LOHAS×エコテクノロジー 地球にやさしいブログ -2ページ目

“もったいない”に逆行する“PSE法”

“もったいない”に逆行する“PSE法”


先月、東京・大手町で日本経団連は、「もったいない」運動で世界的に活躍し、昨年ノーベル平和賞を受賞したケニア共和国環境副大臣のワンガリ・マータイ氏を招き、フォーラム「マータイさんと語るMOTTAINAIと自然保護」を開催しました。


マータイ氏は講演の中で、「昨年来日し、何人かの日本人と話した中で、“もったいない”の言葉を知った」、また「地球上の限りある資源を、敬意と感謝を感じつつ有効に活用し、次の世代にも伝えていく環境保護・自然保護活動を進めていくのにふさわしい言葉である」と述べ、最後に、「政府の活動だけに任せるのではなく、私たち一人ひとりが自分の“もったいない”を発見することが、平和な未来とよりよい自然環境を築く」と指摘しました。
 
ところで、最近、国内ではPSE 法(電気用品安全法)の施行が物議をかもしています。PSE法とは、「PSE マーク」がない電気用品の販売が一切禁止になるという法律。これに伴い、従来リサイクルショップなどで販売されてきた、テレビや冷蔵庫、音響機器など259品目の家電製品が、安全性を示す「PSEマーク」が付いていないと4月1日から販売できなくなります。

 

確かに、家電製品の安全性を考慮することは大切なことですが、「販売不振にあえぐ家電業界による何らかの政治的圧力が関係しているのでは?」と疑われるふしもあり、地球資源の枯渇が叫ばれる今日、時代の趨勢に逆行した法律だといわざるを得ません!


人気ブログランキング ←恐縮ですがクリックお願いします。

不思議な水の話

                    滝1   

                             不思議な水の話                     

 

水の研究者で、「水からの伝言」などの著者である江本勝氏は、水の入ったペットボトルに「ありがとう」とか「ばかやろう」と書いた紙を24時間張って、それを氷結させ結晶を顕微鏡で撮影すると、「ありがとう」の水は美しい雪のような結晶へと変わり、「ばかやろう」という紙を張った水は、結晶が壊れてしまったということです。

 

これについて、東京女子医科大学・自然医療研究所の川嶋所長は、「医学的なデータがあるわけではないので明言はできませんが、水には科学では解明されていない不思議な力があり、たとえば、生物には自然治癒力というのが潜在しているが、これも水の影響が何かあるのでは」と語っています。

 

私は、水の力もさることながら、この水に向けた人間の“想い”のエネルギーが影響を与えているのではないかと考えます。つまり、プラスの想いを向ければ、自然治癒力を高める力が水に宿り、マイナスの想いを向ければ逆に生命を弱体化させる方向への力が宿るということです。


そしてそれは、地球自体のエネルギーをも左右する力にも繋がっているのではと考えます。


地球環境問題は人間の問題」つまり、「人間の“想い”が変われば、地球は変わる!まさに今、LOHASな生き方が求められているのです。



人気ブログランキング ←恐縮ですがクリックお願いします。

“ムラ社会人”日本人の強み・弱み

                   “ムラ社会人”日本人の強み、弱み


スズキの筆頭株主である米自動車最大手のゼネラル・モーターズ(GM)が、その保有する20%のスズキの株式を売却する方針を固めたということです。GMは経営不振に伴う大規模なリストラに着手している最中ですが、昨年十月に富士重工業株をトヨタ自動車などに譲渡したのに続き、スズキ株の売却益を財務体質の改善に役立てる考えで、さらに7・9%を出資するいすゞ自動車との資本関係見直しも視野に入れており、自動車業界の新たな再編に発展する可能性が出てきたようです。
 

一方、今やこのGMに肉薄し、次代の世界NO.1の座を狙うのは日本のトヨタ自動車です。同社は、これまでGMと燃料電池車の開発で提携関係を維持してきましたが、先日、その提携契約の期限をむかえ、新たに更新はしないことを発表しました。

