観ててイライラさせられるものの、ゴジラの暴れっぷりはなかなかなので惹き込まれる。

 

ところが、そのあとしばらく続く人間のドラマパートが僕はキツくて。

 

オープンセットの作り込みは合成などを駆使して見応えはあるんだけど、登場人物たちの描き分けや出演者の演技などが完全に“朝ドラ”なんですよね。

 

いや、僕はここ何年も朝ドラを観続けてますが(たまに離脱しちゃうこともあるけど、この何作品かは最後まで観てる)、あれはTVで「朝ドラ」という枠で観ているから受け入れられるんで、同じことを2時間の映画でやられても厳しいものがある。

 

作品に対して事前に抱いていた懸念が現実のものになっていた。

 

主演の神木隆之介さんと浜辺美波さんは9月末に終わった朝ドラ「らんまん」に出ていたから、まるで狙ったようなキャスティングだけど(撮影は『ゴジラ-1.0』の方が先)、それは措いといてもこのドラマパートにはずっと慣れなくて、かなり後半になるまで引っ張ってしまった(何げに朝ドラ出演者多めだし。まぁ、朝ドラの出演経験者は大勢いるからたまたまなんでしょうが)。

 

 

 

「らんまん」は好きだったし、あのドラマでは神木さんは土佐弁を喋っていたのでそんなに気にならなかったですが、この映画では標準語ということもあって、彼の年齢不詳、というか、まだ少年っぽさが残った顔立ちや台詞廻しが海軍の特攻隊員、しかも少尉という役柄としっくり噛み合ってない気がして。

 

特攻隊には少年兵がいっぱいいたそうだから、少年っぽいってのはおかしくはないのだろうけれど、演じてる本人は現在30歳ですからね^_^; 少年ではないわけで。

 

説明が難しいのだけれど、まるで最近のアニメの主人公みたいだなぁ、と。

 

しかも、そこからあえて性的なものを一切合切排除している。見ず知らずだった若い女性と一緒に暮らしてて、その間何もないって…なんだろう、あまり現実感のない人物だなぁ、って。

 

浜辺美波の役柄も、ハスッパな娘なのか、それともおしとやかなのかわかんない人で。途中で急にキャラ変してませんでした?

 

それから、佐々木蔵之介が演じる木造船の艇長は、「三丁目の夕日」シリーズで堤真一が演じていた“鈴木オート”そのまんまのキャラで、声の出し方や喋り方までもほぼ同じ。

 

吉岡秀隆演じる“学者”と呼ばれる元海軍工廠の科学者なんて、もろ「三丁目~」の“茶川”だし。白髪頭になってても、相変わらずフニャフニャした喋り方で頼りなさげなキャラという。

 

これは役者の力量だけの問題ではなくて、やはり監督による脚本や演出力の問題でしょう。登場人物たちの“キャラ”のレパートリーやヴァリエーションが極端に少なくて、全員ステレオタイプな役柄に終始している。安藤サクラの無駄遣い。

 

もしもこれが「特攻隊帰りの主人公が戦後を生きていく朝ドラ」だったら抵抗はなかったでしょうが、これはゴジラ映画だしVFXはリアリスティックなものだから、なんかスペクタクルシーンと人間たちのドラマがちぐはぐで。

 

寅さん映画風の演出でディザスター映画撮ってるみたいな(なんで寅さん映画かといえば、吉岡秀隆さんが出てるのと、寅さんはかつて夢の中で大怪獣ギララと共演してるから)。

 

『キングコング対ゴジラ』のようにコメディのテイストも含んだ作品だったらぴったりだったかもしれませんが、これはむしろスピルバーグの『ジョーズ』ぐらいシリアスでそれこそドキュメンタリー的な演出こそが相応しかったんじゃなかろうか。

 

ほのぼのした(わざとらしい)食事シーンだとか、世話焼きおばさんの人情とか、そういう牧歌的な話とは相容れない内容で作るべきだったんじゃないかなぁ。あるいは同じシーンでも撮り方、演出の違いでもっと効果的に日常での人々のふれあいを切り取れただろう。

