笑顔でつながるHappyらいふ -8ページ目

笑顔でつながるHappyらいふ

先天性食道閉鎖症の息子からもらった「贈り物」を大切にしたいと思ったアラフィフ目前母さんのあれこれ

こんばんは音符

 

親子の宝物に気づき
幸せなライフワークを実現する

ハンデをもつ子のママ専門
ナビゲーターの

鈴木知美です



気がつけば
再スタートしてから
1週間

続けてこられました!!14




これまで
ブログを書いてきたことは
あったけど

1週間続けて投稿できたのは
初めてです

嬉しい音譜


そして
1週間やってみて

今日のスケジュール内で
どこの時間を使って書こうかな

って考えている私がいました~



・・・って書くと
きっちりやっているように
見えるかもしれません。



実は
書き始めて
途中で詰まって
目を閉じたら



!!!!!



20時45分時計

ということも
ありました。



ギリギリガールの私も
さすがに焦りましたあせ①



体裁は
後から整えたものの

21時前には最後まで書き終え
投稿完了ビックリマーク



15分で書くなんて
できなーいギザギザ

って思っていたけど

それは思い込みだったんですねひらめき



こんな調子で
ちょっと胃がキリっとしてるけど(笑)

いい緊張感をもって
生活できるようになりました。




次の1週間後には
何を感じているのだろうか・・・

自分のことながら
ワクワクしています♪



さてさて
昨日予告した思い込みの話。



それは



私は

絵を描くのが苦手もやもや

って思っていること。



でも
かんたんなイライストを

スイスイ~っと

描いてみたい。



そんな願望が
いつの頃からか
ずーっと。



クラフトをしていた時は
特に強く思ってました。


絵を描けるって
強いよなぁキラキラ

って。



ものづくりは大好きだけど

それは

デザインされたものを
形に仕上げるところ。



自分でゼロからデザインして
いろいろなテクニックで表現する



できない

って思っていました。





あるイラスト系のセミナーに
参加した時に

苦手のスタートが
いつからなのか
さかのぼってみたことが
ありました。



そうすると
小学生の時に
思い当たるエピソードが・・・




それは
ある年の展覧会


250mlの空き缶を芯にして
紙粘土で動物を造形。



私は
その時飼っていた猫を
作ることに。



肩からお尻にかけての曲線が


リアルにできた!!!


と、

会心の作


だったものの
賞の札はつかずshokopon
 ↑
当時は金賞・銀賞など
審査がありました。



誰からも
ほめる・ねぎらう言葉を
かけてもらえなかったのが

幼心に傷ついていたみたい。




写真も残っていなく
実際どんな作品だったのかは
覚えてないのですが・・・汗



しかも
表現が薄い子どもだったので


すっごくいい感じにできたことを
心の中で飛び跳ねていたことも


それを誰からも評価されず
ひそかに傷ついていたことも


周りの人は
気づいてなかったのでしょう。





以来
創作的なことは

うまくない
=できない
=苦手


と思い続けているみたい。



私は苦手だから


そう
無意識のうちに
刷りこんできてきてました。





でも
よくよく考えてみれば



「できない」
って思っているけど



物理的に
できるかできないか
と言ったら


「できる」


でも


「できない」

って思っている。



つまり
思い込みってこと。




この

「できない」



もう少し掘っていくと

「上手にできない」

って思っている。



じゃあ

「上手にできない」

を掘っていくと
どうなるか。



「自分が思った通りに
 できない」

とか

「思った通りにできたとしても
 ほめてもらえない」

って思っている。





さらに掘ると

「思った通りにできた
 うまい!」

と思ったものが

周りの人にほめてもらえないと

傷ついちゃう




だから

「苦手」

と言って
予防線を張って
傷つかないように
していた
んだなぁ。



そんなことを
今では考えています。




可もなく不可もなく
平々凡々な
私も



ほめてもらいたいって
思っていたんだなぁ


そう思ったら
40年近く前の自分が

愛おしくなっちゃった。





そして、今の私。

不細工だろうと
なんだろうと
出しちゃっています。


そんな自分にも
OKを出せるように

ようやく最近なりました。





あ、でも

見苦しかったら
教えてくださーいメガホン


取り下げますaya





小学校でのエピソードは
あと1つ

明日の21:00に♪

 

