あらゆる無限の豊かさがある。

 

やりたいと思ったこと

やりたくないと思ったことは、

思った時点で実現できる状態にある。

 

これが腑に落ちた。

 

並行現実にすべての可能性がある。

その並行現実から選んで毎瞬を体験している。

常に、意識と無意識で。

きっと無意識で選ぶ方が多くて、

その選ぶ基準が自分の信じている

定義とか信念とか「○○はこういうもの」ってやつ。

 

思ったという事は、

無意識じゃなくて意識して選べるチャンス。

無意識での選択パターンを書き換えられるチャンス。

自分が意識して望む現実を体験できるチャンス。

 

無意識で選ぶ現実が好ましいならそのままでいいし、

好ましくないなら意識して好ましいものを選んでいける。

 

思うってこと、イメージできるってことは

すごい強いメッセージなんだなと思った。

自分の感覚を今まで以上に大切にできる。

周波数が違うと感じることもできないし、

思ったりイメージできないって言うし。

 

自分を信じる、自信というのが

自分の感覚を信じている事なのかと思う。

 

知識としては知っていたけど、納得すると本気で信じれる。

もっとすんなり、情報に触れた時点で

そういうものなんだって受け入れたらラクだな。

新しい情報を記憶と照らし合わせなくていいんだな。

記憶も不確かなものだし。

不確かなものと不確かなもの比べて何やってたんだ。

おもしろいことしてたな。

 

 

おわり。

 

この動画に出てくる

鏡の自分と話してみるってやつやってみた。

すごい効果を感じた。

 

自分ひとりでは認められなかった部分がどんどん出てきて、

鏡の自分と話しているともう認めちゃおうって

すんなりと受け入れることができた。

一番大きかったことが、自分の価値を認めることだった。

 

幸せになりたいって思ってから

今までいろんなことをやって

自分と向き合って

自分の思いを知って

自分が許してない自分を許してきて

信じてやってきたから

今の自分があって成長を感じれてる。

でも、自分の存在価値を認めてなかった。

 

本当に幸せになっていいんだろうか、

本当に豊かさを受け取る価値があるんだろうか。

鏡の自分に

「幸せになりたいって

それに向かって生きてきた今までの自分に

まだ自分には価値が無いから

受け取れませんって言うの?」

って聞かれて泣いた。

 

言えない。

今までの自分を振り返って

みんなには価値が無いなんて言えないって思った。

もう認めよう。

自分は素晴らしい存在で、すべてを受け取るに値する。

私は光だ。

そう強く思った。

 

自分の存在価値を心から認めることができた。

存在しているだけでいい。

私が生きているという事が豊かさを受け取るに値する。

嬉しい。

 

あるがままの自分で

生まれる前に出会う約束をしてきた

人や場所やモノと会おう。

あるがままの、本来の自分でなければ約束が果たせない。

約束を果たそう。

そのために、やりたいことだけやって喜びの中を生きよう。

心から思えた。

 

 

おわり。

自分の心に従おうって思ってから

ずっと不安で怖くて、バシャールの動画見てたら

恐れは望まない結果を想像してるからだと冷静になれた。

 

望まない結果は充分わかった。

じゃあ、望む結果から感じたい感情はなんだろう。

喜びだ。

いつだって喜びを望んでいい、

喜ばしい現実が起こるって期待していいんだと思えた。

 

大切な人には幸せになって欲しいし

喜ばせたいと思うのと同じだ。

自分も自分に喜んで欲しい、幸せになって欲しい。

潜在意識は自分を絶対喜ばせたいと思ってる。

心からそう思えた。

 

楽しみにしよう。

これからどんな喜ばしいことが起こるんだろう、

どんなふうに自分は自分を喜ばせてくれるんだろう。

これがワクワクなんだ。

どんな時も、これから喜ばしいことが起こるって期待して

楽しみにしながら、

いま一番いいなと思えるものを選んでいこう。

 

好ましくないできごとも

自分が自分を喜ばせるためにある。

不要なものを手放し、もっと喜ばせようとしてる。

そう思える。

それは、自分が心に従って行動したときに

自然に起こることだから、無理に探さなくていい。

バシャールがそう言ってたのがめちゃ腑に落ちた。

今までで一番シンクロニシティを信じれた。

すべてはベストなタイミングで起こる。

 

落ち込んだり元気になったりの繰り返しだけど、

これは反復練習だ。

こうやって、新しい生き方を身に着けていくんだな。

 

 

 

おわり。

自分の心に従って行動すること、

それが悟りの道なんだなと思った。

 

心に従って行動することが

つくられた本来の自分で、

自分以外のすべてとフィットし

調和できるようになる。

 

知識として知っていたけど、

ずっと働かないことへの罪悪感と

生活の不安があった。

 

アクティブイマジネーションしてみた。

ゲートがある。

自分はそのゲートの先にあるエリアに入りたい。

バシャールの言ってた許可証だ!と思った。

あなた自身がすべての許可証になるってやつ。

 

