何か変ダゾ?選抜出場辞退
何か変ダゾ?選抜出場辞退
昨年夏の甲子園で57年ぶりの連覇を果たした駒大苫小牧高校(
同校野球部は、昨年夏の甲子園優勝後にも、当時の野球部長が暴力問題で謹慎処分を受けたばかりということもあって、世間一般の受け止め方は「当然」というムード。
しかし、“自己責任”を当然の前提とする欧米先進国社会では、こういう場合、飲酒にしろ、喫煙にしろ、個々の違法行為をした該当者が、個人的に法の裁きを受けることで処理し、責任のない他人には累を及ぼさないのが常識です。
日本でも、「罪刑法定主義」といって、「法律の定めなければ刑罰なし」、すなわち「法律に触れなければ科刑なし」という近代法治主義の大原則が、憲法31条によって定められています。つまり、日本も現行憲法によって、全体主義的な共同責任(連帯責任)主義と決別し、個人責任主義の原則をとり、自由で民主的な世の中を作ろうと宣言しています。
にもかかわらず、この種の問題が起きたときには、必ずといっていいほど予防措置をとりようもない、したがって何の責任もない、該当者以外の生徒や下級生たちが責任を取らされ、夢や希望を奪われる。そしてこのような措置に対して大人たちも何の疑問も呈しないのは、まさに“ムラ社会”ならではの異常事態であり、もはや「教育」ではなく、「教育」に名を借りた「軍事教練」といわざるを得ません。
そもそも欧米では、18歳以上に飲酒・喫煙を許し、選挙権も与えている国もあるというのに、未だに一律20歳以上にならないとオトナ扱いしないということ自体が、あまりに実態から乖離(ちなみに、私は中学生のときから飲酒・喫煙したが、健康を考え20歳で喫煙はやめました![]()
)しており、“年功序列”という“ムラ社会”型組織論の発想といわざるを得ません。
このように、「教育の一環」と称して、若者に旧帝国陸軍体質の封建主義・集団主義的教育・管理を続けたことが、近年、スポーツ選手を始めとした多くの人材を海外に流出させ、国内に残るのは「体力だけで、中身のない」“体育会系”と言われる「先輩、上司に従順で、組織や権威に疑問を抱かない」、あるいは「ものを深く考えない」日本人を増殖させました。
これこそ“ムラ社会”の精神的基盤を強固なものにしようとする、古い権威や価値にこだわる“改革抵抗勢力の悪あがき”といえるのではないでしょうか。