こんばんは音符

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鈴木知美です



昨日の投稿

Facebookでシェアをしたら

温かいコメントをいただきましたハート

 

実は書きながら

涙が止まらなくて…涙

 

ようやく書いて

投稿して

シェアして。

 

人の心の温かさに

また号泣してました泣

 

 


今日は再び
本筋に。



義務教育まで【3】では



しつけの厳しかった母は
一方で
身体を動かすのが大好き

だから
遊びも一緒にめいっぱい

姉も私も
どこかしら血を引いている
ことに気づいた


という話でした。




タイトルに使った
「フットワーク」


これは両親共になのかも。

父は車の運転が好きで
どこへ行くにも車車

電車に乗った姿
見たことないかも――――

今ごろ気づきましたひらめき




ここでもう少し
父にも登場してもらいましょう(笑)



父は昭和のサラリーマン。

朝食を一緒に済ましたら
出勤


夜も7時くらいには帰宅て
夕食も一緒に食べていました。



男は仕事
女は家庭

の典型のような家庭だったので

朝夕の食事を
一緒にとってはいたけど



家事をする姿は
ほとんど見たことがありません。



箸の上げ下ろし
は口うるさく言われた

時には叩かれてたなぁ・・・あせ①




あ、
チャーハンは作ってくれて
食べた記憶が・・・

これ以外はない汗



あ、
給食のテーブルクロスを入れる袋を
作ってくれた記憶が・・・



あ、破れた網を
直してくれた記憶が・・・




そうだった

料理は
チャーハンだけだったけど、

ミシンはよくかけていたっけ。



 

 

母は
縫い物とか編み物とか
好んですることはなかったけど

父は
ビデオデッキのカバーを
合皮で作ったりして。



そうそう

父はリタイヤして
私が社会人になってからのこと。

夜中にお風呂に入ったら
湯船に三又になっている
木の枝が入ってて

何か効能のある木なのかな
と思いながら入ったら

次の日
釣りに使うタモ(網)の
枠になっていることもshokopon



家の中でじっと

折り紙したり
本の付録を組み立てたり
ぬり絵をしたり

作ることが大好きだったのは
父親ゆずり。



フットワーク軽く出かけるけど
家から一歩も出ないで
ものづくりしている時間も

大好き。




そんな調子なので




近所の幼なじみで
ゴレンジャーごっこをすると

モモレンジャーでも不満無し


鬼ごっこのようなことをすると

おみそでもニコニコ


自転車に乗って出かけると

母の後ろに乗って楽ちん移動



のん気な性格で

可もなく不可もなく
幼少時代は過ぎていきます。



そんな私ですが
小学生の時の
ある出来事がきっかけで

私はずーーーーと思い込んでる
ことが1つ


それはまた明日
21:00

 


こんばんは音符

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鈴木知美です



今日は成り行きではなく

最初から

さかのぼりの話とは別の話です。




・・・と言っても
全く関係ない話ではなく

さかのぼりでは
後に登場するお友だちの話。




10月16日

過去11年で
雨が降ったのは2回くらい。

晴れ晴れが多い日です。



なぜ天気のことを
覚えているかというと


毎年空を見上げている、
一生忘れることのない日だから。



ムスコが大人以外で
はじめてツーショットを撮った

とっても可愛らしいお友だち
Nちゃんの命日。




11年前の今日まで

私の親きょうだい
そして
夫も健在で

身近な存在との永遠の別れを
経験したことが
ありませんでした。




Nちゃんは病院暮らしの同志。

203号室のちいさな仲間たちは
我が子のように
毎日の成長が嬉しく

病院ではあるけれど
和気あいあいと
過ごしていました。




5日前に手術をして
ICUにいたムスコ
Nちゃんも体調が芳しくなくて
ICUにいた10月15日


二人に
「また明日ね」
って声をかけて帰りました。




あくる朝、ママから

Nちゃんが天国に旅立ったことを
知らせてもらったときは


え?
嘘でしょ?


