白楽のお店がまたしてもクローズ。残念!

白楽にある路地裏の商店街をいつものように子供をつれて散歩していたら、またお店が閉店していた。店頭には、形見分けの男児マネキンや本などが置いてあり、
ご自由におもちください
と張り紙がある。このかわいい坊やを、養子にもらって帰った人はいたのだろうか?坊やは裸のままどこかへ走り出しそうな元気に溢れている。幼いから、お店が終わったこともよく理解できないのだろう。それが、いっそう悲しみを誘う。
しかしそもそも、このお店は、何の店だったのか?
おそらく、懐古主義的で、かつ庶民的でもある少女趣味の店主が、自分の目にかなうオブジェのみを取り揃えた店。いつも、店頭には、ベビーカーに乗ってまどろむ女の子の古ぼけた人形が不気味にまどろんでいた。
実は入ったことがないのだが、この店がなくなるだけで、この通りのキャラクターが薄くなることは確かである。
ここのところ、この路地裏は、閉店が多いのではないか?と思う。それとも、ここはもともと出入りが激しいのか?最近は、1000円の散髪屋なども登場し、意外と保育園児とお父さんに人気らしい。
ともあれ、、キモの店だけは長くがんばってほしい。我が家は、通りのはしっこの肉屋さんと真ん中の魚屋さんでよく買い物する。息子は、キャラクターグッズ店のガンバライドカードに目をギラギラさせている。まだまだ魅力的な店はある。
それで、我が家は、この店から一冊の本を形見分けでいただいた。
ケストナーの『点子ちゃんとアントン』という本だ。さっそく、家で息子に読み聞かせた。
点子ちゃんとアントン (少年少女世界名作全集)/ケストナー

¥1,365
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金持ちの家の女の子である点子と、貧しい家の少年アントンの友情を通して、2人やその家族模様を描く物語。それぞれの章の末尾には「立ち止まって考えたこと」("Nachdenkereien", 高橋訳では「反省」)と題した文章が添えられており、ケストナー自身が大人の目線で登場人物に対する考察を付け加えている。
「点子」(Pünktchen) という名前は、点 (Punkt) のように小さな子という意味。語尾の「chen」は、ドイツ語の名詞の語尾に付けて「小さなもの、愛らしいもの」を示す縮小辞である。
(ウィキペディア)
加藤和彦『優雅の条件』麻のスーツが着たい!
優雅の条件 (ワニブックスPLUS新書)/加藤 和彦

¥798
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昨夜は、それほど飲んだというわけではないのに、不覚にも体調が悪くなり、今日は一日ベッドで過ごしている。
その反省というわけではないが、加藤和彦『優雅の条件』を寝転んで読むことに。
加藤和彦さんは、サディスティックミカバンドや、「還ってきたヨッパライ』などで有名だが、最近、自殺して亡くなってしまった。
『優雅の条件』は、ライフスタイルについて書かれた本だが、こんな優雅になった自分というのもなかなか想像がむずかしい。
それほど、加藤和彦さんはカッコ良かった。
生活を楽しむというのは、年中遊んでいることではなく、仕事も楽しみ、遊びも楽しみ、食事などももちろん楽しみ、すべてを自分の意志でもって楽しむということだと思う。そうしないと、何をしているのだか、自分で自分がわからなくなってしまう。
遊ぶために働くという考え方もあろうが、これでは働くという部分が楽しみではなくなってしまう。
いわば人生のムダみたいな所があってこそ、人生になるわけで、このムダを享受できる人こそ優雅の条件を持った人といえると思う。
この本には、食事やプレゼントや旅について、それは優雅に語られているのだが、ファッションについて書かれたものが、個人的には非常に感銘を受けた。
たとえば、「夏はファッチャーモ・ロマネーラ(ローマ風にやろう)」というエッセイがよい。
麻が大好きなロマーノ(ローマ人)が、暑い夏でも麻のスーツを涼しげに着て楽しんでいるという話だが、この話が、
麻のスーツはどう着るべきか?
という長年の疑問をすこし晴らしてくれた。
最近は日本でも麻のスーツやらジャケットをよく見かけるが日本は暑くて湿気が多いのでよけいにくしゃくしゃになってしまう。おまけに安もののリネンを使うとほとんどゴミみたいになってしまう。麻のスーツだけは良いものを買うのが良い。そしてこまめにプレスをさせるのである。イタリアのホテルなどでは夜帰って来てプレスに出しておくと翌朝には新品のスーツになって帰ってくる。
プレスをするとほとんど新品になるところが麻の良さで毎日新鮮な気持ちで着られる。しかしものの1時間もするとすぐにシワになってくるのだが高級なものはそれ以上は絶対にシワにならない。安いものだとどんどんシワになってちぢみのゆかたみたいになってしまう。そして1日着たら必ずプレスに出しておくことだ。自分でしても良いが麻のプレスはむずかしいので出した方が良い。このこまめにプレスに出すというのがいやなら麻を着ない方が良い。コットンにすべし。これを徹底的に守っているのがロマーノなのである。
なるほど、こまめにプレスに出すのか!と手を打った、その途端、どこにプレスを出せばよいのか?どんなリネンを選択すべきか?などという次の疑問が生まれてくる。
麻のスーツを優雅に着るには、まだ早すぎる。