 最近の日本経済のデフレ脱却も追い風になって、メーカーを初めとした日本企業の復活を象徴している感があります。

 ところで、「ものづくり大国日本」という言葉がいわれて久しいですが、“ムラ社会”の中で育まれてきた日本人の“気配り・気遣い”の感性は、神経の細やかさや手先の器用さにつながり、ものづくりだけでなく、ホテルやレストランなどでの世界一のサービスの質の高さを生み出してきました。

 したがって、日本人は、その勤勉さや貯蓄意欲の高さなどもあって、今後も“当分の間?”経済大国の地位を急激に失うことはなく、少なくとも「メシの食える国」であり続けることでしょう。

 問題は、「何もないところから、何かを考え出す」企画力や、「深慮遠謀にのっとって、長期的視野にたった」分析力の欠如です。したがって、国際社会の中でリーダーシップを発揮することができず、また汗水たらしてものづくりに励み、販売実績を上げれば上げるほど、特許などの知的財産権をしっかり抑えている米国などに“アガリ”をかっさらわれる構図は変わらないのです。

 

 そういう意味で、今後、日本が将来にわたって、激しい国際競争の中で生き残っていくためにも、「“ムラ社会”をぶっ壊す!」ような個性的な日本人の育成が急務なのです。



人気ブログランキング ←恐縮ですがクリックお願いします。

何か変ダゾ?選抜出場辞退

               何か変ダゾ?選抜出場辞退


                

 

 昨年夏の甲子園で57年ぶりの連覇を果たした駒大苫小牧高校(北海道苫小牧市)の3年生野球部員が、飲酒や喫煙で警察に補導されていたことが2日に発覚。これをうけ3日、同校の校長が記者会見を開き、春の選抜大会出場辞退を発表。出場辞退を伝えられた1、2年生部員70人はショックに泣き崩れたということです。

 

同校野球部は、昨年夏の甲子園優勝後にも、当時の野球部長が暴力問題で謹慎処分を受けたばかりということもあって、世間一般の受け止め方は「当然」というムード。

 

しかし、“自己責任を当然の前提とする欧米先進国社会では、こういう場合、飲酒にしろ、喫煙にしろ、個々の違法行為をした該当者が、個人的に法の裁きを受けることで処理し、責任のない他人には累を及ぼさないのが常識です。


日本でも、「罪刑法定主義」といって、「法律の定めなければ刑罰なし」、すなわち「法律に触れなければ科刑なし」という近代法治主義の大原則が、憲法31条によって定められています。つまり、日本も現行憲法によって、全体主義的な共同責任(連帯責任)主義と決別し、個人責任主義の原則をとり、自由で民主的な世の中を作ろうと宣言しています。

 

にもかかわらず、この種の問題が起きたときには、必ずといっていいほど予防措置をとりようもない、したがって何の責任もない、該当者以外の生徒や下級生たちが責任を取らされ、夢や希望を奪われる。そしてこのような措置に対して大人たちも何の疑問も呈しないのは、まさに“ムラ社会”ならではの異常事態であり、もはや「教育」ではなく、「教育」に名を借りた「軍事教練」といわざるを得ません。

 

そもそも欧米では、18歳以上に飲酒・喫煙を許し、選挙権も与えている国もあるというのに、未だに一律20歳以上にならないとオトナ扱いしないということ自体が、あまりに実態から乖離(ちなみに、私は中学生のときから飲酒・喫煙したが、健康を考え20歳で喫煙はやめました)しており、“年功序列”という“ムラ社会”型組織論の発想といわざるを得ません。

 

このように、「教育の一環」と称して、若者に旧帝国陸軍体質の封建主義・集団主義的教育・管理を続けたことが、近年、スポーツ選手を始めとした多くの人材を海外に流出させ、国内に残るのは「体力だけで、中身のない」“体育会系”と言われる「先輩、上司に従順で、組織や権威に疑問を抱かない」、あるいは「ものを深く考えない」日本人を増殖させました。


これこそ“ムラ社会”の精神的基盤を強固なものにしようとする、古い権威や価値にこだわる“改革抵抗勢力の悪あがき”といえるのではないでしょうか。

人気ブログランキング ←恐縮ですがクリックお願いします。

政治家は荒川静香の爪の垢を煎じて飲むべき!

