映★画太郎の映画の揺りかご


山崎貴監督、吉岡秀隆堤真一薬師丸ひろ子小雪堀北真希出演の『ALWAYS 三丁目の夕日'64』。

2005年の第1作目、2007年の第2作目につづく「三丁目の夕日」シリーズ第3弾。





日本中が東京オリンピック開催に沸く1964年(昭和39年)。鈴木オートで働く六子(堀北真希)は、以前診てもらった若い医師の菊池のことが気になっている。また向かいに住む淳之介(須賀健太)は、育ての親である茶川(吉岡秀隆)が望むように東大入学に向けて勉強にいそしんでいるように見えたが…。おなじみ夕日町を舞台に、若者たちのそれどれの旅立ちが描かれる。

以下、ネタバレあり。



3Dで観ました。

僕は基本的にこのシリーズが好きです。前作『続・三丁目の夕日』は映画館で2回観ました。

今回まず観客が一瞬「えっ」となるのは、前作までは小学生だった淳之介(須賀健太)と鈴木オートのドラ息子一平(小清水一揮)の成長ぶりだろう。

淳之介は茶川とソックリの眼鏡をかけた高校生に、おなじく一平はエレキギターに夢中の「不良」になっている。

1作目から彼らといっしょに遊んでいたほかの子どもたちもみな同様に大きくなっている。

時代は移り変わり、人々にもまた変化がおとずれる。

可愛かった子どもたちは声変わりして生意気な若者になる。

まるで甥っ子たちでも見てるような気分。

ちなみに、この映画でガキンチョたちが口ずさんでいる「ひょっこりひょうたん島」からはジブリの『おもひでぽろぽろ』、一平たちが演奏するザ・ヴェンチャーズの「ウォーク・ドント・ラン」からは大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』とこの映画が同時代を舞台にしていることがわかる。


ひょっこりひょうたん島 歌:前川陽子とひばり児童合唱団


The Ventures - Walk Don't Run [Live] '64



堀北真希は7年経っても、まだ10代半ばだった1作目のときと変わらない初々しさを保ちつづけているのはさすが。


ただ今回にかぎったことではないのだけれど、シリーズをとおして「巧くないなぁ」と思ったりハッキリと不満をおぼえる部分もあって、それがほかのみなさんたちのような「大絶賛」とはいかない要因でもある。

この作品を観る前にほかの人のネットのレヴューなどをいくつか読んで、褒めちぎってる人たちが大勢いる一方で、ごくまれにとても厳しい評価を下している人の感想も目にしました。

それらにはうなずけるところも多々ある。

一方では特に「あの頃はよかった。それにくらべて今の日本は…」みたいな論調の文章には物凄く反発をおぼえる。

YouTubeの「なつかしの映像」みたいののコメント欄にかならずそういった後ろ向きな書き込みをしてる人たちがいて、気持ちはわかんなくもないんだけど「あの頃に帰りたい」「あの時代の人々の心は豊かで、貧しくても明日への希望があった。今はダメだ、ブツブツ…」とか口に出したり書いたりした時点で人生終わってないか?と思うのだ。

だって、過ぎ去った「あの頃」にはいいことだってあったけど、思い出したくもない嫌な記憶だってあったはずじゃないか。

すべてが美しくて良かった時代なんてウソだよ。

そんなものはない。

毎度のように流れるあのテーマ曲を聴くと、まるで「パブロフの犬」のように条件反射で涙を流して「泣ける」を連呼する人々。

いいのか?それで。

だから僕は「生温かい“ノスタルジー”とやらに浸って現実から目を背けてるようなこのシリーズがヘドが出るほど嫌い」という人の気持ちもわかるつもりだ。


「巧くないなぁ」と思ったり不満を感じた点ですが、たとえば、まず淳之介の進路の件。

淳之介は本当は小説家になりたくて茶川に内緒で作品を書いていたが、それがバレて叱責をうける。自分を育ててくれた茶川への遠慮から、望まれるまま一時は東大進学を目指して勉強することを約束する。

しかし、淳之介の才能を信じる出版社の連載担当者(大森南朋)が茶川の家を訪問して、淳之介は本音を口にする。

こうやって要約すると別になんの問題もないように思えるが、でもこの一連の流れがどうも腑に落ちない。

前作では金持ちのところに嫁に行こうとする小雪演じるヒロミが何を考えているのかよくわからなくて不満だったのだが、今回は淳之介である。

「ぜったいに現役で東大に合格してみせますよ」とかいっといて、外から助け舟が来たとたんに「ほんとは小説家になりたい」では、茶川でなくても「どっちなのかハッキリしろよ!」と腹が立って当然だろう。

