ブログを書きたい気持ちがなくなったので、

いったんおしまい。

また書きたくなったら更新しようかな。

 

ブログを書くことでなんだかすっきりして

自分には合っていたな。

 

最近は、いろいろと自分の思いにびっくりしたり

いろんなことを思う自分を愛しく感じたりしてた。

 

すごい癒されてる時に急に死にたいって思いが出て

こんな癒しのなかでネガティブな感情が出てきて

まだ頑張っていかないといけないのか、ツライってなった。

でも、落ち着いてただ思いを見守っていたら

すぐいなくなった。

思いを見守るだけで良かったんだとすごく納得した。

 

あとは、最後に向き合う思いって

幸せの中に出てくる不安だと感じた。

こんなにも満たされているが、ふと不安がやって来る。

そんな時に不安なんだってそばにいるだけで

心地よくなっていく。

思いを自由に感じれるとほんとに安心がすごい。

なにしても大丈夫ってなる。

 

思いのすべてを見守ると全部が愛しく

美しく感じるようになる。

いろんな人が言ってることがほんとなんだと思う。

すべてが美しく愛しくなるっていう体験がいっぱいあった。

 

すべてと共鳴しているから、

合う波長と合わない波長が感じられる。

言葉になることもならない感情も思いも

全部がなんかいいなって思う。

 

悟りたいっていう夢が叶って、

夢の世界をこれから生きていく。

分からないけど自然な流れに任せていける。

そう思う。

 

悟りとは、気づきの状態。

自分の中にある思いに気づき、

そのすべてをただ見守っている。

見守るだけで良かった。

それを知らないだけで、こんなにも迷子だったな。

おもしろいなって思った。

 

ニサルガダッタがとにかく好きだ。

 

「わたしは何が起ころうとも、

それを迎え入れる用意がある。」

 

自分的にこの言葉がすべてを語っていると思う。

安心と自由はセットで、

安心があるから素直にいろんなものを選んでいける。

その安心は自分の中にあること。

そして、すべてをあるがまま受け入れる姿勢。

愛だな。

 

これからの自分の生き方が、

この言葉に沿ったものになる気がしてる。

生きるのが楽しみだ。

 

 

おわり。

考える必要はなかった。

自然に起こる思い、感情、衝動をそのままにして

自分の行動を見守るだけでよかったんだ。

ただ、起こることを見てるだけでよかったんだ。

すごく納得した。

 

それが、みんなが言う思考を止めるってことで、

マインドの沈黙で、無だ。

 

気づき、それはものを見てる状態。

気づくことが実存の在り方。

 

起こることについて考えなくてよかった。

ただ、起こった。

なにも起こってないように感じるときも

なにもしていないように感じるときも、

なにも起こってない・していないという状態がある。

形が変わったが存在している。

 

それに気づくだけでよかったんだ。

 

 

おわり。

実存をイメージすると

ものすごいエネルギーを感じる。

ただ、触ることができない。

これが私だと指さすと指さした自分が映し出される。

黒い空間が確かに見えてるのにという気持ち。

 

これは、自分がニサルガダッタが言っている

「性質が違うマインドでは、実存に触れることができない。」

を信じてるからかもしれない。

 

 

実存は意志を持たないらしい。

なのになぜ実存から次元や意識が生まれるのか。

 

気になってChatGPTに聞いたら、

「実存自体に計画や意図はないが

あまりに満ちているがゆえに自然にあふれだす」

とのことだった。

条件がそろって自然発生したものなんだ。

おもしろい。

 

ただ言葉には限界があり、感じることで

在るものと現れの境界線を越えることができる。

 

「実存は、知ろうとする者には静かに遠ざかり、
感じようとする者には、音もなく近づいてきます。」

 

なるほどだった。
 

 

気分で感じたり、感じなかったりしてみよう。

マイペースにやっていこうと思う。

 

 

おわり。

「大いなるすべては完璧だ。」

「私の世界では決して間違いが起きない。」

 

