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蟹工船

小林多喜二の蟹工船の読書感想文を書きます。



プロレタリア文学の代表作として名高いこの作品ですが、私はプロレタリアの意味も知らずに、

とりあえず有名だし青空文庫にあるから読むかという心持で読みました。

物語の面白さという点では、正直あまり面白くはなかったですが、過酷な蟹工船での労働環境の様子や、

容赦のないカムサッカの荒波、生具さくおんぼろの船、そこで働く労働者の様子はありありと伝わってきました。

これらは私だけでなくこの小説を読んだ人全員が感じるであろうことだと思います。




プロレタリアとは労働階級に属する人、対してそれらを支配する階級の人をブルジュアと言うそうです。

過去に北海道の僻地などで、お金に困った人や、だまして連れてきた若者を集めて、タコ部屋という施設で強制的に働かせたことがあったと聞きます。

その労働は過酷を極め、労働者たちは劣悪な環境化で奴隷のように働かされ死者も多くでたそうです。

この作品も、カムチャッカの海に浮かぶ蟹工船で、タコ部屋労働を強いられる人々の耐え難い労働と、ついにそれらの労働者が団結し反旗を翻す様が書かれています。




利益を追求するあまり、末端で働く人々を酷使するというのは、やはり資本主義という社会形態の宿命であると言えるのでしょうか。

市場が十分に開拓し尽くされ競合者が増えれば、労働を激化させたり他国を植民地支配し新たな市場を強制的に開拓するか、いずれにせよ行き着く先は弱者からさらに絞りとることになっていくというのは避けられないのですかね。

では、弱者からの搾取も、し終えたら次はどこに行けばよいのでしょうか。




法の規定する範囲内では個々人が己の利益を最大化させるよう動いてもよいという権利を与えてくれる

資本主義はすごいシステムであると思います。

さらにそれが結果的に全体の利益につながっていくというのがさらにすごい。

しかし、長期的に見れば焼畑農業を行っていることと変わらないのかなとかずっと思っていました。

使われる側としては、このような末期の資本主義などたまったものではありません。


蟹工船の船員も耐え切れず一斉にストを起こしました。

その結果、彼らを支配していた監督者は会社から責任をとわれクビになります。

しかし会社は何も損害を受けず、彼に責任を負わせましたが、彼もまた最下層ではないにせよ労働者なのです。

一部の労働者が団結したところでこの会社のヒエラルキー構造はほぼ何も変わらなかったことになります。




一部が団結したところで実際の状況は何も変わらず、ゆえに資本主義という社会はまた新たな農地を探し続けることになるでしょう。

この根底を崩すためには、すべての人が等しく労働者になる共産主義や国が全労働を指揮する社会主義なのでしょうか。

でもそれはいやですね。




山月記

中島敦の山月記についての読書感想文を書きます。


大変面白い物語だと思います。
高校の国語の授業で読んだ方も多いのではないでしょうか。
私もその1人で、当時もなんとなく面白いなあと思いましたが、今になって読むとさらによく分かりました。



虎になってしまった李徴は、エリート街道を進んでいたがその有能さゆえに周りを見下し、自分の新たな可能性を信じ、自らエリート街道を離れ詩人として後世に名を残す道を目指す。


詩作りに励むために人里離れた山奥に住み、誰からも教えを請うことなく独力で詩を作る毎日を送る。
しかし、詩人としては大成せずに生活に苦しみ、仕方なく出世からは無縁の地方の役人に舞い戻るが、かつて見下していた同輩は、既に皆出世している。
李徴の自尊心は傷付き、耐えきれず彼は狂い虎になってしまった。


特定の師を持たず己の才能のみを信じた李徴は、自分が臆病な自尊心と尊大な羞恥心に囚われていたと振り返ります。


私にはこの気持ちがよくわかります。

教えを乞うのは立場上、自分が多かれ少なかれその教示者に対して下手に出ねばならず、さらに自分の無知をその人に晒すことになる。
こういうわけで、教えてもらうというのは割と勇気がいると思います。


