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札幌

前回、雪国について書くつもりが何故か夏目漱石についてになってしまいました。

お酒を呑みながら書いていたので、よくわからなくなってしまったんです。

しかも、その呑んだところが自分で言うのもおかしいのですが、お洒落なんですよ。



あのとき私は札幌にいたんですが、夜暇やなあと思って一人で出かけたんですよ。

札幌の街は深夜でも人が多くて飲み屋がたくさんあります。街並みもネオンも綺麗で、歩いているだけで楽しいし、おいしそうな店がたくさんあるんです。



大通りに面した通りにいい感じに洒落たバーがありました。

扉とかはなく道から店内は丸見え、暗めの店内の奥にカウンターが見え、たくさんの人がお酒をのんでいる魅力的な店でした。店の名前はAVANTIだったと記憶しています。



私はお酒が好きで好きでたまらないような男ですので、店員さんと話しつつブログも更新しつつとても楽しい時間を過ごしました。お客さんが多くいたので気づきませんでしたが3時を回っていました。

生意気なことを言いますが、お酒の味はとびきり美味しいとは感じませんでしたが、とても楽しい時間でした。久しぶりに気持ち良く酔いました。



せっかく遠くに来て贅沢をしているのだし、旅の要素が入った感想文でも書くかと思ったのがきっかけでした。

川端康成雪国1

川端康成の『雪国』についての読書感想文を書きます。

この小説については、ストーリー的に思ったことは何もありません。
ですので、今まで私がいくつかの作品で試みたような馬鹿げた解釈はできません。
ですが、何度も繰り返し読みたいと思えるような魅力がこの小説にはあります。
だから今回はこの作品を好きな個人的な理由のみを書くことにします。
ぜひ読んでください。まだ読んでない方には読んでほしいと心から思います。



綺麗でわかりやすい文書を書きたいと私は常々思ってきましたが、どうも私にはできません。
今まで少ないながらも文章を読んできました私は、流麗な文章、力強い文章に出会うと、それに強く惹きつけられ、それを真似てみたいと思ってきました。
何度も何度もその文章を読んだり、その文についてを何も知らない友人に、その魅力を、迷惑だと思いながらも語ったりしてきました。




そのような私にとって最も好きな文を書いてくれるのは、夏目漱石でした。
則天去私という信念で知られるように彼の文章は透明であると形容されますが、私も先に漱石の『こころ』を読んだ時にはそのような思いも抱きました。
しかしそれだけではなく、私の印象を包み隠さず言えば、簡潔で、物足りなさすら感じてしまうような彼の文章の中にはいくつかの情緒があると感じました。
そして、その簡潔さの中に分かりやすさ、透明感、格好良さを感じ、情緒の中には私が思う明治特有の洒落た感じや、土臭さみたいなもの感じました。
「土臭さ」というと透明感と相反する概念のように思えますが、それらが上手くマッチしているところが心地よいと感じます。



これは、説明できませんが私個人の観念では、夏目漱石の作品は一言でいえばラムネ瓶やビール瓶などのような、複数の色のついたガラスの瓶のような印象を受けます。
意味が分からないとは思いますが、透明で無機質ながらも、どこか昔ながらの趣や庶民派と感じさせてくれるよう瓶類を思い浮かべます。
これに私は懐かしさを感じ、それゆえ漱石の書く物語に惹きつけられるのでしょう。



とまあ、こんなところが私が漱石の書く文章をすきな理由です。




バカの壁

非常に今更ですが、養老孟司さんのバカの壁を読んだので、その感想文を書きます。


この本は第一章のはじめの3ページによい事が書いてあると思います。
その内容は
「知るということはそんなに単純なものではない。知っているという思い込みは危険だ。」
ざっとこんな感じです。
あとのお話は、この言葉をそっくり養老さんに返すような内容になっています。


まずこの本は、テーマとして一貫したものがないと思います。
脳というものがキーワードになっているんだと思いますが、そのキーワードにかこつけて話が次々に飛びます。
脳や意識という観点から現代社会の矛盾や、宗教ほか色々を解明します。という感じなのでしょうか。


その複数ある著者の主張の中には、いくつか成る程と思えるものもありました。
しかし、全体として言えることは、そのように考える根拠が恐ろしい程示されていない。
もしくは、極端な例をもって根拠としようとする。


根拠が曖昧なだけでなく、著者の仮定をあたかも常識のような形でいきなり出してきて、ロクな根拠も示さずに結論に入る。
読んでいて、なぜだ?
どこにそんなこと書いてあった?
と探してしまうような前提がさも事実として紛れ込ませてあります。


私はこういう仮定を置きますよ。
その観点からは、この問題はこのように見えるのではないか?
という風な論調にして欲しかったですね。


前提が単なる思い込みだから、結論も思い込みになる。
著者が冒頭3ページで述べたことは、まさに何だったのだろうかという気持ちになってしまいました。