2011年の6月に始めたこのブログの最初に私はこう書きました。

大上段に構えるつもりは毛頭ないですが、「このまま定年(って正確には定年はないんだけど)を迎えて悠々自適の生活を送るんだわぁ」という将来像が描けないでいます。

結局はそうなるかもしれないし、仮にそうなったとしても満足できる人生の結果そうなるのであろう…という予感はするのですが、そういう結果に落ち着く迄に紆余曲折がありそうな…そんな胸騒ぎがこのところ高まっているのです。



そこから2年もたたない2013年の2月、私は20年以上勤めたこの会社に辞意を伝えました。D社長の会社に転職することにしたのです。

辞意を伝えたその最初の1週間は本当に感情的にぼろぼろでした。もの凄い衝撃を周囲の人達に巻き起こし、その衝撃が反動で自分に返ってくる、その強さに完全にノックアウトされました。もちろん現在の部下の衝撃はとんでもない物でしたし、世界中の人達と仲良く仕事をさせていただいていたため、そのニュースは世界に発信され、そこでも衝撃を起こしました。

いろいろなリアクションがありましたが、大別すると2種類位に別れそうです。
1種類めは友達を失う寂しさです。まるで死んじゃったみたいな喪失感、寂しさ、そういう反応をしてくれた人達は、一緒に随分と泣いてくれました。
2種類めは、「何かここに居ては悪いことがあるんじゃないか?」という不安に駆られる人達です。「あれだけこの会社を愛していたえびのりさんが去って行くというのはよっぽどの理由があるに違いない」と、思い、そのよっぽどの理由というのが、自分は知らないけれどえびのりは知っている重大欠陥なのではなかろうか…という不安です。

どちらの反応にしても、基本的には長く続きはしません。
最初の喪失感の大きな人達には、「これからもずっと仲良くしてね」という友達としての付き合いに変更し、後者の人達には「全く個人的な理由だから(^^)」とにっこりしてあげることで収束してきています。

いずれにしても、本当に沢山の人に仲良くしてもらい、評価していただいていたのだと、有り難く思います。心から感謝です。

そして、このブログを始めた時にはどうなるかさっぱり判らなかった後半戦において、ここで一つの転機を向かえることになりました。

皆さん、今迄本当にありがとう。


去年の11月頃、私のいるビジネスセクターのトップが交代になりました。それ迄のトップは、会社の中で一番大きなセクターのトップになり、まぁいわゆる「栄転」を果たし、我々のセクターのトップはまた全く別のビジネスから横滑りしてきました。彼にとっても、サイズが大きくなったので、栄転です。

年があけ、セクターの施政方針演説がありました。その中で私は「え?」っと思ったことがありました。本当に小さな一言でした。けれど、もの凄く重要なことを彼は言ったのです。

「これから毎月主要な国とは直接電話会議をして、ビジネス状況をレビューしてもらうことにしたよ」

文章で言えば、一文です。多くの人は気にも留めなかったかもしれません。けれど、私は
「え~~~~?!!」と思ったのです。

これは本社にいる自分の直接の部下(各ビジネスユニットのトップ)を飛び越して、現場に状況を聞くと言っているのです。例えば、社長が毎月の数字や状況を聞くのに、部長や取締役を飛び越して、課長や平社員に聞く…と言っているようなものです。

これの何が悪いのでしょうか?実は悪いこと満載なのです。

1. セクターのトップがビジネスユニットのトップに「あなたのことを信じない」と言うメッセージを送っている

そもそも、組織構造は飛び越さないためにそのような構造になっている筈です。飛び越した方が効率よく運用出来るのだとしたら、その飛び越されたレイヤーは「無用の長物」に他なりません。そうなると、飛び越されたレイヤーは神経質になります。そうなると何が起こるか?飛び越されても、自分も同じことを知っているとデモンストレーションをしないといけなくなります。本来ビジネスに邁進してもらいたい各国のオペレーションに2倍以上のレビューを課すことになるのです。ビジネスの邪魔以外の何物でもありません。

2. 各国のオペレーションが告げ口をする

本社の各ビジネスユニットは、そこだけで閉じた宇宙の様な状況になり勝ちです。品質問題が起きて、世界中で売り上げがとまっても、その品質問題は誰が不届きものだったのか?見たいな犯人探しに忙しくて、品質問題そのものはなかなか手が付けられない…といったことも往々にしてあるのです。