って。



だって
ICUにはいたけど
落ち着いていたよね


って。



信じられないけど

何か言葉をかけなきゃ
って

返信しました。




それでも
信じられなくて

面会時間に病院へ行って

Nちゃんがいたベッドが
空いているの見て

ようやく
現実だとわかりました。




悲しくて
悲しくて
悲しくて




でも
ママとパパの悲しみは
誰にも想像しても
想像しきれないくらいのもの
だったと思います。




そう思うと

知らせを受けた時
何か言葉をかけなきゃ
と思って返信した
メッセージは

傷つけてしまう言葉だったと
後から気づきました。



そこで必要だったのは
励ましではなかったんだよね。




そんな私でも
10年経っても
つき合っていただいてる
Nちゃんのご家族に感謝です。

どうもありがとうハート




そして
この時の「死」に
「生」を
強く意識させてもらいました。




そんな大切な日だというのに...

だんだん雑な生き方になっていたなぁ

と。


Nちゃん思い出させてくれて
どうもありがとうハート

 

明日は通常モードに戻ります。

(義務教育まで【4】~外も好き。でも家の中も好き)

21:00

こんばんは音符

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鈴木知美です



昨日
ブログ再開の振り返りを
書いていたら

長ーくなってしまったので

急遽予定変更の
「こぼればなし」にテヘ



今日は
本筋に戻ります。



どんな話だったかというと


ゆるーく育つけど
しつけは厳しかった

ということでした。



ちゃんと育てなきゃ



そんな思いが
強かったであろう母。


一方で

身体を思いっきり
動かすのが好きで


幼いころは
木登りはもちろんのこと

鉄橋から
川に飛び込んだり

海に潜って
ウニやサザエをとったりと


男の子に交じっても
引けを取らないくらい

勇ましかったそうです。




だから
姉や私を

いろいろなところへ
連れて行ってくれたり

裏の田んぼで
たくさん遊んでくれました。


男子のクラスメイトは
この

たくましいおばちゃん腕。

と遊ぶのが楽しかったみたい。




おかげさまで
私は
万年色黒に。


中学生になって
バドミントン部に入部して

日焼けが
だんだん落ちてくるまで

地黒だと思っていたくらいでしたaya





運動神経のよさは
姉が


太陽と海が好きな性格は
私が


母の血を引いているなぁ
と思うところです。


あ、あと

フットワークが軽いところもダッシュ


こんな風に
子どもの遊びにつき合う


・・・?


私たちが
つき合わされていたのか?




ま、いずれにしても



遊びも目いっぱいの
母だったので


しつけが厳しくても
窮屈な思いを
あまりしてなかったのかも。



こんな私ですが


実は

家の中で

折り紙したり
本を読んだり
ぬり絵したり

が大好きでもありました。



また明日21:00に♪

こんばんは音符

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鈴木知美です

 

 

昨日までの
振り返りを書いていたら
そこが長くなってしまいましたテヘ

・・・ので
始めて4日目ですが

ちょっと横道にそれますね~

湯気が上がっているうちに
投稿したいので

お許しくださいませ挨拶

 