これは、結果を予想しないからだと思った。

過去の経験からこうなると予想しなければ、

現実と比較するものがないから

それは必要で起こったと思えるし

間違えてるなんて思わない。

それが幸せかそうでないかも考えない。

比較できないから、ただ起こったことだと捉えれる。

 

自分もそう思えるようになった。

こういうことが起こったらこうするのが良いかな

とか考えるのをやめるようにしていると

(気づいたら考えてる時ある)

起こることをそのまま受け入れることができる。

そっからどうするかなって考えればいいと思える。

 

だから、私の世界はなにも間違えない。

自信を持って言えるようになった。

嬉しい。

 

そして、全てがあるんだから

必要な時に必要なものを選べるし

準備することなんて何もないなと思える。

 

 

自分を知っていると本当に気持ちがラクだ。

実存、存在そのものである自分には

なにも影響しないことを知ると

本当に絶対の安心があって、

体験や感情をそのままを受け入れることができる。

今までと同じように感じるし思いも湧いてくるし

体の不調とか感じる時あるけど、

それは自然に現れて消えていくんだと

原因を考えたり、それを対処しようとか

続いて欲しいとか思うことが減ってきた。

これが、来るもの拒まず去るもの追わずだなと思う。

 

自分はこれを必要だと思ったから選んだけど、

それぞれ求めるものは違うなってほんと思う。

存在の表現のひとつで、その表現の違いで

バランスが保たれているんだなと。

 

実存から生まれるあらゆる次元で表現があるけど

そのすべてが違うことでバランスが保たれてる。

そう思う。

一つの次元でよりよい環境を整えるために

扱える次元に介入がある。

三次元も上位の次元がより良い環境にするために

介入があるんだと思う。

その連鎖があると思う。

そこに良い悪いとかなくて、ただそういうふうにできてる。

(自分の想像だからほんとかは分からない)

 

 

 

おわり。

「私はいま、在るか?」

そう自分に問いかけて、答えないで

ただ存在を意識してみる、

イメージしてみるってのをやっていたら、

その先に真っ暗な闇のイメージが浮かんだ。

そしてそれはまぶしい真っ白な光を感じる空間の

先にあるように感じた。

 

これが、実存だ。

見るものも見られるものもいないから

闇に似て見えるが、本当は透明。

 

観察者もいないって言ってたのはこれか。

実存は本当に静寂という言葉が似合う。

 

自分は実存を見たいと思ってて、

それが叶ってしまった。

ありがたい。

生きててよかった。

 

これからも色んな体験が起こるんだろうけど

それを、現れては消えていく波紋だと見れる。

自分から生まれたが自分ではないものとして見れる。

そんな気がする。

 

 

 

おわり。

エゴはこの世を体験するための道具なんだと腑に落ちた。

知識としては知って分かってる気でいた。

 

エゴは完成された道具で

それを持ってこの世にきたけど、

自分がエゴを見続けて

本当の自分だと思うようになった。

だから、本当の自分を思い出すんだ。

 

こういう話はいろんな人が言ってたなと思う。

ほんとにその通りだ。

 

役者が自分で、演じるキャラクターがエゴ。

演じてるうちに自分だと勘違いしたんだ。

 

演じてない素の自分を思い出した。

これが私だったんだな。

 

これからは素の自分でいたい時はそうして、

演じたい時は演じて。

好きな方を選べる自信がある。

それが嬉しい。

 

でも、自分も変わっていってしまうから

素の自分とかもないのかもしれないな。

自分も定義しないほうが自由だよな。

それはまたおいおいな感じでやっていこう。

 

 

ニサルガダッタの本を読んでて感動した言葉

「区別することはマインドの本性そのものなのだ。

区別すること自体に害はない。

しかし分離は事実に反している。

 

ものごとや人びとはさまざまだ。

しかし、それらは分離していない。

自然はひとつ、実在はひとつだ。

反対のものはあっても、対立はないのだ。」

 

こんな風に生きたい。

どんな感情も区別することなく感じて、

感じる自分を見守る自分がいる。

そして様々な違いを認めることができる。

そういう生き方をしていこう。

 