セクターのトップが直接国と話すということは、そういった本社の機能不全を痛烈に告げ口する機会を与えます。そもそも、「お前のことは信じない」というスタンスでいる、セクターのトップがそういう告げ口を先に聞いてしまったらどうなるでしょう?ビジネスユニットのトップは苦境に立たされます。すると、多くの人は「保身」に走ります。一生懸命頑張って問題を解決しようとしている担当者を生け贄にして自分の「リーダーシップ」をデモンストレーションする誘惑が増えるのです。

もちろん本社の社内の機能不全がそもそもの問題ではあるのですが、そういう機能不全の多くは実はその生け贄を差し出して「私は潔白です」と言っているリーダー達にあるのです。

最終的に誰が一番損をするかというと、本社の中間管理職です。もしも、彼らが保身に走ればその生け贄はどんどん下のレベルに下がっていきます。下になればなるほど、説明をする力もなければ反撃にでることも出来ません。

こうして陰湿で全員がびくびくする組織が出来上がるのです。


案の定、ビジネスユニットのトップは
「毎月国のレビューを加える」
と、いいだしました。今迄国の状況をまとめてマネージしていたエリアのマネージャーを飛び越して話をするというのです。これは取締役が部長をすっ飛ばして課長か平社員に聞くと言っている様な物です。

ということで…
私が想像した悪い予感が当たりつつあります。

それでなくても、「粛正」と「恐怖」でコントロールする体質のある組織なのです。これで、ますます陰湿さをまして行くファクターが増大した訳です。

ここを立ち去ると決めた時、
「もう、目が合っただけで理由もなくターゲットにされることもないなぁ」と、肩の力が抜けたのが、自分でも一番の驚きでした。

そうして、ここへきて更に陰湿さが増す状況になりつつある…立ち去る決意をしたのは正しかったと、残して行く部下のことを気にしながらもほっとしている私がいるのです。

上の人が自分の部下を「信じない」時、組織は恐怖の増幅機に変身します。それを改めて、反面教師としてここで学んでいます。



D社長が「他からオファーがあったら『うん』と言う前に24時間時間を頂戴ね」と言った頃、トントン拍子に進んでいたお話がありました。

実はそのお話は、D社長の会社の完全な競合だったのです。そして、本当に完全なライバルとしてD社長の会社を叩き潰すのに貢献してほしい…というのが、私がお話をしていた案件でした。

初めてD社長にお会いした時、D社長の会社がどういうところなのか、D社長がどういう人なのか…という純粋な仕事のお話を伺うというだけではなくて、私の心の中には、
「あちらのポジションを受けることになるということは、私はこの人と争うことになるのか…」という気持ちもあったのでした。

ですから、D社長と初めてお会いしてお話が弾み、辞去する頃には
「ご縁があるといいなぁ」と思っていた…ということは、

最初にお会いした時点で私は進んでいたもう一方のお話よりも、D社長と一緒に仕事がしたいと心で決めていた…ということなのです。

だから、もう一方のお話がとまってしまっても、それが全然気にならなかったどころか、実はとまっていて欲しかったのですね。

お互いに一目惚れした…蓋を開けるとそんなことだった訳です。

ご縁というのは本当に不思議です。
細かいところはアドリブだとしても、基本のシナリオは予め決まっているのではないだろうかと、そんな気持ちにすらなります。

けれど、それにしても

悩んで立ち止まるのではなくて行動すること
時が満ちれば自然にぱたぱたと物事が動く。それを見逃さないこと
その時に向けて精進すること

この原則を信じて、行動しないと次がないのです。今回のご縁に関してもサーチファームの社長さんが「まぁまぁ」と私を諌めなければ、私にとっては全く興味のない会社でした。そして、私もポジションがないにも関わらず
「会ってみるのは損にはならない」と思って、踏み出さなければ出会いもなかったのです。

やっぱり決める迄は悩み抜いても、決めてからはどんどん行動する…そういうことで、すばらしいご縁をたぐり寄せる…そういうことを改めて実感しました。





私がその会社のエグゼクティブ達から得た彼らの思いは、自分のいる会社のエグゼクティブから得る印象と大分違いました。

彼らは人を育てること、リーダーを輩出することがビジネスを伸ばす基本である…と、深く承知していました。彼らは日本の社員が日本で活躍するだけではなくて、世界のチームの一員として活躍出来る様になるためにはどうしたらいいのだろうか…そういう問いを私に投げかけて来たのです。