ゲートの前で宣言した。

「私はやりたいことだけしてマイペースに生活する。

それが私の自己表現です!」

 

なんか頭上でニコニコする人がいて、

どうぞと言われてゲートをくぐった。

 

ゲートの中は具体的なものはないけど、

白い空間のすべてが光ってて、あたたかくて、心地よかった。

ここに来たかった!これだ!ってすごい感動した。

 

自分がそうしたいって思いを認めてなかったんだ。

やりたいと思ったこと全力で応援しよう、

自分を全力で喜ばせようと思った。

 

心に従うことが怖いって思い込みがあるから

好ましくない記憶を見せられてたんだ。

ほんとは、心に従うことが一番ラクで

すべてと調和できるんだと心から思えた。

そう信じれたから、好ましくない記憶が

心に従わないで選んで行動したからだって

見れるようになった。

すごい。

一瞬で変わってしまった。

これが、今が過去を作るってやつか。

 

そう感じれたのが嬉しい!

 

 

おわり。

なんか起きた時に息苦しくて、

すっごい喉も乾いてた。

そのあと、のんびりしててふと気づいた。

 

自分の中の光を信じなきゃって頑張ろうとしている。

 

信じなきゃ、信じなきゃ、常に光を見ていなきゃ

って自分を追い込んでた。

 

この光は確かなもので信じなくてもそこにある。

今までだってずっとあった。

信じないと消えてしまうものではないんだと思ったら

気分がすごく軽くなった。

 

こうやってこれからも

無意識に力んでる自分に気づけて

力を抜いて、リラックスして

どんどんラクに生きれるようになるんだなと思う。

嬉しい。

 

 

友人と話してて神道に興味が出て動画見てみた。

面白かった。

 

 

ここを神聖な場所としましょうって軽いノリなのと

終わったら何も残らないってところ良い。

好きだ。

 

八百万の神、すべてが神で

きっとすべてが神聖な場所と思われてたのか。

その気持ちで生きよう。

ニサルガダッタはそういこと言ってるんだよな。

すべてと私はひとつで、完全である。って言ってた。

ほんとに、行きつく先はみんな同じなんだなと納得。

 

 

追記

ニサルガダッタの言葉で好きなやつ。

「あえてそれに挑む人でないかぎり、

真理を差しだされても受け取らないだろう。

恐れから気の進まないまますることが、

唯一の障害なのだ。」

 

 

おわり。

「あなた自身に出会いなさい。

あなた自身の自己とともに在りなさい。

それに耳を傾けなさい。

それにしたがいなさい。

それを育み、

絶えず記憶のなかにとどめておきなさい。

 

あなたにほかの指導は必要ない。

あなたの真理への衝動が日々の生活に

影響を及ぼしているかぎり、すべてうまくいくだろう。

 

あなたの生を、誰も傷つけることなく生きなさい。

無害であることは、

ヨーガのもっとも強力な修行形式なのだ。

そして、それがあなたをすばやくゴールへと導くだろう。

 

これが、私がニサルガ・ヨーガ、

自然のヨーガと呼ぶものだ。

それは平和と調和、友情と愛に生きる技だ。

その結実が、永遠で原因のない幸福なのだ。」

 

 

ニサルガダッタの言葉はほんとに感動の連続。

そして、ニサルガダッタも自分なんだと、

今の自分を体験するために現れた自分なんだと思える。

 

「あなたの生を、誰も傷つけることなく」ってところは、

自分自身も含んでいるんだろうなと思う。

 

必要なことは自然に起こる。

やりたいと思い自然に体が動く。

そう信じるようになれたことが嬉しい。

 

ニサルガダッタが、現実は映画のフィルムのようだと言っていた。

光源が本来の自分。

 

自分の中にこの光源をイメージすることができる。

今は、その光源の光が遮られないように意識して、

その光がそのまま自分の肉体を通り抜けて

現実に現れるようにイメージしてる。

 

分離を感じることができるから

この光源をイメージで見ることができるんだと思う。

多分、死んだら意識が統合されて

この光源そのものになって自分の姿が見えなくなる。

目は目を見れない、みたいな言葉の通りなんだな。

 

そんで認識できることは自分ではないみたいなことも言ってたから

実際はこの光源も自分ではないのかもしれない。

存在は否定でしか表せないってはこういうことなのかも。

 

 

おわり。

自動化とかAIが生活に必要な仕事をして、

生活の心配とは無縁の環境で

人類は自分と向き合い

自分の心のままに行動して

本来の自分で生きて

自分とは何かを知るんだと思う。

悟りが身近なものになる。

それがほんとに実現できそうだなと思う。

 

自分の外側で自分を体験して

自分の内側で自分を体験して

その両方が満たされ、

本当の自分とはどこにあるのかを

最後に知るんだと思う。

 

てか、ブッタってそうだったよな。

生活の心配なんてなくて、

自分とはなんだろうと

生きるとはなんだろうと探して悟ったんだよな。

(確か…記憶あいまい)

