何とかなるさ...の世界!? -19ページ目

何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

この事について書くことを躊躇していたのですが、今朝見た夢の内容から書かなければならないのだと示されたので、ここに記す事にします。

 

実際のところ、悲しいことに、今日の多くのカルト的宗教、或いはキリスト教会の中には、この隠れナルシストと呼ばれる人達が潜んでいる事は否めない事実だと実感します。

 

以下に、隠れナルシストの特徴となる項目を挙げることにします。

 

 

 

1.過度な自己重要感-誇大性

誇大性とは、非現実的な優越感(他者よりも優れているという自分立場)を指し、ナルシストが軽蔑、劣等感、独自性を用いて他人を見る時に発生します。

 

●隠れナルシストと判断される。

 

●他者への影響について、その洞察力の欠如が観察される。

 

●公然とした自己増強によって自尊心を規制している傾向がある。

 

●弱点の否認

 

●肩書きへの要求膨張

 

●期待が満たされない事への首尾一貫した怒り

 

●自尊心を脅かす人々への切り下げ(脱価値化)

 

●期待と現実について、その差が引き起こす不協和音への意識軽減

 

●壮大なファンタジーのあからさまな披露

 

●環境における経験であって、自身が非現実的な期待であったとは解釈されない。

 

2.共感性の欠如

 

①他人を理解できない。

②感情のコントロールが難しい。

③過剰な批判

④焦燥感(いらいら)

⑤最小限の赦し(赦すことがなかなか出来ない。)

⑥聴く力が弱い。

⑦自己中心的

⑧被害者非難(実際は自分が加害者なのに被害者叩きをする。)

 

3.過剰な賞賛の必要性(人からの自分への注目と賞賛欲求)

 

4.権利意識

 

特別な扱いに値するような事を殆ど、或いは何もしていないのにも関わらず、自分は当然恩恵を受けているという感覚。

 

5.浅い人間関係(表面的な人間関係に囲まれる。)

 

クリスチャンの隠れナルシストは、とても気を使っているように見えますが、その実それは見せかけであり、誇張されたものでしかありません。

 

6.搾取者(私利私欲のために他人を利用する。)

 

7.変化に適応しようとしない。

 

8.誇大妄想を経験する人は、自分を偉大な存在、高度な達成者、他人より重要な存在、或いは魔法にかけられた存在と見なす。

 

 

このビデオに取り上げられているカリスマ派やペンテコステ派のリーダー達も又、ナルシストの類に数え上げられるのではないでしょうか。

 

第二テモテ3章

1)終りの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

 

2)そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な(思い上がった態度を取る)者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

 

3)情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、

 

4)裏切る者、向こう見ずな者、慢心する(おごり高ぶる)者、神よりも快楽を愛する者になり、

 

5)見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

 

 

 

 

 

出エジプト19章16節/Exodus 19:16 (HNV)

三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民は震え上がった。

 

It happend on the third day, when it was morning, that there were thunders and lightnings, and a thick cloud on the mountain, and the sound of an exceedingly laud shofer, and all the people who were in camp trembled.

 

イザヤ書29章6節/Isaiah 29:6

万軍の主は、雷と地震(マタイ24:7、マルコ13:18、ルカ21:11、黙示11:13)と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火をもって、あなた(アリエル=エルサレム)を訪れる。

 

She (Ari'el=Jerusalem) shall be visited of the LORD of Hosts with thunder, and with earthquake (Mat 24:7, Mark 13:18, Luke 21:11, Rev 11:13), and great noise, with whirlwind and tempest, and the flame of a devouring fire.

 

黙示録4章5節/Rev 4:5

御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。

 

Out of the throne proceed lightning, sounds, and thunders. There were seven lamps of fire burning before his throne, which are the seven Spirits of God.

 

第二ペテロ1章/2 Peter 1

16)(使徒)たちは、あなたがたに、(使徒)たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この(使徒)たちは、キリストの威光の目撃者なのです。

 

For we (apostles) did not follow cunningly devised fables, when we (apostles) made known to you the power and coming of our Lord Yeshua the Messiah, but we (apostles) were eyewitnesses of his majesty.

