“ネット自殺”とLOHAS
“ネット自殺”とLOHAS
昨年のネット自殺91人 2年前の3倍、20代最多
昨年1年間に、インターネットのサイトで知り合い一緒に自殺する、いわゆる“ネット自殺”は全国で34件(前年比15件増)発生し、91人(同36人増)が死亡したということです。
統計を取り始めた2003年(12件で34人が死亡)と比べ件数、死者数ともに約3倍に急増しており、その内訳は男性54人、女性37人。年齢別では20代が38人で最も多く、30代が33人、40代が9人、10代が8人などの順になっています。
一方、国別の自殺者数で見ても、先年横浜市で開かれた第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界で日本が実質自殺率第1位ということでした。
このような日本の自殺率の高さについては、WHO精神保健部ホセ・ベルトロテ博士は、「日本では、自殺がある意味その文化の一部になっているように見える。直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、内向性・律義・几帳面・苦労性・馬鹿正直・融通がきかないなど、日本人一般の人格構造が鬱病者の人格構造に転化しやすい」と述べています。
つまり、これも組織の中で“気遣い・気配り”ばかりして、自ら考えることもなく上司の言いなりになり、一生ぶら下がって過ごそうとする“ムラ社会”の風土の中で培われてきた繊細な日本人のメンタリティーが、変化の激しい“グローバル社会”の中で、もはや限界に達していることを物語っているのです。
さらに憂慮すべきことは、東京都衛生局のアンケート結果です。18歳から24歳の層が「仕事の疲れがとれない」「生活に張り合いを感じない」と答え、また他の調査では「授業中じっとしていない」が小学校で8割、中学校で6割、高校で5割、「首、肩のこり」「不登校」「腰痛」「腹痛」が中学校、高校とも8割となっています。日本の若者は、精神的にも肉体的にも、もうボロボロなのです。
「急増する凶悪少年犯罪」
※ http://www.moj.go.jp/HOUSO/2005/table.html#04
上記URLは法務省のサイト「平成17年版 少年犯罪白書のあらまし」
一方、少年による凶悪犯罪についても、平成元年頃は年間1,000件程であったが、平成10年以降では2,000件前後と、10年間で倍近く増加しており、周知の通りもう一つの社会問題となっています。
これも、近年では自殺と同じくストレスに起因する面が強く、いずれも「根っこは同じ」といえる代物です。つまり、ストレスが一方では感情を爆発させる“キレル”若者を生み、他方では感情の落ち込みを抑えきれない“ネット自殺”の若者を生み出しています。そういう意味では、犯罪と自殺と精神病は、“三位一体”の構造をなしていると言えます。
このストレス症に薬物中毒、それに現役時代に組織内で神経をすり減らして行った“気遣い・気配り”の反動とも言える、定年後の急激な痴呆症の進行まで加えると、今や日本人の4人に1人が精神病を抱えていると言われるゆえんです。
ところで、「なぜストレスを感じるのか?」の問いかけに対する答えは、「仕事が面白くない」、「生活にハリがない」、「人間関係のやりくり」、そして最大の理由が「人生に生きがい・目的が見出せない」ということです。
ちなみに、ある作家は、「人生に目的はあるのか。私は、ないと思う。何十年も考えつづけてきた末に、そう思うようになった」 と書いています。知識人と言われる人の中には同じような考えをし、最後に自殺したり、発狂したりする例は、日本文学史上を見るまでもなく枚挙にいとまがありません。
それでは、世の知識人と称される人たちは、どのようにして生きろと言っているのかというと、「私たちが選ぶもっとも自然な道は、あたえられた運命と宿命を、人生の出発点として素直に受け入れること」とか、「耐えて、投げださずに、生きつづける。それしかない」などと嘯き、自殺志願の若者を思いとどまらせる言葉にはなっていない感がするのは私一人ではないようです。
「“則天去私”の境地に至った」と言っていた夏目漱石さえも、その臨終にあたっては、「ああ苦しい、ああ苦しい、いま死んじゃ困る、いま死んじゃ困る」 と苦しみ悶え、周囲を驚かせたといわれています。これぞまさに意地もプライドも捨てた、生身の人間の最後の本音でしょう。なぜ、「生かされてきた」ことを素直に喜べなかったのか?