あげくに「僕から書くことを奪わないでください!!」って何いってんだ、と思ってしまう。

「緑沼」の正体をバラす場面も大切なはずのアイディアノートを焼く場面も、妙にあっさりすぎるのだ。

あそこは淳之介の葛藤をもっと描かなければ、観客には彼がどれほど悩んでいたのかわからない。

そういう登場人物の描きこみ不足はほかにもある。

菊池の正体についての件。

六子は好意を持った菊池のよからぬ噂を耳にして、ひそかに彼のあとを追う。

いかがわしい所に入っていく菊池を見て、六子はもたいまさこ演じるタバコ屋の婆さんのいうとおり「自分は遊ばれているのだ」と思う。

これが誤解だったとわかるのは、たまたま菊池の父親の後輩であった宅間先生(三浦友和)が事情をぜんぶ説明してくれるからだが、ここは六子が自分で真相を突き止めるべきだったのではないか。

あるいはふたりで泊りがけで出かけたときに彼女にはすべてわかったのだから、そこは彼女自身の口から鈴木家のみんなに説明すべきだろう。

それでこそ彼女の菊池に対する想いの強さが、観客やほかの登場人物たちにも伝わるのではないか。

宅間先生は菊池のことを「彼のことはわたしが保証します」などというが、菊池がじつは真面目で誠実な青年だったことは宅間先生のお墨付きなどではなく、六子の身になってストーリーのなかで描かれなければ説得力がない。

ここだけでなく、今回の宅間先生はもう賢者のようになっていて、この映画のテーマらしきことを台詞でべらべらとぜんぶしゃべってしまう。

これは作劇としてはいかがなものかと思う。

キメ台詞というものは最後にほんの一言発せられるから効果があるのだ。

…このように、「巧くない」部分はいくつもある。

それと、ここでストーリーとは別に“映像的”に非常に気になった箇所を指摘させてもらうと、劇中何度かある鈴木オートの店のちょっと手前の道で六子と菊池が向かい合って会話するシーン(朝すれ違って挨拶するとこや、菊池の車の前でのやりとり等)で、バックの道路の向こう側を歩くエキストラの歩き方。

アッパッパ着たおばちゃんとかおじいさんとかが歩いてるんだけど、多分あのエキストラは本物の人間ではなくてCGによる「デジタル・エキストラ」。これがちょっとありえないぐらいに不自然な動きをしているんである。

めちゃくちゃ歩くのがノロいの。手の振り方や足の動かし方も変。

細かいことのように思えるかもしれないしDVDだと確認できるかどうかわからないけど、映画館の大画面だとけっこう目につくんだよね。

これから観る人はちょっと注意して見てみてください。

技術的な制約については知らないけれど、でも目に見えないぐらいの小さなモブシーンならともかく、あんな目立つ場所にはちゃんと本物の人間のエキストラを合成してほしかった。


…こういったツッコミどころは無数にあるんだけど、それでもこの映画を観て、僕は何度も涙ぐんでしまった。

この映画の舞台である1960年代のことは知らないので、よく指摘される「時代考証の間違い」についてはまったくわからない。

知ってる人にいわせればかなりアバウトだという話ですが。

1作目の公開時に、北野武が「昭和30年代の東京の下町はあんなもんじゃない」といっていた。

東京の下町に生まれ育ったタケちゃんにいわれたらおしめぇよ。

だからこれはあくまでもあの時代を知らない世代による2000~2010年代に作られた、「存在しなかった過去」を描いたSF映画なのだ。

映画というのは「作り物」であって歴史的資料ではないのだから、それはそれで別にかまわないと思う。

要は、そこで「何が描かれているか」だ。

この映画で描かれているのは、「好きな人といっしょにいることのありがたさ」。

別れがあり、そして「始まり」がある。

仮の母からは“娘”にネックレスが、仮の父からは“息子”へ万年筆が託される。

「うちには女の子がいないから、もらって」という薬師丸ひろ子演じる鈴木オートのお母さん。

これはほんとにリアリティのある言葉だ。

バカ息子をもった母親ならなおさら。

しがない小説家は、かつて金持ちの息子だった少年を引き取った。

「金よりも大事なものがあるんだ」といって。

しかし皮肉にも、いつしか彼は淳之介の金持ちの親と同様に「いい大学に行って出世する人生」を“息子”に押しつけることになる。

親代わりになって自分を育ててくれた人への遠慮で本心を打ち明けられない“息子”の気持ちに気づきもせずに。

「親の心、子知らず」というけれど、それは子どもからすれば親だってお互い様なのだ。

そしてまるで野生の動物が成長しても懐いてくる子どもに牙を剥いて荒野に追いやるように、ここでは父から子への出立の儀式が行なわれる。

茶川と淳之介の別れのくだりは「蛇足」といってる人もいるが、むしろ僕はこれは必要な場面…というより、この映画の核心部分だったと思う。


正直「これは弱っているこの国の人々から涙をカツアゲする“ノスタルジー詐欺”だ」と思ったこともあるこのシリーズだが、そうやってクソミソにケナしながらもこの映画で僕が涙ぐんでしまったのは、これが「別れ」を描いていたからだ。