 

人々の日常がゴジラという非日常によって突然破壊される恐ろしさを描こうとしていたのはわかるんですが、その狙いと演出が合っていたとは僕には思えないんですよね。

 

そして、これはすでに指摘されているかたがたがいらっしゃいますが、やはり最大の疑問点は、浜辺美波演じる典子が敷島に言った「死んではダメです」という言葉が劇中で登場人物たちの中、とりわけ敷島の中でちゃんと定まってなくてフラフラしていること。

 

典子や娘同然の明子のために生き残らなければならない、そのことを理解しているはずの彼が、それでも最後にはゴジラが空けた口めがけて海軍の戦闘機で突っ込んで自死するかどうか、のサスペンスでクライマックスを盛り上げようとする。

 

これで敷島が『インデペンデンス・デイ』の“特攻おじさん”みたいに「帰ってきたぜぇ!!」と叫びながらゴジラに自爆攻撃をカマしたりしたら最悪だな、と思ったんですが(なんで『インデペンデンス・デイ』なのかと言ったら、監督が98年版の『GODZILLA』の人だからですが)、そんなはずはないだろうことは予測できる。

 

敷島が最後に死んじゃったら、「生きて、抗え。」というこの映画のキャッチコピーを思いっきり裏切ることになるし、「死」を美化して時代に逆行することになる。さすがに作り手もそこまで無神経ではないだろう。

 

結局、敷島が呼び寄せた元整備兵の橘が脱出装置を取り付けておいてくれたおかげで敷島はパラシュートで無事生還できたんだけど、そこは彼自身が自分で何がなんでも生きて戻るという信念で作戦を決行しなければお話として成り立たないんじゃないか?

 

この映画は、国が人の命を粗末にし過ぎたことをずっと批判し続けていたはずなのに、大事なところで「国を、愛する者たちを守るために」自ら命を捨てること、を「美しきこと」のように錯覚させるんですね。そういう感情に溺れることは、とても危険だと思う。

 

旧日本軍による“神風特別攻撃隊”が「国を、愛する者を守るため」などではなく、若者たちに忠誠心とただの無駄死にを強制する狂気の産物だったことを僕たちはきちんと理解しなければ。若者たちの一途さや、自分だけ生き残るのは申し訳ない、という思いを利用した(実質的には、家族や親族などを“人質”にした同調圧力のせいでもあった)人命軽視の卑劣な作戦だったのだから。

 

爆弾を抱えて敵艦に体当たりして救える命や守れる命などない。

 

海外のテロ組織の自爆テロはカミカゼ・アタックを手本にした、というようなことも聞く。

 

そんな手本になどなってほしくはなかった。

 

元海軍兵士たちが集って「わだつみ作戦」に取り組むところは、ちょっと『バトルシップ』みがあったり、民間船が集結する場面なんかは『ダンケルク』の「ダイナモ作戦」を思わせるところもあるんだけど、最後の盛り上がりが男たちによるホモソーシャルな祭りと化していくところは実は「負けた戦争」(この映画でのゴジラは米軍による空襲や原爆投下のメタファー)のリヴェンジでもあって、ゴジラを倒すことは彼ら“元軍人や元軍属”にとって「俺たちは国を守るために戦って勝ったんだ」と思い込むためのものだったんだよな。

 

 

 

「死んではダメ」だけど、戦争には勝ちたいのか?矛盾してないか。「反戦」はどこへ行った?

 

「生きて、抗え。」というのは、もう一度戦争やって今度こそ勝て、ってことではないでしょ!?