あらゆる問題を解決する人間の生き方、そして人生の目的である“LOHAS”とは、すべてを失い、すべてを捨て去った後に到達できる、隣人、動物、植物、物質、そして地球など、あらゆる存在の中にある“生かし、生かされの法則”に沿った“喜び”の生活、「必要なときに、必要なものを、必要なだけ消費する」過不足のない生活、そして進化した21世紀型人類の姿に他なりません。さあ、“LOHAS”を実践しましょう!
ニートの若者は海外へ行くべき?
ニートの若者は海外へ行くべき?
最近、書店で「東大よりハーバードに行こう!」というタイトルの本を見つけました。同書の著者は、学習塾を経営する父親の下で育ち、思春期に米国に渡り、日米両国での教育を受け、その体験に基づいた独自の教育論を展開する内容です。
その中で、「自分はもともと数学はとても得意であったが、英語は苦手で、米国に渡ってからもしばらく英語力のなさに苦しんだ。しかし、米国では、あくまで各生徒の得意科目を尊重し、小学校や中学段階でも、能力や適正に応じて大学以上のレベルの学習内容を追求させるシステムが定着しており、実際、英語力のなさはその後の評価や進級にはほとんど影響しなかった」と告白。
また、「一方、日本では、どんなに得意な科目でも、その成績評価の最高は“5”で頭打ちにされ、余ったエネルギーは不得意科目の補強・充実に当てられる」その結果、「一通りなんでもできるコピー人間が大量生産され、一芸に優れた飛びぬけた才能の持ち主は評価されず、また育たない」と評しています。
同時に「このように人間を平均化するだけの、創造性に欠け、魅力のない教育システムが、日本の若者から夢や意欲を奪い、ニートやフリーターの増加を加速させているのでは?」したがって、「自分が将来何をやればいいのか解らない若者は、欧米の学校・社会に行くべきだ。そうしたらきっと自分の才能が見出せ、夢が持てる!」と結論づけています。
一方、先日、あるテレビ番組で、青色発光ダイオードの発明者で、現在米国の大学で教鞭をとり、次期ノーベル賞候補と言われている中村教授が、「日本の企業や大学では、個人の才能は十分評価されない」と、“発明の対価”をめぐる訴訟での事実上の敗訴を嘆いていました。同時に「米国では、もっとも優秀な学生はベンチャー企業家を目指し、次がベンチャー企業に就職し、次が大企業に就職し、最後が官公庁に就職する」と述べ、日本での「東大→大蔵省or旧財閥系大企業」とは全く逆の構図の存在を指摘していました。
ところで、このような日本の教育システムが、旧態依然とした日本型“ムラ社会”で、「生涯波風立てず、大過なくサラリーマン生活を送る」ような、いわゆる“オトナ”あるいは“よい子”と言われる“日本型クローン人間”を大量増殖させるための補助システムであることは、この本の著者の言葉を借りるまでもなく、これまで私が繰り返し指摘してきたことからすると、至極当然の評価・位置づけでしょう。
要するに、教える側の教師もサラリーマン、教育内容を企画する文部科学省の役人もサラリーマン、家庭や社会の構成員もサラリーマンとなると、その子達はみな“金太郎アメ”なのです。
そのせいか、物事を深く冷静に考え、その結果としてのポリシーや行動哲学を持つことがない多くの“ムラ社会”の構成員たちにとっては、「喉もと過ぎれば、なんとやら」で、案の定、あれだけ騒いだ“ライブドア問題”もすでに沈静化、巷の話題からも消えつつあるようです。
つまり、物事を感覚的にしか捉えられないがゆえに、一時的に盛り上がっても、すぐに忘れる国民性を称して、「熱しやすく冷めやすい!」といいます。それでも、60年前のことをいまだに持ち出し、騒ぎ立てる某近隣アジア諸国よりは、“すべて水に流す”文化の精神構造形成に貢献していると考えれば、まだましなのかもしれません。
“今どきの若者”は
“今どきの若者”は
