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ロバート・ロレンツ監督、クリント・イーストウッドエイミー・アダムスジャスティン・ティンバーレイクジョン・グッドマン出演の『人生の特等席』。



名門のメジャーリーグ・チーム「アトランタ・ブレーブス」のヴェテラン・スカウトマン、ガス(クリント・イーストウッド)は老いによる身体の衰えを感じていた。さらに追い討ちをかけるように視力が低下し、失明する危険もあった。ガスの仕事仲間のピート(ジョン・グッドマン)や娘のミッキー(エイミー・アダムス)は精密検査を勧めるが、球団フロントとの契約もあと3ヵ月となったガスはとりあおうとしない。そんななか、高校のチームで有望とみられている選手の能力を見極めるためにガスはスカウト旅行にむかう。


クリント・イーストウッドは、この『人生の特等席』で1993年の『ザ・シークレット・サービス』(監督:ウォルフガンク・ペーターゼン)以来19年ぶりに自分の監督作品以外の映画に出演することになった。

監督のロバート・ロレンツは、助監督からはじまりこれまでに何本ものイーストウッド作品でプロデューサーをつとめてきた人で、これはそんな愛弟子の監督デビュー作である。

ようするに、この映画はこれからイーストウッド監督のあとを継ぐ者が撮った作品だということ。

といってもイーストウッド自身は今後も監督作品の予定は目白押しだし、生涯現役を貫いてくれると思いますが。

今回もビヨンセ主演の新作(※追記:この企画は2018年にブラッドリー・クーパー監督・出演、レディー・ガガ主演の『アリー/スター誕生』として実現した)を準備していたところ彼女が妊娠したので、急遽スケジュールのあいまに本作に出演することになったという話だし。

愛弟子だからこそ引きうけたんでしょう。

メジャーリーグのスカウトマンの話なのでところどころベースボールについての会話があって、メジャーリーグにも野球にもまるで興味がない僕にはよくわからないところもあったけれど、仕事大好きな頑固オヤジとどこかわだかまりのあった娘との父娘の和解の話としてみれば普遍的なテーマといえる。




妻に先立たれた老夫の話、といえば真っ先に『グラン・トリノ』が思い浮かぶが、あの映画が疑似的な父と息子(あるいは孫)の物語だったのに対して、こちらは父と娘の話なので、イーストウッドの映画でしばしばあつかわれる「暴力」はほとんど出てこなくて、わずかに2箇所のみ(後述)。

『グラン・トリノ』以来4年ぶりの出演作となる本作はじっさいにも娘が何人もいるイーストウッド本人がいかにも監督しそうな題材ではあるが、「涙と感動の傑作!」というような大仰な感じではなくて、ささやかな良作といったところ。

主人公ガスの娘ミッキーを『魔法にかけられて』や『ザ・ファイター』などのエイミー・アダムスが演じているけど、『目撃』でやはりイーストウッドの娘を演じていたローラ・リニーとなんとなく雰囲気が似てる気がする。

この作品の監督はロバート・ロレンツだからイーストウッドはキャスティングにはからんでないのかもしれないし、エイミー・アダムスも売れっ子の実力派女優なのでたまたまかもしれないけど、イーストウッドの趣向に合ってる配役に思えた。

さて、この映画はまさに「イーストウッドとその子どもたち」の映画、といえるんじゃないだろうか。

ガスがスカウトして現在はちょっと不調気味のマイナーリーグの選手ビリーを演じてる俳優さん、ちょっとクリス・ヘムズワース系のイケメン(ウホッ)だけど、名前はスコット・イーストウッド

クリント・イーストウッドの息子であった。

たしかに写真を見てみると、目のあたりや笑ったときの口元など、オヤジさんの面影がある。

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父親の若い頃をちょっと優しくしたような顔つき。ちなみに現在26歳だから、クリント・イーストウッド56歳のときの子どもである。