政治家は荒川静香の爪の垢を煎じて飲むべき!

 

(写真:asahi.com)


先日、あるニュース番組では、二つの記者会見の模様が放映されていました。一つはトリノオリンピック・フィギュアスケート金メダリストの荒川静香選手の帰国記者会見、もう一方は、永田議員を初めとした民主党の“堀江メール問題”に関する謝罪会見です。まさに世の中の“明と暗”を分けるような瞬間でした。
 

政治家・政党のあり方に関する論評は、マスコミ、専門家に任せるとして、特に印象に残ったことは、とても24歳とは思えぬ、あの荒川選手の堂々たる態度でした。多くの報道陣を前に、冷静かつ淡々と、しかも言葉を選びながら語る姿は、今時の若者、今時の日本人には極めて珍しいものと、多くの人が感嘆させられたことでしょう。
 

やはり、年齢が若いとはいえ、20年間ひたすら夢を追い続け、その夢の実現に向けて黙々と自分を磨く努力をし続けてきた結果が、彼女をして、世界の頂点に立たせる“”の持ち主にしたのでしょう。つまり、大切なことは、“結果”ではなく、結果が転がり込んでくるような“”を身につけることなのです。


先日のフリーの演技では、当初金メダル最有力候補と言われたスルツカヤ(ロシア)や、ショートプログラムで1位につけていたコーエン(アメリカ)が、まさかの転倒をしたことも大きく影響していましたが、このような予想もできないような“敵失”を得ることも、“”のなせる業なのです。
 

繰り返し、繰り返しの無心のトレーニングの中で、「目先の欲や打算」という“エゴ”を超克し、宇宙と一体になったとき、人は想像を絶するような力が得られます。これが「生かし、生かされ」の法則なのです。
 

これに比べて、若い政治家たちの右往左往するあの醜態は何なのか?

LOHAS=地球の智慧

地球1

LOHAS地球の智慧(ちえ)


最近、お陰さまで、「“LOHASってなに?」という質問を、多くの方々から投げかけられる機会が非常に増えてきました。時価総額7000億円した株券が、一瞬にして“紙切れ”になる時代、「なにを信じ、どう生きればいいのか」と苦悩を抱え、現実の生活の中、人生に確かな望みを見出したいと考えておられる方々が多いことの証なのでしょうか。


そんな中、生きるための小さなヒントを提供できればと考え、目まぐるしく変わる日々の話題に絡ませて、その背景にある事の本質、そして底流に流れる新しい価値、そしてライフスタイルであるLOHASの探求と普及を続けています。そこで、今回は、改めてそのコンセプトを整理する意味で、LOHASの目指すもの、哲学的な側面(環境系LOHAS=エコノロジー)を解説したいと思います。


ところで、最近は、“スピリチュアル・カウンセラー”と称する怪しげな人たちがテレビで活躍し、“前世”や“オーラ”という概念を使って、相談者のキャラクターや未来予知を行うのが一つのブームになっているようです。いずれも「人生へのロマンをかき立てる」意味では面白い感じはするのですが、多分に「アレッ?」という面も多く、あくまで“娯楽”の一種としてみていますが


ともあれ、その彼らによると、人間や人生の本質については、「肉体がハードウェアだとしたら、精神はソフトウェアにあたり、縦軸である前世からインストールされたプログラムと、横軸である血液(DNA)を通して引き継がれた家(先祖)からのプログラムがクロスする座標軸上に現在の自分の存在がある」、つづいて「引き継いだプログラムないしデータのマイナス部分(あるいはウイルス)を、消去ないし修正するための“修復作業(リカバリ?)”が人生だ」ということです。


たしかに、生命体の本質はエネルギー、したがってエネルギー(波動)が「高いか、低いか」の違いや変化はありえるが、消滅することはなく、形を変えて永遠に存在し続ける(エネルギー保存の法則)。この事実は人間、動・植物はもちろん、実は一見生きていないように思える物質にも当てはまる。なぜなら、分子、原子と順番に、物質を構成する“ミクロ宇宙”の世界を覗いて見ると、原子核の周りを、エネルギーを帯びた原子が、一定の法則に沿って常に運動しているからです。


