chanyoのブログ
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うーん

私がこれまでずっと疑問を抱き続けていることの一つに宗教があります。
私の母親は私が幼いころ死に、私は今まで伯父と叔母に育てられてきました。
実の子供でない私を本当の家族のように大切に育ててくれたことに、今でも心から感謝しています。


しかし、私は幼いころから叔母に対して持ち続けている疑問がありました。
それは叔母がある宗教に熱心な信仰を持っているということでした。
私は幼いながらに何をもたらしてくれるのかよくわからない、宗教と言うものはなんとなく怪しいという理由から、宗教に少なからず不信感を抱き続けてきました。


しかし、彼女は優しく、また時に厳しく私を育て、私の味方であり続け、一人暮らしをしてからも私を支え続けてくれている自慢の母親です。そう信じて疑ったことはありません。また、自分の頭で考えることができる賢明で、善良な一人の女性だと思っています。
だから彼女の信じているものも否定することはなかったのですが、彼女の信じている宗教を信仰し、不利益を被っている人も私は知っています。叔母もその人も毎日祈りをささげ、特に私の高校受験などが近付くと、私にも祈りをするように勧めました。
尊敬する母の言うことですから私は一抹の疑問を抱きつつも真似をしていました。
そうして、これだけ祈ったのだから大丈夫だと母やその人は言うのです。
高校生くらいの私は宗教と言うものを一種の思考停止状態であると考えていました。


祈って大丈夫なのはおかしい。祈りに何時間もかけるくらいなら、その分勉強した方が絶対にマシだ。
むしろ睡眠を多くとってコンディションを整えた方が試験にはいいだろうと思っているほどでした。
宗教とはこういう風に、自分に自身の持てない弱者がすがるものであるという見下した思いと、母が信じている高尚なものという意識が私の中に常にありました。


大学に受かって、一人暮らしをしてからもこれは私の大きな疑問の一つでした。
その疑問を解決するために、私は街で布教活動をしているあらゆる宗教の方と積極的に話をしてみました。
しかし、帰ってきた返事は、私の疑問を解決するものではなく、ほとんどが現実逃避であるとすら思えました。そんな中の一人に、私を何度もしつこく尋ねてきた宗教がありました。正直興味が薄れていた私は、居留守をしてやり過ごしていましたが、二年ほどたっても一カ月に一度くらいのスパンで私のもとにきました。



私は、鬱陶しいと思いながらも、ここまで訪ねてきたそのしつこさに敬意を表し、また、上に書いたような疑問を全てぶつけて、こいつの目を覚まさせてやるという意気込みで、彼に会い、彼の家でゆっくり話す約束を取り付けました。


当日、夜の十時から彼に導かれ彼の家に行き、ドアを開けたところ中には別に三人の男性がいました。
聞いたところちょうど近所で集まりがあって、その帰りに寄ってもらった仲間だということでした。
私は正直やられたなと思いましたが、いまさら引き下がるわけにはいかず、まあ馬鹿が一人から四人に増えただけだと思いその中に入って行きました。


私は早速、半ばけんか腰で彼らに疑問をぶつけましたし、最初彼らは、私を勧誘しようとしました。お互い他人に云われてすぐに考えを変えるほど、軟い信念ではないので、このやり取りの間にすぐに日付は変更しました。
少し、お互い疲れて来たころからようやく熱が冷め、純粋に相手の気持ちを知りたいと思いました。
なぜ?どんな気持ちでこの宗教を信じたのか?私の疑問をどう考えるか?私は宗教を必要だと思うか?
など純粋な疑問をぶつけ合うことが出来ました。初めて双方、対等な人間として話すことができたのだろうと思います。徐々にお互いの壁がなくなり、納得できるところ、出来ないところ譲れないところも分かってきました。



そのあとも朝まで彼らと話しました。宗教のことだけではなく、これから自分の将来をどうしていきたいか。恋愛や勉強のことなど話し合いました。その中の一人とは今でも交流が続いています。
彼らと私は信仰で交わることはできませんでしたが、対等な人間として裸で自分の気持ちを吐露し合えた中になったと思います。
まとまりはありませんが、寝ます。




















