ニサルガダッタを読み進めて
存在してるということだけが永遠のもので
その他はすべて幻想である
というのがとても納得できる。
感じる。
私はここにいるだけでいいんだって。
すべては自然に起こり、自然に過ぎていく。
ただそれを見るだけなんだと。
「来るものは拒まず、去る者は追わず。
求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
起こることがあなたなのではなく、
あなたにものごとが起こるのだ。」
「あなたはすべてを包括する意識の究極的可能性であり
その表現、そして顕在なのだ。」
生きてて嫌だなって思うことは
自分からすすんで起こそうと行動していないのに起こる。
望むできごとを実現しようと積極的に行動しても
起こらなかったりする。
それは、自分が放っている周波数に合ったものが
自動で引き寄せられているから。
これが、意識の究極的可能性なんだと思う。
行動に起こさなくても自分の発する周波数で
引き寄せられた現実が起こっていく。
それを見て、体験して、感情が動くことがあるが、
根本の自分の存在は変わらずそこにある。
それを常に感じることを意識していれば
自分の根本である存在には
なにも影響がないことが分かり、
どのできことも同じように
「来るもの拒まず、去る者追わず」
という状態で見れるようになる。
それが中庸。
それが悟り。
これからの人生で起こるできごとを
存在しているという感覚から眺めてみたいと思う。
それを続けていきたい。
自然に起こる現実がどうなっていくのか見てみたい。
おわり。