 

17)キリストが父なる神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」

 

For he received from God the Father honor and glory when the voice came to him from the Majestic Glory. "This is my beloved Son, in whom I am well please."

 

18)私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかった声を、自分自身で聞いたのです

 

This voice we heard come out of heaven when we were with him in the holy mountain.

 

19)また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けになって、明けの明星(黙示22:16)があなたがたの心の中に上るまで(第二コリント4:6、第一ヨハネ3:2~6)は、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めるとよいのです。

 

We have the more sure word of prophecy, where unto you do well that you take heed, as to a lamp shining in a dark place, until the day dawns, and the day star (Rev 22:16) arise in your hearts (1 John 3:2-6):

 

エペソ5章14節/Ephesians 5:14

明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われます。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。(イザヤ26:19、51:17、52:1、60:1)

 

Therefore he says, "Arise, you who sleep, and arise from the dead, and Messiah will shine on you. (Isaiah 26:19, 51:17, 52:1, 60:1)"

 

第二コリント4章/2 Corinthians 4

5)(使徒)たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。(使徒)たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。

 

For we (apostles) don't preach ourselves, but Messiah Yeshua as Lord, and ourselves as your servants for Yeshua's sake.

 

6)「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。

 

Seeing it is God who said, "Light will shine out of darkness," who has shone in our hearts, to give the light of the knowledge of the glory of God in the face of Yeshua the Messiah.

 

第二ペテロ1章/2 Peter 1

20)それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

 

Knowing this first, that no prophecy of Scripture is of private interpretation.

 

21)なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

 

For no prophecy ever come by the will of man: but holy men of God spoke, being moved by the Ruach Hakodesh.

 

 

 

 

 

出エジプト12章/Exo 12 (HNV)

12)その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトtの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々(堕天使)にさばきを下そう。わたしは主である。

 

For I will go through the land of Mitzurayim in that night, and will strike all the firstborn in the land of Mitzrayim, both man and animal. Against all the gods (fallen angels) of Mitzrayim I will execute judgments: I am the LORD.

 

13)あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。

 

The blood shall be to you for a taken on the houses where you are: and when I see the blood, I will pass over you, and there shall no plague be on you to dstroy you, when I strike the land of Mitzurayim.

 

29)真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる捕虜の初子に至るまで、すべての家畜の初子をも打たれた。

 

It happened at midnight, that the LORD struck all the firstborn in the land of Mitzurayim, from the firstborn of Par'oh who sat on his the throne to the firstborn of the captive who was in the dungeon; and all the firstborn of cattle.

 

30)それで、その夜、パロやその家臣および全エジプトが起き上がった。そして、エジプトには激しい泣き叫びが起こった。それは死人のいない家がなかったからである。

 

Par'oh rose up in the night, he and all his servants, and all the Mitzurayim; and there was a great cry in Mitzurayim, for there was not a house where there was not one dead.

 

アモス書5章/Amos 5

16)それゆえ、主なる万軍の神、主はこう仰せられる。「すべての広場に嘆きが起こり、すべての通りで、人々は『ああ、ああ。』と言い、農夫を呼んで来て泣かせ、泣き方を知っている者たちを呼んで来て、嘆かせる。

 

Therefore thus says the LORD, the God Tzva'ot, the LORD: "Wailing will be in all the broad ways; And they will say in all the streats, 'Alas! Alas! And they will call the farmer to mourning, And those who are skilful in lamentation to wailing.

 

17)すべてのぶどう畑に嘆きが起こる。それは、わたしがあなたがたの中を通り過ぎるからだ。と主は仰せられる。

 

In all vineyards there will be wailing; For I will pass through the midst of you," says the LORD.

 

エゼキエル書9章4節/Eze 9:4

主は彼に仰せられた。「町の中、エルサレムの中を巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々(男性)の額にしるしをつけよ。

 

The LORD said to him, Go throuth the midst of the city, through the midst of Yerushalayim, and set a mark on the foreheads of the men that sign and that cry over all the abominations that are done in the midst of it.

