雪月花に酒


 安土城跡は、現在は総見寺の土地のようで、入山入口には総見寺に入山料を納めることになります。


 たしか500円で、1000円払うとお茶とお菓子に現在の総見寺で安土城関連の資料を見ることができます。


 総見寺は本来は仁王門や三重塔があったあたりにあったようですが、現在は徳川家康公館跡地にあります。


 上の写真はいただいたお茶とお菓子。

 

 羊羹は豆羊羹で、凍らせたもので、暑い日の茶菓子に最適でした。


 庭や茶室の写真もあったのですが。


 あまり気に入ったものがなく。


 写真はなんとなくとると結果もまたなんですよね。


 いろいろ考えてじっくりと撮らないと。

雪月花に酒


 これは、総見寺にある信長公の絵。


 命日が近かったための特別公開だったと思います。


 もともと、総見寺の見学が、4月から一定の期間、しかも日曜祝日のみの公開とのこと。


 また雨天時は中止とも。


 タイミングよく訪ね、この絵が見られたのは良かったと思います。


 入山の時に同時に御朱印(印刷)を求める事が出来ます。


 記念にいいかと思います。





雪月花に酒


 この写真は近江八幡の水路の菖蒲。


 近江八幡はかつて羽柴秀次の居城八幡山城の城下町。


 織田信長の安土城が炎上したのちに、この地に入った秀次は、安土城下の商人たちを集め、この地へと誘致。

 そして、近江商人のために自分の城であった八幡山城の水堀を水路として開放した。


 その治世は良いもので、近江商人たちは感謝したといいます。


 そのため、のちに豊臣秀吉によって高野山へ送られた上に切腹を賜ったときに大いに悲しんだといいます。

 

 また、秀次は後に摂政関白として有名になりますが、近江八幡では良い君主として知られており、摂政関白は秀吉によって作られたイメージなのだという事です。


 歴史とは伝える者によってイメージがかわり、時に被害者と加害者さえ入れ替わることもありますからね。


 それが、わかるとまた面白いのが歴史ですが。


 
雪月花に酒

 これは、叢雲御所内の写真。


 八幡山城は、石垣のみが残っており、これはその石垣の上に京都から移築された叢雲御所。


 窓ガラスに使われている板硝子は古いもので波打っています。


 このガラスがとても好きなんですよね。


 木枠なのもまた、風情があっていい感じです。


 生活するには不便ですが。

 

 
雪月花に酒


 これは水路沿いにあった喫茶店。


 赤い傘が鮮やかで美しいです。

雪月花に酒

 