その勇気がなくて半ば仕方なく独学する人には、独力で成し遂げたということに関して、多少の自信といいますかプライドのようなものがある人もいると思います。
そのプライドに加え、実は自分が人にものを聞けないような臆病者であるという劣等感から他人を見下し、孤立を高めていく人がいるというのも私にはすごくよく分かります。
これぞまさに李徴の言う、臆病な自尊心と尊大な羞恥心なのでしょう。




私はまさにこれでした。
今は少しマシになりましたが。
臆病心から人に聞けなかったのです。
自分でなんとか解決して自分を有能だと思い込み、周りを見下すことも心の中で少しやっていました。
でも、プライドを捨てることもプライドがいるということは分かっていました。
なんでも1人で乗り越えられるような人はそんなにいません。


勇気を持って自分を見返せば、ただの臆病者です。
これが分かってから、私はとても楽になりました。




でも、自力で問題を解決するということを否定するわけではありません。

自力でやるというのはとても立派なことです。

でも一人で悩んでいてもどうにもならないこともあるし、自分よりも経験豊富な人や、知識を持っている人も周りを見返せばいるかもしれませんし、人に相談するたったそれだけで楽になるということもあるのです。




もちろん勇気が要ります。

でも本気で打ち明ければ、友人はみんな親身になって考えてくれるものです。

人に相談することによって自分の立場を整理することもできますし、意外な見識を与えてくれることもあります。

そういう友人や師を持っていることは本当に幸せなことだと思います。




当たり前のことですが、悩んでいるときは大抵視野がせまくなっているので、友人や師の偉大さについてはしばしば思い出すべきものであると日々感じます。

この小説で、その大切さを改めて思い返すことができたような気がします。



大学受験で備わる能力

私は塾講師のアルバイトをしています。わりと長くやってきましたが、色々な発見や考えさせられる事があって楽しく今でもやらせていただいています。

考えたことの一つを忘れないうちにここに書きます。




大学受験の勉強は実際その後生きていく上でたいして必要にならない、あんなもので学生の頭の良さを計ることはできない、よって試験制度を変えるべきだ。

というような批判を多くの人が耳にしたのではないのでしょうか。

これらの批判はたしかに一理あると思いますが、私は現行の試験制度はなかなかいいのではないかと思っています。




その理由は、科目の知識はたしかに直接的な役には立たないでしょうが、全科目、国立、私立、理系文系関係なく、受験勉強全体を通してその後の人生にもきっと役に立つ能力が備わると思うからです。

その能力は計画性、自律性、逆境に耐える力だと思います。

この中でも今回は計画性に絞って少し私の思うところを書きます。




計画性は受験にもその後にも絶対に重要です。

受験に関して言えば、おそらく最重要能力の一つであると私は思います。これは私自身の経験からも、何人かの受験生を見てきた経験からも言えます。

受験生は計画を立てることを基本的に嫌います。本番が近付くにつれ相談に乗ってあげないと計画を立てようとしなくなります。

これは何故かと考えてみましたが、計画を立てるためには最終的な目標と、現在の自分の学力をまずしっかり把握しなければならないということが大きな原因の一つではないかなと思います。

目標とする将来と現在の力のギャップをもろに痛感してしまいますから。

本当は薄々そのギャップに気付いているのでしょうが、いざスケジュールというものに表わしてみると一気にリアルになってそれを見るのが嫌なのではないかなと考えます。

一心不乱に問題集をやっているときはまだ楽なんです。それをスケジュールという形で文面に起こして見るのは本当に怖いことです。




でも、計画を立てれば、そのギャップが分かりますし、それが分かったところで初めて、自分が今本当にやるべきことは何なのかがわかり学習の効率は上がります。

迷路に似ているといると思います。

複雑な建物内で迷った時、むやみやたらと直感で進むのも面白いと思いますが、現在地と目的地が分かる地図があればそれは便利です。

計画性はさらにこの地図上に、最適な経路を計画することに似ていると感じます。

経路を決めれば、後は進めば良いですが、こまめに地図をチェックしていないと最初に決めた経路から逸れていきますし、しかも進んでみて初めて分かることもあるでしょうから定期的にチェックした方がいいなと思います。

これを繰り返せば、どれだけ経路からずれたのかということと、目的位置から、無理のなく時間内に目的地に到達できるような計画が出来るようになっていくのではないのかなとか思ったりします。