面接を終えて、私は日常に戻りました。

自分のオフィスの机に座り、その違いを考えました。
ビジネスのヘッドはその上に、毎月よい報告をすることのために部下を使っているのは明らかです。基本的にビジネスをコントロールしていないので、ちょっとした問題が起こると、それで不安が増幅されます。その不安を担当者に押し付けて撃ち殺すことで、禊をした様に見せます。

「悪いニュースは聞きたがらない」

良く言われることです。それは基本が不安で仕方がないという裏返しです。自分がマネージしていれば、悪いニュース程早く聞きたいからです。

すっかり忘れていましたが、自分が全くその場に居合わせただけで罪を全部押し付けられたのと同じ様に、他にも一人飛ばされた不幸な人が居た事を思い出しました。(こちらの記事にしてありましたね)
ここから後も、言われない責任をなすり付けられて辞めて行った人達は続いています。

そうして、私の上司はビジネス経験の全くない人でした。
「ビジネスを経験したい」と、上奏したところ、他のビジネスでの長年の献身から「うい奴じゃ」と重用され抜擢されたのです。

例えば、履歴書を並べてみるとします。シンガポールのBさん、私、そして上司。
名前を隠して公平な目で見たら、誰が一番ビジネスのポジションで未経験であり、そのポジションを占めるのに成長が必要かといったら、Bさんと私の上司であるのは明らかです。けれど、彼女が一番ジョブグレードが高く、Bさんにそのポジションがオファーされることはありませんでした。

その上のビジネスヘッドが周りをビジネスの出来る人で固めたいと思っている訳ではないというのがよくわかります。

こうして、私も一歩一歩次のステージへ歩み始められそうな状況になればなるほど、如何にそういった理不尽さとか、不安から来る狂気がこのグループでは起こり得ることとかを意識しない様に押し殺していたのか、認識する様になったのです。

平たい言葉で言うならば、出られそうになったので、もうそういうトップの不安から来る責任の押しつけという理不尽さに怯える必要がなくなって来てほっとしている…そんな自分を見つけるのです。


D社長の「楽しんでほしいんだ」という応援を受け取って感激した私はもうひとつの応援を受け取ることになりました。
食事を済ませてメールを開けると、今度は人事部長からの応援メールが入っていたのです。

日本側は本当に私のことを心から応援してくれていました。これから出会う本社のエグゼクティブに対する緊張はほとんどなくなっていました。日本にいる彼らはもちろん私の横にはいませんが、彼らの想いが私のそばに居て励ましてくれているのは明らかでした。

翌日の面接はいわゆる面接というよりも、もっと違うアングルから私のことを知りたい…というものでした。
「私たちもちゃんと宿題やってあるから」と、D社長の上司であるグローバルのビジネスヘッドの人は言いました。私の履歴書を前にしなくても、私の経歴を完全に覚えていて、その上で私が具体的に人間として、リーダーとしてどういう風に考えて、どう対処するのかと言ったところを理解しようとする質問を投げかけてきたのです。そして、話をするうちに、本社の人達がD社長に全幅の信頼を置いていることも判りました。

「彼らがあれだけ押しているんだもの。我々が知りたかったのは、あなたの今迄の業績というよりもあなたの人となりを知りたかったんです」
3人にお会いしましたが、共通に言われたことは、そういうことでした。日本のチームへの全幅の信頼を置いて、彼らが採りたいと言っているんだから、その辺りは大丈夫。では、グローバルのチームの一員として人となりやリーダーシップは大丈夫か…そんなことを知りたかったと言うことだったのです。

自分で気づかなくても緊張はしていたと思います。けれど、D社長が望んだ様に私はリラックスして楽しく会話を続けました。そして、本社を後にしたのです。


この書き込みは 12月の このブログ記事の続きです。

ポジションがないけれど、「とりあえずお茶でもして話しましょう」と言って、D社長と初めて出会ったのが、確か6月頃だったと記憶しています。小雨の降る蒸し暑い日でした。

その頃他の会社とのお話がトントン拍子に進んでいて、ポジションの空きがないD社長とのご縁はないのかなぁと、残念に思っていましたが、D社長から直接電話があって
「今ポジションないんだけど、他のところからオファーがあったら、それを受ける前に24時間自分に時間をくれないか?」というラブコールがあったのでした。

