スリランカでは、満月の日はポーヤデーと言って国民の休日となっています。全てのお店が閉まり、仏教の日としてお祝いをし、お寺にお参りにいくのです。

アンギラサ氏は毎月この満月の日に子供達とその親を呼び、奨学金を手渡ししているのです。

訪れたこの日は偶然にも満月であり、その祝いの席を共にする事ができました。

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奨学金を貰った子から、サインをしています。
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歌や踊りで感謝の気持ちを分かち合い、また明日から、ちゃんと生きていこうと私自身がそう思いました。

学ぶ事で貧困から抜け出せるかもしれません。
学ぶ事から人を助け、指導していける人間になれるかもしれません。
学ぶ事から、紛争が無くなるかもしれません。

そう願わずにはいられません。

立派な大人にならなくてもいい。
人の気持ちが分かるような大人になって欲しいと願っています。

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スリランカのモットネ アンギラサ上人

出逢いは、岩手県釜石市の仙寿院での炊き出しでありました。

同じ苦しみを味わったスリランカ
だからこそ、日本の苦しみを敏感に感じたのでしょう。


"TSUNAMI"
このキーワードが必然的に、流れるようにスリランカへの支援へと・・・


2009年、私は北インド最貧困ビハール州のある村での学校建設の支援に携わっておりました。
実は、その発端者であるA氏が日本からインドへと拠点を移してから、突然連絡が取れなくなってしまったのです。
その時、日本で32万、インドで26万の支援金が集まり、設計図も現地で依頼済みでありました。


2010年、A氏からの連絡を待ち続けていた最中、インドMantralayamで洪水被害に遭った学校へと、その集めた支援金の一部を持って、まだ道が繋がっていない中、友人と二人で向かいました。


2011年、東日本大震災襲来
このお金を東北の為に使おうかと悩み苦しみました。
しかし、子供達の教育支援として使いたい。というその思いがあり、使わずに手元に置いておいたのです。


その年4月、アンギラサ氏に出逢ったのです。


アンギラサ氏はスリランカのこども達の教育支援をしており、毎月1000ルピー(約800円)を100名以上のこども達に渡しているのです。
それ以外にも貧困に苦しむ人々に金銭援助を施しているのです。そんな上人の見返りを得ない仏の様な心持ちに魅了され、独断で、私達が集めてきた全資金を託すことにしたのです。


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その後も微弱ながら、地道に募金活動をしてきました。
アンギラサ氏に会った時の支援金は、

¥394049

この資金により、4名の奨学生を選び、長期に渡り、教育支援していくこととなりました。


同じカイロプラクターである茨城のナカノカイロプラクティックオフィス
毎月のミーティングを重ね、共に語り合ってきた友人のともちゃんと、ともこさん。
その他沢山の協力者の皆様方。


この7年間の出来事は、どう説明していいか分からないほどの沢山の出来事がありました。
簡単に決める事も出来ず、放棄することも出来ず、
マザーテレサのこの言葉を思い出しながら、
持ち続けていたこのお金の重みを常に感じておりました。




人は不合理、非理論、利己的です。
気にすることなく人を愛しなさい。
あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく善を行いなさい。
目的を達しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなくやりとげなさい。
善い行いをしてもおそらく次の日には忘れ去られるでしょう。
気にすることなくし続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。
あなたの作り上げたものが壊されるでしょう。
気にすることなく作り続けなさい。
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
蹴り落とされるかもしれません。
それでも気にすることなく最良のものを与え続けなさい。





この場を借りてご報告させて頂き、そして関わってきた皆様方に深く感謝申し上げます。
どうもありがとうございました。




こちらインド最南端のカンニャクマリ岬

日の出と日の入りが綺麗に見れるPowerスポットアップ


世界平和を願い、

そして3回忌を迎えようとしている東北への祈りを込め。。。

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五感をフル活動させてくれるインド・・・
渡印し始めて10回以上にはなるでしょうか?

インドの地に足が着くと、”ただいま”という気持ちになるのは
私の前世がインド人だったからでしょうか?