 こういう和傘はいいですね。


 最近は和傘風の傘も普通に販売されていて愛用しています。



 さて、今更ながら写真を整理したので久しぶりに写真ブログらしく写真をのせようと思います。

 
 これは今年の六月に言った安土城址。

 昔、子供の頃に来たことがあり、あれも暑い夏でした。

 おそらく、7月。

 今回は梅雨入り前の初夏。

雪月花に酒

 実際に登ったのは新しく発掘され整備された大手門側からなのですが、中学か、高校の頃に登ったのはこちらの総見寺のあった方から。

 結構急な階段で、仁王門が見えます。
雪月花に酒

 これは上から仁王門を見下ろした感じ。

雪月花に酒

 天守閣跡に向かう道も森に囲まれつつある良い雰囲気の道です。

 発掘されたとはいえ、自然に飲まれつつある姿というのはどこかいいものです。

 人の技術力がどれほどあろうと、月日と自然の前には無力で、人がいなくなれば自然に飲み込まれるものです。

 森になったり、砂漠にのまれたり、海に沈んだりといろいろな形で痕跡は飲み込まれていくのだと思います。
 
雪月花に酒

 上の写真は大手門の階段にあった石仏。

 安土城は、初めて戦争のための城ではなく権威付けとしての意味合いのある城で天守閣がありました。
 その基礎には多くの石が使われました。

 信長は支配下の寺社仏閣からも多くの石を集めたといいます。

 菩提維持にあった織田家の墓石まで使ったといいます。
 
 そう言った話の裏付けとしての石仏です。

雪月花に酒

 現在の総見寺の入口にあった石仏。

 庚申塚っぽいものもありました。

 発掘されたものかもしれません。

 それが安土城のものなのか、大手道の上に再建されていたという総見寺のものなのかは、わかりませんが。

雪月花に酒

 最後は大手道を上から見下ろした写真。

 写真左手に現在の総見寺があり、そこは徳川家康邸だそうです。

 同じく左手手前には前田利家邸があり、右手には羽柴秀吉邸があったそうです。

 時代の変革の時にあったお城なんですよね。

 写真は遅れましたけど、ちょうど、タイムスクープハンターの映画もありますし、そう言う意味ではちょうどいい頃合かもしれませんね。


 ちなみに安土城資料館関係で天守閣再現されたものがあり見てきましたし、写真も撮りましたがブログなどでの公開はダメなのだそうです。

 見たい人は自分の目で確かめてください。



 最近、セブンイレブンに山形のだしが売ってるわけですよ。

 で、これを絹ごし豆腐の上に載せて、だしつゆをかけていただくのが嵌っています。

 これが美味しい。

 さらに、これに納豆をいれて一緒にぐちゃぐちゃに混ぜたものをご飯に載せて食べるのも美味い。

 納豆の場合は、山形のだしではなく、下茹でしたオクラを刻んでもいい。

 あとは、大根おろしなんかもあり。

 大根おろしならしらすも加えてもいいね。

 そんなわけで、豆腐が止まらない夏です。

 しばらくこのブームは続きそう。

$雪月花に酒

 運動不足解消のため、近所の公園へ散歩へ。

 思えば、公園の遊具が変わった。

 というか減った。

 僕らが小学生の頃は学校の校庭には多くの遊具があった。

 ブランコ、箱型ブランコ、滑り台、ローラー式滑り台、シーソー、ぶら下がりシーソー、ジャングルジム、回転型のジャングルジム、回転遊具、雲底、登り棒、鉄棒、木製遊具、木製複合遊具、砂場。

 このうち、見るのは、滑り台、ブランコ、ジャングルジムぐらいかな。

 滑り台やジャングルジムも鉄製ではなく、樹脂製だったり、ブランコも座る部分が柔らかい素材だったりと変化してる。

 写真ものは老朽化でくちて閉鎖された公園。

 確かに馬鹿な常識を超えた遊び方をしていたし、そのためにけが人がでたし、最悪の死亡事故もあったと思う。

 回転遊具は確か死者がでたとかで、小学生の頃に使用禁止になった。

 ほかの遊具も骨を負ったとか、大怪我したとかで、徐々に姿を消していったのは覚えてる。

 砂場は、猫とか動物の糞が問題になったとか…

 まあ、今は場所によっては糞どころか放射線の問題もあったりするわけですが。

 子供が遊ぶ遊具なんてものはどんな形であれ、危険性に溢れているとも思えてきます。

 マグカップで旦那さんを殺す人だっているわけですし。

 遊具の正しい遊び方は、幼稚園や小学校で教わった覚えもないですが、親か先生に教わったんだろうとは思います。

 それでも、結局、正しい遊び方では飽き足らずに、危険な遊び方へこちらでアップデートしたわけです。

 高速シーソーとかやってた結果、チェーンでがんじがらめにされるわけです。

 ブランコから飛び降りたり、箱型ブランコを高速で動かしたりしてこれもがんじがらめにされるわけです。

 その責任はどこにあるかと、言われたら、やはり僕らにあるとは思うのです。

 たとえ子供だったとしてもね。


 この遊具の危険性はとても新しい問題で、経験値がないから、難しいのだと思います。

 百数十年前の江戸の終わりには、公園に遊具があって子供たちが遊び、怪我する危険はなかったでしょう。

 その代わりに、川や山、長屋、寺社、路地で遊ぶ子供たちには別の危険がいっぱいあって、医療レベルもあって成人するのも当然ではなかったろうし、夭逝する人もいたわけです。

 時代はかわり、平穏な時代になり、かわりに川や山が汚染されたり、路地は車が行き来し、かつて子供が遊んだ場所は別の危険がいっぱいになり、新しい安全な遊び場として、学校の校庭、公園が現れたのです。
 ところが、その安全と思った場所でも、遊具による危険がいっぱいだと気がつき始めるのです。
 遊具の危険性に気がついたのは最近で、僕らの世代はおそらく遊具そのものの黎明期だったと思えます。

 ジャングルジムなどは知的発育を手伝うとか意味があったと思うし、子供の生育に必要な運動が可能で、遊べるという意味合いの遊具が多かったのではと思います。
 それは、大人が考える常識的な遊び方であれば、安全だと思われていたわけです。
 ところが、覆す子供たちが阿呆な我々が現れ、怪我をしたり、危険性を実証した。

 そう考えると、公園の遊具は時代に淘汰されていくものなのでしょう。

 最近は大型ショッピングモール内に柔らかなジャングルジムなどの遊ぶ空間があり、安全性を重視した形の遊び場が新しく生まれてきているのだと思います。

 公園から遊具が完全に消えるというのも近いのでしょうね。

 どこかさみしい気もしますが。