¥798
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昨夜は、それほど飲んだというわけではないのに、不覚にも体調が悪くなり、今日は一日ベッドで過ごしている。
その反省というわけではないが、加藤和彦『優雅の条件』を寝転んで読むことに。
加藤和彦さんは、サディスティックミカバンドや、「還ってきたヨッパライ』などで有名だが、最近、自殺して亡くなってしまった。
『優雅の条件』は、ライフスタイルについて書かれた本だが、こんな優雅になった自分というのもなかなか想像がむずかしい。
それほど、加藤和彦さんはカッコ良かった。
生活を楽しむというのは、年中遊んでいることではなく、仕事も楽しみ、遊びも楽しみ、食事などももちろん楽しみ、すべてを自分の意志でもって楽しむということだと思う。そうしないと、何をしているのだか、自分で自分がわからなくなってしまう。
遊ぶために働くという考え方もあろうが、これでは働くという部分が楽しみではなくなってしまう。
いわば人生のムダみたいな所があってこそ、人生になるわけで、このムダを享受できる人こそ優雅の条件を持った人といえると思う。
この本には、食事やプレゼントや旅について、それは優雅に語られているのだが、ファッションについて書かれたものが、個人的には非常に感銘を受けた。
たとえば、「夏はファッチャーモ・ロマネーラ(ローマ風にやろう)」というエッセイがよい。
麻が大好きなロマーノ(ローマ人)が、暑い夏でも麻のスーツを涼しげに着て楽しんでいるという話だが、この話が、
麻のスーツはどう着るべきか?
という長年の疑問をすこし晴らしてくれた。
最近は日本でも麻のスーツやらジャケットをよく見かけるが日本は暑くて湿気が多いのでよけいにくしゃくしゃになってしまう。おまけに安もののリネンを使うとほとんどゴミみたいになってしまう。麻のスーツだけは良いものを買うのが良い。そしてこまめにプレスをさせるのである。イタリアのホテルなどでは夜帰って来てプレスに出しておくと翌朝には新品のスーツになって帰ってくる。
プレスをするとほとんど新品になるところが麻の良さで毎日新鮮な気持ちで着られる。しかしものの1時間もするとすぐにシワになってくるのだが高級なものはそれ以上は絶対にシワにならない。安いものだとどんどんシワになってちぢみのゆかたみたいになってしまう。そして1日着たら必ずプレスに出しておくことだ。自分でしても良いが麻のプレスはむずかしいので出した方が良い。このこまめにプレスに出すというのがいやなら麻を着ない方が良い。コットンにすべし。これを徹底的に守っているのがロマーノなのである。
なるほど、こまめにプレスに出すのか!と手を打った、その途端、どこにプレスを出せばよいのか?どんなリネンを選択すべきか?などという次の疑問が生まれてくる。
麻のスーツを優雅に着るには、まだ早すぎる。
MIDORI 砂漠ラクダノート「腐乱死体を描写する」