イーストウッドの子どもたちは、これまでも何人か彼の映画に出演している。

先妻とのあいだの長男カイル(『センチメンタル・アドベンチャー』)と長女アリソン(『ブロンコ・ビリー』『タイトロープ』『目撃』)、そのほかにもキンバー(『目撃』)、そしてフランシス・フィッシャーとの娘フランチェスカ(『トゥルー・クライム』)etc.。

そこにまたあらたにイーストウッド・ファミリーのひとりが加わったわけですな。

もっとも僕が知らなかっただけで、スコットはすでに『父親たちの星条旗』や『グラン・トリノ』『インビクタス』などにも出演していたようだが。

それにしてもイーストウッドさん、これまでにいろんなところにけっこうな子種を残していらっしゃるのだ(子どもはぜんぶで7人いるといわれる)。

映画のなかの禁欲的なイメージとはほど遠い人なんである。

今回、ガスがおなじスカウトマンの一人に「じいさん、まだおっ勃つのか」と笑われていたが、彼はガスが下半身に象も殺す威力のある「44マグナム」をぶら下げているのを知らない(笑)

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スコットのあとにも、現在の妻とのあいだには96年生まれ(!)の娘モーガン(『ミリオンダラー・ベイビー』に出演)もいる。イーストウッド66歳のときに生まれた子である。

だからあの「まだおっ勃つのか」という台詞がなかなか笑える皮肉に聞こえたのだった。

イーストウッド一家はアメリカのリアリティ番組で密着取材もされていて、この映画のなかでも「カーダシアン一家」という名前が出てくるのはそこから。カーダシアン一家は、おなじくリアリティ番組「Keeping Up with the Kardashians」に出演してプライヴァシーを切り売りして有名になった一家である。

そんな番組にどうしてイーストウッドが?とあちらでもみんなが首をかしげたそうだが、イーストウッドさんがいまいっしょに暮らしてる家族は、奥さんもふくめてなかなかの問題児たちらしい。

機会があれば観てみたいですが。

それにしても、あえて名前は挙げないが、“スター”と呼ばれる人たちというのは洋の東西を問わずなんでこうもみなさん下半身がヤンチャなんでしょうな(;^_^A だからこそスターになれたのかもしれないが。

それはともかく、『グラン・トリノ』ではイーストウッドが演じる主人公は自分の子どもや孫たちとはうちとけず、家族たちからは厄介者あつかいされていた。

そして血のつながらない東洋系の少年に「アメリカの魂」を伝えようとしていた。

今回の『人生の特等席』では、主人公は娘といっしょに食事もするし、ベースボールの試合も観ておしゃべりもする。

傍からはふつうに仲のいい親子に見える。

ところが、娘のミッキーには父親とのあいだにどうしても気になっていることがあった。

以下、ネタバレあり。



夢から覚めたガスが、トイレで小便がうまく出てくれないのに苛立ちながら自分のムスコ(笑)にむかって「がんばれ」と励ますところから映画ははじまる。

またしてもさっきの「おっ勃つ」の台詞が思い浮かぶが、この映画のイーストウッドはほんとに老いさらばえた風情でじつに痛々しい。

見た目どこまでが演技なのかわからなくて心配になるが(^▽^;)

イーストウッド本人はつねに食べ物に気をつけてワークアウトで健康を維持しているようだが(だからこそこの歳でも映画を撮っていられるわけで)、彼がこの映画で演じるガスは朝っぱらから特大のピザを食い、しょっちゅう葉巻を吹かしている超不健康じじい(ちなみにイーストウッドはプライヴェートではいっさい喫煙しない)である。

視力が衰えて失明の危険も出てきたため、友人のピートにいわれて娘のミッキーが彼にしばらく付き添うことになる。

あいかわらず憎まれ口を叩くイーストウッド演じる頑固オヤジは娘を邪険にするが、墓石の前で亡き妻に語りかける彼の姿には胸を打たれる。




彼は成長した娘に妻の面影を見ていた。「あいつはお前似だ」と。

とても感動的なシーンなだけに、この愛した妻とのあいだにうまれた愛娘への彼の愛情についての物語が後半ボヤけてしまうのがじつに惜しい。


最初に「ささやかな良作」と書いたけど、この映画はまさにイーストウッドが主演しているからこそもっているといえるのではないだろうか。

もし彼が出演していなかったら、はたしてどれほどの人たちが映画館に足を運ぶのか疑問である。

まぁ、それをいったら、高倉健主演の『あなたへ』だってそうではあるんだが。

出演者はみないい演技をしているし、監督もイーストウッドのもとで学んできただけあって演出もこなれているのでそれだけで観ていられるのだが、なんていうんだろう、ストーリーがボンヤリしてるなぁ、と。

