LOHAS=“人間の構造改革”
LOHAS=“人間の構造改革”
さて、最近は、元気のない日本人の気持ちを鼓舞しようと、NHKを中心に、歴史上の人物を扱う番組や、「プロジェクト?」などの成功物語を題材にした番組が増えています。「こんな立派な日本人にもいたんだゾー!」ということでしょう。しかし、冷静に考えると、過去の歴史はあまり参考にならないようです。
たとえば、明治維新を第一の開国、先の大戦での敗戦を第二の開国とすると、現在は第三の開国の時期に当たると言えるでしょう。そして、第一の開国はペリーによってもたらされ、第二の開国はマッカーサーによってもたらされましたが、今度の第三の開国は、“ヘッジファンド”などの外資によってその引き金が引かれています。
いずれにせよ、日本の近代化や変革は常に“外圧”によって扉がこじ開けられ、尻を叩かれる格好で、その後の展開を日本人自身がフォローしたに過ぎません。歴史番組で何度も取り上げられる明治維新ですら、実は「幕府側についたフランスと、薩長側についたイギリスの、日本版クリミア戦争」とも言うべき列強の代理戦争に過ぎませんでした。
また、“維新の志士”と称する連中も、世界標準の中では所詮ただの“田舎の元気者”程度の人間でしかなく、仮に今生きていたとしたら、全く通用しないでしょう。なぜなら、例えば環境問題など現代人が直面している問題はスケールが大きく、高度で複雑だからです。ましてや、改革半ばで部下の裏切りにあい憤死した織田信長や、家の没落・滅亡を招いた豊臣秀吉や平清盛なども、一人の人間としてみれば、英雄どころか逆に「人生の落伍者」なのです。
そういう意味では、日本人が自ら考え、自らの意思で立ち上がり成功を収めた事例、ましてや世界標準で通用した人物や偉人は皆無に等しく、また“ムラ社会人”日本人の「スケールの小ささ、ふところの浅さ」は、今もぜんぜん変わっていないと言えるでしょう。
とはいえ、インターネットで世界が繋がれ、人・モノ・金・情報が瞬時に世界を駆け巡る今日のグローバル社会で、今後も日本と日本人が生き残るためには、現実の問題として、まず個々人が自ら考え、立ち上がる勇気と意思を持つことが必要とされます。
そして、その第一歩が「ノーと言えるサラリーマン(社内ベンチャー企業家)」になること、つまり“日本人の(精神)構造改革”であり、それはやがてLOHASへのいざない、つまり“人間の安全保障”ならぬ、“人間の構造改革”=進化へと発展します。LOHASとは、心の中の鎖を断ち切り、本当の自由を掴む生き方、そして姿なのです。