先日「女信長」をTV Japanでやっていたので、見るとも無しに見たのですが、「仕官」と言うコンセプトに引っかかりました。
テレビのドラマに関して言えば、明智光秀が織田信長に仕官する訳です。
これは他の領地の殿様が政治同盟を結ぶのと違い、明智光秀が織田信長の部下になったということです。光秀は信長の「天下統一、平和な世の中を作る」という志に感銘を受けて「部下にしてくれ~」と言ってやってきて、信長が「いいよ~」と言う訳なのです。
現代の就職では
「どんな仕事をするのか?」
の方が圧倒的に重要視されていますが、この「仕事内容重視」はアメリカあるいは欧米の会社社会の成り立ちに影響されている様な気がします。
仕事内容、仕事の結果、そしてそれをした人の能力は欧米の雇用関係においては切り離されて考えられるのが普通だからです。
どんなことをする人を募集します
という広告で興味を持った人が集まり、その中から「その職務を全うするのに能力が高い人」を選んで雇う訳ですが、現実は「好き嫌い」というファクターがその選択に対してもの凄く大きく影響しているのです。
一方、仕官というのは、「どんな仕事をするのか」ではありません。
「上司に惚れたから、私のやれることを誠心誠意やります♡」というのが仕官なのです。
現代の雇用プロセスvs仕官…どっちが理に叶っているでしょう?
仕官は「依怙贔屓の権化」みたいな感じもしますよね。
でも、現代の雇用プロセスも結局のところ、最後は好き嫌いです。
私は上の方に行けばいく程、仕官のプロセスの方がその後がスムーズに運ぶ気がしています。もちろん、私が前の会社(仕事)を去った理由の一つが、その事業部の上の方の運営方法が仕官の様であった…というところでげんなりしたということなのですが、それにも関わらず、仕官の方がスムーズに運ぶ気がするのです。
上の方の人はトップの人が発したメッセージを咀嚼しながら自分の言葉で責任をもって部下に伝えるという大きな役割があります。この役割をちゃんと果たすには仕官のプロセスの方がいいのです。上の人に惚れ込んでいる訳ですから、ちゃんと思いを汲み取って伝えられる可能性が高いからです。
もちろん、仕官の弊害は沢山あります。
もしもトップの人がその仕官したいと言って来た人の「能力」を適切に判断することができなければ、ファンクラブみたいになってしまい、裸の王様になる危険が非常に高くなってしまうからです。今回の私がげんなりしたのは、仕官のプロセスで選んだことそのものではなくて、そうして選ばれた人達の能力が余りにいけてなかった…と言う方が強いです。
そして、今回自分が新しく上司と選んだ人との出会いおよび移籍に関して言えば、まさに仕官でした。「何をするのか」が決まったのははっきり言って最後の最後。ビジネスニーズと私の強みを両方考えて、「じゃぁこんな仕事ではどうでしょう?」という風にポジションが出来たからです。ポジションが提示される前に、ポジションが提示されたらどんなポジションでも「受けよう」と思っていたというのも事実なのです。
さて、私が惚れた上司、私の目が節穴だったのか、正しい判断だったかどうかはこれからのお楽しみです(笑)。そして、同時に私の上司、私の能力をちゃんと評価して、使いこなさないとその下が呆れることになります。
まぁ、少なくとも、前回の様に「尊敬出来ないジレンマに陥る」という問題はないので、その部分は、私、苦労しなくてすみますね。
テレビのドラマに関して言えば、明智光秀が織田信長に仕官する訳です。
これは他の領地の殿様が政治同盟を結ぶのと違い、明智光秀が織田信長の部下になったということです。光秀は信長の「天下統一、平和な世の中を作る」という志に感銘を受けて「部下にしてくれ~」と言ってやってきて、信長が「いいよ~」と言う訳なのです。
現代の就職では
「どんな仕事をするのか?」
の方が圧倒的に重要視されていますが、この「仕事内容重視」はアメリカあるいは欧米の会社社会の成り立ちに影響されている様な気がします。
仕事内容、仕事の結果、そしてそれをした人の能力は欧米の雇用関係においては切り離されて考えられるのが普通だからです。
どんなことをする人を募集します
という広告で興味を持った人が集まり、その中から「その職務を全うするのに能力が高い人」を選んで雇う訳ですが、現実は「好き嫌い」というファクターがその選択に対してもの凄く大きく影響しているのです。
一方、仕官というのは、「どんな仕事をするのか」ではありません。
「上司に惚れたから、私のやれることを誠心誠意やります♡」というのが仕官なのです。
現代の雇用プロセスvs仕官…どっちが理に叶っているでしょう?
仕官は「依怙贔屓の権化」みたいな感じもしますよね。
でも、現代の雇用プロセスも結局のところ、最後は好き嫌いです。
私は上の方に行けばいく程、仕官のプロセスの方がその後がスムーズに運ぶ気がしています。もちろん、私が前の会社(仕事)を去った理由の一つが、その事業部の上の方の運営方法が仕官の様であった…というところでげんなりしたということなのですが、それにも関わらず、仕官の方がスムーズに運ぶ気がするのです。
上の方の人はトップの人が発したメッセージを咀嚼しながら自分の言葉で責任をもって部下に伝えるという大きな役割があります。この役割をちゃんと果たすには仕官のプロセスの方がいいのです。上の人に惚れ込んでいる訳ですから、ちゃんと思いを汲み取って伝えられる可能性が高いからです。
もちろん、仕官の弊害は沢山あります。
もしもトップの人がその仕官したいと言って来た人の「能力」を適切に判断することができなければ、ファンクラブみたいになってしまい、裸の王様になる危険が非常に高くなってしまうからです。今回の私がげんなりしたのは、仕官のプロセスで選んだことそのものではなくて、そうして選ばれた人達の能力が余りにいけてなかった…と言う方が強いです。
そして、今回自分が新しく上司と選んだ人との出会いおよび移籍に関して言えば、まさに仕官でした。「何をするのか」が決まったのははっきり言って最後の最後。ビジネスニーズと私の強みを両方考えて、「じゃぁこんな仕事ではどうでしょう?」という風にポジションが出来たからです。ポジションが提示される前に、ポジションが提示されたらどんなポジションでも「受けよう」と思っていたというのも事実なのです。
さて、私が惚れた上司、私の目が節穴だったのか、正しい判断だったかどうかはこれからのお楽しみです(笑)。そして、同時に私の上司、私の能力をちゃんと評価して、使いこなさないとその下が呆れることになります。
まぁ、少なくとも、前回の様に「尊敬出来ないジレンマに陥る」という問題はないので、その部分は、私、苦労しなくてすみますね。