ドリアングレイの肖像

オスカーワイルドの『ドリアングレイの肖像』についての読書感想文を書きます。



とても面白い本でした。いやあ怖いですね。

僕にしては珍しく一日で読んでしまいました。読み終えたときは朝の5時でした。

それほどまでに面白かったんです。




あらすじは、絶世の美少年ドリアンは、容姿が美しいだけでなく純粋無垢な美しい心を持ち、出会った人を虜にしていく。

彼の肖像画を描いた画家のバジルとバジルの友人のヘンリー卿もそんな一人だった。

肖像画に描かれた自らの美しさにドリアンは感嘆するとともに、自らの若さ、美貌が時の流れとともに失われていくことに恐怖を感じた。

ドリアンはその来るべき運命を恐れ、自分の美は永遠に、代わりに肖像が自分の醜さを全て負ってくれたら良いのにと願う。




その後、人心掌握術に長けたヘンリー卿は純粋無垢なドリアンの心の中に自らの逆説的な思考を植え付け、ドリアンが俗世にまみれ穢れていく姿を楽しむ。

ドリアンは徐々にヘンリー卿の危険な思想に傾倒し、限られた若さ、自らの美を余すところなく発揮し、快楽におぼれ、人を陥れる娯楽と悪徳の日々を送っていた。



しかし、どれほどの月日が経とうと、どれほどの悪徳を重ねようとドリアンは昔のままの美しい姿だった。

だが、彼には他の誰にも見せることのできない秘密があった。

バジルが描いた彼の肖像画は彼が悪事を行う度に醜く変貌し、その姿にドリアンは人知れず絶望していたのだった。







怖い小説ですね。誰にも見せられない秘密、消してしまいたいやましい過去、代償にかなえられた最上の願い。

ドリアンは、肖像の姿に絶望します。悪事などやめてしまえばよいのに、せっかく実現した願いゆえに快楽に身をゆだね悪事を重ねまた肖像は醜くなる。

分かっているけどやめられない。



誰しも犯罪でないにせよ罪を犯したことはあるはずです。意図せず誰かを傷つけてしまったり、なぜ自分はあの時あんなことをしてしまったのだろうという後悔は誰しもあると思います。