世界最悪の都市と言われていたカルカッタは、ここ数年、開発ブームの波に乗り、
道端に住んでいた犬や人間たちが消えていっている。

行き場のない彼らは、一体どこに行き、何をしているのか? 
綺麗に清掃されたその道が、私には悲しく映ってしまうのです。 


私の原点であるマザーテレサ障害者施設の「プレムダン」


インドに戻りたくなるのは、この原点であった時のその気持ちを思い出す為。


発展し続ける事は良いことか悪い事か、たまに分からなくなります。
快適に過ごせるようになることで、失うものも出てきてしまう。

不便さの中だからこそ、五感をフルに感じる事ができ、
人間本来の”生きる”術を生み出せるものだと思うのです。


シンプルな生活って悪いことばかりじゃぁないんです。


”削ぎ取る生活”たまには必要かもしれませんよ?
2013夏 福島と海老名の子ども交流キャンプ (寺子屋合宿) を開催しましたが、
2014年も、引き続き福島の子供たちの支援をしていきたいという思いで集まった有志の新年会。


先の見えない不安を抱えながら生活している福島の皆様に、少しでも私達が協力していける事はなんなのか?
今年も議論討論しながら、海老名で出来る事をやっていきたいと思っております。

海老名市民他市外の方々のボランティアも受け付けております。

今年も去年同様、楽しく、そして仲良く、皆様と活動していけたらと思っておりますので、心ある方のご支援ご協力をお願い申し上げます。星


詳細こちらになります

http://kidscamp.corso-b.net/index1.html



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鵜住居、田中健悦様
遠野、新田力様
宮古、伊藤様

岩手より、リンゴとシャケありがとうございました。
こちらは、海老名カイロプラクティックセンターにいらした方々にお配りいたしました。
運よくいらした方、ラッキーでしたね。ラブラブ

どうもありがとうございましたラブラブ


2013年も、皆様に守られ、無事に終わりを迎えようとしています。
また2014年も、出来る範囲で出来る事を止まらずにやっていきたいと思っています。

今年一年大変お世話になりました。
また来年もどうぞ宜しくお願いいたします。




海老名カイロプラクティックセンター
三田村真希



福島県郡山市、保育園前の放射線量測定器 0.264マイクロシーベルト
(Radiation dosimeter 0.264μSv at Koriyama city in Fusushima)

昨年の7月に除染をやってから放射線量の数値は大分減ったとの事。
去年の写真を見直すと、0.5はあったが、今年のクリスマスは0.3近く。
目で見る数値が減ったからといって、それはそこにある場所の数値だけであり、少しずれれば、またかわる。

今までは子供達を15分間だけ、外で遊ばせていました。
今は線量が大分減ったので、普通に遊ばせているとのこと。

しかし、子供達が砂を口に入れないよう、常に気を配っている。
先生達のストレスや悩みは、消え去る事はないようです。

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秋葉先生、伊藤先生、他沢山の先生方のご協力により、今年もサンタクロースができました。
お土産まで頂き、サンタクロース共々感謝しております。ベル
どうもありがとうございました。
感謝です音譜
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去年お世話になりました、酒屋やすださん。
訪れると、去年の私達の写真が飾ってありました。

『思い出してね!引っ張り出して貼ったのよ』

こんなちっちゃな事が、とても嬉しくなって、こどものようにはしゃいで喜んじゃいました!ニコニコ
更に、沢山のおにぎりを用意してくれて、『帰りの車の中で食べてね!』と・・・。

泣かせられましたしょぼん
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『福』の島の福島!!
福島に笑顔が戻りますように・・・。星
6月の岩手支援以来、なかなか東北へ足を傾けられず、葛藤しておりましたが、
皆様の御蔭で、11月、12月と岩手沿岸部に行くことが出来ました。

仮設の冬は本当に寒く、酷い所だと、床下から冷風が何か所も出てくるところがあり、一日中エアコンを効かせても温まらないところもあるのです。
ご支援頂いた中にホットカーペットや座布団がありましたが、大変喜ばれました。

そして、沢山の布や毛糸。

こちらも、長い冬を乗り越える東北の人にとってはありがたいものでありました。
自分達で、帽子やマフラーを編んだり、洋服をつくったりと、東北の方は本当に器用な方ばかりです。ニコニコ