いちじく=無花果、じつは大好物です。エロチックだし‥
ヘタをちぎって、指で割れ目を入れ、2つに割ると、淡い乳白色の上に、赤や紫が滲んで、中心が熟れて食べごろになっている。
切断面からは、白い液体が少し溢れてくる。
「いちじくは、人肉の味に似ているらしい」という人もいるが、味はともかく、人の器官のような姿をしている。
皮は剥かずに、皮ごとがぶりとかじる。皮には、わずかに苦みがあって、この果実の淡白さに、控えめなアクセントを加えているから。
食べるのは、赤ワインを飲みながらでもいいし、朝、目覚めたときに、いきなり食べてもよい。
2月11日ブログで、「MIDORI 砂漠ラクダノートの使い方」ということで、
版画家・柄澤齊の挿絵切り抜き(日経の夕刊で連載している小池真理子の小説『無花果の森』に、超絶技法の版画家かつ小説家、柄澤齊が挿絵をしているので、毎回、切り抜きしている)を貼りはじめているのだが、その続報。
4日かけて、無花果が崩れ落ちるまでが描写されている。

その柄澤齊の小説『ロンド』に、「九相詩絵巻」(鎌倉時代13世紀ころ)という絵が登場する。
死体の変化を視て人間の不浄を知り、それによって世俗の情欲を断つための観想を九想詩と言うらしいが、ここにあるパネルのように人が死んで骨となり、土に還るまでの過程を詩で描写したものだ。さっきそれぞれのパネルの前で新死相とか防帳相とか言ったが、あれは九つの詩の、それぞれにつけられた題なんだ
不吉な絵画たちに関連して、いくつもの殺人事件が起こるという恐ろしくかつ知的な小説。
そして死体を描写する筆致は、作者の版画同様、超絶技巧がほどこされている。
たとえば、死んだばかりの「新死相」の書きっぷり。
芽吹いて間もない野原の茂みの中に、白く艶やかな肌の全裸の女が寝ていた。
死後硬直が解けたばかリだろうか。表情は穏やかだが、まだ張りのある皮膚の奥に、死に際に刻まれたものらしい根深い苦悶の痕跡が消えきらずに残っている。
失った生をつかもうとして反り返った指は未練を、流れる水のように若草のあいだを縫って広がる黒髪は、諦めを表しているように思える。柔らかい筆で胡粉を刷いた肌には弾力すら感じられ、凝りつつある血液をたたえた静脈の柔らかな部分に透けて、ぞっとするような肢体の耽美性を強調しているが、それにもまして艶かしいのは、薄く開かれた目蓋の奥で、もはや何ものも映すことのない光を灯した二つの瞳だった。
新聞連載の小説の中の展開とは関係なく、無花果の崩れを描いた一連の挿絵を視て、『ロンド』の「九相詩絵巻」を思い出したのだった。
ロンド/柄澤 斉

¥3,465
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こどもにも哲学はできる?岡田淳『二分間の冒険』
二分間の冒険 (偕成社文庫)/岡田 淳