第1話を始めた時は

幼少期
平々凡々な毎日だったから

割とサクサク
大きくなっちゃいそうな
予感

がしてました。



でも
書き始めると

ああ、そういえば!
とか

これって
こういう意味だったのかな?
とか

私はこう思ってたけど
姉はどう思ってたのだろう?
って



普段は意識していなかったことが
動き始めた感じ。




これまでに

手帳術
とか
モーニングページ
とか
書き出す
とか
アウトプット
とか・・・


見聞きしていたけど

「ものぐさな私」

と自分で名札をつけて
手を動かしていませんでした汗



でも
やってみたら



わおー
そういうことかぁひらめき



って納得。




早くも

こりゃあ
書かない手はないな

とまでに心境の変化。




書くことで
新しい自分


んー
ちょっと違うな・・・

気づいていなかった自分


に出会えるのが
楽しくなってきちゃった音譜





そんな
ものぐさな私が

なんで書くことを決心したのか・・・









自分でもわかりませーん






ズコー滑る





今までだって

やろう!
と決めたり

目標を
書いたり

人に
宣言してみたり

してきた



けど



できなかった。


できなくて
自己嫌悪ガーン


今度こそはと
やってみるけど

またできなくて
自己嫌悪ガーン


それでも
性懲りもなく
やってみるけど

やっぱりね
の結果ガーン


ついには
できる気がしないのに

無理くり
自分に言い聞かせている始末あせ①



悪循環に
どっぷりはまってました渦





ただ漠然と感じているのは


自分の中で

カチッ

と、スイッチが切り替わったこと。



そのきっかけが何だったのか

このブログを書き続けていたら
きっと見えてくるに違いないビックリマーク


そう思っています。



そして

これまで
たくさんの人と出会っていて

それが
スイッチの切り替わりに
大きな影響をもらっていることも

間違いないビックリマーク

そう思っています。



出会った皆さま
どうもありがとうございます
キラキラ






ちょっと振り返りを・・・

と思ったら

長くなっちゃった汗



私の幼少期の話は

また明日にすることにしますね!

 

21:00ピンク音符

 


こんばんは音符

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鈴木知美です



昨日から私のさかのぼりが
無事スタートしました!!14



父や親せきからの
期待をはずしての

女の子ガックリ・・・


次女でもあったし

唯一のじじばばだった
父方の祖母にとっては

6番目の孫

なので

普通の出来事だったでしょう
たぶんね。



名前も

の時は

祖母が好きだった
歌手の名前をいただいたそうで

 

嫁に決定権無し。


 

母の甥っ子から
一文字もらったそう。

嫁にも決定権が
与えられたようです。




記憶があるのは3歳頃かなぁ

写真があるから
そう思っているだけ!?


写真を見ると

おかっぱ頭
髪の毛は直毛で
茶色

パッと見
ハーフの子のような感じで


小さいころは
かわいかったよね~



と、よく姉と話しています。



でもね



ニッコリ笑顔からは
味噌っ歯がのぞいている

という・・・あせ①





3歳児検診の時だかに
親子ともに虫歯がなく

表彰状をいただいたのが
飾ってあったっけキラキラ



それなのに
味噌っ歯



「2人目だからね~」

って近所のおばちゃんたちと
よく話していたのを
耳にしていました。





そんなんだから

ゆるーく

育てられてきたかと思いきや



結構しつけが厳しい両親でした。




朝起きてから
夜寝るまで


こと細かに
あれこれ決めごとが
ありました。



やってないと
ひっぱたかれることも。


「外に出てなさい怒る
って怒られて

家に入れないでいたら

托鉢の虚無僧がやってきて
怖くて怖くて

必死に

「ごめんなさーい
 もうしないから
 家に入れてーーーえーん

ってギャン泣きしていた記憶も。




でも
その頃は

そういうものだ

と思っていたのだと思います。




ほめてもらったことも
あったと思うけど

ちょいちょい
怒られていた

という記憶がほとんど。




親になってみて
気づいたのが



子どもの幸せな成長を願って

という思いだけでなく


子どもがちゃんとしてないと
「しつけできない親」

と、周りから
レッテルを貼られないように


という気持ちも
一緒に乗っていたのではないか



ということ。





時代も
叱って育てることに
疑問をもつ人は
少なかったでしょう。


そして
母が置かれていた立場
手伝っていたのではないかな。



というのも

母は山口県の出身で
高校生の時には

両親ともに他界していました。


だから
高校卒業後から

自活スタート

その後
兄を頼って上京して
父と出会いました。



父は八王子出身。

昨日も書いたように
長男で跡取り息子。

しかも
先祖代々

嫁は三多摩出身者

ということだったらしいのです。


だから
実家にあいさつに行ったとき

「どこの馬の骨とも
 わからない者を
 嫁としては認めない」

と言われ

持って行った菓子折りも
受け取ってもらえなかったそう涙



それでも
反対を押し切って結婚
 
父ちゃんでかした!!



そんな状況だったので
母の意地もあったのでしょう

子どもはちゃんとしつけなきゃ

という思いが人一倍
強かったのだと思います。




この思い
まともに受けたのが




可もなく不可もなく

平々凡々が続きます。




よし!
三日坊主には
なれた!!