帰りの東北道は交通事故で7台の玉突き事故があり、途中区間閉鎖されていました。
無事に海老名に帰って来れたことを改めて感謝し、また、海老名で出来る事をやって行きたいと思っております。

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小川様
雨宮様
佐々木幸子様
尾山様
尾澤様
児島様
山田なほ子様
大島紀子様
関本様
内山様
Batra様
馬地様
中島登美子様
広陽建設様
井上様
大島照代様
麦っ子畑保育園様
藤田ツヤ子様
深澤美穂様
多和田様


皆様のご協力に感謝いたします。
どうもありがとうございました。

インド人のバトラ夫妻

出逢いは14年前


開業前に働いていた横浜の治療院。
その目の前にあったインドの布や洋服の老舗

‘六甲サリー’

外壁グレーのコンクリートに直接掘ってあった看板が妙にカッコよく、その看板に引きつけられ店を訪れると、、、、

閉まっている。

2回目来店・・・閉まっている
3回目来店・・・閉まっている
4回目来店・・・閉まっている


・・・・。


次に行って閉まっていたら、もう行くのは止めようと思いました。


5回目来店・・・開店星!!

店が開いているだけでこんなに喜んだのは初めてでしたニコニコ
そもそも、私は並ぶのが大っ嫌いで、一度行って閉まっていたら二度と行くことはないのです。


きっと、会わなきゃいけない人だったのでしょうね。

今では、バトラ家は私の大切な一家となりました。ニコニコ


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自転車2台と、沢山の新品シルクのサリーを頂きました。

東北の人達にだから、気持ちよく渡せます。
少しでも役に立っていただければ、私は幸せです。


そう仰っていました。

ご協力に感謝いたします。
どうもありがとうございました星
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余命宣告の期日がまた縮んだ。
医者が我々の命の終わりの日を決めるのは間違っている。

自分がこの日と決め、お腹から出てきて、
数えきれない沢山の人生選択をしながら生きてきて、
そして、自分の終わりを頭ではなく、体の一つ一つの細胞が決めていく。
そう、私は思っているのです。

生まれてから逝くまでの幾度もの選択。

親が決めた選択もあったかもしれない。
時には神が決めた選択もあったかもしれない。

それでも、何を食べるか?どんな体の使い方をするか?何処に住むか?誰と共に歩むか?何時に起きて何時に寝るか?右に行くか左に行くか?・・・

全ては自分の選択で生きてきたのです。


病気は外から入ってきたものではなく自分がつくりだしたもの。
だから、自分しかその治し方を知っている人がいません。


大丈夫。


できるとこから、ひとつづつ修正していこう。
私も全ての知識と技術で、あなたを助けられるよう努力します。

悲しみや怒りは、病気を進行させます。

お願いだから笑っていてね。
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被災地のど真中山田町で、いち早く『BARボーダー』を立ち上げた遠藤晃紀店長
当時、火災で焼け焦げ黒い町となっていましたが、その中心に蛍光ネオンが光るBARを発見したときは衝撃的でした。その衝撃的だったBARに入ると、


『お前に何ができるんだ?』


と、一言。。。


そして店長は、
『必ず復活させてみせる』

そう言い放ち、その言葉通りにBARを復活させました。
その後、山田町を訪れる度に、その周辺に、ネオンがポツポツと灯り始まりました。
それは、私が見てきた沿岸部の釜石よりも大槌よりも、他のどの街よりも、店の建設作業が(プレハブ的な簡素なものが多いですが)早かったように思えます。

そのきっかけをつくった一人が、彼なのかもしれません。

被災後、出会った人々に言われたのが、皆が集まる場所がない。。でした。

情報交換する場所もないし、葬式をやっても、食事やお茶さえとるところがない。
一軒でもコーヒーやさんがあったらいいな・・・。

人々は、共に語り、和める場所を求めていました。
そんな誰もが求めていた場所を我先にと、作り上げた店長には頭があがりません。


私に何が出来るのか?
それは今でも分かりません。
話をしに通っているだけです。ニコニコ


私に火をつけたあの貴重な一言。。。
晃紀さん、どうもありがとうございましたニコニコ