最近、以下に紹介するような面白い記事を発見しました。目標もなくただ「他人が就職するから自分も就職する」というようないわゆるサラリーマンタイプの若者の行く末がどういうものか、この調査結果を”他山の石”とし、日本の若者には、是非周りに流されぬよう自分に実力を付けるため語学力を身につけたり、資格試験の勉強を始めるなど、限られた人生の時間を有効に使い、すべてに意欲的に取り組んでいただきたいものです。私の周りにはベンチャー企業家の若者がたくさんいます。つまり、こんな世の中でも“やるヤツはやる!”、また“LOHAS”は決して「無気力でだらしのない生き方」ではないのです。
<野村総研調査>仕事やる気なし…20~30代正社員の4分の3
上場企業の20~30代の正社員の4分の3が「現在の仕事に無気力を感じている」ことが、先日の野村総合研究所の「仕事に対するモチベーションに関する調査」で分かりました。仕事に社会的な意義を感じていない若手社員は3割以上、転職希望者も4割以上に達しており、同社は「若者の働くモチベーションを再生することが企業の今後の競争力アップにつながる」と分析しています。
同調査は、インターネットを通じて男女1000人から実施されたもので、仕事に対する無気力を「よく感じる」のは16.1%、「ときどき感じる」が58.9%で、計75.0%が仕事に無気力を感じているという。転職や独立については、「機会があればすぐにでも」が18.7%、「3年以内」が13.0%、「あと5年ぐらい勤めたい」(12・3%)を合わせると、44.0%が転職を希望しています。「現在の仕事に社会的な使命感を感じない」と答える人も31・7%に達しています。
一方、やりがいを感じる仕事については「報酬が高い」ことが29.0%でトップ。お金以外では、「仕事自体の面白さや刺激」(44.5%)、「同僚や後輩から信頼されたり感謝されること」(35.0%)を重視しています。
同社は「フリーターやニートは2010年までますます増加するとされている」とし、仕事の動機付けにつながる使命感の確立や、若手社員が自分を試せる機会の準備など、「企業側の対策が必要だ」と提言しています。
“格差社会”とLOHAS
“格差社会”とLOHAS
最近、“格差社会”という言葉がにわかに脚光を浴びてきています。とくに、先日の衆議院本会議での小泉首相の施政方針演説に対する各党の代表質問以降、今の社会を風刺し、あるいは一連の改革を批判的に捉える文脈で使われることが多いようです。
たとえば、衆院本会議で質問に立った民主党の前原代表は、自殺者の7年連続で3万人以上での高止まり、生活保護世帯の増加、正社員と非正社員の賃金格差の広がりなどの現状を挙げ、「小泉改革によって、所得格差が拡大し、セーフティネットを破壊した」と指摘しました。
これに対し、小泉首相は「高齢者の増加や世帯構造の変化などを考慮すると、所得格差の拡大は、統計からは確認できない」と反論、仮に格差社会になったとしても、「他人の成功をねたむとか、能力のある人の足を引っ張るとかいう風潮、文化はおかしいし、ただちに格差が悪いとは思わない」と述べ、「引き続き、地域、国民の潜在力が発揮され、夢と希望が実現できる活力ある社会の実現へ向け、構造改革に全力を尽くす」と強調しました。
ところで、わが国は、戦後焼け野原から立ち上がるために、多くの経済規制と高い参入障壁を設け、政府の補助金と公共事業を用い、あるいはメインバンク制や閉鎖的取引慣行などによって、特定産業を保護・育成するための政府主導による、いわゆる“傾斜生産方式”を採用、見事に奇跡的な復活、経済成長を遂げました。
しかし、高度成長、バブルの発生と崩壊を経て、成熟・低成長時代、あるいは少子・高齢社会を迎えた今日、最早、このような政府主導で「人・モノ・金」を集中投資する、過去の“護送船団方式”では閉塞状況を打開できず、長い不況に苦しみました。