このまま終わるか
三日坊主を返上するか・・・


読んでくださっている
あなたの力を
貸してくださーい



明日21:00


こんばんは音符

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鈴木知美です



昨日
なぜこのブログを
再開しようと思ったのかを
書きました。



自分の心の中だけでは
サボりたい気持ちが
顔を出すので汗


あちこちの人に
宣言をして
力をお借りすることにチカラコブ


そうしたら


たくさんの人に
応援をいただきました~乙女のトキメキ


嬉しくてうれしくて

ありがとうございます!!11


早くも
小躍りしました小躍り





さてさて今日からが
さかのぼりの
第1話。



ブログを書くにあたって

生まれたころまで
記憶を頼りに
さかのぼってみましたよ





そしたら

なんと!


なんと!!


なんと!!!





幼いころは
泣き虫の
 
あ、これ今も(笑)



おとなしーい子どもでした。



チコちゃんに


ボーっと生きてんじゃ
ねーよ!

(チコちゃんへたっぴでごめんなさいごめん

って言われそうなくらい

平々凡々な毎日を
送ってました。



何かに傷ついたり
嫌だなぁって思ったり
なんで?


って思うことなかったなぁ・・・
(ほとんど記憶なく)




今では

「好奇心が服を着て歩いている」

って言われるくらい
あれやこれやに関心ありすぎて

持て余してるくらいなのに(笑)




だから
割とサクサク
大きくなってからのことに

なっちゃいそうな
予感です。



全然波乱な人生じゃあないから
つまらないかしら・・・あせ①



実はこの平々凡々なのが
社会人になってから
コンプレックスに。


それはまた別のお話。





おっと、
まだ生まれてなかった

話をスタートさせないとね汗




生まれたのは
1971年10月25日
昭島市で生まれました。


2人姉妹の次女


姉が割と小さく生まれ
私は3000gだったので


もしかしたら

男の子?

って思っていたとか
いないとか。



父は
「また女の子か」

と、私の顔も見ずに
仕事へ行っちゃったそうです。



父は長男だったので

自分だけでなく
親戚からも

跡取り息子を
期待されていたんでしょうね・・・




期待はずれからの始まり。

今思えば
気楽にスタートをきれて
むしろラッキーだったのかもひらめき



こんなんですが

引き続き
おつき合いいただけると
嬉しいですピンク音符



ではでは
明日の21:00に...

こんばんは音符

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ハンデをもつ子のママ専門
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鈴木知美です




このブログ
とっくに開設してましたが
書いては放置・・・タラー

でも今日から
再びスタートします。


それは
未来の私を描いたら
いろいろ書きたくなったから。


未来の私はこんな感じ





海好きの私だけに
イメージは海もの(笑)


この未来を描いたのは


川田治さんの「セルフイメージが変わり、ビジネスステージがUPするワークショップ」


実は当日は別の絵だったのカラーパレット

そのイメージを
もっと具体化して
このイメージとなりました。



これについては
追いおい
書いていきますね。



え???
この絵の説明じゃないの?


じゃ、何書くの?

っていうと・・・



これまでの人生を
さかのぼり。



どんなことをしてきて
どんなことを感じてきて

今の私なのか。


自分でも
とっ散らかっていて

わからなーいもやもや



ってこともありました。



今、おぼろげながら
ようやくわかってきた
 ↑
アラフィフにして今ごろかい!


ので、

書いてみることで

もう一押し
自分のことを知りたーい

と思っています。



そして
あっち行ったり
こっち来たりの

私の半世紀。


同じように

とっ散らかっていたり
モヤモヤしていたり

はたまた

自分の生きる道について
立ち止まった考えてみたこと
なかったなぁ

というあなたの

何かきっかけになれたら
嬉しいです。



これから
毎日21時に更新します!!
 ↑

宣言しちゃった( *´艸`)



おつき合いいただけたら
小躍り増し増しで喜びます音譜



どうぞ
よろしくお願いいたしますm(__)m




今日からのブログは

超右脳開花・起業コンサルタントの
宮澤曜子さん(ようちゃん)が

熱くおススメしている

「超右脳開花ブログ」

のカタチ。

詳しくはようちゃんのブログ
読んでねピンク音符



ようちゃんは
私の初めてのマイコーチ。

(そのあたりも追々に)

地元八王子で活躍中の
いろいろな気づきを与えてくれる
大好きな女性です。

そのようちゃんが
熱くおススメするのだから
楽しくないはずがないビックリマーク

そして
好奇心旺盛なワタクシが
その話に乗らないはずがない!!