 

この映画を観終わってモヤモヤが残るのはそういうところです。

 

浮き輪で浮上していくゴジラの姿はちょっと可愛かったけどw

 

この映画のゴジラは「三丁目のゴジラ」や「ゴジラ・ザ・ライド」でのゴジラのデザインをさらにブラッシュアップしたもので、平成ゴジラの面影もあるし、なんとなく僕なんかが今“ゴジラ”というと思い浮かべる彼の姿をしていたので、そこんとこは嬉しかったな。

 

そして、ハリウッド版では聴けないゴジラのあの特徴的な咆哮をデカい上映会場で久々に聴けたのもよかった。

 

例のごとく、この映画を「シリーズ最高傑作」と評して持ち上げてる人たちが溢れてますが、それはもう『GODZILLA ゴジラ』の時も『シン・ゴジラ』の時もそうだったんでいちいち反応する気もないけれど、1954年の「初代ゴジラ」を意識した、あるいはそのリメイク的な映画を撮るのであれば、やっぱり戦争や核兵器への認識というものはあやふやなままではなくて、はっきりと「反戦」「反核」というメッセージ性が必要だと思う。

 

この『ゴジラ-1.0』でも「人の命を大切に」みたいなことは言ってるし、「わだつみ作戦」では誰も死にませんが、特攻、という非人道的行為にどこか甘美なものを残したこと、主人公に自分の意志で「生きる」ことを選択させなかった作劇は、大いに「マイナス」だと思う。

 

ちなみに、アメリカの原爆実験によって巨大化して放射熱線を吐く怪獣となったという設定の今回のゴジラは1947年に出現するので、最初のゴジラと違って「水爆大怪獣」ではないんですね(世界初の水爆実験は52年)。

 

第五福竜丸の被曝事件をきっかけに生まれたゴジラには、リアルタイムで人々が感じた恐怖が込められていた。

 

僕たちは、『ゴジラ-1.0』のゴジラから何を感じられるだろうか。

 

原爆の開発者を描いた映画がアメリカで大ヒットしてお祭り騒ぎにまで発展した同じ年に公開された今回のゴジラはよく「怖い」と表現されているけれど、その「怖さ」の正体はなんだろうか。

 

2023年に映画館のスクリーンに映し出される特攻隊や終戦直後の日本の物語から、私たちは何を読み取ることができるだろう。

 

僕は2021年に公開された『ゴジラvsコング』が好きなんですが、あれは完全に「怪獣プロレス」に徹した作品で、戦争も核兵器も関係なかった。

 

初代ゴジラも大事だけど、あちらの路線も「怪獣映画」としてはけっして無視できない、というか、個人的にはそちらこそ「怪獣映画」だと思ってるんで。

 

来年には『vsコング』の続篇が公開されるそうなので、楽しみにしています。次はメカニコング出るぅ?♪

 

『ゴジラ-1.0』で披露されたVFXはハリウッドのゴジラ映画と比べても遜色ないものだったから、ついに“”の復活の準備も整ったということですね。

 

ゴジラ対ガメラ』の制作発表はまだですか?(^o^)

 

2014年のハリウッド版ゴジラ以降、あれこれと文句も言ってきたし、それを撤回するつもりもありませんが、ゴジラ映画の話題で盛り上がれるのは嬉しいし、日本製のゴジラ映画も、かつての平成、ミレニアムのシリーズのように延々お話を繋げるんじゃなくて、1作ごとに監督も代わってそれぞれ異なるアプローチでその監督なりの“ゴジラ”を描いているのが面白い。

 

その試みが成功しているのは、従来の怪獣ファンや特撮ファン以外の人々が劇場に足を運んでいることでも証明されている。今回も、年配のご夫婦や若いカップルの姿をたくさん目にしました。

 

僕はそれは歓迎だし、だから今後もヘタに続篇みたいなのを連発するんじゃなくて(むしろ今ではハリウッドの方がそれをやってるわけですが)、ぜひ1作1作を大切に個性的な作品を残していってほしいです。

 

 

第96回アカデミー賞、視覚効果賞受賞。

 

 

 

関連記事

『ほかげ』

『ガメラ2 レギオン襲来』

『ゴジラxコング 新たなる帝国』

『ミッシング』

 

 

 

 

 

 

↑もう一つのブログでも映画の感想等を書いています♪

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