そこで、最後の切り札として、過去の米国の“レーガノミックス”や英国の“サッチャリズム”にならい、遅ればせながら“金融ビッグバン”や“会計ビッグバン”、不良債権処理や規制緩和などの“構造改革”に着手、小さな政府を目指し、市場競争原理導入によっての経済活性化を目指したのです。
つまり、民間活力や個人の個性・能力を尊重し、「努力したものが報われる自由な世の中」を創造することによって、全体を活性化し、真に優れたリーダーが組織や社会を引っ張り、所得の再配分を通じて“影に光を与える”、欧米先進国では当たり前の仕組みの導入です。
同時に、このような構造改革の実施は、IT(高度情報化)化や国際化という世界のトレンドにも適うもので、これによってわが国は、これまでの縦型閉鎖的な“ムラ社会主義”に決別宣言したのでした。
にもかかわらず、最近の一連の“耐震強度偽装問題”や“ライブドア事件”を理由に、「市場競争がけしからん!」とか、能力や努力の結果であっても「格差がつくのは問題だ!」と騒ぎ立てるのは、まさに“木を見て森を見ず”であり、競争ルールの厳格化とセーフティーネットの充実を通じて解決すべき問題を、「競争原理が悪いもの」と断罪する理由に使い、世論を巧妙に誘導するマスコミは、“本末転倒”の謗りを免れないのではないでしょうか。
ちなみに、聞くところによると、このようなマスコミの論調が伝わった結果かどうかは定かではありませんが、中国や北朝鮮の高官たちは、「日本はやはり社会主義の優等生だ!」と賞賛しているそうです。
“LOHAS”社会は、あくまで個人の自由で多様なライフスタイルを尊重する、“エゴ”を認める“エコ”なのです。
注目の米大統領「一般教書演説」
ブッシュ米大統領は31日夜、連邦議会上下両院合同会議で、今年の施政方針を示す一般教書演説を行いました。この中で、「米国は石油中毒になっている」と述べ、中東原油に依存する体制を抜本的に改め、新エネルギーの開発を柱にした新たなエネルギー政策を示しました。
過去のオイルショック時をはるかにしのぐ原油価格の高騰に悲鳴を上げる産業界や国民の声を受けた格好ですが、これまで京都議定書の批准を拒否し、石油に代わる代替エネルギー開発などに消極的であった同国にとっては、画期的な政策転換だと評しえましょう。
具体的には、2025年までに中東からの原油輸入を75%削減する目標を掲げ、削減分は自動車のガソリン燃焼効率を高めるため、エタノールをつくる革新的な技術に関する研究を進めることなどで補う計画で、エネルギー省主導で研究費を約22%上積みし、炭火力発電所の石炭燃焼浄化技術開発や太陽エネルギー、風力発電、原子力発電などに予算を重点配分する計画となっています。
ちなみに、2004年の米国の原油輸入国の内訳は、ペルシャ湾岸諸国からが日量240万バレルで全体の24%を占め、削減目標の75%は、このうち180万バレルに相当することから考えると、いよいよ中東中心の外交・安全保障政策を修正し、イラクからの撤収、そして京都議定書批准の日も遠い将来の話ではなくなってきた感がします。
一方、「絶えず変化する世界経済の中で、中国やインドのような新たな競争相手を目の当たりにしている」と述べ、成長著しい中国、インドを明確に競争相手と位置づけています。
インドはさておき、隣国中国の暴走振りについては、これまでもここで幾度と指摘してきたことであり、わが国にとってはこちらの方が重要だといえましょう。というのも、経済成長著しく、今や米国についで大量の石油輸入・消費国と化した中国は、大量の二酸化炭素を放出し続け、同じく京都議定書への参加をしていません。この中国に対し、米国が明確に競争相手として注目し始めたということは、たんに環境問題だけでなく安全保障上の問題も含めて、わが国にとっては心強い味方を得ることになるからです。
環境系LOHAS“エコノロジー”の提唱
環境系LOHAS“エコノロジー”の提唱