ということで

ワクワク
ドキドキハート

始めます。


改めて
よろしくお願いいたします。

「子どものことを優先するのは当たり前だけど
私だって好きなテニスを思いっきりしたいな」

 

日曜の早朝

テニスの試合に出かける

ダンナの背中に向かって

心の中でつぶやいていませんか?

 

実は私もそうでした。

 

子どもの病気とつき合っていくには

自分のことはさておき

やることがある。

 

(病気の子じゃなくても

ママは自分を

後回しにしがちよね)

 

栄養注入の時間管理

薬の管理

状態の観察
緊急時の対応

 ・
 ・

 ・

ダンナは仕事があるから
家を離れられるけど

私は離れられない。

 

私だって一人の時間が欲しいよ!!

でもそれって、病気の子がいるのに
我がままなのかな…

 

 

そんな風に思ってました。

でもある時
あるコミュニティに参加して

私の考えは変わりました。

 

ママが笑顔になれば

家族も笑顔になる

 

 

そう思ったら

気持ちも軽くなったし
 

自分の時間を持ったっていいじゃない。

むしろ持つべき!

 

と思うようになって

色々なことに

チャレンジするようになりました。

そして息子の病気を

「仕方ない」

ではなく、むしろ

「感謝」

と思えるようになったのです。



だから

話すことから始めませんか?


そして、大好きなテニスをしても

罪悪感を持たず、

むしろ

家族に感謝しながら

笑顔で暮らしましょう♪

 



これから
子どもの病気のことや
自分のことをおしゃべりする会

企画していきます。


楽しみに待っていてくださいね♪
 

あわわわわ・・・・・あせる

10か月も放置してました。

この間どなたかメッセージをくださっていたようですが、

ごめんなさいお願い

消えちゃってましたえーん

***************


「医療や幼稚園、保育園の

受け入れが整ってきても、

親の心配は

変わらずあるのよね」

先輩ママの言葉に

改めて気持ちを強くした1日でした。


今日は東京、神奈川で活動している

心臓病児のための

保育グループが集まりました。
 

年に一度の四園交流会。

それぞれの園の状況を話し、

子ども、ママたちの交流の場です。


私もこじか園のOBとして

参加してきました。


創設から40年の歴史のある各園。

希望や要望は

その時々の医療の状況、

制度によって変化してきました。


保育園や幼稚園に入りたくても

受け入れがないことからスタートした

これらのグループ。


 

当時は

就学前の年齢までの子たちが

多かったそうです。

今では

手術をできる年齢が下がったり、

保育園・幼稚園への

入園のハードルが下がりました。


そのため、

在園している子どもたちは

1~3歳と低年齢になっています。


では、お役目は終了か、

というと、そうではありません。


最後の手術を終えたといっても、

何らかの負担がかかる状態だったり、

あえて手術をしないで

心臓の状態とうまく付き合いながらの

生活をしています。


成長したらしたなりの悩みが出てきます。

「この子のこの先の人生」

は、親にとっては変わらない悩み。
(これは、病気か否かに関わらずですね。)


本人のやりたいことを思いっきりさせてあげたい。
でも、心臓への負担を考えると・・・


初期の頃に在園していた子どもはもう30代。

働く形も様々。
様子を見ながら
療養中の人もいます。


そんな

悩みを話し合えたり、

先をゆく先輩の話を聞けたり、

情報交換ができるコミュニティ

なのです。
 

親にとって、なくてはならない

 

そんな場として

これからもずっと必要です。


どの園も

時代や地域の状況に応じて

少しずつ形を変えてきていますが、

 

想いは同じ。
 

それを改めて確認しました。
運営が厳しい中でも、何か道はあるはず。

できることからやってみよう。
一緒に参加した仲間と

そう話しながら帰ってきました。

***************

それぞれの園の様子は

こちらをご覧ください。

こじか園(立川区)

こぐま園(渋
谷区)

こばと園(台東区)

 

横浜こぐま園


随時、入園児募集しています音譜