とても嬉しいお電話で、「そういうタイミングにならないといいんだけどなぁ」と思ったのでした。それに何故か呼応するかの様に、トントン拍子で進んでいた案件がぴたりととまりました。まぁでも、D社長のほうからそのうち何かあるかも知れないからと思い、別件は無理に連絡もフォローアップもしませんでした。とは言うものの、D社長の件も現実は余り期待もしていませんでした。この数年業績が悪いこと、すごく忙しくて忘れてしまい、そういうお約束は現実にはほとんど起こらない…今迄の経験から、私もそれ位は判っていたからです。

しかし、ある日「どうやらポジションを作ってるらしいよ」というお話がサアーチファームからやって来ました。お会いすることになったのが年末のことでした。大まかな仕事の分掌を説明され、D社長はいたずらっ子が多少緊張しているかの様に言いました。
「今気持ちを言ってくれなくてもいいけどさ…、どうかなぁ」
それに対して私はあっさりと言ったのです。
「オファーしてくれたら受けますよ。」と。

次のステップは本社のD社長の上司達との面談でした。アメリカに住んでいるので、本社に出向くのはそれほど難しいことではありませんでした。冬のシーズン雪で交通が麻痺することも十分考えられるので、前泊することにしました。

D社長は、そのミーティングの前に「電話で話そう」と言ってくれていました。私は「是非お願いします」といいました。日本側の強いプッシュによって実現したインタビューのステップですから、私がとんでもないへまをしない限り失敗することはないと考えて良い状況ではあります。しかし、今勤めている会社のサイズの2倍ある世界に冠たる企業のトップエグゼクティブですから、気難しかったりもの凄くアグレッシブだったりする可能性だってなきにしもあらずだということを、私は自分の会社のトップエグゼクティブの行動から心に留めていました。また、日本側のプッシュによって実現したとはいえ、もしもD社長に対する信頼が余り強固でなかった場合、そもそもD社長含めて変えられる可能性だってあり得る訳です。するとD社長に対するイメージを私にも投影してくる可能性があるため、辛いインタビューになることも考えられました。

そんな想いが頭をよぎり、緊張して飛行機に乗ったのです。

そして、案の定飛行機が遅れました。

D社長とお話しする時間にはまだ空の上であることが判りましたので、私は手短に「遅れるからお話しする予定の時間には出来そうもありません。飛行機が着いたらまたメールします」というメールを送り、電源を切りました。

小一時間遅れて目的地につき、携帯の電源を入れると
「心配しなくていいよ。30分毎に電話かけてみるよ」という返事が入っていたのです。

「忙しい人がそれほど迄に伝えたいことって何だろう?」

私はちょっと緊張しました。よっぽど難しい人達なのかなぁ、とか、その前の週に何か問題が起きて雰囲気が良くない、とか…いろんなことが頭をよぎったのです。

そして、ホテルに向かうタクシーの中で私はD社長に「今ホテルに向かっています。今から後でしたらお話し出来ます」とメールを送りました。すると、ほどなく電話がかかってきました。

「つきましたか?」D社長が陽気に言いました。
「いいえ、まだタクシーの中です。」と答えました。
「そう。伝えたかったのはね…」D社長が少し言いよどみました。私も電話に集中します。

「別にこれと言って何がどうってことないんだけどね。あなたのまんま、リラックスして会って来てほしいんだ。そしてミーティングを楽しく過ごしてほしいんだよ。それが言いたくてさ。」

私は思いっきり力が抜けました。

私のスケジュールが変更になり、それに合わせてまで伝えようとしてくれたこと、それは「あなたはあなたのままでいいから」という最大限の信頼を伝えることで応援してくれようとしてくれた、その心だったのです。

「この人と出会えて本当によかった」
私は心からの感謝の気持ちを抱きました。

「信頼してくれてありがとう」
私がそう言うと、

「もう何度も話してるでしょ?あなたがどんな人か判ってるから今ここがあるんだもの」
D社長は、当然じゃない?…という口調で答えました。

本当にこのご縁に巡り合えて良かったと、心から思ったのです。


片付け物をしていたら、1985年に2001年の自分に宛てたタイムカプセルの手紙をみつけました。2001年からもう既に10年以上経っていますが、1985年の自分がなかなか良いことを書いているので紹介してみたいと思います。


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2001年のえびのりさま

お元気ですか、私は今19才 大学の2年生です。
今進振り前最後の試験勉強をしています。2001年の私がどんなことを考えているかわかりませんが、それに何をしているかもわかりません。30代の半ば…想像出来ないけれど案外あっという間かもしれません。