この仕組み、法則は、地球にもそのまま当てはまる。核(コア)の周りをマントルが回り、表面では人間をはじめとした生物がうごめいている(皮肉なことに、幾つかの核保有国による、“地震兵器”と称する地下発射型次世代核兵器の地下開発実験で、地球の自転が狂いはじめ、近年の異常気象や天変地異の遠因の一つになっているという指摘もあります)。


そういう意味では、「地球も生命体」なのであり、事実、これまで宇宙(マクロ宇宙)から帰還した毛利衛さんら多くの宇宙飛行士が、「宇宙空間から地球を眺めてみて、地球には意思があると感じた」述べています。


したがって、環境系LOHAS=エコノロジーでは、環境問題は個としての人間の問題、人間の“想い”の問題ととらえます。つまり、地球の構成要素、それも“意思”や“想い”という最も強力なエネルギーを持つ構成要素である人間が変われば、地球は救われ、その上で生活する人間も救われるのです。


ちなみに、この手の話題で必ず引き合いに出される永遠のコンセプトが“神”“仏”です。しかし、神や仏とは、「目標とすべき人間の進化した姿」を表現したものに過ぎず、特に日本では、自然のコンポーネント(構成物)の数だけ、あるいは先祖の数だけ、神・仏が存在するという、まことに曖昧で、都合のいい存在とされています。したがって、多くの現代人がすでに感じているように、「単純に神や仏に祈り、すがっても、所詮“気休め”に過ぎない」というところが、実感に即した解釈なのでしょうか?


ところが、中東を始め世界各地では、“憎しみの連鎖”と称する、宗教が原因となった戦争や殺人が絶え間なく繰り広げられています。また歴史上、南米、アジア、アフリカでは、宗教は侵略の大義名分になったり、植民地政策の道具に使われてきました。一方、幸いにして我国では、皮肉にも神仏に関する概念のあいまいさから、それが原因での戦争は起こりませんでしたが。


ともあれ、今や政治、経済、科学、哲学、宗教など、人間のちっぽけな“頭”で考えた知識・理論・仕組では、絶対に問題は解決しない事態に立ち至りました。人類に突きつけられたその究極の大問題、それが地球環境問題です。そして、この問題を解決する唯一の方法は、一人ひとりの人間が“自分のない姿”に進化し、プラスのエネルギー(喜び)を高めることであり、そのための生き方がLOHASなのです。


LOHASは特別のものではありません。LOHASはすべてを包み込み、受け入れる“大いなる慈愛”であり、“心の宇宙”。あなたの目の前にある現実と存在をそのまま尊重し、喜びの想念(プラス波動)で希望の力へと変え、少しずつ、そして劇的に生活、人生を変える、“地球から与えられた智慧(ちえ)”なのです。

さあ、LOHASを生かし、LOHASで生かされる」喜びの生活を始めましょう!

        星雲1



人気ブログランキング ←恐縮ですがクリックお願いします。

幼い日本の政治

                        民主党執行部1

 

 日本人にとっては、フィギュアスケートに始まり、フィギュアスケートに終わった感のあるトリノオリンピックでした。日本人全体が、まさに新しい時代の“生みの苦しみ”を味わったような2週間でした。


 一方、ここ二週間、連日国内を騒がせているのは、“堀江メール”問題です。個々の政治家、政党がどうこう言うつもりはありませんが、急速な環境変化の中、倒産・失業・自殺など、多くの苦境に直面し、まさに「進化への生みの苦しみ」を味わいながらも、けなげに、しかしたくましく生きている私たちからすると、先日、睡眠不足とやらで入院された某先生は「あまりにひ弱で幼い!」というのが率直な感想です。一言、「酒でも飲んで寝てろ!」と言いたい!

