千石剛賢(たけよし:1923~2001)に率いられたキリスト教信仰集団「イエスの方舟」は、1970年代後半まで、東京で26人の会員がつましく共同生活しながら聖書研究に没頭していた。

 ところが、悲嘆にくれた母親の手記が、「方舟」を唐突に不穏なバッシングの渦中に投げこんだのだった。

 79年の暮れ、「千石イエスよ、わが娘を返せ」と題して「婦人公論」に掲載されたその手記は、こつぜんと失踪したわが娘が「方舟」に監禁されており、「方舟」は奪回されまいとして、かどわかした女たちを道連れにして逃亡していると訴えかけていたのだ。

 これが発端となり、マスコミはこぞって憶測だけを頼りに好奇心ありきの糾弾キャンペーンをヒートアップさせた。

 福岡にたどりつくまでの2年余り、「方舟」は全国を転々と流浪していたが、結局、「方舟」に接触して会員たちを密かにかくまい、千石の独占会見記をものにした「サンデー毎日」のスクープでついに真相が明らかになり、国民的な集団妄想と化した忌まわしい誤解が解けたのだった。

 

      千石剛賢(左端)
 

 つまり真相は、悩める娘たちは、親元にいては到底望めない安息を手放したくなかったので、千石が難色を示したのにもかまわず、みずからの意志を押し通して「方舟」に居ついてしまっていたのだった。

 これが昭和の宗教スキャンダル史に刻まれた、「方舟」の、いわれなき受難漂流の顛末である。

 「方舟」は、税制上優遇されている宗教法人(教義を広め,儀式行事を行い,信者を教化育成することを主たる目的とする団体,つまり「宗教団体」が、認証をへて法人格を取得したもの:文化庁の定義)ではない。

 だれからも「おっちゃん」と呼ばれていた千石の立場も「教祖」ではない。

 17年前に、私が福岡で取材した古参の会員は、「たいがいの宗教団体はピラミッド型の組織だけど、『方舟』は、おっちゃんを中心とした円環型になっている」と語っていた。

 恒星の周りを、いくつもの惑星が同じ平面上にある同心円軌道を公転する天体の仕組みが思い浮かんだ。

 サンデー毎日で「方舟」の極秘取材を担当した、あるジャーナリストは、忍耐強い医師のようだったと千石の印象を記憶していた。

 「自我にまつわる悩みを矢継ぎ早に問いかけてくる会員たちと粘り強く対話を続けながら、『それは、おまえの感受性がええちゅうことや』などと言って悩みそのものを全肯定して、ほめるんです。いい意味で、天性の人たらしの磁力を発している人でした」

 支配しないカリスマ。

 それが、私が取材しながら思い描いた千石の人物像のキーワードだった。

 

 

      「イエスの方舟」の教会=福岡県古賀市(「方舟にのって」より)

 

 兵庫県加西市の豪農の家に生まれた千石は1937年、14歳で京都の呉服屋に丁稚奉公に出てから目まぐるしく転職を繰りかえした。

 飽きっぽくて喧嘩っ早い。生来の短気な性格が災いした、と本人は自著(『父とは誰か、母とは誰か』)で回想している。

 戦中は志願して海軍兵になったが、敗戦で除隊後、帰郷して刃物工場を経営。これも長続きせず、51年につぶしてしまった。

 職探しのために、あてもなく神戸の街をふらついていたとき、たまたまプロテスタントの教会の前を通りかかったのが人生の大いなる転機になった。

 本人の言によれば、「最後には犯罪を起こしてしもうて、親兄弟を泣かすようなことになるかもしれんと、自分の気の短さにすごく怯えていた」千石は、「その教会の前を通ると、教会員がみんなニコニコしてる。こんなにニコニコできるんなら、自分もなりたい」と思い立って門をたたき、たちまち教会通いにのめりこんでいったという。

 

      千石まさ子さん(中央手前、「方舟にのって」より)

 

 翌年、最初の妻と離婚し、「方舟」の現在の責任者になっている千石まさ子さん(91)と再婚すると、大阪で聖書研究会に夫婦で参加するようになった。

 千石らの3家族を中心とした研究会の会員10人は60年に上京。東京都国分寺市に廃材で小屋を建て、「極東キリスト集会」と名乗った。これが「方舟」の母体である。

 「極東キリスト集会」は、まもなく国分寺市内の旧米軍ハウスに引っ越す。

 並んで建てられた3LDK2棟を借りて全員がひとかたまりになって暮らし、聖書の聖句を読み解く集会や子ども向けの日曜学校をリビングルームで開いていた。

 生活資金は、多摩一帯の家々を一軒ずつ訪ね歩いて刃物研ぎの注文をとり、細ぼそと稼いでいた。町工場にあるようなグラインダーを備えつけ、刃物製造の経験がある千石が陣頭に立って研いでいたという。

 私も福岡で10人ほどの会員にインタビューしたが、そのうちのひとりは東京で最初に生活を共にするようになった女性だった。

 高校生のころ、旧米軍ハウスの近所に住んでいた彼女は、なにげなくのぞいてみた日曜学校で「他人のない生活」という未知の体験をして、ユートピアの無期限のパスを手渡されたような感銘を受けたと語っていた。

 「日曜学校で、おっちゃんに『だれとでも仲良くしなさい。それがいちばん大事なことなんだ』と事あるごとに諭され、その言葉にひかれて毎週、通いだしたんです。そのうち週一度では飽き足らなくなって、高校を卒業してから2年ぐらい勤めた会社も辞めて、『方舟』で暮すようになりました」

 「他人がない」とは一体、どういう意味なのか。           =つづく

 

 

 

《2024年/TBS/監督:佐井大紀/ポレポレ東中野(東京)で上映中、シネマスコーレ(名古屋市)、アップリンク京都(京都市)、第七藝術劇場(大阪市)でも近日公開》