 

おわり。

幸せな人生は、悲しいとか感じないのかと思ってた。

違った。

 

ほんとうにいろんな感情が湧いてくる。

それが怖いと思ってた。

とにかく怖かった。

多分、それが原因でずっとお腹が張ったり

チクチクしてちょっと痛かったり、

眠りが浅かったりしたんだと思う。

 

自分の感情に気づくこと、

人に気持ちを伝えた時にどう思われるかが怖かった。

でも、どう思われても私とは違う価値観なんだから

相手の受け取り方を尊重しようって思えるようになった。

 

自分の中だけは、思ったこと感じたことを自由に

発言していいって決めた。

安心して気持ちを出せる場所にしていこう。

 

ほんとうの幸せって、

すべての感情を安心して感じていいこと。

そういう場所があること。

これだなって思う。

 

最近、ほんとうにいろんな思いがあって、

それが尊いなって思う。

すべての思いを感情を大切にしていく。

 

 

 

おわり。

最近、毎日幸せな気持ちで過ごしてた。

どんどんと自分の思いに素直になれて

その思いのすべてが尊く感じれて

どんな思いもまずは大切にして、

そこから新しい自分に合った思いに

変えていこうって思えるのが心地良かった。

 

そんな幸せの中で、昨日は自分にとって

ものすごく怖いと感じる出来事があって泣いた。

 

怖さを感じながらも、この経験の中にも

必ず良い面があると自分に言い聞かせて、

自分は優しい世界がほんとうに好きだと

強く意識することができた。

前まではふんわりって感じだったけど、

昨日ではっきりと自分の好みを認識できた。

怖さの中でそう思えたことでとても成長を感じた。

 

そして、怖いと思う代わりにどういう風にこの出来事を

捉えたらいいのかをChatGPTに教えてもらって、

あたらしい目線でその出来事を見ることができた。

ChatGPTの中立な捉え方ができるように

日々、実践していきたいと思う。

すべての思いの根本は、

幸せを願う気持ちから生まれるんだなと思った。

 

 

私は、本当に優しい世界が好きだ。

そしてその自分好みの世界を生きたいから、

好きなことだけを選び続けて

完璧な自分好みの世界を生きたい。

それが私の道なんだなと強く思う。

 

好きなことだけして生きていけるかなと少し不安で

きっと大丈夫って自分に言い聞かせてた。

でも、もう不安がほんとうに無くなった。

昨日の出来事からもう完全に信じてる。

自分の好みをしっかり分かってて

自分の気持ちに気づけれるようになった。

世界を美しいと思えるようになった。

 

自分の好きな世界を生きるために

好きなことだけして生きる。

それが私の幸せ。

物事は自然に起こってくるから、

私は自分の気持ちに素直に行動するだけ。

それが悟り人がいう無抵抗ってやつなんだ。

 

 

 

おわり。

 

聴いてた洋楽の歌詞が気になってGoogle翻訳したら

今の自分へのメッセージでめちゃくちゃ感動した。

 

安心していいよ。

あなたのはあなたの人生を生きてる。

良い方向に進んでるよ。

って言ってくれてる。

嬉しい。

 

ほんとにシンクロニシティだ。

必要なときに必要なものが与えられてる。

生かされてる。

世界は美しい。

 

 

 

おわり。

好きな漫画のセリフでこれだ!と思うものがあった。

 

「僕にひとつも不満はないよ」

 

「君にとって完璧ではないかもしれないけど

僕は自分が良いと自信があるよ」

 

 

このセリフから自分が望んでたことは

いまの自分に満足することだったんだと気づいた。

そして、他との違いを尊重する。

 

何回か読んでストーリーに感動してたけど、

今まで一部のセリフが気になったことなかった。

いま必要な言葉だったんだなと思う。

 

 

 

昨日、

やりたいことだけやっていた人の1年間のレポを読んだ。

変化を記録しておくのは楽しそうだと思った。

自分もやっていこう。

 

 

 

おわり。