$映★画太郎の映画の揺りかご


三池崇史監督、市川海老蔵役所広司瑛太満島ひかり出演の『一命』。

音楽は坂本龍一。



名門井伊家に庭先での切腹を申し出た侍、津雲半四郎(市川海老蔵)。家老の斎藤勧解由(役所広司)は半四郎に井伊家でつい先日おこった「狂言切腹」の逸話を語りはじめる。


「狂言切腹」とは、食い詰めた侍が武家屋敷をおとずれて切腹する気もないのに切腹を申し出て、金子(きんす)にあずかるのを期待する行為である。

原作は滝口康彦の小説『異聞浪人記』。

1962年に小林正樹監督、仲代達矢主演で『切腹』というタイトルで映画化されている。

『切腹』(1962) 監督:小林正樹 出演:仲代達矢 三國連太郎 石濱朗 岩下志麻 丹波哲郎



国内外で評価も高い作品だけど、残念ながら僕は未見。

今回は市川海老蔵初の時代劇主演映画(TVでは「武蔵 MUSASHI」がある)。

ただし、これはたとえば山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』のような作品ではないのでご用心を。

明るい話ではないし、と~っても痛そうな場面もあります。

といっても、同じ三池監督の『十三人の刺客』のようなグロてんこ盛りの大殺陣スペクタクルでもない。

舞台はそのほとんどが井伊家の庭先か主人公たちが住むあばら家という、とても地味な作品。

この映画で語られるのは「“武士の面目”とはなんぞや」という問いであり、どちらかといえばやはり役所広司が主演していた『最後の忠臣蔵』に近い。

時代劇初の3D映画と謳っているけれど、どうやら斬られた生首が宙に浮いたりド派手に腹かっさばいて腸が手前に飛び出してくるといった『ピラニア3D』ライクな面白いギミックがあるわけではないようなので、普通に2Dで観ました。

以下、ネタバレあり。



『十三人~』につづいて、三池崇史監督のおふざけなしの時代劇。

僕は時代劇にくわしいわけじゃないし時代考証などについてはなにもわからないので、自分が「リアルだ」とか「それっぽい」と感じたかどうかだけで評価しますが、ここ最近観た時代劇映画『十三人~』『最後の~』、そしてこの『一命』はどれもとても丁寧に作られていて見ごたえのある作品でした(この3本すべてに役所広司が出演している、というのもスゴいが)。

そういう意味では観てよかったと思います。

ただ、正直今回は途中でかなりシンドかった。

実は、瑛太演じる千々岩求女(ちぢいわ もとめ)が金子目当てに切腹を申し出たところ、いいかげん狂言切腹にうんざりしていた井伊家の家臣、沢潟彦九郎(青木崇高)がほんとに彼に切腹させてしまったため、求女の義理の父である半四郎が異議申し立てにやってきた、という内容をすでに知っていたので、なかなか先に進まない物語がもどかしくてしょうがなかった。

特に半四郎と求女、そして半四郎の実の娘である美穂(満島ひかり)と、彼女が産んだ求女の子の金吾たち貧乏家族の描写が延々とつづくところは、「この人たちが善人で、でも貧しくて妻は病弱なのはよくわかったから!」と次第にイライラしてきた。