 

黙示録7章/Rev 7 (Esv)

3)「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」

 

Saying,"Do not harm the earth or the sea or the tree, until we have sealed the servants of our God on their foreheads.

 

4)それから私が、印を押された人々の数を聞くと、(全世界に散らされた)イスラエルの(男性)子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった

 

And I heard the number of the sealed, 144,000, sealed from every tribe of the sons of Israel (scattered all over the world).

 

黙示録9章4節/Rev 9:4

そして彼ら(さそりの持つような力が与えられたいなご)は、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。

 

They (Locusts given such power as the scorpion possesses) were told not to harm the grass of the earth or any green plant or any tree, but only those people who do not have the seal of God on their foreheads.

 

黙示録14章1節/Rev 14:1

また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、子羊の父の名とがしるしてあった。

 

Then I looked, and behold, on Mount Zion stood the Lamb, and with him 144,000 who had his name and his Father's name written on their foreheads.

 

 

 

 

 

チャーチアニティ(教会性)という言葉を知りませんでしたが、この言葉の意味は、イエス様についての神学や霊的な教えよりも、教会生活のキリスト教の習慣や教会の制度的伝統を実践することを重視し、イエス・キリストの教えについてではなく、教会生活に焦点を当てすぎる性質の事を言うのだそうです。

 

正に、今現在の多くの教会がチャーチアニティ化しているような気がしてなりません。

 

 

 

彼等は色々な事を沢山話し、そして招待状が届くと、まるで誰もが正気を失ってしまいそうになります。

 

誰かの所に歩いて行き、神は貴方を愛しており、そして貴方の人生に素晴らしい計画を持っていると言います。

 

それをアメリカ人に言うと想像します。

 

神は貴方を愛していて、貴方の人生に素晴らしい計画を持っています。

 

「何ですと?神が私を愛していると?それは素晴らしい!だって、私も自分を愛しているから!」

 

神は素晴らしい計画を持っています。

 

私も自分の人生の素晴らしい計画を持っています。

 

そして、私がもし私の人生の中に神を受け入れるなら、私は今、最高の人生を送れるでしょうか。

 

これは、全くもって素晴らしい事です。

 

それは、聖書的伝道ではありません。

 

その代わりのものをあげましょう。

 

神はモーセに来て、モーセはこう言います。

 

「主よ、主よ、神は情け深く恵み深く、怒るのに遅く、愛ある優しさと真実に満ち溢れ、不法、違反、罪を赦して下さる、何千人もの人々に愛ある優しさを持ち続けて下さる真理なお方です。」

 

とはいえ、罪を犯した者を罰せずにはおかないでしょう。

 

モーセの反応は、急いで地にひれ伏し、礼拝しました。

 

伝道は、神の性質から始まります。

 

神とは誰ですか。

 

人は自分の罪について何か認識できるでしょうか。

 

もし、彼が自分自身を比較する基準を持っていないとしたら?

 

もし、私達が何も言わなかったら?

 

しかし、肉欲をくすぐるような神に関するつまらない事で、その人が本物の悔い改めと信仰に導かれる事があるでしょうか。

 

私達は、神が貴方を愛しており、素晴らしい計画を持っているというところからは始めません。

 

私達はまず、神がどのようなお方であるのか、その全容を語ることから始めます。

 

そして、私達は最初から、それが彼の命を犠牲にするかもしれないと彼に言います。

 

その後、私達は探索的な質問をします。

 

「ねえ、貴方は罪人ですよね。」

 

数年前に母がガンで亡くなったようなものです。

 

医者がその日の内にやって来て、「やあ、バーブ、貴方はガンです。」と言うようなものです。

 

私達は、それを表面的に扱っています。

 

いや、待って、厳粛でも何でもない。

 

だから、貴方には恐ろしい病気があり、そして裁きが来ています。

 

というのも、もし貴方が男性に、「貴方は罪人です。行って悪魔に尋ねて下さい。もし、悪魔が罪人であると認めるなら、貴方は罪人です。」と言えば良いからです。

 

私は、「そうですね。」と言うでしょう。

 