僕にだってたくさんあります。

でも、僕を含めて多くの人は、多くのことを忘れてしまっています。

忘れるという行為は、本当に偉大な行為ですね。

忘れることが出来なければ、どれほど罪悪感に襲われることだろうか。

忘れることが出来なくても、思い出さなければいい。見たくない過去には蓋をする。

もう過去のことで今さらどうすることも出来ませんし、一番大切なことは今ですから。

また、罰せられることで、過去の罪を償うこともできます。


いずれにしても、良心の呵責にとらわれない方法はいくつかあると思います。




でもドリアンにはその全てが出来ないんです。

醜い肖像を見ることで自分の悪徳はそれを思い出すよりもより鋭く彼の心に突き刺さる。

自分の悪事のおかげで自分の良心がどんどん犯されていくことが目に見える。

でもそれらは決して消えることはない。

罰せられることもなく、償うこともできない。

自分の過去は一生自分に付きまとう。

彼は、そんな現実に絶望し、最後の最後に私の心に感銘を与えた名言を残します。



「罰せられる事には浄化がある。「神よ我らの罪を赦し給え」の代わりに「罪ゆえに我を打ち給え」という言葉こそ、最も正しき神に対する人間の祈りであるべきだ。」



「(神よ)罪ゆえに我を打ち給え」

これは本当にいい言葉です。

感動しました。今まで読んできた小説の中でもトップに食い込む名言だと思いました。



それほどまでに絶望し、そう思うことこそドリアンに与えられた罰だと思います。

神がいるとすれば、神が人間に与える罰を実行する機能は人間の良心なのだと思います。















困難を乗り切った方法

最近D. カーネギーの道は開けるを買いました。

まだ全部読んではいませんが、その最初の方であった話に、私の昔の経験談がリンクしたので、忘れないうちに書き留めておきます。

もともとこのブログは、私の備忘録としての役割があるので、つつみ隠さず書きます。




その経験をしたのは、まだ私が高校生の時でした。

センター試験の次の日、私は学校でセンターの自己採点を終えて絶望に暮れていました。



私は、中学の頃からろくに勉強をしておらず、定期テストの前に少し勉強をするくらいでした。

そんなこんなで高校受験も失敗し、あまり偏差値が高くない私立の高校に入学しました。



高校に入ってもさぼり癖は治らず、勉強と言ったらテスト前に少し友達とワイワイやるくらいでした。

それでも毎回30番くらいにはなるので、大した危機感もやる気もなく高校三年生になりました。

そして4月の数学の実力テストで、百点満点中1点をとりました。

これにはさすがに傷つきました。

それからは、夏休み一人で地元の小さな図書館にこもって毎日勉強をしていました。

夏休みが明けての模試では、地元の国立大学は余裕のA判定で、高校順位も2位に100点以上の差をつけて堂々の1位になりました。



中学以来そんな成績をとったことがなかった私は天狗になりました。

友達とまたワイワイ勉強し、遊んで、自分の勉強をおろそかにしました。

ちなみに私は、自分の兄弟がみんな世に言う難関校に進学していたので、自分も当然行くのだという妙な自信と言いますか、願望があったのです。




しかし、調子に乗って勉強していない私はセンター試験でこけました。

当然の結果です。当時も思いましたが自業自得で本当に愚かです。

地元の国立には行けそうだが、自分が志望した大学ははっきり言って無理であろうことは明確でした。




地元を離れて世間一般でいう高学歴になりたい。しかし、明らかに無理だ。地元の大学に行けば就職先も良くなく、一生地元で平凡に過ごすことになるかもしれない。

一人暮らしもできないし、兄弟への劣等感もある。

なにより自分が常に行くと決めていた、行きたいと思っていた大学に行けない。

高校受験も失敗して、大学受験も失敗するのか私の人生は一生、第二志望になるんじゃないのか。

第一志望に受験すれば、おそらく100%の確率で落ちる。そうすれば浪人か?浪人したらまたもう一年これを繰り返すのか。周りの友達が、大学に進学する中、私は浪人生と言うニートとほとんど変わらないような身分で、親のすねをかじる惨めで申し訳ない生活をしなければならないのか。

しかも、一年浪人したところで受かる保証なんて全くない。


などなど今にして思えば大袈裟だと思いますが、その時は本当に色々なことを考えて落ち込んでいました。食欲もわいてこず、常にこんなことばかり考えていました。



しかし、2、3日そのような状況が続いた後、なぜか気持ちが晴れやかになりました。

おそらく悩みつくしたのでしょう。悩みの底に到達したのだと思います。

想定できる最悪の事態は全て考えることができました。

しかもそれらを怖がるだけではなく、直視することができました。

その時の私の気持ちは、私はおそらく落ちるかもしれない。落ちたら浪人で惨めだろう。

それでもいい。浪人になっても成功しないかもしれない。その時は地元で適当な職を見つけて働こう。

そうなったら第二の人生だ。つらい仕事でも、味方になってくれる家族はいるし友達もいる。

でも浪人になったら絶対成功させてやろう。

というようなものでした。




じゃあ後は何をするべきか?

確実に落ちると決まったわけではないし、浪人するにしても今勉強しておけばそれは大きな貯金になる。

こう決めて残りの1カ月は、本当にやりこみました。

物理や化学なんかはまだ手を付けていない分野もありましたが、一心不乱にやりました。

あの一カ月の勉強の密度は本当にすさまじいものだったと思います。




結果は不合格でした。

その後自宅で浪人をしましたがあの一カ月と家族や、一緒に浪人した友人達のおかげで、初めての模試では、今までE判定しかとっていなかった志望校でA判定を出し、問題なく受かりました。




一浪しましたが、志望校を下げなかったことに全く後悔はしていません。

むしろ、困難を乗り切ったという初めての経験になったことに感謝しています。

家族や友人にも返しきれない恩があります。



僕の困難を乗り切る方法は、現状を見つめなおすこと、それが起こった際に生じる最悪の事態を考え、それを避けず直視し覚悟をすること。ここまで出来れば後は自然にやることになります。



これがカーネギーの本にも書いてありました。

長くなりましたがこれで終わります。






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