 

 ところで、現在、世の中を変化させているのは政治ではなく、マクロでは金融資本市場などでの自由競争原理、ミクロではCFM(キャッシュフロー経営)やSCM(サプライチェーンマネージメント)などの新しい企業経営手法の二本立てで構成される“市場経済のダイナミズム”です。


 政治は、市場の足を引っ張るだけの古い規制や”日本的“といわれる悪しき因習を、いやいやながら後追いで取っ払っているに過ぎません。そういう意味で、政治(家)はその知的・文化的レベルにおいて、経済(人)に比べ見劣りがし、また劣っているとも言えるのではないでしょうか。


 その原因は、経済、経営の対象は、最も変化に敏な金融資本市場に関していえば、グローバルなプロの投資家や企業家であるのに対し、政治の対象は少なくとも民主主義制度の下では、「深く物事を考えることのない“ムラ社会の村人有権者” 」だからです


 政治家が選挙区での“冠婚葬祭回り”や“盆踊りへの参加”、あるいは選挙の際の “握手”や“連呼”など、義理・人情(気遣い・気配り?)に訴える活動をこなしている間に、経営者や投資家は財務諸表を分析し、あるいは市場動向の把握に余念がありません。実際、世界のオピニオンリーダーと称される最高峰のインテリジェンスの持ち主のは、政治学者ではなく、ドラッカーやコトラー、ポーターなどの経営学者と言われています。

 

 ところで、米国においては、80年代のレーガン政権時代に“レーガノミクス”を伴う新保守革命によって、市場重視のスキームがいち早く構築され、それが90年代以降の“ニューエコノミー”の出現をもたらしました。つまり政治が経済を牽引したのです。
 
 そして、現在の日本に変化をもたらしている、新しい企業経営理論を含む“市場経済のダイナミズム”は、いずれも米国(外資?)からもたらされたものであり、そういう意味では、政治・経済という分野に限って言えば、米国は日本よりも能力的(ブッシュ政権の道義的な評価はさておき)に優れている国家だと言えましょう。

 

 その理由は、有権者・マスコミの問題はさることながら、政治家の資質に関して言っても、米国では、長期的かつ大局的な判断ができる、超一流の学者や企業経営で成功した実務家がリーダーになって、政治を牽引しているからです。また、民主主義の母国イギリスでも、選挙はマニュフェスト(政策要綱)を基本にしたディベートで優劣が決められます。今回の堀江メール事件の一連の動きから見ると、日本と米国を初めとした先進国の政治家の間には、その能力において雲泥の差があるようです。


 ともあれ、日本の政治(家)が、未だ急速な国際化・情報化というな内外の環境変化に対応できず、すでにその能力を喪失している以上、すでに軍事・外交・エネルギー、通貨政策、通商政策などにその役割を限定し、世界戦略の維持・構築に余念がない米国政治のように、少なくとも軍事・外交・治安・防災などに政治(政府)の役割を限定し、そのほかの役割は放擲(ほうてき)、あるいは大幅に地方自治体や民間企業に移譲するのが時の流れというものではないでしょうか。


 民間には、(お偉い?)議員先生方と違い、「東大卒・大蔵省出身」などという一流(日本でのみ?)の学歴・経歴はなくとも、柔軟でトレンド変化に敏なユニークな人材が溢れています。彼らの中にはニート(社内ニートも含む)と言われる若者もいますが、政治(家)は、選挙に必ず行く老人・高齢者ばかりに税金を配分するのではなく、夢を見出せないでいるニート世代に希望を持たせるような、自由で創造的な教育システム(“考える”あるいは“好きなこと尊重”の教育)や、社会人の再教育・就業支援システムの整備などにもっと力を入れるべきで、そうでないと、ますますこの国は活力を失っていくような気がする今日この頃です。


人気ブログランキング ←恐縮ですがクリックお願いします。

ぶら下がり族?それともLOHAS族?

 ぶら下がり族?それともLOHAS族?


 皆さんは“ぶら下がり族”ですか、それともLOHAS族ですか?