¥735
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ある日、小学生が、不思議の国のアリスのように、突如、竜の支配する世界に引き込まれる。
その世界では、こどもたちが、竜となぞかけをして闘っている。
竜のなぞかけは難しい。だが、そのなぞに答えられないと、こどもは竜に食われてしまう。
竜は問いかける。
少年たちよ、わたしのなぞにこたえよ。
やみのなかでもそれとわかるが、
光のなかでもそれは見えない。
音はたてぬし、さわれもしない。
どこからくるかはわかっても、
どこへいくかはわからぬもの。
それはなんだ。
バカ息子は、5才の時、この抽象的で、哲学的な物語を理解できたのだから、この語り手の力がすごいということだろう。
「自己」とは?「時間」とは?「真」とは?
哲学の基本が、すんなりとストーリーとして理解されていく。
しかも、竜との戦いは、男の子と女の子がカップルで行う。
なんだか、甘酸っぱい、恋にはもちろん及ばない、淡い小学生の感覚?がオトナにも回想される、必読の書と思う。
フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-9)/ミシェル・トゥルニエ

¥2,940
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で、父親の方は、10年前から読もうと思っていた小説をようやく読み始めた。
大学のころ、和訳の課題で四苦八苦していたミシェル・トゥルニエの『フライデーあるいは太平洋の冥界』
これは、あの『ロビンソー・クルーソー』のトゥルニエ版。
これこそ、オトナの哲学小説。
読んだら、報告しましょう。

¥735
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ある日、小学生が、不思議の国のアリスのように、突如、竜の支配する世界に引き込まれる。
その世界では、こどもたちが、竜となぞかけをして闘っている。
竜のなぞかけは難しい。だが、そのなぞに答えられないと、こどもは竜に食われてしまう。
竜は問いかける。
少年たちよ、わたしのなぞにこたえよ。
やみのなかでもそれとわかるが、
光のなかでもそれは見えない。
音はたてぬし、さわれもしない。
どこからくるかはわかっても、
どこへいくかはわからぬもの。
それはなんだ。
バカ息子は、5才の時、この抽象的で、哲学的な物語を理解できたのだから、この語り手の力がすごいということだろう。
「自己」とは?「時間」とは?「真」とは?
哲学の基本が、すんなりとストーリーとして理解されていく。
しかも、竜との戦いは、男の子と女の子がカップルで行う。
なんだか、甘酸っぱい、恋にはもちろん及ばない、淡い小学生の感覚?がオトナにも回想される、必読の書と思う。
フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-9)/ミシェル・トゥルニエ

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で、父親の方は、10年前から読もうと思っていた小説をようやく読み始めた。
大学のころ、和訳の課題で四苦八苦していたミシェル・トゥルニエの『フライデーあるいは太平洋の冥界』
これは、あの『ロビンソー・クルーソー』のトゥルニエ版。
これこそ、オトナの哲学小説。
読んだら、報告しましょう。
東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』読んで少しクレイジーな気分
クォンタム・ファミリーズ/東 浩紀

¥2,100
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東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』読了。
1971年生まれのこの人は現代思想の論客として有名なのだが、この小説もそんな彼らしい複雑な構成になっている。
こどもがいない男のもとに、娘からメールが届くというのは、11年前彼が書いた『存在論的、郵便的』から引き継いでいるテーマ。
若くして天才と騒がれた彼も、アラフォーとなり、中年太り子持ちの貫禄で、家族の小説をリアルに描けるようになったということか?しかし、この小説は、そのリアルであるはずの世界が現実でいられず、非現実のはずの世界が現実そのものとなるような展開を繰り返していく。
この小説のSF的な世界は、第一部で次のように定義される。
わたしたちの世界のすぐ隣には、無数の並行世界が開け、そしてわたしたちはネットを通じてそれらの世界と繋がっている。
若い記者が、赤毛の女科学者に質問する。
そ、それはこういうことでしょうか。いまのネットは、この世界ではなく、べ、別の世界の、ゆ、夢を見るようになったということでしょうか。
そして彼女は早口で答えました。
「あなたの質問は正確です。それはまさに夢なのです。わたしたちの量子脳もまた、並行世界からのボーア=ペンローズ干渉がなければ意識を生成できません。わたしたち自身が、並行世界を夢見ることでようやくこの現実を認識する、そのような危うい存在なのです。だから同じように、十分に複雑化し量子化したネットワークも、別の夢を見るようになった。それは自然なことです。そして、現在の量子脳計算機科学が教えるところによれば、その夢からは決して、原理的に醒めることはありません」
感動するかどうかは別として、おもしろい、よくこんな設定でっちあげられるなと感心しますよ。
ひさしぶりに『存在論的、郵便的』もひろい読みしてしまいました。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて/東 浩紀