見方によっては非常に良いもの、或いは、非常に悪いものになります。

 

しかし、そう、私は罪人なのです。

 

質問は、自分が罪人である事を知っているかどうかではなく、福音の宣教によって、聖霊が貴方の心に働きかけ、変化が起きたかどうかという事なのです。

 

かつて愛していた罪を今は憎み、かつて熱望して抱きしめていた罪を、まるでドラゴンから逃れるかのように、そこから逃げたいと思うのです。

 

それから質問です。

 

「貴方は、天国に行きたいですか。」

 

これが、私が子供達を98%の日曜学校や、休暇中の聖書学校、福音主義の教会に行かせたくない理由です。

 

というのも、イエス様の映画を上映した後、「イエス様って素晴らしいでしょう」と言って立ち上がるお人好しがいるからです。

 

あなた方の中で、イエス様を愛している小さな子供達は何人いますか。

 

誰がその小さな心にイエス様を受け入れたいと思うでしょうか。

 

そして、彼等は洗礼を受けるのです。

 

また、彼等はある種のキリスト教文化、つまり教会文化の中で育ったので、少々の歩みはするかもしれません。

 

そして、彼等が15、16歳になると、彼等の意思が強くなり、その束縛を断ち切り始めます。

 

邪悪な生き方を始めると、私達は「貴方はクリスチャンです。そのように生きてはいけません。後戻りしてはいけません。」と言いながら、彼等を追いかけます。

 

聖書的に彼等に言う代わりに、こう言うのです。

 

「貴方はキリストへの信仰告白をしました。洗礼の時もキリストを告白しましたが、今ではキリストから背を向けたようです。自分を吟味し、試しなさい。」

 

貴方が真に改心したという証拠は殆どありません。

 

そして、大学を卒業して24、25歳、おそらく30歳になると、彼等は自分の人生を再び教会に捧げ、アメリカの教会を包含する擬似キリスト教の道徳に直ぐに加わります。

 

そして終わりの時に彼等は、この言葉を耳にするのです。

 

「私はあなた方を全然知らない。不法をなす者ども。私から離れて行け。」左矢印マタイ21章23節

 

貴方は、「ポール兄弟、貴方はとても怒っています。」と言うでしょう。

 

私には怒る権利がないのでしょうか。

 

誰かが怒るに違いありません。

 

リバイバルを叫んでも、私達にはその基盤が整っていません。

 

ああ、そのリバイバルが来て、私達の基盤を正すでしょう…。

 

目と耳を開いて聖書を目の前にしている時、私達はどうするでしょう。

 

正すべきではないでしょうか。

 

「天国に行きたいですか。」

 

親愛なる友よ、誰もが天国に行きたいと思っています。

 

彼等はただ、天国に着いた時に神がそこにいることを望んでいないのです。

 

質問は、「貴方は天国に行きたいですか。」ではありません。

 

質問は、「貴方は神を望みますか。貴方にとってキリストは貴重な存在となりましたか。貴方はキリストを望んでいますか。」です。

 

それが、(神の)政治理論の全てです。

 

親愛なる友よ、誰もが皆、天国に行きたいのです。

 

しかし、人間は神を憎んでいます。

 

つまり質問は、「もう傷つく事がなく、欲しい物が全て手に入る特別な場所に行きたいですか。」というのではありません。

 

質問は、「キリストを望みますか。貴方にとってキリストは貴重な存在となりましたか。」です。

 

多くの場合、人が祈った後、「天国に行きたいですか。」と言われます。

 

「はい、勿論。」

 

「では、心の中にイエス様が来て下さるよう祈ってみてはいかがでしょうか。」

 

その方法論を使って救われる人もいますが、その方法論によって救われる訳ではありません。

 

「貴方はキリストを望んでいますか。自分の罪が分かりますか。」

 

「ああ、はい、分かります。」

 

「ここで、悔い改めがどのようなものなのかを説明している幾つかの聖句を見てみましょう。聖霊が貴方の人生でこれが起こった事を証言していますか。砕かれているのが分かりますか。貴方が立ち向かって来た全てが崩壊し、今貴方の心は神についての新たな思いと新たな願望、新たな希望で満たされているのが分かりますか。」

