$海老名から被災地へ。直接支援活動ブログ
今日も予定もMAXです!


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大槌町かみよ稲穂館避難所 約100人位の避難者がいます
ここでも施術を行いました
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東京町田市からラーメン屋さんが炊き出しにいらしてました 普段はとんこつラーメンを出しているそうなんですが、スープがつくれないとのことで初めて醤油ラーメンを作ったそうです! ラーメンが余っているとのことだったので、遠慮なくいただきましたが、ほんと美味しかったです! なんせ私たちも毎日コンビニ食か、避難所で余った白飯をおにぎりにして食べている毎日だったので、このラーメンには感激でした! きっと被災した方々も美味しく頂いたはずです あったかいものっていいですね。どうもありがとうございましたニコニコ
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子供たちも嬉しそうに一緒に遊んでいました しかし、一人の女の子が突然体育館全体に響き渡るよう激しく泣き始め、お母さんは泣き止むまで外に連れていってました。子供も一生懸命我慢しているんだなと思いました。その我慢がプチンと切れてしまった瞬間だったのでしょう・・。
大人だけではない子供も苦しんでいる
前日のTsukikoyaメンバーからの情報によると田の浜では200人以上の避難者が物資の取り合いをし、そのうちの一人は今の現状を泣きながら訴えたかけてきたとのこと
聞いた以上放っておけはしません まず田の浜の消防団や近隣のお寺のご住職に話を伺い、今の状況を
聞き出しました
“毎日、物資の配給は来ているので問題ないですよ”

個人宅避難者にも5,6人に聞き込み調査をしましたが、
“今は大丈夫です ほら!今日なんかきんぴらごぼうまで貰っちゃいましたよ ありがとう”

ん?
話が違う。。。
山田町公民館では物資の仕分けをきちんとされていて、どこに何を持っていくのかちゃんとプラカードまで立てられていました
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公民館の中の様子です
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被災地ではホントに一日で話が大きく変わります
後でTsuikoyaメンバーと被災者と話をした場所、物資をトラックから出した場所の確認をしましたが、ほぼ一致しました
不思議でしょうがこれが不思議ではないのです 

被災地ではデマや噂話が絶えません きっとそれも不安からくるものなのでしょうねしょぼん


もしかしたら来月にはもう物資は来ないかもしれない!

来月にはもう物資は届かないらしいよ?

来月には物資はもう来ない

物資はもう来ない



この様に負の連鎖反応が実際起こっており、色んな所で悪い噂を耳にします しかし、それは情報の発信と受信が弱いお年よりが密集した地域だからなのです 
もともといた地域のリーダー的な存在がいなくなっているため、地域のネットワークが崩れ、小さいことでも喧嘩をするようになったり、または逆に我慢し続けてストレスを溜めこみパニック症候群になったりしています
 
東北人の気質なんだと思いますが、人への気遣い、アクションをなかなか起こさなく消極的 
避難所があればそこで情報収集はできるのでしょうが、田の浜は避難所がないためにとても情報網は薄いのです。
リサーチする人が必要なのでしょうが、被災した彼らに出来るわけがありません
支援に行った私たちが随時新鮮なうちに情報を流す事! 絶対そこで止めてはいけません!
やはり一番鮮度が高いのはTwitterでしょうね!!
最も正確な情報を発信できる場所を教えてあげることが一番大事です 今回私たちが思ったことは
情報は県よりも市、市よりも公民館 公民館よりも消防団! 地域を毎日ぐるぐる回っている消防団の方々の情報が一番確かだと思いました
 


余談ですが、田の浜でリサーチしていたときに尋ねた瑞然寺のご住職は私の父と40年位前に一緒に過酷な修行を共にした同志だとのこと 驚きましたが、この出会いは偶然なんかではないのです きっと必然的に会うようになっていたのでしょうね(^∇^)
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防波堤が崩壊しています
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こちらも崩壊
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夕方4時の田の浜 物資の配給に列をつくっています
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腰や膝が悪くこの列に並べないお年寄りが沢山います
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そういった個人宅の情報が入ったら、迷わず即支援! こちらは共同で家主がいない親戚の家に住み込み、一緒に避難しています 伺う前日までお風呂に入れなかったので、銭湯に連れて行く計画を立てていました 伺った当日、お風呂が直ったらしく久しぶりのお風呂におじいさんはご機嫌でした 良かったですね! 
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《3.11の記録・・・読売新聞から》