出会いがあって、そして別れがある。

「幸せ」は永遠にはつづかない。

でも、別れの寂しさは「あらたな始まり」なのだ。

淳之介と別れた茶川はあたらしい命を得る。

娘同然だったロクをライスシャワーで見送った鈴木家にも明日がある。

まるで「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」のように永遠につづくかのようにも思えた「三丁目」の世界にも確実に時間は流れていて、出会いと共生ののちには「別れ」がある。

そして終わりがあればまたあらたな「はじまり」も。

クライマックスで茶川が走るところは、1作目のラストと対になっている。

大ヒットシリーズだから今後も続篇が作られるかもしれないけど、今回の舞台は昭和30年代最後の年。

「昭和30年代」というのがこのシリーズのひとつの括りとすれば、それが終わりを迎えることになる。

1作目で夕日町三丁目にやってきてあたらしい家族に迎えいれられた淳之介と六子がそこから巣立っていく姿を描いた本作は、物語が一区切りついてまさにシリーズの最後をしめくくるのにふさわしい作品だったと思います。

モテキ』では頭の悪いセカンド童貞を演じて長澤まさみの乳を揉んでた森山未來が、今回は堀北真希に惚れられる若い医師役で出演。

ぬぁぁ、俺はお前を殺すぞ!!! by 鈴木オート

いえ、今回はこれまでの真面目で地味目な青年と『モテキ』のバカの中間のようなキャラクターを好演していて、「三丁目」の住人にピッタリのキャスティングでした。


3Dの効果については、冒頭の東京タワーの先が手前にせり出してくるところと鈴木オートの親父の顔がCG製の鬼になるところ、そして最後に模型飛行機が飛んでくるところ、だいたいこのぐらいでそれ以外は3Dである必要はほぼなし。

なので、どうしても3Dで観てみたい、という人以外は普通に2Dで十分かと。

映画館は平日だったこともあって満席ではなかったけれど、普段シネコンではあまり見かけない団塊やもうちょっと上の世代のかたがたがけっこういらっしゃってました。

ちょうど僕の親ぐらいの年齢層なんですが。

彼らを差し置いて僕のとなりの席で鼻をグズグズいわせてたおねぇちゃんには「親よりアンタが先に泣くなよ」と思ったけど、でも60~70代の人たちが観ても、この映画はそんなに悪くはなかったんじゃないかな。

勝手な想像ですが。

この映画は、ちょうど今放映されてるNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」の面白さに似ている(「カーネーション」の主人公糸子の祖母を演じていた正司照枝が産婆さん役で出演している)。

もしもこの「三丁目」シリーズがNHKで連続ドラマとして作られたら、ぜったいみんな観るでしょ?

まぁそしたらいままで以上に「時代考証」へのツッコミが入るだろうけど。

あと鈴木オートのあの『大日本人』の大佐藤みたいな逆立つ髪の毛をもしもNHKの朝の連ドラでやったら、抗議が殺到するだろうな汗

でも、じつは「カーネーション」と実写版『三丁目の夕日』は似て非なるものでもあって、たとえば「カーネーション」の主人公の父親役の小林薫とこの『三丁目の夕日』の鈴木オートの堤真一の演技を観くらべれてみれば、どちらの方が現実に存在する「頑固親父」として説得力があるかは明白。

これはこのふたつの作品の違いでもある。

「カーネーション」は良質なドラマ。『三丁目の夕日』はマンガである。

『三丁目~』の過剰にデフォルメされた人物の描き方、俳優の演技にそれらすべてがあらわれている。

とまれ、これはちょうど浦沢直樹の漫画「20世紀少年」に登場したタイムマシンもどきのヴァーチャル・マシーンのように、「あの時代」を疑似体験させてくれる“アトラクション”なのだ。

それについての是非はひとまずおいといて、多くの人々(僕もですが)がそれを必要としている、ということ。

そんな「美しく懐かしい理想郷」など現実には存在しない!とニヒリスティックに言い捨てることもできる。

そういう視点は必要だ。

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』で描かれたように、人々が「美しく懐かしい過去」に浸って“いま”を否定することはワナなのだから。

それでもディズニーランドで「夢の世界」に酔いしれるように、ときに現実のツラさから離れて“ノスタルジー”に浸ったっていいじゃないか。

そうやってまた「明日を生きていく」ためならば。

かりにそれが「まがい物」だろうと「作り物」だろうと、それでも生きていくためには「人の絆」が必要なんだ、というのは真実だと思う。


山崎監督の『ヤマト』があまりにもアレだったんで、正直今回の作品も「“アレ”と同レヴェルの出来だったらどうしよう」と危惧していたんですが、それは杞憂に終わってホッとしました。

できればこれで美しく「終わり」にしてもらえたら、と思います。



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