耐震強度偽装問題やライブドアショックなど、めまぐるしく変わる毎日の中で、従来の価値観が動揺し、「この先、いったい何を信じて生きたらいいのか」と迷うことの連続の昨今です。そんな中で、“LOHAS”という言葉も、新しい価値観や生活スタイルのヒントを提供するものではないかとの期待を秘めて、世間に徐々に浸透しはじめているようです。
ただ、その使用方法やコンセプトの中身については、現状「何でもあり!」の状況で、そこにはやや混乱が見られるようです。
もっとも、この言葉の由来が米国での商品マーケティングを意識したものであることも関係して、健康食品や健康機器、ヨガなどの健康関連商品やサービス、あるいは自然環境と調和したようなデザイン、コンセプトのマンションや住宅などに至るまで、もっぱら一定の商品を売り込むためのイメージ作りの宣伝文句に成り果て、肝心要のLOHASのポリシーや理念、哲学がまったく欠如しているような気がします。
そこで、内容を確定するための一つの指針を提供すべく、改めてここで、“環境系LOHAS”とも言うべき私たちが考えるLOHASコンセプトを整理し、明確にしてみたいと思います。
私たちエコテクノロジーの目指す“LOHAS”とは、あらゆる資源を「もったいない!」と感じつつ、「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」消費するような感覚(LOHASセンス)を身につけた人づくり、つまり“21世紀型人間の創造”であり、“人間の改革(生き様の修正)”なのです。
必要以上の資源の消費や乱獲、あるいは「金を儲ける」だけの騙し商法やマネーゲームなど、現在の人間の欲望とその充足活動の行き着く果ては“地球の破滅”、“人類の破滅”しかありません。
逆に言えば、人間がこれら日々の欲望充足活動に一息つけて、「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」消費するようになれば、人類創生以来続いてきた調和のとれた自然がよみがえり、環境問題も消滅し、地球は健康を回復するのです。
21世紀の環境系LOHAS“エコノロジー”の実践、つまり「環境問題は人間の生き様の問題」と捉え、「もったいない!」を可能にするグッズやサービスの提供を通して、「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」消費するLOHASセンスの普及活動により、持続可能な地球と人類の未来を実現することにあるのです。
"マネーゲーム"とLOHAS
"マネーゲーム"とLOHAS
今回の"ライブドア・ショック"で渦中のライブドアの株価は暴落し、時価総額は一気に四千億円以上も目減りしました。また、この間日経平均株価自体も乱高下をしましたが、1月27日の終値では逆に5年5ヶ月ぶりの高値引けとなりました。
一方、28日のNHKでは、日本、香港、ニューヨークでの為替取引の現場を追った番組が放映されていました。昨年秋の総選挙での小泉自民党の圧勝と、着実な景気回復を背景にして予想される強い円に対して、原油高、米国の金利引き上げに基づくドル高、さらには人民元の再引き上げによる円の連れ高などの複雑な要素を背景に、日・米・中の金融機関や投資ファンドによる激しい駆け引きの模様が映し出されていました。
昨今の為替市場では、貿易取引に基づく実需による為替取引は、全取引高の1割程度に過ぎず、実際はその10倍程度の投機マネーが流入し、為替レートを決定しているとのことです。実際、この番組の中でも、米国の投資ファンドが最後に勝利を収め、日本の金融機関は手痛い敗北を喫したのでした。"ホリエモン"は逮捕されても、第二、第三の"ホリエモン"は厳然と存在し、さらには世界にはより強力な"ホリエモン"が跋扈しているのです。