 LOHAS族は、教条主義的な環境主義者でもなければ“ヒルズ族”でもない。ましてや上司の言いなりになるしか能のない負け組サラリーマン=“ぶら下がり族社内ニート)”でもない。実は、LOHAS族とは、“心の束縛を断ち切って自立し、本当の自由を得た人たのことなのです。


 ところで、私は以前12カ国を旅し、また国際協力事業で海外に赴任し、あるいは海外の大学で日本語や日本文化を教えた経験があります。その買いあってか、一時は10ヶ国語を使いこなし、また日本人を諸外国人との比較において、客観的に分析することができます。


 その日本人を語るとき、必ずその思考様式あるいは行動様式の特徴として挙げるのが「本音と建前の使い分け」です。耐震強度を偽装した違法建築、会計基準や証券取引法を無視した粉飾決算や違法株取引、独占禁止法違反や不正競争防止法に違反する官製談合など、“建前”としてのルールの存在はうすうす知りつつも繰り返される、“本音”での組織的な違法行為の数々。


 まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の表れで、集団・組織の中にあって、自らの頭や価値基準で考えることなく、組織の言いなり、上司の言いなりになり、周りに対する気配り・気遣いばかりをしているうちに、いつしか世間のルールの存在は知りつつも、順法意識(コンプライアンス)が鈍磨し、組織的犯罪の加担者になっていく、哀れな“ムラ社会人”たち。


 このような日本人の感性・感覚の背景にある日本文化に目を向けると、その遠因が見えてきます。つまり、日本文化を特徴付けるキーワードは、ズバリ“幽玄(ゆうげん)”というコンセプトです。


 「物事を観察者としての人間と、観察の対象とする自然に分離することなく、人間と自然を一体のありのままの姿で感覚的に受け入れ、その変化の余情・余韻の中で自己の存在感を確かめる」という概念です。これに末法思想の仏教の無常観(もののあわれ)が交錯しながら、能楽や和歌や短歌、あるいは茶道でおなじみの“侘び(わび)”、“寂び(さび)”に発展したといわれています。いずれも単一民族からなる島国での、共同体的農耕生活(ムラ社会生活)から、2700年の歳月の中で自然発生したものといえましょう。


 ところで、日本は、以前はその旺盛な輸出攻勢により、米国の貿易摩擦の対象国として「ジャパン“バッシング”」のターゲットとされてきました。しかし、今や日本は存在感の薄い国として、海外のメディアではほとんど取り上げられることがなくなっています。私が海外生活していた時期にも、日本の話題は週に一度程度しかニュースで取り上げられることがなかったと記憶しています。


 この「ジャパン“パッシング”(日本無視)」の原因は、日本や日本人にその考えや意見を求めてもほとんど意見らしきものを言うことなく、ニヤニヤ笑って愛想を振りまき、その場を取り繕っているだけだから」といわれています。つまり、周りや世間体ばかりを気にして、他者や大勢と異なる意見を表明することを極端に嫌い、とりわけ否定的な意見や反対意見は周りとの摩擦を呼び、後々しこりをのこすものとして避けられる傾向が強いようです。


 そして周りへの“配慮(気配り)?”から、「まあまあ」「いいです」「結構です」などと肯定とも否定とも取れる言葉で“お茶を濁し”、「前向きに検討します」と言ってその場をしのぎ、いわゆる“問題の先送り”をしながら、「気が付いたらタイタニック号になっていた」という思考・行動パターンが繰り返されるのです。


 日本人の第二の特徴として、日本人同士ですぐ“群れ”を作り、他国の人間を内部に入れようとしない、ましてや積極的に他国の社会に入って行き、溶け込もうとしないことが挙げられます。その原因は、英語のレベルに関して言えば、アジアでは北朝鮮についでビリから二番目と言われる、外国語能力の低さも影響していますが、最大の理由は、閉鎖的ムラ社会の体質に染まった思考方法にあります。


 たとえば、諸外国では職場はあくまで「生活の糧を稼ぐ場」との合理的な捕らえ方をするのですが、日本では、膠(にかわ)のように張り付いた複雑な人間関係のしがらみの中に溶け込み、組織に所属していること自体を楽しみ、自己の存在の証とする生活丸抱えの場でもあります。したがって、単なる顔見せに過ぎず、ほとんど意見を戦わすことのない長時間の会議や、“残業”と称して、熱心に仕事をしている“振り”をする、上司や周りへの“気遣い・気配り”がまかり通ります。