¥2,100
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東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』読了。
1971年生まれのこの人は現代思想の論客として有名なのだが、この小説もそんな彼らしい複雑な構成になっている。
こどもがいない男のもとに、娘からメールが届くというのは、11年前彼が書いた『存在論的、郵便的』から引き継いでいるテーマ。
若くして天才と騒がれた彼も、アラフォーとなり、中年太り子持ちの貫禄で、家族の小説をリアルに描けるようになったということか?しかし、この小説は、そのリアルであるはずの世界が現実でいられず、非現実のはずの世界が現実そのものとなるような展開を繰り返していく。
この小説のSF的な世界は、第一部で次のように定義される。
わたしたちの世界のすぐ隣には、無数の並行世界が開け、そしてわたしたちはネットを通じてそれらの世界と繋がっている。
若い記者が、赤毛の女科学者に質問する。
そ、それはこういうことでしょうか。いまのネットは、この世界ではなく、べ、別の世界の、ゆ、夢を見るようになったということでしょうか。
そして彼女は早口で答えました。
「あなたの質問は正確です。それはまさに夢なのです。わたしたちの量子脳もまた、並行世界からのボーア=ペンローズ干渉がなければ意識を生成できません。わたしたち自身が、並行世界を夢見ることでようやくこの現実を認識する、そのような危うい存在なのです。だから同じように、十分に複雑化し量子化したネットワークも、別の夢を見るようになった。それは自然なことです。そして、現在の量子脳計算機科学が教えるところによれば、その夢からは決して、原理的に醒めることはありません」
感動するかどうかは別として、おもしろい、よくこんな設定でっちあげられるなと感心しますよ。
ひさしぶりに『存在論的、郵便的』もひろい読みしてしまいました。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて/東 浩紀

¥2,100
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変態か?人間の進化か?エンゾ早川『ロードバイク解體新書』
エンゾ・早川のロードバイク解體新書(かいたいしんしょ)/エンゾ早川

¥2,520
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全裸の中年オヤジが、ロードレーサーにまたがる。
公然ワイセツか?パフォーマンスか?発狂か?
男は、ロードバイク原理主義者だ。本気中の本気。
犯行声明も出ている。
多くの先人たちの叡智の結晶として完成したロードバイクという“奇跡の乗りもの”。それにまたがることによって、私たち人間は、“最終的な進化”を遂げることになる。そして、人間は、“できそこないの動物”から百万年のときを経て卒業する。私たちは、そんな時代に生きているのである。
男は、正気だろうか?
おそらく、ロードレーサーにまたがったことのない者には、男が語っていることは、常軌を逸した、錯乱した戯言に聞こえるだろう。
しかし、前貼りでナニは隠しつつ、ほぼ全裸のショットを大半のページに掲載して、この男が語るのは、ロードバイクに乗るものたちにとっては、説得力のある、科学的分析であり、哲学ですらある。
この書に従って、ロードバイクにまたがれば、アウターマッスルに頼り切った現代人は、インナーマッスルを鍛えられ、進化をはじめることになるのだ。
我が社にも、すでにこの書を秘かにカバンに忍ばせ、通勤中にこっそり読んでいるものがいることが確認された。
わたしも昼休みにインドカレーを食し、香ばしいチャイを飲みながら、世を忍んでこの書を紐解いているのである。

