血と芸のタイガー・アンド・ドラゴン~「国宝」
龍の「血」は、わなないていた。 主人公の立花喜久雄(黒川想矢→吉沢亮)は、まだ年若く、やんちゃ盛りで世間知らずの「龍」だった。 すでに人を惑わせるほどなまめかしい顔立ちをしているのに本人にはその自覚がなく、それが生まれながら背負わされている罪深い宿命を、ことさら危ういものにしていた。 喜久雄の父、権五郎(永瀬正敏)は戦後にのしあがった長崎の侠客、立花組の組長。1964年正月、老舗料亭で組をあげての新年会の真っ最中に敵対する組になぐりこみをかけられ、中学生だったひとり息子の眼前で惨殺されてしまう。 龍に流れている極道の「血」はわななき、打ちのめされ、破れかぶれの復讐も未遂に終わり、ゆき場を失う。 虎の「血」は、泣いていた。 その「血」こそ、世襲によって代々守られてきた正統の証。それなりの精進さえ怠らなければ生涯、後ろ盾となってくれるものだ。 なのになぜ、泣かねばならないのか。 大垣俊介(越山敬達→横浜流星)は、上方歌舞伎の看板役者、花井半二郎(渡辺謙)の御曹司。やがて親の名跡と芸を受けつぐはずの「虎」だった。 俊介と喜久雄は、中学生のころから同じ屋根の下で兄弟のように暮らしていた。 惨劇が起きた立花組の新年会に義理があって出向いていた半二郎は、そこで座興に披露された歌舞伎「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」の遊女墨染に扮した喜久雄の立ち居ふるまいを見て女形の素質を見抜いていた。天涯孤独になると身柄を引きとり、役者見習いの部屋子(へやご)にしたのだ。 部屋子の立場は「実子未満、弟子以上」。名跡の代名詞となるお家芸や芸風を、血縁にこだわらず伝承させるために梨園で編みだされた制度である。 現実の歌舞伎界では、戦前まで養子の世襲は珍しくなかった。 戦後も、喜久雄のモデルといわれる5代目坂東玉三郎は料亭を営む家に生まれ、部屋子から養子になり、大看板にとどまらず人間国宝にまでなりおおせている。 実子の「虎」と部屋子の「龍」は分けへだてなく育てられた。競いあうように稽古に打ちこんだふたりは、1970年代の上方歌舞伎に、ういういしい華やぎをもたらす新星ともてはやされることになる。 ふたりは、たがいに引力をおよぼしあい共通の重心のまわりを公転している双子星(連星)のように、人気も力量も拮抗しているライバルだった。 ところが、引力の均衡が崩壊した双子星が別べつの天体になってしまうように、ふたりの絆は、あっけなくほどけて離ればなれになってしまう。 このとき、虎の「血」は、みずからを呪いながら号泣していた。 この世に生まれてきたこと自体が災厄であるかのように。 ふたりの庇護者であった父、半二郎は、実子の俊介よりも、非業の死をとげた極道の血をひく喜久雄を後継者と意識するようになり、自身の当たり役だった「曽根崎心中」のお初の代役をまかせた。 虎は、龍の非凡な芸に手が届かない己のふがいなさと、才能の無期限の保証書にならない血の不条理を嘆くほかなかったのである。 しかし、喜久雄にしても、代役の舞台に立つ前には「守ってくれる血ぃが俺にはないねん……」と孤独な心情を絞りだすように吐露しながら身震いを止められなくなっていた。 だから喜久雄は、神仏ではなく、「悪魔」にすがるほかなかった。 魂とひきかえに、芸に鬼神を乗りうつらせる取りひきをしたのである。 龍の「血」は、あらゆる固定観念を木っ端みじんにする狂気を宿らせ、その芸は、時を重ねると凡俗の人びとをひれ伏させる、すさまじい光彩を放つようになった。 もはや、だれからも守られなくてもいいと開き直れるほどに。 フランス人の撮影監督、ソフィアン・エル・ファニは、歌舞伎の様式美の内側でからまりあう龍の狂気と虎の悲嘆がカタルシスへ昇華する色合いを鮮やかに空中へ浮きあがらせる。 芸と血のタイガー・アンド・ドラゴン。舞台から退場するときの花道は、あらゆる生あるものの息の根をとめてしまうほど美しすぎる地獄へと通じているはずだ。《2025年/原作:吉田修一「国宝」(朝日新聞出版)/監督:李相日/脚本:奥寺佐渡子/撮影:ソフィアン・エル・ファニ/美術:種田陽平/音楽:原摩利彦/出演:吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、寺島しのぶ、永瀬正敏、高畑充希、森七菜、宮澤エマ、田中泯、中村鴈治郎、嶋田久作、三浦貴大、見上愛、瀧内公美、黒川想矢、越山敬達》国宝上青春篇 (朝日文庫)Amazon(アマゾン)国宝下花道篇 (朝日文庫)Amazon(アマゾン)フラガールスタンダード・エディション [DVD]Amazon(アマゾン)悪人 スタンダード・エディション [DVD]Amazon(アマゾン)【DVD】『許されざる者』/監督:李相日 出演:渡辺謙 柄本明 柳楽優弥 忽那汐里 小池栄子Amazon(アマゾン)怒り 豪華版(Blu-ray Disc)/渡辺謙,森山未來,松山ケンイチ,リ・サンイル[李相日](監督、脚本),吉田修一(原作),坂本Amazon(アマゾン)