もちろん父と娘の話なのはわかるんだけど、映画を観ながらなんとなくいまいちピンとこないところもあった。

たとえば、この映画はしばしば「疎遠になっていた父親と娘の話」というふうに紹介されているけれど、さっき書いたようにガスとミッキーの親子は別に疎遠にはなっていない。

ただ映画が進むにつれて、幼い頃に母親を失くしたミッキーは13歳まで親戚にあずけられて父親と離ればなれに暮らしていたことがわかる。

それが「父親に捨てられた」という思いとなってずっと彼女の心のなかに沈殿していた。

いまではキャリアも積んで法律事務所で働いているミッキーは、若干父親譲りの頑固さはあるものの、大声を張り上げたり泣いたり自分の感情をハッキリとおもてに出すことはなく、不満や苛立ちもつねに自分の胸におさめて何事も淡々とこなす。

一方で父親に仕込まれたベースボールの知識も豊富でユーモアもあり、かつてガスがスカウトした選手でいまは解説者を目指しておなじスカウトの仕事をしているジョニー(ジャスティン・ティンバーレイク)のいうとおり、「スキがない」女性である。

そんな彼女が父親とのあいだに深刻な問題を抱えている。

いったいなんだろう、と興味をそそられる。

映画の冒頭で、ガスは走る馬の夢をみる。どこか不吉な予感のするこのオープニングがやがて娘に関係していることがわかる。

かつて仕事の旅先のスタジアムで6歳のミッキーはガスが目を離したすきにいなくなり、男にいたずらされそうになっていたところを発見される。

それを見たガスは男を殴打(殺したんだったかどうかは失念)、その後ミッキーは親戚にあずけられ、寄宿学校に入れられた。

これは映画の前半で、酒場でミッキーにちょっかいを出した男にガスが殴りかかる場面が伏線になっている。

ミッキーにはいたずらされた記憶がなかった。

ここがちょっとよくわからなかったのだが。

幼かったから、というのもあるだろうし、「記憶がない」というのは、あるいはもしかしたらかなりひどい性的暴行をうけたせいなのかもしれない。

でもミッキーはいまではもういい年した女性なんだから、ガスは彼女に「あのときどうして私を引き離したのか」と聞かれたらきちんとその理由を説明してやればよいではないか。

それを変に話題をそらそうとするもんだから、娘はそんな父親によけい苛立つのだ。

父と娘のリアルな感情の交感を描いた作品というのは、ミッキーを演じたエイミー・アダムスがインタヴューで話しているようにたしかにめずらしいのかもしれない。

ならば逆に、これみよがしなトラウマ的事件など不要なんではないか。


僕は別に一般人的な倫理観をふりかざしてハリウッドスターに難癖つける気はないんですが、それでもイーストウッドの“実の子どもたち”は、父親のことをどう思っているのだろう、と不思議でしかたがない。

父親に経済的なゆとりがあってすべての子どもたちを養うことが可能だったので、貧しい生活を強いられることはなかったんだろうけど。

『人生の特等席』の主人公ガスは、不器用ゆえに娘と溝ができた父親、という設定だが、映画では彼には決定的な落ち度はないように描かれている。

しかしイーストウッド自身の人生では、父親として彼の子どもたちに対して落ち度がまったくないとはとてもいえないだろう。

よけいなお世話だけど。

それぞれ母親の違う彼らは聞くところではたがいに仲が良くて円満な関係だということだけど、クリント・イーストウッドという人はあきらかに彼らの母親たちを裏切ったわけで、子どもたちはこれまでの人生のなかでその事実にどのように折り合いをつけてきたのか気になる。