¥2,520
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全裸の中年オヤジが、ロードレーサーにまたがる。
公然ワイセツか?パフォーマンスか?発狂か?
男は、ロードバイク原理主義者だ。本気中の本気。
犯行声明も出ている。
多くの先人たちの叡智の結晶として完成したロードバイクという“奇跡の乗りもの”。それにまたがることによって、私たち人間は、“最終的な進化”を遂げることになる。そして、人間は、“できそこないの動物”から百万年のときを経て卒業する。私たちは、そんな時代に生きているのである。
男は、正気だろうか?
おそらく、ロードレーサーにまたがったことのない者には、男が語っていることは、常軌を逸した、錯乱した戯言に聞こえるだろう。
しかし、前貼りでナニは隠しつつ、ほぼ全裸のショットを大半のページに掲載して、この男が語るのは、ロードバイクに乗るものたちにとっては、説得力のある、科学的分析であり、哲学ですらある。
この書に従って、ロードバイクにまたがれば、アウターマッスルに頼り切った現代人は、インナーマッスルを鍛えられ、進化をはじめることになるのだ。
我が社にも、すでにこの書を秘かにカバンに忍ばせ、通勤中にこっそり読んでいるものがいることが確認された。
わたしも昼休みにインドカレーを食し、香ばしいチャイを飲みながら、世を忍んでこの書を紐解いているのである。
丸の内『丸善』に本を買いに行く愉しみ

東京は丸の内の丸善に行くと、かならず良い本に出会う。
良い文具にも出会える。
では、なにが良いのか?
(1)クラッシックな赤煉瓦の東京駅を通り抜けたところにあるから
(2)140周年で、「松丸本舗」が4Fにオープンしたから
(3)大きな文具店もあって、万年筆やらノートやら鑑賞できる
(4)とにかく大量の本が、様々な視点でディスプレーされているから
(5)洋書も充実。オーディオブックもよし
(1)によって、雰囲気・気分がよくなる。
(2)は、松岡正剛編集による、5万冊の本の迷宮。ほかの本屋では、絶対にありえないラインアップに誘惑される。わざと乱雑風に棚に積まれた本は、実は精緻に計算されて、ディスプレーされている。最近の大きな本屋は、新作しかないからつまらないのだが、ここの品揃えは奇跡的と言える。専用のブックカバーもセンスよし。

松丸本舗では、3冊購入。フランスの現代詩の棚で、マラルメとボードレール、それから絶版になったと思っていたら、いつの間に新版がでていた広河隆一『パレスチナ』
センスの良い本屋では、良い本に出会えるというのは間違いない。
本に出会うって、ほんとに異性に出会うのとおなじですよ。
イジチュールまたはエルベノンの狂気/ステファヌ マラルメ

¥1,491
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ボードレール全詩集〈1〉悪の華、漂着物、新・悪の華 (ちくま文庫)/シャルル ボードレール

¥998
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パレスチナ新版 (岩波新書)/広河 隆一

¥819
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MIDORI 砂漠ラクダノートの使い方

東京は丸の内の丸善で、ノート発見。
まじめにノートづくりを考えているMIDORIの「砂漠ラクダノート」

今回、このノートは3種類、展開されている。
(1)のんびり砂漠を歩くラクダ色のクラフト紙
(2)雪原を歩くシロクマのように真っ白なMD用紙
(3)軽快に跳ねるカンガルーのような紙のポケット
(3)のポケットだらけのノートにも誘惑されましたが、(1)をゲット。

それで、使い方は、
12月31日ブログ「無印良品「再生紙週刊誌4コマノート・ミニA5」をどう使う?」で検討していた、版画家・柄澤齊の挿絵切り抜き(日経の夕刊で連載している小池真理子の小説『無花果の森』に、超絶技法の版画家かつ小説家、柄澤齊が挿絵をしているので、毎回、切り抜きしている)を貼ることに。