 ところが、一旦職場などの組織・集団から離れ一人になったとき、あるいはこれまでの生活習慣や日本人の間だけで成り立つ“阿吽の呼吸”が通用しない未知の世界に放り出されたとき、一人で生きて抜いて行く自立心や思考習慣に裏付けられた本当の自信が身についていないため、あたふたするのが多くの日本人の実態です。


 近年、“エンプロイアビリティ(自分の市場価値)”という言葉が注目を集めています。かつてリストラが大流行した米国でできた言葉ですが、個々の上司の性格や会社の体質を把握しこれに順応する能力など、自分の所属する組織・集団でしか通用しない才能などは能力とはみなさず、どんな組織でも通用する専門知識、技能などの汎用的才能だけを能力として評価するという考え方です。


 さあ、LOHASを実践し、自己のエンプロイアビリティを高め、“ぶら下がり族社内ニート)”から真のグローバル・ヒューマンシップを身につけた“LOHAS族”に進化するため、まずは第一歩として、「ノー」と言えるサラリーマンを目指しましょう!仲間を増やすため、私は“言霊(ことだま)”を発信し続けます!


人気ブログランキング ←恐縮ですがクリックお願いします。

LOHAS=“人間の構造改革”

LOHAS=“人間の構造改革


 さて、最近は、元気のない日本人の気持ちを鼓舞しようと、NHKを中心に、歴史上の人物を扱う番組や、「プロジェクト?」などの成功物語を題材にした番組が増えています。「こんな立派な日本人にもいたんだゾー!」ということでしょう。しかし、冷静に考えると、過去の歴史はあまり参考にならないようです。


 たとえば、明治維新を第一の開国、先の大戦での敗戦を第二の開国とすると、現在は第三の開国の時期に当たると言えるでしょう。そして、第一の開国はペリーによってもたらされ、第二の開国はマッカーサーによってもたらされましたが、今度の第三の開国は、“ヘッジファンド”などの外資によってその引き金が引かれています。

 

 いずれにせよ、日本の近代化や変革は常に“外圧”によって扉がこじ開けられ、尻を叩かれる格好で、その後の展開を日本人自身がフォローしたに過ぎません。歴史番組で何度も取り上げられる明治維新ですら、実は「幕府側についたフランスと、薩長側についたイギリスの、日本版クリミア戦争」とも言うべき列強の代理戦争に過ぎませんでした。


 また、“維新の志士”と称する連中も、世界標準の中では所詮ただの“田舎の元気者”程度の人間でしかなく、仮に今生きていたとしたら、全く通用しないでしょう。なぜなら、例えば環境問題など現代人が直面している問題はスケールが大きく、高度で複雑だからです。ましてや、改革半ばで部下の裏切りにあい憤死した織田信長や、家の没落・滅亡を招いた豊臣秀吉や平清盛なども、一人の人間としてみれば、英雄どころか逆に「人生の落伍者」なのです。


 そういう意味では、日本人が自ら考え、自らの意思で立ち上がり成功を収めた事例、ましてや世界標準で通用した人物や偉人は皆無に等しく、また“ムラ社会人”日本人の「スケールの小ささ、ふところの浅さ」は、今もぜんぜん変わっていないと言えるでしょう。


 とはいえ、インターネットで世界が繋がれ、人・モノ・金・情報が瞬時に世界を駆け巡る今日のグローバル社会で、今後も日本と日本人が生き残るためには、現実の問題として、まず個々人が自ら考え、立ち上がる勇気と意思を持つことが必要とされます。


 そして、その第一歩が「ノーと言えるサラリーマン社内ベンチャー企業家)」になること、つまり“日本人の(精神)構造改革”であり、それはやがてLOHASへのいざない、つまり“人間の安全保障”ならぬ、“人間の構造改革”=進化へと発展します。LOHASとは、心の中の鎖を断ち切り、本当の自由を掴む生き方、そして姿なのです。


人気ブログランキング ←恐縮ですがクリックお願いします。

立ち上がれ!“社内ニート”たちよ

 立ち上がれ!“社内ニート”たちよ


 目下、テレビ番組の中心は、イタリア・トリノで行われている冬季トリノオリンピックの放映ですが、あたかも「貧乏神にたたられた」かのような惨憺たる“想定外”の結果になっています。これも日本の若者のエネルギーが減退したことの表れなのでしょうか?