いっちゃなんだが、イーストウッド本人のほうがガスよりもよっぽど問題のある人にも思える。


ところで、この「娘が性的暴行をうける」というシチュエーションに、僕はイーストウッドの別の映画を連想していた。

タイトロープ』である。

この映画で、まだ子役だったイーストウッドの実の娘アリソン・イーストウッドが主人公の娘役で出演している。

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なかなか可愛かったが、ここで彼女は変質者にねらわれる少女を演じていた。

そして主人公は、そんな性犯罪者にじょじょに自己同一化していくのであった。

こういう作品のこういう役柄に実の娘を出演させる、というところにイーストウッドの変態性(あくまでも表現者としての、ですが)が仄見える、といった批評を読んだ記憶がある。

あきらかに娘を“そういう目”で見ている、ということだから。

それは、自分の娘の貞操に対する父親の不安が悪夢化したものともいえるかもしれないが。


『人生の特等席』で娘が遭遇した事件は、どこかこの映画を思いださせた(男を殴る若い頃のガスの顔として『タイトロープ』のイーストウッドの映像が使われてたような気がしたが、勘違いかもしれない)。

ただし、その描写がなんとも薄ボンヤリとしているために、父親と娘のあいだに溝ができた理由としてはどうも弱く、説得力があまり感じられない。

何度もくりかえすようにミッキーはすでに成熟し自立した女性なので、父親が彼女が幼かった頃に何年か疎遠だったことがなぜいまそんなに彼女を苛立たせているのかよくわからない。

もっとも、ミッキーが必要としていたのは、表面的に良好な親子を演じつづけることではなく、父親と腹を割って話がしたい、ということだったんだろう。

そういうことは、ふつうにどこの親子間にでもあることだ。

つまり、じっさいにはこの父親と娘のあいだにはいうほど深刻な問題など存在しないんである。

それを妙に意味ありげに引っ張るものだから、理由を知って「…その程度のこと?」と思ってしまった。

これはガスが「不器用な父親」だから、などというものではなくて、ただシナリオが巧くいってないだけなのではないか。

それに、この話題でギクシャクしてるシーンの直後に球場でふたりがふつうにベースボールの試合を観ながら和気あいあいとしている場面につづいたりするんで、どうもこの父娘のドラマが散漫になりがちなのだ。

たしかに現実の親子というのは、ケンカしたあとに何事もなかったかのようにいっしょにメシ食ったりしゃべったりするもんだけど(イーストウッド本人も実の娘たちとあんな感じなのだろうか)、でも映画としては「なにを描こうとしてるのか」よくわからない。

僕はむしろもっと単純に「ずっと疎遠だった父と娘が再会する話」からはじめればよかったのに、と思ったんですが。


ガスはさまざまな球団から有望視されていた高校生のボーを「奴はカーヴが打てない」といってスカウト候補からはずすが、球団フロントはボーをスカウトすることに決める。

ガスの同業者の仲間たちからは「いつまで高校生やってんだ」といわれるおっさんヅラのボーはいかにも調子コイたジョックス(スポーツ・バカ)で、有名になって「女とヤりまくる」ためになんとしてでも自分の実力をスカウトマンたちにみせつけようとしている。

そのためにはチームメイトたちも平気で踏み台にする。

話の本筋とはさほど関係ないそのあたりの描写を、この映画では妙にねちっこくやっている。

ここは面白かった。

そして父親と娘のあいだを取り持つキャラクターとしてジャスティン・ティンバーレイク演じるジョニーが登場して、ミッキーの「心の壁」を次第に取り除いていく。




エイミー・アダムスはムチムチしたステキなボディの持ち主だけど、さすが『魔法にかけられて』でみごとに歌って踊っていたように、ときに意外な身の軽さで側転してみせたり下着姿で川に飛び込んだりと、魅力的な肢体を見せてくれる。