無印良品「再生紙週刊誌4コマノート・ミニA5」には、やはり大きさがフィットしませんでした。

それで、貼ってみると、こんな感じ‥

絵と絵の間に、スペースがあるので、たとえば、ボードレールの『悪の華』のとびきり暗い詩の部分を抜き出して書き込むとか、いろいろ考えてます。

さよなら桜木町HIPHOPグラフィティー(その19):ディアーナの水浴

気づくと夜は明け、朝の透き通った光が事務所を満たしていた。
探偵は、待合室のソファで眼をまぶしそうに開ける。
三吉鬼は、すでにいなかった。
いや、ほんとうに三吉鬼が居たのかどうかは不明だったが、ただ、テーブルの上には、空になった本物のスカッチのボトルが2本(いつのまに!)と、空のグラスが2つ転がっている。
朝一番の、こんな静謐な空間には、余計な音や光は必要ない。
しかし、うまく目覚めるためには、空っぽの身体にすこしづつ、かすかなノイズを注いでいくことによって、なんとか自分が、もやもやとした無形のものから、自らのカタチを形成し、世の中で立ち上がれるように調整しなければならない。
そんな時に必要なのは、癒しではなく、痛みをともなった純粋なノイズなのだ。
たとえば、アート・リンゼイの『The Subtle Body(O Corpo Sutil) 』

探偵は、この、subtle 曖昧な、とらえがたい、corpo 身体、わたし、存在に、気づき、苦しむ。と同時に、すぐに忘却してしまう。
subtle
sub・tle /sṭl/→
―【形】 (sub・tler; ‐tlest)
1a 微妙な,とらえがたい; 名状しがたい,いわく言いがたい.
a subtle charm 不思議な魅力.
b 〈区別など〉つけにくい,微細な.
a subtle distinction 微細な区別.
2 〈知覚・感覚など〉敏感な,緻密(ちみつ)な.
3 巧みな,巧妙な.
a subtle craftsman 器用な職人.
4 〈溶液など〉薄い; 〈気体など〉薄く広がる.

三吉鬼は、たしかに現れた。
しかし妖怪は身体を持たぬはずだが、いかにして現れるのか?
テオファニー 神の顕現 Theophany, from the Ancient Greek (ἡ) Θεοφάνεια - Τheophaneia[1] (meaning "appearance of God")について考察した書物がある。
ピエール・クロソフスキー『ディアーナの水浴』
とびきりエロい神学だ。
要旨:ディアーナは神々と人間との中間にいるダイモン=守護霊と盟約を結んで、アクタイオーンに顕われる。ダイモンは空気のような身体によって、ディアーナのテオファニーの模像となり、アクタイオーンに女神を所有しようという向こう見ずな欲望と希望を吹きこむ。ダイモンはアクタイオーンの想像となり、ディアーナの鏡となるのである。
ディアーナの水浴/ピエール クロソフスキー

¥2,100
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純潔・処女の女神ディアーナ=アルテミスの水浴を見ようとするアクタイオーン。
ところが、女神はもちろん不可視なのだ。その裸身を見るやいなや、命はない。
アルテミスを面と向かって見つめてはならない。君は彼女の眼差しを浴びて消え失せてしまうだろうから。
無感動な神々を、人間界に媒介するのが、「ダイモン=守護霊」だ。
かれらは、空気のような不死に閉じ込められて、退屈しきっている。
彼は退屈しており、覗き屋なのだ。その気晴らしは、神々にとっても人間にとっても恥ずかしくて屈辱的な情景を目撃することなのである。彼はそのようないやらしさに飽満してしまったあと、気を鎮められ迷いを醒まされることを期待している。だが鎮静は彼の本性に反している。彼が自分の身体によってその不死性だけを分け持っている神々の晴朗さと、人類と共に彼が悩まされる諸情念との間に宙づりになって、彼は絶え間のない動揺しか知らないのである。その身体は不滅であり流動的であるのと同じくらい可塑性に富んでいる、それに、自分の境遇に何の変化ももたらさらず、得るところのないテオファニーのために男神たちに身体を借すのに飽き飽きしているものだから、彼の好みは女神たちに向けられるのだが、彼の唯一の希望は女神たちをして人間相手に身を売るように仕向けることなのである。彼は仲だちとしての自分の役割をそんなふうに解しているわけなのだ。
ダイモンとは、そんなゲスな野郎どもだ。そんな者から身体を、純潔の女神が借りようというのだ。だから話はエロくなる。
彼女はひとから見られることに同意する。もしそれが打ち倒すため、なおも殺すためならば、だが殺しながら、彼女は自分を与えるのだ。ひとが彼女を眼差で穢さんか、彼女は殺すだろう。だが死んでゆきながら、自分を見てしまう者を彼女は歓喜させるだろう。
純潔の女神が、人間に身を与えるだって?処女神が、人間の情動をもつ身体に反映されて身悶えする?まるで団鬼六のエロ小説のようだ。これは神への冒涜にほかならない。

