この写真は近江八幡の水路の菖蒲。
近江八幡はかつて羽柴秀次の居城八幡山城の城下町。
織田信長の安土城が炎上したのちに、この地に入った秀次は、安土城下の商人たちを集め、この地へと誘致。
そして、近江商人のために自分の城であった八幡山城の水堀を水路として開放した。
その治世は良いもので、近江商人たちは感謝したといいます。
そのため、のちに豊臣秀吉によって高野山へ送られた上に切腹を賜ったときに大いに悲しんだといいます。
また、秀次は後に摂政関白として有名になりますが、近江八幡では良い君主として知られており、摂政関白は秀吉によって作られたイメージなのだという事です。
歴史とは伝える者によってイメージがかわり、時に被害者と加害者さえ入れ替わることもありますからね。
それが、わかるとまた面白いのが歴史ですが。
これは、叢雲御所内の写真。
八幡山城は、石垣のみが残っており、これはその石垣の上に京都から移築された叢雲御所。
窓ガラスに使われている板硝子は古いもので波打っています。
このガラスがとても好きなんですよね。
木枠なのもまた、風情があっていい感じです。
生活するには不便ですが。
これは水路沿いにあった喫茶店。
こういう和傘はいいですね。
最近は和傘風の傘も普通に販売されていて愛用しています。



