世界中に衝撃を与えた(大げさですが、仕事が世界60カ国にまたがってたから世界中なんです)辞任発表から2週間経ちました。

担当ビジネス絶好調、部下も周りの人も応援しまくり、仕事の内容もメチャクチャ熱く語っていたのに、突然のお別れの発表…

その衝撃は、どうやら例えて言うなら、私が突然死んでしまった様な衝撃に近い物であった…と、判ってきました。

それと同時に、私の受けた衝撃もある意味、私が死んでしまった様な衝撃だ…と、思うととてもしっくりするのです。

今迄請け負って来たことを、もう実行出来ないことに違和感を覚え、それがだんだん受け入れられるようになってきます。

嫌なことも沢山あったのに、そういう記憶は急速に薄れて行きます。満足の心や感謝が溢れます。

普段は集まらない昔の同僚達が集まってくれて、送別会をしてくれます。昔の話に花が咲き「もっと一緒に集まった方がいいよねぇ」という話になり、「変な物言いだけどさ、集まるきっかけをありがとう」なんて言われると、本当に急に亡くなった人のお通夜やお葬式で顔をあわせた旧友の会話そのものです。

毎日目にする景色を、「もう目にすることもないのだ」と、だんだん自分とこの場所をつなぎ止めるものが薄れてくる様に感じます。

そして、今日長年の同僚が「写真を撮りましょう」と、誘ってくれました。海外から同じ会社の社員が来ると、建物の前でポーズをとる彼らをフィルムにおさめるのが私の役割ですが、自分が会社のアイコンと一緒に写真に収まるという体験は実はありませんでした。

「他人の写真をとっても自分は撮ったことないでしょう?」

そう言われて、たしかに自分の写真をとってもらったことはなかったのです。

こうしてもう体もいなくなって行く私とこの場所が、かつて確かに繋がっていたのだという証拠の写真が出来上がりました。これもまた、故人の写真みたいですよね。

「四十九日で成仏していくってこんな気分かなぁ」と思うと、すごくしっくり来るのですね。

まぁ、でも、ある意味、どこかから立ち去るというのは、それ迄の自分が死ぬこと…と言ってもいいのかもしれません。立ち去ると決めた時、どんなに楽しい記憶が沢山あっても、もう魂はここから離れているのですから。