 

バシャールの

今できるワクワクを行動に移すってのも、

自分だと思うものの体験を満たして

最終的に自分の源である光、

実存、私は在るにたどり着くんだと思う。

 

 

コンビニまでの道を歩いてて、

自分はこうなる状態を必要としたけど

他の人は他の人で必要とした状態で

今の自分を体験してるんだなと。

そこに状態としての違いはあるけど

みんなが同じことをしているんだなと

心から思えて嬉しかった。

 

これが良い悪いとか優劣が無いってことかと

すごく腑に落ちた。

すべての選択を尊重できる。

 

 

おわり。

私は在る。

これを脳内で繰り返して思考の外に出ると、

なぜか脳内のおしゃべりが終わる。

自分がおしゃべりの中心にいたのかと思う。

 

おしゃべり会は輪になって

みんなでワーワー言ってるイメージ。

その輪の外で光る巨大なブッタみたいな人の目で

そのおしゃべり会を見ると

ただこちらを見てるだけでなにも話してない。

なんかそれが不思議。

 

ただ、慣れてないから気づいたらすぐ

おしゃべり会が始まってる。

そんでまた輪の外に出るって感じで繰り返してる。

 

ニサルガダッタの言葉。

 

「それはただ起こる。

それを私は気にかけない。

なぜなら、私の世界では決して何も間違いは

起こらないからだ。」

 

私がすべてであり、すべては私なのだ。

世界であるゆえに、私は世界を恐れない。

すべてとしてありながら、何を恐れるというのだろう?」

 

 

この言葉って完全に自分の存在を信じてないと

出てこないよなって思って感動した。

自分も心からこれを思える人生にする!

 

言葉の意味とか体験の意味とかを

理解しないとって思ってたけど、

理解は必要ないなと最近思う。

ただ、思考の外に出て、目覚めて

目覚めた自分を信じる。

これは目覚めたのかどうなのかって疑わないこと。

確かなのは、私は存在しているということだけなんだ。

思考も現実の体験もすべてを起こるままに眺める。

干渉せずに外側から眺めてればいいんだなと思う。

 

 

おわり。

ニサルガダッタを読み進めて

存在してるということだけが永遠のもので

その他はすべて幻想である

というのがとても納得できる。

 

感じる。

私はここにいるだけでいいんだって。

すべては自然に起こり、自然に過ぎていく。

ただそれを見るだけなんだと。

 

 

「来るものは拒まず、去る者は追わず。

求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。

起こることがあなたなのではなく、

あなたにものごとが起こるのだ。」

 

「あなたはすべてを包括する意識の究極的可能性であり

その表現、そして顕在なのだ。」

 

 

生きてて嫌だなって思うことは

自分からすすんで起こそうと行動していないのに起こる。

望むできごとを実現しようと積極的に行動しても

起こらなかったりする。

それは、自分が放っている周波数に合ったものが

自動で引き寄せられているから。

これが、意識の究極的可能性なんだと思う。

 

行動に起こさなくても自分の発する周波数で

引き寄せられた現実が起こっていく。

それを見て、体験して、感情が動くことがあるが、

根本の自分の存在は変わらずそこにある。

それを常に感じることを意識していれば

自分の根本である存在には

なにも影響がないことが分かり、

どのできことも同じように

「来るもの拒まず、去る者追わず」

という状態で見れるようになる。

それが中庸。

それが悟り。

 

これからの人生で起こるできごとを

存在しているという感覚から眺めてみたいと思う。

それを続けていきたい。

 

自然に起こる現実がどうなっていくのか見てみたい。

 

 

おわり。

エゴについてネットでいろいろ調べてみたがよく分からず。

自他との区別。

肉体を持つうえである程度

自分を守るものが必要でつくられた。

と宇宙全史1には書いてあった。

そういうものなんだなと思うことにした。

 

そんで、ニサルガダッタの「私は在る」という本を

おすすめしてたので読んでみた。

まだ3%くらいしか読み進んでいないが、これだ!ってなった。

 

私という存在だけがあって、

私と言えるものは私ではなく定義。

定義しようとすることを捨て去ること。

「私は在る」という感覚に深く入り、

その感覚にマインドが動じなくなったとき

ひとつの境地へとあなたは入っていく。

 

この本に出会う為に今までの勉強があったのかと思う。

書いてある内容について、

他の人がこう言ってたことだなと理解できる。

 

もう、自分の存在を感じるだけで

いろんなことがどうでもよくなってしまった。

私は何者でもなく、ただここに存在している。

そう思えることが今までにない気持ち良さを感じる。

自分という存在を感じること。

それが自分が求めてたことだったんだと思う。

 

これからは、定義しようとすることに気づき

ただそこに存在するものとして

同じ存在としてすべてを見ていきたい。

 

 

ニサルガダッタ・マハラジ

ありがとう。

 

 

おわり。