あなたには、今私がどんなことを考えているかをおしらせすることが一番良いと思います。だから少し、思っていることをお知らせします。

前にも書いた通り、私は今進路が決定する直前です。一応化学科に出すつもりです。勉強をそのまま続けていますか?今は化学科にいって、反応関係を研究してみたいとおもっています。でもきっと、学科へ入ってべんきょうしたら気が変わるのではないでしょうか。精一杯頑張るつもりです。愚かなことと笑われるかもしれませんが、私はまだ限界を知っていないと思っています。限界を知って開き直るのが真の姿かも知れませんが。。。

やれば何でも出来ると思っています。おのずと道は開かれると。。。若いといって笑いたかったら笑ってください。でも若い私はもしあなたが笑うなら、逆にあなたを若い私が笑うかもしれません。だって、私はそう信じて今迄裏切られたことがなかったから。更に私はあなたに怒るかもしれません。私の可能性をあなたが惰性で摘み取っているから。でも、そうでないことを私は信じています。

今、私にはこれが恋と呼べる物かわからないけれど、大切な人がいます。あなたには昔のロマンスかも知れないし、子供だったって笑うかもね。でもいいんです。私のために泣いてくれる人、心配してくれる人が、今、いるだけで。2001年○○さんはどこでどうしているでしょうか。もしもあなたの気が向けば電話でもしてみてください。西暦2001年。。。想像がつかないけれど。。。

西暦1985年のえびのりは、元気に自分の可能性を信じて、勉強に、恋にはげんでいます。

今から後もえびのりに幸あれ!!

1985年9月14日(土曜日)9:50am
先日私の上司の栄転が決まりました。ジョブグレード的には水平異動ですが、目立ち度と言う観点からは絶対栄転です。

「後任はこれから考える」
と、その上のビジネスのトップは言いました。

私はBさんのことを考えました。Bさんが辞意を伝えた時、そのビジネスのトップは
「24時間待って!」
と、Bさんを留意しました。その時には絶対にこの上司の栄転話はあがっていた筈なので、Bさんを昇進させるというオプションをビジネスのトップはカードとして持っていた筈でした。

けれど実際24時間待っても、そんな話は一つも出ずに「一緒に働こう」位しか出てこなかったそうです。まぁ何が出て来ても、もう心はこの会社から離れてしまっている状態ですから、連れ戻すことは出来ないのですけれどね。

私の観点から見たら、栄転した上司よりBさんの方がよっぽど本来そのポジションにおける仕事は出来る人です。もちろんBさんの方がジョブグレードは低いですが、能力も理解も手腕もどう考えてもBさんの方が優れていました。栄転した上司が優れていたことと言えば、その上司であるビジネスのトップへの献身位でしょうか。

結局のところ、ビジネスの理解や正しい判断というよりも、そのビジネスのトップがその上の人に対して毎月毎月きちんと結果と将来の見込みを説明するために、どれだけ自分を支えてくれるのか?ということが、昇進の判断だということが判ります。

ある時上司がいいました
「エグゼクティブは詳しいことは知りたいと思わないし、それでもいいのよ」と。

たしかにその通りですが、ビジネスの判断が出来る位の詳しいことは知らないとお話にならないのです。そのビジネス判断が出来ると思っているレベルがBさんや私が思っていることと、その上の人達が思っていることではもう天と地位違うというのを改めて認識したものです。


さて、その上司の栄転が決まってから、私に何人かがかまをかけてきました。私が昇進してそのポジションを得ることになるのではないか?と。。。

自分自身その可能性を正直言うと全く考えていませんでした。完璧にゼロです。
言われてみれば、グループの中で最もジョブグレードが高く、かつ、Bさん亡き後ビジネスを知っているのは私です。

しかし、私はその上のビジネスのトップがBさんを昇進させなかったのと同じ理由で、私を選ぶことはないだろう…と、確信を持って言うことが出来るのです。わたしもBさんと同じく、その上に対しての献身を自分のやりたいビジネスとは思えないのでした。

では、どうなるでしょう?

