PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK!


My head is Panic! at the Disco(what?)

We Are X!!

X JAPAN及びYOSHIKIの半自伝的ドキュメンタリー映画『We Are X』を、できるだけフラットな視点からレビューというか語る。


We Are X

ウィーアーエックス

ジャンル:ドキュメント

制作:2017年(イギリス)

監督:スティーブン・キジャック

キャスト:X JAPAN、(YOSHIKI、Toshi、PATA、HEATH、SUGIZO、HIDE、TAIJI)、LUNA SEA、DIR EN GREY、MUCC、TAKURO(GLAY)、ジーン・シモンズ(KISS)、マリリン・マンソン、ウェス・ボーランド(Limp Bizkit)、リチャード・フォータス(Guns N' Roses)、ジョージ・マーティン、スタン・リー、デヴィッド・リンチ、and more…


あらすじというか、解説

2014年10月11日のマディソン・スクエア・ガーデン公演に至るまでのX JAPANの経緯を、主にYOSHIKIの半生を中心に、X JAPANのメンバーを始め、国内外のアーティストや関係者へのインタビューを交えながら追っていく映画である。あらすじ?そんなもんはない。筋書きならあるかもね。


誤解なきよう。否、誤解されても別にいいんですけど、私はX及びX JAPAN、そしてYOSHIKIの音楽性も、音楽に対して偏執的で完璧主義な姿勢もリスペクトしているし、大好きです。


しかしながら…は後述。


主にYOSHIKIを中心としたX JAPANのドキュメンタリー映画『We Are X』を再鑑賞した個人的感想。及び考察というか邪推。

本作におけるLIVEシーン等は、流石のアーティストYOSHIKIでありX JAPAN。エンターテイメントであり、非常にフォトジェニックである。若い頃に憧れていたあの頃とは違い、大人になって観てもカッコいいものはカッコいい。これがカリスマ性というやつなのであろう。と思うカリスマのみにゃおんなのであった。終わりる。


んなわけねーだろ!


観ていてもね、X JAPANのファンであるにしろ、音楽から多大な影響を受けているからにしろ、勿論思い出や青春補正があるにしろ、感動するし、泣けるシーンは泣けるんです。例えばHIDEさんを始め、既に亡くなられているTAIJIさんとのエピソードだとか、HEATHさんの言葉であるとか、涙が出そうになるんです。というか出るんです。RIP…
そうだ。X JAPANが始めの解散を発表したのが1997年9月22日。私が14歳を迎える二日前のできごとであった。とんだプレゼントである。その時あんましX知らんかったけど。←おい
しかし、記者会見がなんだか印象的だったことは凄く覚えている。その後の紅白でのHIDEさんの虚無的な姿も物凄く印象的に覚えている。
要するに、私はリアルタイムではなく、中3の夏にギターを本格的に始めて以降、後追いで多大な影響を受けたファンである。だから、リアルタイムで追ってた人には真面目に怒られるかもしれない。
知ったこっちゃないけど。


HIDEさんの訃報も衝撃的だった。そのころHIDEさんはソロ活動をバンバンやっていて、TVとかにもよく出ていたんだよ。

そしてTOSHIさんの洗脳騒動。これもニュースで大きく取り上げられていて、凄く衝撃的だった。


この映画は、YOSHIKIさんのお父様の死、HIDEさんの死、TAIJIさんの死、そして、TOSHIさんの洗脳騒動について、ファンからしたらもうとっくの昔から知ってるこどだよ。とは言え、赤裸々、克明にとまではいかないなかもしれないけど、ってことが、大胆に触れられている。


ここから、冒頭で触れているしかしながら…に言及していきます。


この映画はドキュメンタリーである。特にYOSHIKIにフォーカスを当てたものである。

そこで私が感じたことは、YOSHIKI主体に撮るにしても、あまりにもYOSHIKIをヒロイックに撮りすぎているんじゃないかということ。同時に悲劇的に撮りすぎているんじゃないかということ。

映画って総合芸術である前にエンターテイメントとしての役割があるだろうから、当然と言えば当然、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけれど、悲劇の要因がどれもこれもYOSHIKIという存在をカリスマティックに仕立てるためのネタとして使われてないか?って凄く思ってしまう。言うなれば、監督がか、YOSHIKI自身がだか、もっと別の大きな力だかか分からないけれど、プロデュースだかセルフプロデュースのために、人の不幸が使われていないかということである。要するに偏ったプロパガンダである。

と同時に、そこにビジネスライクなお金の匂いも漂ってくる。


昔からなんですけど、YOSHIKIさんの胡散臭いセルフプロデュース力や、所謂オリジナルではないコンピレーションアルバムの頻発、ボジョレーヌーボばりのアルバム出す出さないの茶番劇には甚だ疑問符がつくし、残念でならないと思っている。

勿論、プロとしてやっている以上、ビジネスを考えるということは大事なことだと分かっている。ビジネスが成立しなければ食べていけないんだから。

だからビジネスそのものを否定するものではない。そのやり方がどうなのかという話なのです。

悲劇は悲劇としてあった。それは現実であり変えることはできない。それも分かっている。30年、40年後、全ての物事が変わり消滅しても、心の傷が消えることはない…その気持ちも痛いほどに分かるつもりである。自分にも無くした(亡くした)大切なモノは、それなりにあるから。それは痛いし辛いし苦しいことだ。自分を責めてしまうことだってある。遺されたものはたまったものではない。分かるんだよ。分かっているんだ。


じゃあ金の匂いちらつかせてないで、黙って勝手に偲んどけ!そして心の傷が消えることはないって分かってんだったら、消えない傷じゃなくて、そういう自分を変えようとしろ!


って思っちゃうんだよ。でも誰しもがそんな強さを持っているわけじゃない。変えたくても変えられない。それも分かるんだよ。でもだからこそ、YOSHIKIさん、アナタのやってることは、凄く矛盾してることなんじゃないか?って、思うんです。いや、矛盾それ自体は誰にでも起こることなんだけれど、罪深いのは、はっきり言えば、ファンをはじめとして、何かと理由をつけて、凡ゆるものをスケープゴートにしてませんかと。

そしてYOSHIKIさんに何か動きがある度に、やれ緊急だ何だと扇動するメディア。一体どうなっているのか。


だからね、そういう側面のメディアやYOSHIKIさんもだけれど、それに迎合する取り巻き連中の姿も、私はあまり観たくも聴きたくもない。THE LAST ROCKSTARS、テメーらのことだ。

生きるために何かに縋ること、それを生き甲斐とすることも別にいいと思います。けど、X JAPANのことなら、YOSHIKIさんのことなら、HIDEさんのことなら、なんでもかんでもwelcome.そんな盲目的信奉者の皆様も、ドクマに囚われてバイアスかけてんのとちゃうぞって思うし、そういう状態であることは勝手だけれど、その信条を押し付けるなと凄く思う。一種のダイバーシティである。自らの多様性を認めてほしくば、他の多様性も認めないと齟齬が生じる。己の理念、信条、教条を曲げないことと、他のそれを捻じ曲げようとすることは全く別ベクトルの話なのだ。


ということで『We Are X』の大衆に向けた作品としての総評

個人的には色々感慨深いけれど、偏りすぎていると感じるので…


星2つ。


『La venus』


You say everything's fake

Everything breaks

The colour of the night veiling your faith

I'll swallow your pain

It bleeds through your veins

'Cause we'll see the day break

Stay true to your heart. La Venus