感情をあらわにしないキャラクターというのはなかなかむずかしかったのではないかと思うが、『ザ・ファイター』のときのように彼女の演技には「こういう人は現実に居そうだな」と思わせるリアリティがあった。

ソーシャル・ネットワーク』では調子コイた若者を演じていたジャスティン・ティンバーレイクが今回見せる好青年ぶりも、嫌味がなくてGood。

スクリーム』や『ファミリー・ツリー』などのマシュー・リラードの憎まれ役もあいかわらず安定感があるし、ジョン・グッドマンが『アルゴ』につづいて主人公をサポートする役で出ている。

なんだか最近映画でジョン・グッドマンの顔をよく見るな。

ちょこっとしか出てこないが、ガスの友人たちがいつも映画俳優の話をしているのが面白い。

野球業界の人たちが、ふだん映画のことを熱く語ったりするようには思えないけど。

そんなわけで、俳優たちはみな好演している。


しかし、後半になるにしたがって物語は急にご都合主義的になっていく。

ガスの目の病いのこともあって、彼は契約の満了を待たずにクビの危機におちいる。

それを救ったのが、ガスとミッキーが泊まっていたモーテルの女性経営者の息子で、球場でピーナッツを売っていたリゴという青年。

じつは彼は凄腕のピッチャーだった。

ガスがかつてジョニーの、そしてビリーの才能を見出したように、ミッキーはリゴの投げる球をミットでうけて、父親のいったとおりその「音」で彼の才能を確信する。

これはなかなか美しい場面だし、ボーにバカにされていたリゴが彼を見返す場面は痛快ではあるが、それでもちょっと都合のよすぎる展開だと思った。

いきなり場所がスタジアムに飛んで、リゴや家族たちが呼び寄せられてたのは、ちょっと端折りすぎなんではないか、とも。

ボーのスカウトの一件でガスとミッキーに「俺をだました」といって彼らの前から立ち去ったジョニーが、いつのまにかミッキーの前にあらわれてイイ感じになるラストにしても、「お前さっきあんなにキレてたじゃねーかよ」と。

せめて彼が途中で思い返してミッキーのもとへむかう、といった場面を入れておくべきだったんじゃないだろうか。

ガスの視力の件も最後はなんとなくうやむやになってたけど、一刻も早く専門医に診せなきゃいけなかったんじゃなかったっけ。

ガスをクビにさせようとしていた男がボス(演じるのはT-1000ことロバート・パトリック)から逆にクビを言い渡されたり、ミッキーの勤める法律事務所のライヴァルのトッドが彼女から奪ったプレゼンで勝手に失敗してくれてまたミッキーに仕事のお鉢が舞いもどってきたりと、強引なハッピーエンドのつるべ打ちにはかなり醒めてしまった。

そんなわけで、物語だけをながめているとどうも「残念」な部分が目につく。

それでも、これはなんといってもイーストウッドに“萌える”映画なので、彼が映画のなかで車をガレージにぶつけて「サノバビッチ!」と悪態をついたり、ぶざまに転ぶ姿を見てハラハラしたりという楽しみがある。

この先、まだ彼が映画に出演してくれるのかどうかもわからない、そういう意味では貴重な作品なのだし。

娘にとって、幼い頃に父親とすごしたひとときは父がいうような「三等席」なんかではなく、「人生の特等席」だった。

娘は父のあとを継ぎ、イーストウッドの映画でおなじみのクレーンショットで映画は幕を閉じる。

遠ざかっていくイーストウッドの後ろ姿には悲壮感はなく、どこか清々しさが漂っている。


イーストウッドの映画が好きな人、彼のファンは観ておいて損はないと思います。

なによりこれは、彼もまた「イーストウッドの子ども」といっていい、唯一弟子としてみとめられた男が撮った映画なのだから。

それにしても、偶然ながら今年は健さんとイーストウッドという2人の大スターの姿をひさしぶりにスクリーンで観られたのだった。

それだけでも満足といいたいところではある。

そしてまた彼の姿をスクリーンで観られる日を楽しみに待っていよう。

もちろん、監督としての新作も。



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