 

「はい、分かります。」

 

それが今の悔い改めの最初の成果かもしれません。

 

キリストに身を委ねて下さい。

 

彼を信頼して下さい。

 

そして、私の話を聞いて下さい。

 

貴方には、人々に福音を伝える権威があります。

 

貴方には、どのように救われるか人々に教える権威があり、聖書の原則を教える権威もありますが、人々に彼等が救われていると伝える権威はありません

 

それは、神の聖霊の働きです。

 

しかし、その小さな事を彼等に説明する時、

 

「心の中にイエス様を迎えましたか。あなたは誠実だったと思いますか。」

 

「はい。」

 

「彼が貴方を救ってくれたと思いますか。」

 

「分かりません。」

 

「勿論、貴方が誠実だったので彼は貴方を救ったのです。そして、もし貴方が入って来るように頼めば、彼は入って来て、貴方が救われているのを確認すると約束されました。」

 

そして、5分間のカウンセリングの後、彼等は教会から出て行き、伝道者は食事をしにデニーズに行き、その人は(人生の)道に迷うのです。

 

その人は迷子です。

 

彼等が自分の救いを疑う事があるなら、それは非聖書的な招きです。

 

もう一度言いますが、もし彼等が自分達の救いに疑問を抱いているなら、ある時点に戻ってみることです。

 

「貴方の人生の中で、貴方は祈り、イエス様に来て下さいとお願いした事がありましたか。」

 

「はい。」

 

「貴方は誠実でしたか。」

 

「そう思います。」左矢印確信のない返事

 

「それは、貴方を悩ませている悪魔です。」

 

たとえ彼等が成長せずに生きていても、成長がなく肉欲が続く教会の状況下であっても、恐れがありません。

 

私達は、それを個人の弟子としての資質が欠けているせいだと考えています。

 

そして私達は、それを肉的なクリスチャンの教義として片付けます。

 

肉的なクリスチャンの教義は、より多くの命を破壊し、より多くの人々を地獄に送り込んで来ました。

 

クリスチャンは罪と闘っていますか。

 

はい。

 

クリスチャンは罪に陥る可能性がありますか。

 

全く持って。

 

クリスチャンは、実を結ばずに生涯ずっと肉欲の継続的な状態を生き続け、真にクリスチャンである事が出来るでしょうか。

 

全く持って出来ません。

 

それとも、契約における新約聖書に関する旧約聖書の約束は全て失敗し、へブル人への手紙で規約について神が述べた事は全て嘘なのでしょうか。

 

木はその実によって分かります。

 

私達が人々と回心運動に取り組んでいる時、神の事柄について多くの事を理解している説教者を見て来ましたが、模範的な福音の提示を行なった後でさえ、彼等は再びこの方法論に陥るのです。

 

ポール・ウォッシャー牧師説教より

 

 

 

NAR(新使徒改革)の指導者達は、世界がキリストが再臨する直前に終りの時代のリバイバルを見るだろう事を信じています。

 

NARの使徒や預言者、伝道者や牧師、そして教師達は、来るべきリバイバルの期待を高め、この予言的出来事の緊急性を強調します。

 

説教や講演では、聖徒の集合や終りの時代の収穫など、聞き手の注意をこの予言に集中させるために、様々なキーワードが使われています。

 

集会はリバイバルをテーマに宣伝され、本や文献は小さなリバイバルの一つが、予言されている世界的なリバイバルをもたらすかもしれないという考えを進展させています。

 

NAR以外の多くのクリスチャンにとって、終末のリバイバルという概念は非常に懐疑的なものなのです。

 

殆どのキリスト教徒は、そのような出来事を見ることを喜ぶでしょうが、そのようなリバイバルの可能性が非常に低い事を示唆する聖書の重要な箇所(第二テサロニケ2章1~3節)を再認識しています。

 

彼等はまた、終末リバイバルの概念を支持するために使用された一部の聖句は見当違いであり、代わりに聖書の歴史の中で起こった出来事に言及していると指摘しています。

 

