冒頭の数十秒間、音圧で不安をあおり立てる不気味なサウンドとともに、いきなり目隠しをされるように映しだされる暗黒の画面は、「この映画は耳で見よ」とそそのかすマニフェストだった。

 暗闇がとりはらわれると、主が軍服を身につけている物ものしさに見て見ぬふりをすれば、ありふれたアッパーミドルの家族が、ありきたりの日常をすごすホームドラムが、しばし繰り広げられる。

 末っ子がまだ乳飲み子の5人の子どもたちは、うわべは聞き分けがよく、両親を心から慕っているように見える。

 一家は、うららかな日和の休日に、川遊びのピクニックをしに出かけ、真夏になると、公園さながらの広さを誇る庭につくられたプールに飛びこんで、たわむれる。

 

 

 

 

 だが、悲観したり鬱屈したり失望したりすることを、きれいさっぱり忘れてしまった人びとの絵空事めいた生活は、スクリーン越しの傍観者を、否応なく気もそぞろにさせてしまう邪気のようなものに包みこまれていた。

 脳そのものに無数の這いまわる虫がとりついているむず痒さのような、えたいの知れない空恐ろしさが時空を越えて伝わってくる。

 それは、目に見えている情景とは脈絡もなく聞こえてくる「音」のせいだったのだ。

 絶え間なく響く銃声と愚鈍な家畜をののしるような怒声。昼夜を問わずフル稼働している「処理施設」の燃焼音らしきノイズがくぐもった背景音になり、絶望がほとばしらせる叫び声が不意打ちの合いの手を入れる。

 戦時下の主婦を地上の楽園の住人になったかのように有頂天にさせた家の、ガーデニングの手入れがゆき届いた庭を仕切る塀の向こう側にアウシュヴィッツ強制収容所があることを知っている我われは、ノンストップで気を滅入らせる音響効果によって、ユダヤ人を根絶しようとした、この世の生き地獄を凝視させられるのである。

 初代所長のナチ親衛隊将校、ルドルフ・フェルディナント・ヘス(1901~47)が家族とともに暮らすために建てられたこの家は、転任が付き物の軍人にとっては、いわば仮住まいの官舎にすぎなかったが、妻のヘートヴィヒの考えは違っていた。

 「17歳のころから思い描いていた理想がついにかなった!」と感激を露わにし、最新のセントラルヒーティングを備えた新居の居心地をさらに良くしようと心血を注いでいた。

 

 

 

 

 庭に咲き乱れている花ばなは、彼女が季節ごとに彩りを変えて丹精こめて育てている。

 収容所からは時折、雑役夫が手押し車で布袋に詰めこまれた荷を届けにやって来る。

 中身は、ユダヤ人からはぎ取った高級な衣類や貴金属などで、元もとの持ち主に思いをめぐらせたりしなければ、ビタ1RM(ライヒスマルク=当時のドイツの通貨単位)も払わずにゴージャスに着飾ることもできた。

 だから、所長就任から3年半後、夫のベルリンへの栄転が決まると、彼女は半狂乱になって反発。かたくなに引っ越しを拒んだので、ヘスはやむなく単身赴任したのだった(翌年、ふたたび所長として舞いもどってくるのだが)。

 ホロコーストを遂行するナチ親衛隊は、ポーランド南部のオシフィエンチム郊外にあったアウシュヴィッツ強制収容所群を取りかこむ40平方キロメートルのエリアを「関心領域=The Zone of Interest」と呼んでいた。

 ヘートヴィヒにとっては、高性能なメカを常に最大のパフォーマンスを引きだしながら動かすように完璧に切り盛りできている家の塀の外側は、夫の職場であること以上の興味をひかない「無関心領域」だったはずだ。

 煙突から四六時中、煙を吐き出している処理施設が、なにを燃やしているのかなど、あえて考えなくてもいいことだった。

 工場群らしきその一帯は、巨大な無機質のブラックボックスとして意識の片隅にあったにすぎない。

 しかし、相談もなく夫の転任の話が持ちあがったときの夫婦げんかで、「私たちは『東方生存圏』の先兵の務めを立派に果たしているのだから、出ていく筋合いはない」(正確に覚えていない。まちがっていたら、ごめんなさい)と言いはっているので、不自由のないぜいたくな暮らしを享受できる仕組みは理解していたようである(あくまでも映画のシナリオのうえでの見立てだが)。

 

 

 

 

 「東方生存圏」は、食料や資源を自給できないドイツの富国強兵のためにヒトラーが唱えた思想だ。東ヨーロッパへの領土拡張とゲルマン化によって超大国を築きあげようとする野望であり、ユダヤ人絶滅構想と表裏一体を成すものだった。

 事実、戦前のドイツ経済は急速な軍備増強によって破綻寸前だったが、占領地からとユダヤ人からの非道な収奪で持ち直していた。

 まさに、仁義なき「ならず者国家」だったのだ。

 ユダヤ人は、ほとんど身ぐるみはがされてしまったが、略奪総額は、現在の日本円に換算すると約8兆6千億~約11兆5千億円に達したと試算されている。絶滅収容所では、最後まで隠し持っていた宝石や現金がむしり取られ、死体からは金歯が引っこ抜かれて国庫に納められた。

 アウシュヴィッツのヘス家は、言うなればヒトラーが実体化してしまった、容易に覚めない禁断の悪夢のモデルハウスだった。

 そこで屈託のない家族の団欒が続けられる限り、麻薬中毒のように、第三帝国の不滅の夢想に好きなだけ浸っていられたのである。

 ※……参考文献:小野寺拓也・田野大輔著「検証ナチスは「良いこと」もしたのか?」(岩波ブックレットNo.1080)

 

 

 

《2023年/米・英・ポーランド/原作:マーティン・エイミス著「関心領域」/監督・脚本:ジョナサン・グイレザー/撮影:ウカシュ・ジャル/衣装:マウゴサータ・カルピウク/編集:ポール・ワッツ/音楽:ミカ・レヴィ/音響:ジョニー・バーン、ターン・ウィラーズ/出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー/第96回アカデミー賞[国際長編映画賞・音響賞]、第76回カンヌ国際映画祭[グランプリ・FIPRESCI賞]》