この話のキーワードのひとつは、reflection だ。
reflection
re・flec・tion /rɪflékʃən/→
―【名】
1a 【U】 (光・熱などの)反射; (音などの)反響.
b 【C】 (鏡などの)映像,(水などに映った)影.
She stared at her reflection in the mirror. 彼女は鏡に映った自分をじっと見つめた.
c 【C】 よく似た人[言行,思想] 〔of〕.
2 【C】 (状況・事情などの)反映,投影,影響 〔of〕.
3a 【U】 熟考,内省,黙想; 反省,再考; 回想.
on [upon] reflection 熟考のうえ; よく考えてみると.
b 【C】 [しばしば複数形で] (熟考して得た)感想,意見,考え 〔on,upon〕.
4 【C】 非難,とがめだて; 不名誉(のたね), 不面目(となるもの) 〔on,upon〕.
たしかに、自分のことを想像している最中のアクタイオーンを見つめる姿の見えないディアーナは自分自身の身体を夢想している、しかし、彼女がそのかたちをとって自分自身に顕現しようとしているこの身体、それを彼女はアクタイオーンの想像力から借りるのである。ディアーナは別の目に見えるかたちをえらぶこともできた、牝鹿、牝熊、あるいは彼女が自分自身の原理をぜひ表明したいと思うかぎり、アクタイオーンをふるえ上がらせ、彼を近づけずにおいたようなかたちを。しかし正反対だった。女神としてぬかずくに値する彼女は、女としてもまた、一目で神ならぬ男性をのぼせ上がらせる身体において、そうでありたいとのぞむのである。
(1)アクタイオーンはディアーナを夢想する。
このアクタイオーンの想像力、反省=レフレクシオンをダイモン+ディアーナは利用する。
(2)ディアーナは夢想するアクタイオーンの中で、反映=レフレクシオンし、顕現する。
ここでは、「鏡に映し出すこと」と、「内省すること」が、「reflection レフレクシオン」という語で重ね合わされている。
つまり、夢想することのうちには、神・妖怪が顕われることが織りこみずみなのだ。
彼はあてどもなく歩くのではなく、その心的空間の中、洞窟の奥で、<彼女>が泉に身を浸しにやって来るのを待っているのだ。ディアーナとアクタイオーンのあいだには、その神学的不謹慎を開始するダイモンが忍びこみ、そして反省=レフレクシオンのなかに映し出された(レフレシ)ディアーナをこのように横どりするアクタイオーンはすでに、女神の最も内奥の単一性に損傷を加えているのだ、あるいはむしろこの単一性は彼の手をのがれ、そしてダイモンの複雑性がそれに取って換わるのである。
この話は、アクタイオーンとディアーナの成就しない性交に向けて、エロさを増していくのだが、ここらで我らが探偵の物語に戻ろう。
三吉鬼は、夢想する探偵の心的空間を利用し、ダイモン=守護霊を仲介して、探偵の目の前に映し出されたということだ。
桜木町高架下HIPHOPストリートにはダイモンが充溢している。妖怪に会いたければ、ここに来るとよい。

花と蛇〈1〉誘拐の巻 (幻冬舎アウトロー文庫)/団 鬼六

¥680
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