NARの指導者達が、終末のリバイバルを送って下さる事を忘れて祈る時、彼等はしばしば、NARの使徒と預言者に権力が移行するまでの歴史の中で、現代の初期の原型の一つであったアズサ・ストリート・リバイバルを神に思い起こさせます。

 

NAR版アズサ・ストリート・リバイバルによると、このリバイバリスト達は、聖なる神聖な超自然的な出来事を体験し、無数の人々がリバイバルに参加し、即座にペンテコステ派の信仰に改宗したと言っています。

 

興味深い事に、現代のペンテコステ派のグループの中には、アズサ・ストリートのNARの使徒達の議題や終末のリバイバルがどのようなものであるかという概念と関係があるかもしれないというNARの考えを否定するものもあります。

 

彼等はNARの神権主義と支配主義の観念形態に反対しているだけでなく、アズサ・ストリートで起こった事の歴史にも精通しています。

 

アズサ・ストリート・リバイバルに関連するNAR版の歴史は、まるでおとぎ話のようです。

 

もし時間を巻き戻して、1906年のリバイバルを訪れる機会があったとしたら、現在のNARの中で参加した人は殆どいないでしょう。

 

 

 

NARの指導者達は、しばしば自分達をアズサ・ストリート・リバイバルの歴史家だと考えています。

 

リバイバルはしばしば、聖霊の注ぎが数ヶ月に渡って起こる、神の霊感による聖なる出来事と表現されます。

 

これらの歴史家と呼ばれる人達は、リバイバルに参加したペンテコステ派か、参加した人と親しい間柄にあったペンテコステ派の人達から聞いた話しに基づいて、この出来事について殆ど一方的な見解を示しています。

 

NARに関する主な魅力は、ペンテコステ派がリバイバルの間に信者に譲渡されると信じていた異言を話す賜物でした。

 

しかしながら、その話題は部分的には真実であり、新聞が奇妙な舌の泡と呼んだものは、多くの観衆を魅了しました。

 

改宗者といわゆる未信者が混ざって、この騒ぎを興味津々に見ていました。

 

(このアズサリバイバルは)NARが描いたイメージとは異なり、ペンテコステ信仰への新たな改宗は目的ではありませんでした。

 

出席した好奇心旺盛な人々は未信者として非難され、ウィリアム・シーモアは、リバイバル開始から2週間も経たないうちに、彼等の魂に非難の言葉を浴びせかけました。

 

1906年4月18日付の日刊ロサンゼルスタイムズ紙に記事が掲載された事で、世間は突如としてこの異常な光景に気付いたのです。

 

緊張は劇的に高まりました。

 

チャールズ・フォックス・パーハムの神学をシーモアが解釈した事に共鳴する人達だけの小さなリバイバル集会として始まったものが、たちまち、潜在的なパーハムが主役の宗教サーカスとなり、緊張は劇的に高まって行きました。

 

リバイバルの参加者の内、この宗教に改宗したのは十人に一人だけであると推定されており、後の残りは入場無料のスリルを味わうだけの参加者でした。

 

 

NARが主張するように、異言を語ることがリバイバルの主な魅力でしたが、後世の記述にあるような理由ではありません。

 

聖書からの説教は、いくつかの理由からごく僅かなものでした。

 

大騒動になる前に、シーモアは舌の教義に関するパーハムの理論を教えに来ていました。

 

ニュースが広まり、いわゆる未信者達がその過程を調べ始めた時、シーモアは宗教的熱狂のエピソードの合間に、僅か一語か二語の間隔で聖書を読んでいた事が分かりました。

 

また、読み書きの出来ない者達が、神から聖書を読む力を与えられたと主張したのですが、この新しい力を示す事は出来ませんでした。

 

大勢の観客を集めた珍しいアトラクションは、これだけではありませんでした。

 

NARの使徒達は用語上の別名、いわゆるホーリーキック(聖なる蹴り)について言及していません。

 

この省略は、ホーリーキッカーが危険な状態になった時、市職員が現場に呼び出されたという事実によるものと考えられます。

 

