【ちょいネタバレあり】

 信州の自然豊かな高原の町に暮らす男は、なにも語ろうとしないのだが、ある「番人」の役回りを心から欲しているようだった。

 つまり、己が虚心のままに身をゆだねている世界、関係しているすべてのものの間で緻密に保たれている「均衡」を常に気にかけ、ぐらついたりしないよう、ぬかりなく目配りせずにはいられないのだ。

 それはそもそも、自分自身が、そのバランスを不安定にさせる種火のようなものを人知れず抱えこんでいたからでもあるらしい。

 

 

 

 まるで、はるかな過去へタイムリープしてきた未来人が、すでに定まっている歴史に干渉してしまうのを避けるため細心の注意をはらって行動するように。

 男の名は巧(たくみ)。本作の主人公だ。

 町は、東京との交通の便もよいことから都会からの移住者も少なからずいて、かろうじて過疎をまぬがれていた。

 祖父の代から住み着いている巧には、花という、小学生のひとり娘がいる。

 連れあいがいる気配はない。

 その理由は、まったく判然とせず、暗示するセリフも映像もない。

 ニュアンスとしては、どうやら先立たれてしまったのではないかと考察したくなるのだが、あくまでも私見である。

 

 

 さまざまな雑用をこなす「便利屋」をなりわいにしている巧は、仕事がなければ森で倒木を拾い、薪にしたり、花をつれて、さらに奥深くへ分け入って獣道を歩いたりしている。

 東京からの移住者で、古民家を改造したうどん屋を営んでいる夫婦に頼まれて、森の恵みのような、清浄そのものの湧き水を汲みにいく場所には陸ワサビが自生していて、ついでに摘んで帰ったりもする。

 寡黙なうえに、ぶっきらぼうな受け答えしかできない無骨な男だが、保護色を身にまとって自然と共生しているような質実な人柄が好感を与えて人望もありそうだ。

 ただ、ひとつ気がかりなのは、放課後、学童保育に預けている花を引きとりに行くのを頻繁に忘れてしまうことだった。

 思い過ごしかも知れないが、無意識に、なにごとかに気をとられているのか、彼には、心がつかの間、肉体から遊離してしまう時間があるようだ。

 そんなことから、緩慢に人を毒するガスが密室に少しずつたまっていくように醸し出される不穏な空気を検知してしまうのだが、これも私見である。

 家にひとりでいるときも、あまりくつろいでいるそぶりがなく、3人そろった家族写真を思いつめた面持ちで見入っている思わせぶりなカットを見せられるので、彼の内面に癒しがたい欠落感が巣食っているようにも印象づけられる。

 彼自身、だれにも知られぬまま、精神の均衡を失わないように歯を食いしばっているのではないかと、微弱な電流ぐらいの嫌な予感が一瞬、背筋を通り過ぎる。

 

 

 

 

 とはいえ町は、なにひとつ波風が立つこともなかったのだが、にわかに騒然となる。

 森を切り開いてグランピング場を建設する話が持ち上がったのだ。

 どうやら東京の芸能プロダクションが、コロナ禍で経営がゆきづまり、国の補助金目当てに始めた新事業らしかった。

 それゆえ待ったなしの開業と収益率にとらわれた計画の内容はずさん極まりなく、一帯の水質を汚染する恐れもあった。

 住民への説明会は案の定、紛糾する。

 芸能プロダクションの担当者は矢つぎばやに責めたてられ、対立の溝が深まるだけで終わりそうな雲ゆきだったが、土壇場で間を取り持ったのが巧だった。

 彼は、そもそも他所者だった自分のルーツを明かしたうえで、計画を持ち帰って練り直すようにうながし、こう言うのだ。

 「バランスが大事なんだ」と。

 エコロジー対コマーシャリズムの対立軸が浮かびあがりかけた人びとの関係は、ここでいったんニュートラルな状態に軟着陸したようにみえる。

 対話の兆しが現れ、利己的な人のふるまいと大いなる自然との和解へみちびかれる希望を抱かせるのだが、その結末で、人間をあいまいに律している善悪の区別など打ち砕かれ、その彼岸へ投げ飛ばされるような衝撃をくらって立ちすくんでしまうだろう。

 その刹那、物語は神話の領域に最接近して、傾きかけた均衡を元にもどす超人的なメカニズムが作動する。

 だからそこには、善も悪も存在しないのだ。

 代償が、死と暴力だったとしても。

 

 

 

 

《2023年/監督・脚本・編集:濱口竜介/音楽:石橋英子/撮影:北川喜雄/美術:布部雅人/編集:山崎梓/出演:大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、田村泰二郎、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人/第80回ベネツィア国際映画祭銀獅子賞》