なぜ、マネーゲームはなくならないのか?その良し悪しの道義的評価は別として、この事実を冷静に観察するとき、私たちは人間の欲望や本能というものについて考えなければなりません。少なくとも金銭欲に関して言う限り、その背景にあるのは"将来への不安"ではないでしょうか。明日がどうなるかわからない。だからできるだけ蓄積をつくり、物質的・経済的な保険を掛けておこう、ということです。
では、"不安"の実体は何か?それは限りある時間と空間の中で、いくら努力しても満たしきれない現実の生活、人生が生み出す悪い"幻想"なのです。そしてこの"不安"も幻想なら、それを補うはずの"金銭"も、たった三日で四千億円が消えてしまう現実からすると、単なる"気休め"といわざるを得ず、そういう意味では"幻想"なのです。
では、どうすればいいのか?形あるもののはかなさ、虚しさを知り、追うことをやめ、すべてを任せるのです。大自然の子として、「生かし、生かされの法則」の流れの中に身をゆだね、自らを解き放てば、「必要なときに、必要なものが、必要なだけ手に入る喜びの生活」、つまり"LOHAS"な生活が始まるのです。
集団ヒステリーの怖さ(2)
集団ヒステリーの怖さ(2)
連日のライブドア問題に関する一連のマスコミ報道を聞いていると、先日のコメントでも指摘したように、
マスコミの“堀江バッシング”にはあきれるものがあります。
先日も申したように、堀江氏は「口の軽い、隙だらけの未完成人間」だと思われますが、彼が果たした功績は、
政財界守旧派と戦い、ベンチャーを夢見る若者に希望を与えたことにあり、マスコミも彼の話題をネタにして散々
儲けたではありませんか。“軽チャー路線”を行き、視聴率第一主義の提携某テレビ局をはじめとしたマスコミには、堀江氏を“拝金主義者”呼ばわりする資格はないのではないでしょうか。
ましてや、彼を公認も推薦もしておらず、その上落選したにもかかわらず、これをネタに、小泉首相や武部自民
党幹事長を攻撃する野党民主党も、先の総選挙の際、水面下で先に堀江氏に接近し「ぜひ民主党で!」などと
声をかけたとの情報からすると、所詮“ムラ社会の面々”に過ぎないのかと失望を禁じえません。
加えて、堀江氏は一般投資家を騙したと批判されていますが、仕手集団をはじめとした魑魅魍魎が跋扈する
兜町では、堀江氏以外にも多くのグレー取引に関わる人種が存在することは、これまで半ば公然の秘密とされて
います。また、そもそも株取引自体が所詮は“博打”の一種であり、一般投資家といえども、少なくとも耐震強度偽装の被害者に比べれば、それほど同情の余地はないような気がします。
ここぞとばかりに、またぞろ鎌首をもたげ始めた守旧派勢力や、これに便乗する“知性ゼロ”のマスコミ、貧乏人のひがみ根性丸出しで「鬼の首を取ったり!」と意気たかだかに批判を繰り返すコメンテーターの面々を考えると、堀江氏にある種の同情を感じ出したのは、私一人ではないような気がする今日この頃です。
“集団的ヒステリー”の怖さ
“集団的ヒステリー”の怖さ
日曜朝のトーク番組を見ていると、今週は当然のように各社「耐震強度偽装問題」と「ライブドア問題」を
取り上げ、白熱した議論が展開されていました。
ヒューザー・小嶋氏に対する批判はさて置き、あれだけ時代のヒーローのように絶賛してきたホリエモンを、手のひらを返したように今度は“悪の権化”、“拝金主義の教祖”に祭り上げ、ここぞとばかりに叩く
日本のマスコミの相変わらずのレベルの低さ、節操のなさには、毎度のことながら驚かされます。
ところで、同じ番組の中で、ライブドアの忘年会の様子が放映されていました。ステージの上で堀江氏がマイクを持って叫び、踊りまわり、側近の一人とされる宮内氏にあっては突然服を脱ぎ、裸になって騒ぎ出すなど、とても一時は時価総額7000億円を超える上場企業の最高幹部とは思えないような“ありえネー”
光景を目の当たりにしました。