もちろん、そうやって長々と彼らの困窮ぶりを描いたことに意味があるのもわかる。

つつましく真面目に生きていても貧しさから逃れられず、これ以上生活の糧を得るすべもない。

そんなときに赤ん坊が高熱を出して瀕死の状態になる。

もう恥を忍んで「狂言切腹」をするしかない、と思い詰める若き侍の心情を観客に共有させるためである。

…しかし、なんだろう。

ここに出てくる半四郎をはじめとする「真面目で善良な一家」がどうにも僕には「退屈」でしかたなかったのだ。

「いつまでつづくんだ」というぐらい長く感じた。

たとえば同じように貧乏な浪人が主人公だった『たそがれ清兵衛』とくらべてみると、『一命」での主人公やその家族の生活描写の退屈さが際立つ。

半四郎たちの生活はあたかも「清貧家族の受難」のごとく美談調に描かれているが、どうも彼らはあまり血が通った人間に見えないんである。

これは演出、そして演技の両方にいえる。

『一命』に出演した俳優たちが『たそがれ清兵衛』の出演者に演技力で劣っているということはないはずだから、これは演出と脚本の力の差としか思えない。

感想に「満島ひかりの無駄遣い」と書いてた人もいたが、たしかに満島さんはこの作品でその演技力を存分に発揮できていたとはいいがたい。

だいたい、求女の妻になる前に美穂には良い縁組の話もあったのに半四郎は断っている。

そして自分と同様に収入がほとんどない求女にみずから美穂との縁組を持ちかける。

「ふたりの気持ちが大切なのだ」とかいって。

しかし美穂をほかの家に嫁がせていれば病弱だった彼女だけは救えたかもしれず、すくなくともその後の一家全滅という悲劇は防ぐことができたのだ。

「武士の誇り」のためなのかなんなのか知らないが、まったくもって誤った選択だったといわざるを得ない。

医者に請求された三両が工面できなければ赤ん坊が死ぬ。

冷静に考えれば(切羽詰ってるんだから冷静になど考えてられないってのはあるだろうけど)、いきなり縁もゆかりもない屋敷に恐喝に行くよりもまず医者を脅してでも赤ん坊を診させるのが先決なんじゃないのか、と思うんだが。

ってゆーか、自分たちの食い扶持もろくに稼げないのに赤ん坊とか作ってんじゃねーよ。

カンヌでこの映画を観た人々は、はたしてこの物語をどう感じたのだろう。興味深いところだ。

これは一見、善良であわれな一家が悲劇に見舞われていく話、という風に思える。または組織や権力機構の無慈悲さやいいかげんさを告発したものともとれる。

だがそれ以前に、これは「生活能力がない人間が人並みの幸せを手に入れようとして失敗する話」である。

そしてすべては半四郎の責任ともいえる。

あれほどの武芸に秀でていれば、その腕で用心棒にでもなるなり弟子をとるなり、なにがしかの仕事にありつけたはずだ。

それをせずに儲からない傘貼りの仕事を延々とつづけたあげく、孫が死にそうになっても「求女はまだか」とただ待ってるだけ。

まずお前の刀を質に入れてこいよ!

そして千々岩甚内(中村梅雀)から託された求女の命も結局は失われるのだから、まったくもって「武士の面目」など何ひとつ立っていない。

無能ではないか。

そう思って観ていると、井伊家での半四郎のブチギレにまったく共感も同情もおぼえることができない。

もちろん斎藤をはじめとする井伊家の面々はどう考えてもやり過ぎである。三両をやらずとも「狂言切腹」に来た求女を門前払いすることだってできたはずだ。そうすればそれ以上の遺恨も残らなかっただろうに、なぜわざわざ竹光で切腹させるなどというバカげた所業に及んだのか。武士というのはどいつもこいつも阿呆の集団なのか?

あるいはこれは「食い詰めてテンパッた貧乏人やバカを侮ると痛い目に遭う」という教訓なのかもしれない。求女を切腹に追いやった沢潟たち3名のあまりに無意味な最期を思えば、あながち的外れな解釈ではないと思うのだが。

すべてが終わり、何も知らない主君が屋敷にもどってくると、斎藤はシレッとした一言を残して映画がいきなり終わる、あのタイミング。

ここにこの映画のすべてが集約されている。

「武士に二言はない」という言葉がいかに都合よく使われ、「武士の面目」などというものがどれほど不確かなものなのか、この映画は見事に描いていたと思う。



※坂本龍一さんのご冥福をお祈りいたします。23.3.28


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