 

 ところで、オリンピックといえば、今は懐かしいのが「東京オリンピック」です。この東京オリンピックの行われた時代こそ、日本が最も力強く走り始めた時代でした。そして、この時代に青春時代を過ごした“ベビーブーマー”と言われる、いわゆる“団塊の世代”のサラリーマン達が、いよいよ大量に定年退職を迎えます。これに伴って、企業の人手不足や年金受給開始による年金制度の破綻の危機が顕在化すると警告されています。
 
 ところが、このベビーブーマー世代は、実は今から40年前に国論を二分する日米安全保障条約改定をめぐるいわゆる“60年・70年安保闘争”を戦い抜き、そのエネルギーを爆発させた世代だったのです。


 そして、確かに日本は高度経済成長を果たしましたが、その後のバブル経済とその崩壊、平成長期不況を経て、自信もエネルギーも尻すぼみとなり、今や見る影もありません。それどころか拝金主義や環境汚染を撒き散らし、国家破綻寸前の巨額の負債を残し、未来世代に対して打開の道を示すことなく迎える、彼ら“団塊の世代”の円満定年。

 

 彼らの関心は、いよいよ年金の受給に移ってきたようです。日本をこれだけ食い散らし、近隣アジア諸国から“コケ”にされる“腰抜け国家”にした責任も感じることなく、ぬくぬくと今度は現役・若年世代の負担(実質賦課方式)に甘え、年金受給の恩恵にあずかろうとするのは、いかにも“ずるい奴”と言われても仕方ないところではないでしょうか?

 

 これに対して、先日も紹介(当シリーズブログ「今時の若者は」参照)した大手シンクタンクの調査結果によると、今やその4分の3が「仕事に対してやる気なし!」とされる20代~30代の“ニート・フリーター世代”、そして、古い“日本型ムラ社会”と、新しい“IT&グローバル社会”の狭間にあって、拠るべきスタンダードを失い、リストラに怯える“新人類”と言われた30代後半から40代の世代、彼らは今や無気力な“社内ニート”と化しています。

 

 そして、この「何も物言わぬ無気力さ」につけ込み、団塊世代たちは、自分たちが残した借金、環境破壊、拝金思想などのすべてのツケを、着々と私たちに押し付けようとしています。とりわけ、ライブドア・ショック以降、ホリエモンの失脚を皮切りに、またぞろ鎌首をもたげ、ここぞとばかりにIT系、グローバル系世代に対する反転攻勢を強め始めていることは、「時計の針を逆に回す」ようなもので、由々しき傾向です。


 たとえば、“新聞界のドン”と言われる某大新聞の主筆は、最近テレビカメラの前に頻繁に現れ、堀江批判や小泉批判を繰り返しています。しかし、実は彼こそが、かつての“若大将”原辰徳を散々イビッた挙句、首にしたり(今期監督復帰)、金の力でファンの意向を無視した強引な球界再編の糸を引いたりして、国民的スポーツプロ野球を魅力のないものにしたばかりか、ヤンキース松井をはじめ優秀な選手を海外に持っていかれた元凶であり、かつての日本人の美徳の一つであった「恥の美学」をわきまえぬ、“前世紀の遺物”以外の何者でもないのではないでしょうか?

 

 黙っていては、何も変わらない。日本の“社内ニート”たちよ、今こそ50代、60代、そして70代(80代?)の、過去の栄光だけを存在の拠り所にするしか能のない“ムラ社会”役員、経営者に“ノー”を突きつけ、“日本版文化大革命”を起こすのだ!


 そして人生の目的“LOHAS”を実現しよう。ズバリ人生の目的とは、「進化すること」つまり「何はなくとも、今生かされているという事実を素直に喜べる人間になること」、そして「その喜びの想いで人を喜ばせ、私たちのふるさと地球全体の波動を高めること」これが環境系LOHASエコノロジー”なのです。


人気ブログランキング ←恐縮ですがクリックお願いします。