中庭巡り、
お褒めいただいたので、
調子のって番外編。
何で番外編かというと、
中庭に入れなかったからでーす。
閉まってる時間だった。
とても興味あった宮殿だったので、残念。
今まで中庭巡りをしながら歩いてきた
カンポディフィオーリ方面から、大通り、
アレヌーラ通りを渡り、
ゲットー地区へ。
Via di S. Maria de' Calderari
面白い遺跡がある。
チルコ・フラミニオがあったところ。
神殿ね。
また今度、読む。メモ
行きたかったのは、
チェンチ宮
Palazzo Cenci
チェンチ家はローマの由緒ある男爵家で、
1400年頃は、
オルシーニ家やコロンナ家と同じ様に、
力を持っていた家系でした。
政治や商業のライバルだったわけです。
1500年代に、
このゲットー地区にたくさんの家を持っていたんですが、
こないだ書いた、
ベアトリーチェ・チェンチ
の悲しいストーリー、
本当の話。
wikiより 写真を拝借
グイド・レーニ作と伝えられる
『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』
バルベリーニ美術館(国立古典絵画館蔵)
彼女の悲しいストーリーは多くの芸術作品にも題材とされてますが、
実際にベアトリーチェに会って描いたのは、
このグイド・レーニだけだと言われています。
カラヴァッジョも死刑の現場にいたとか、
彼の残忍な絵画に影響されているのかな?
首切るシーンとか。。。
『ホロフェルネスの首を斬るユディト』(1598年 - 1599年)
前年から描き始めてるから、違うか。。。
あと、このターバンは首を斧で落とされるときに
髪の毛が滑らないようにとか。。。
囚人服着てます。
今から死刑だというのに、
この表情。。。
この絵画が、
後のフェルメールの
『真珠の耳飾りの少女』
の構図の参考にされたとか、そうでないとか。
wikiより
オランダの画家もローマの悲しいストーリーを知ってたんですね。
酷いお父さんを郊外の家
(ローマの北、リエーティ近郊の小さな村に「ペトレッラ・デル・サルト要塞」という名前の城)
で殺して、
ローマのテヴェレ川で父親殺しの罪で首を落とされたの。
こないだの幽霊の噂話ね。

1599年、兄弟も義母も、ベアトリーチェと関係があった人も死刑になったんですが、
当時、幼かった弟だけは命は助けられました。
だけど、チェンチ家の財産は全て取り上げられたんです。
その時の教皇はクレメンス8世で、
チェンチ家の財産が欲しくて、
ローマ市民が死刑を反対したにもかかわらず、
死刑を執行したと。
この教皇、アルドブランディーニ家の人です。
哲学者のジョルダーノ・ブルーノも死刑執行してます。
ローマ市民の暴動が起き多数の死傷者が出たことから
市民からの信頼を失くした教皇は、部屋に引き篭もる様になったそう。
グイド・レーニは、
バチカン宮殿の「アルドブランディーニの間」
に作品残してますよね。。。
You Tubeで、beatrice cenciで調べると、
たくさんの映画やドキュメンタリーの動画がでてきました。。。
映画がみてみたかったんだけど、
ちょっとショックなのを一部だけ観てしまった。。。
どよーん。。。
、、、なんか長くなりそうなので、
建物についてはまた調べます。。。
続く。