これを見て、番組の中でコメンテーターの一人、テリー伊藤氏は、「さながら“スーパーフリー”のようだ!」といっていましたが、筆者にはさらに組織化が進み、巨大化して、数々の凶悪事件を引き起こした
“某オカルト宗教団体”を髣髴させる“ノリ”が感じられました。
破綻した某スーパーマーケットや某鉄道会社などのように、カリスマ経営者といわれた独裁型創業者社長に率いられる企業の社員はもとより、旧財閥系某自動車会社などのように、名門企業と言われる組織で長く働いてきた社員や重役、サラリーマン社長、さらには拝金主義を批判しながら、一方で視聴率アップだけのために節操のない報道を繰り返すマスコミ、さらには耐震強度偽装問題で明らかになりつつある、いわゆる“政・官・業の癒着”の中にある面々まで、問題の本質はただ一つです。
すなわち、集団や人間関係のしがらみの中で、組織の言いなりになり、上司の言いなりになり、取引先の言いなりになり、自己責任意識や思考能力を失い、やがては遵法精神まで失い、いい事と、悪い事との見境すら付かなくなる、これこそまさに“集団的ヒステリー”現象であり、これまで筆者が繰り返し指摘してきた“日本型ムラ社会集団主義”の怖さなのです。
時代遅れの“通信と放送の融合
時代遅れの“通信と放送の融合
日本中を震撼させた“ライブドアショック”は、東京株式市場をシステム停止に追い込んだだけでなく、
いよいよ粉飾決算によるホリエモン自身の逮捕が時間の問題となりつつあります。
それでは、ホリエモン以外の“ヒルズ族(IT長者)”についてはどうなのか関心がもたれるところですが、
ここでは株取引の適法性や妥当性の判断はさておき、昨年活発に行われたテレビ局の買収騒ぎを
例にとって、彼らが本当に21世紀の日本のIT界のみならず、経済・社会のリーダーたりうる資質の
持ち主か検証してみたいと思います。
まず、昨年の買収騒ぎの背景となった“通信と放送の融合”について米国の最新事情を踏まえてみます。
たとえば、アップルの“iTunes(アイチューン)”では、好きな曲をダウンロードできるiPodばかりでなく、
PCでiTunesミュージックストアに接続して、『ラジオ』というところをクリックすると、世界各地のラジオ局の
放送を無料で自由に選んで聴けますが、最近ではこれに『ビデオ』の項目が加わりました。
さらに米国では全視聴者の20%が“TiVo(ティーボ)”というシステムを利用し、特別に契約したハード
ディスクレコーダーを家庭に設置し、好きな番組をダウンロードして視聴しています。
このシステムの特徴の1つはタイムシフト機能によって「見たいものが、見たいときに、自由に見れる」
というもので、国内に最大3時間の時差がある点を考慮してリアルタイムで見るよりも個人のペースに
合わせて見れるようにという観点から考案されました。
これに対して、“通信と放送の融合”と称して楽天・三木谷氏らが行っているテレビ局買収の動きは
インターネット上のポータルサイトで特定局のテレビ番組を見せようとするものに過ぎず、たとえば、
楽天はTBS、ライブドア・村上ファンド連合はフジテレビだけということで、とてもユーザの新しいニーズに
答えうるとはいえない時代遅れのシロモノです。
もう1つのTivoの特徴は、CMが自動的にカットされるという点です。もしこれが普及すると、
スポンサーはテレビ局に高い広告費など払うわけがなく、広告料収入に依存するテレビ局の価値は
大幅に低減していくことになりかねません。
にもかかわらず、いまさらあえてテレビ局を買収しようとするのは、まったく未来のビジョンを描ききれて
いないといわざるを得ないのです。
要するに、“ムラ社会”日本の“ヒルズ族”と称する面々には、世界のIT分野の最先端を行くだけの
才能もなく、米国流投機家ビジネスモデルの真似をしているだけであって、“ジョージ・ソロス”には
なれても、“ビル・ゲイツ”には絶対になれないのです。