全く違うところから、献身的な人物を持って来て据えるとします。それはすなわち、私には未来がないと言われているのと一緒です。だったら、外に出た方がいいですね。じゃぁ、逆に私が昇進の打診を受けたとしましょう。やりたいか…と言われると、やりたくないんですよ。。。その上司の毎月の会議のために奔走するってことを。

すなわち、私の心もBさんと同様、この組織から離れて行ってしまっているのです。

思いもかけず(でもないけど)上司が出て行ってしまったので、改めて自分のいる場所を考え、何がしたいのか考えたら、ここではやりたいことがないのだ…と言う結論になりました。

なんか寂しいですけどね。
FXの勉強を始めてそろそろ7ヶ月になります。
実資金でトレードは全くしていないので純粋に勉強をしているだけなのですが、結果らしい結果は出ていません。デモトレードの所持金を見たら、徐々に所持金を減らしているのですね。

でも、勉強を止める気はさらさらありません。

というのも、これ、面白いからです(笑)。

今迄の人生で培って来た必勝パターンが全然通用しないんですね~(^^;;

今迄の必勝パターンというのは、

知識を詰め込み→ロジックを働かせて戦略を練り→実行

すなわち、自分の持って行きたい方向へ物事を引き寄せちゃうんです。ところがFXは

知識を詰め込み→ロジックを働かせて戦略を練る ところまでは一緒ですが

その戦略に合致するところを見定めて→流れに乗る

ここが違うんですよね。市場は大きすぎて自分の持って行きたい方向へ引き寄せられないのです。だから、合致するところを見定めないといけないんですね。

自分で動いて物事を成して来た成功体験があればある程、この「それに合うところに出会う迄待つ」という行動は難しくなります。

すなわち、今迄の成功体験を一回チャラにして、新たに学び直さないと永遠に勝てない筈です。

で、

そこまで判っていてもなかなか実現出来ないのが面白いところで、非常によい精神修養です。

そして、この精神修養は今迄の必勝パターンも更に強固にしてくれる筈なのです。高い役職になればなるほど、多くの人を動かさないといけなくなります。ここで「動かさないといけない」と、まるで私が動かせるかの様に書きましたが、実際は「動いていただかないといけない」んですね。人数が増えれば増える程、これがまた「合致するところを見つけて、いい感じに組み合わせ、きもちよ~~く動いていただく」という作業がクリティカルになる筈なのです。

すなわち、今迄の「戦略をねって実行」の部分も、規模が大きくなればなるほど、市場に参加するのと同じエレメンツが重要になってくるんです。

案外頑固ですし、今迄の成功体験はかなり強烈ですから(笑)これを一から学び直すというのはな~かなか難しいです。

それもあって、7ヶ月になるのに、全然「合致するところを見極めて…」の部分が出来ないんですね。

でも気長に繰り返し痛い目を見ていれば、いつか気がついた時にはそういう「間合いの取り方」を取得していると思います。

デモトレーディングしている限りにおいてはお金減りませんからね(笑)。のんびりと新しい学びを続けて行こうと思います。


アメリカでは納税があろうがなかろうが、確定申告をしなければなりません。その締め切りが4月にあるので、1月に入ってからは確定申告用のソフトの広告もよく見ますし、銀行や証券会社等から確定申告用の証明書が郵便箱に届く様にもなります。

どんなに普段気にしていなくても、当然のことながらいくら位私から税金が出て行くのか…と計算して認識することになりますし、日頃使っている金融商品の利率にも目がいく様になります。それを見ていて改めて気がついたことがありました。

お金のために働いてないなぁ…と、

更に言うならこの半年程FXの勉強をしているのですが、
「やっぱり私はお金が稼ぎたくてFXの勉強してるわけじゃぁない」んです。

もしもお金が稼ぎたくてFXの勉強をしてるんだったら、やってることがちぐはぐすぎるからです。


何が起きていたかというと、こういうことが起きていました。
- 総額幾らのcurrent assetを持っているのか認識がなかった。
- 投資信託・債券・現金等のポートフォリオの見直しを久しくしていない。すなわち、最適というところからはかなり遠い。


もしも、資産を大きくして行くことが目的でFXをしているのであれば、FX勉強する以前に、今の手持ちのポートフォリオの見直しをしろって~んだ…なんですよね。更に言うなら、私はMBAで会計とファイナンス専攻なんです。

まさに、い~かげんにせ~よ

の状態です。

結局のところ、「仕事そのもの」が面白いからやってるんであって、お金のために働いてないってことなんです。例えば、陶芸家が工房にこもって土と向き合う様に、私もビジネスに向き合っちゃうってことなのです。

ただ、こうやって「い~かげんにせ~よ」と自分で突っ込める状況になって来ているということは、自分のやりたいことが変わって来ていて、それはお金が必要なことだから、お金に意識が向く様になって来ているということです。

一から全くまっさらな状態で考える機会を与えられた気がします。
面白いですね。