リバイバルが始まって僅か数週間で、リバイバリストたちは熱狂の渦に巻き込まれました。

 

何人かの参加者は犬のように吠え始め、他の参加者は床を踏み鳴らし、何人かの女性は床に横たわり、ヒールを空中に蹴り上げ(ホーリーキック?)、礼拝中に体の一部を露出させていました。左矢印制御不能の無法地帯状態?=無秩序

 

 

 

そのため、新聞はストリップクラブのような露出狂が許されている以上の露出をしていると指摘したほどでした。

 

何人かのキッカーは、外に飛び出し、男性の首に腕を回して男性同伴者を連れて戻って来ました。

 

目撃者の証言によれば、一人の男性が辛うじて狂気から逃れたと言います。

 

中には、より力を享受するために夫と子供を捨てたと公言する女性もいました。

 

男性も女性も、その時代のキリスト教徒らしからぬやり方で公然と抱擁を交わし、好奇心旺盛な数人の少女達がリバイバルに無防備に入り込む原因となったようです。

 

聖書から一つか二つの御言葉を読み上げ、蹴ったり踏みつけたり、意味不明な言葉を発したりする間に、預言者達は主からのものとされる言葉を預言として口にし始めました。

 

それら記録されている英語での外れた多くの予言は、一部の男性によって、その予言が既知のものでない言葉を発したため、グループにとって役に立たないと主張されました。

 

その他の予言には、鉄道は曲がって使えなくなるという予言や、鋼鉄製の桁が落下し、ロサンゼルスの大規模なビルが崩壊することも予言されていました。

 

ある予言では、自動車は動力がなくなると突然停止すると宣言したり、シカゴやロサンゼルス、そしてパサディナのような大都市の完全崩壊が予言されました。

 

警察がたびたびそのリバイバルに呼ばれましたが、それは単に、人々を妨害したためではありません。

 

新たに改宗した人の中には、心神喪失で逮捕される前に、猥褻な言葉を使った者もいました。

 

一人の男性がアズサ・ストリート・ミッションの外で所持していた宝石で刺されました。

 

その男性は、名誉の問題であり、教会の前で数人の男の内の一人に刺されたのだと言う事以外には、相手や宝石の入手理由についての詳細を語ろうとしませんでした。

 

ミッションに参加した女性達の何人かが、夫の下を去ったという事実を考慮すると、この宝石について重大な疑問が生じます。

 

警察の報告書から、キリストへの改宗は、アズサ・ストリート・リバイバルの議題に含まれていなかったことが明らかになっただけでなく、集会に参加していた未信者達は、リバイバルの指導者達から罵られていた事が判明しました。

 

しかし、62歳のE.P.ハレンのように、身体的暴行を受けた者もいました。

 

どうやら、リバイバルの終わり頃、アズサ・ストリート・リバイバルに参加していた牧師達は、罪人の参加は認めないと公言したようです。

 

ハレン・ローズが教えを請いながら罪を告白しようとすると、数人の信徒が彼を掴んで建物から追い出しました。

 

老人がひどい打撲を負い、病院に運ばれました。

 

アズサ・ストリート・リバイバルで行なわれた出来事のNAR版の多くは、終りの時代のリバイバルの議題を促進することだけを目的とした虚構です。

 

(アズサ)リバイバルの一面は、NARのリバイバルとよく似ています。

 

警察の報告書から、リバイバリスト達がチャネリング(媒介)した、いわゆる(明らかに聖霊でない)が、平和のためのものでない事は明らかでした。

 

四六時中騒ぐリバイバリストを制止するために警察が呼ばれても、彼等は殆ど応じず、平和を乱したとして逮捕されることもありました。

 

中には、刑務所で同じような騒ぎを起こしながら、永遠の炎が警察本部長を苦しめるよう神に祈る(呪う?)者さえありました。

 

警察の外科医が呼ばれ、逮捕された人々を診察したところ、少なくとも一人は感情的な精神異常を来しており、自分が罪を滅ぼしていると信じて、いつ暴力行為を犯してもおかしくないという恐怖にさいなまれている事が分かったのです。