黒い波 学校のまれた全児童を守りきった教職員 

黒い波だった。高さ5メートルの防潮堤をあっという間に乗り越え、しぶきを上げて向かってくる。
岩手県大槌町の赤浜小学校の佐々木啓子校長は、校庭からその大津波を見た。
ーーーーーーーーーーーーーー
3月11日午後2時46分。

学校は「帰りの会」の最中に大地震がきた。

ストーブの上の金だらいが落ち、女の子たちが「キャー」「助けて」と泣き叫ぶ。
ーーーーーーーーーーーーーー
8日前に避難訓練をしたばかり。

「町の避難場所に指定されているここまで津波が来るなんて思いもしなかった」という佐々木校長は、児童に上着を持たせ、校庭に集めた。

直後、校舎から一番最後に出てきた副校長が「ラジオで大津波警報と言っています。6メートルです」と伝えてきた。
「防潮堤を越えるかも」、不安になり、床が2メートル高い体育館に児童を移した。

ところが、余震が相次ぎ、児童たちが屋内を怖がって収拾がつかない。
再び校庭に戻ったのは午後3時頃。

この間、津波は大槌湾を猛スピードで進んでいた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最後に学校を飛び出した佐々木校長は、すでに膝まで水につかっていた。

「この子たちは死なせない!」という思いが体を突き動かす。

前を行く女性教師が、腰まで水につかった2年生2人を引き上げるようにしながら走っていく。

約500メートル先の裏山の高台に出た。

全児童36名、全教職員11名が揃っていた。

落ち着いたところで、初めて海のほうを振り返る。

黒い濁流の中で屋根や船、車がひしめくようにうごめき、赤浜の町とは信じられない光景だった。


(赤浜地区を襲った大津波)
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3日目朝9時 鍼の藤原先生夫妻を車でお出迎え 大槌町赤浜へ向かっています
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障害者施設ワークフォロー大槌にて、鍼、マッサージ、カイロプラクティックの施術をする 約30人くらいだったと思いますが、近隣の避難所から、個人宅の方から沢山の人が施術を受けにきてくれました 午前の部が終わり、皆さんと一緒に昼食! パンと牛乳とリンゴを頂きました ありがとうございます!
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あれっ!?
長田先生ではありませんか? 被災者でもある藤原先生に鍼を受けています!!
・・・なんて失礼いたしましたにひひ
全ての施術が終わったあと、藤原先生が私たち二人にも施術を施してくれました
頸椎(首)に鍼を刺して頂いた瞬間、首から仙骨まで一気にエネルギーが流れたのを感じました 三田村さん、疲れてますね~・・。 自分では疲れてると感じていませんでしたが、その晩は爆睡! 死んだように寝たのできっと疲れていたんですね お陰様で次の日は元気はつらつでした!
脈診で私の性格も当てられたのでびっくりです! 私も長田先生も弟子になりたい!!って本気で思った先生でした 
藤原先生に出会えたことに感謝ですニコニコ

初日、2日目と予定をMAXに詰め込んでいたので、やらなくてはいけないことすぐ忘れてしまう
ちゃんとスケジュールと立てよう!って事で夜に会議
前日にTsukikoyaメンバーが山田町の田の浜へ物資を配りにいったところ、200人位の人達に囲まれ、あっという間に全て持っていかれたとのこと

かなり深刻な様子で緊急に食料、物資を手配できないか?と相談を受けました
その日のうちに釜石で確認を取りましたが、管轄が違うといわれ、釜石は釜石、大槌は大槌、山田は山田の管轄になるので、山田市に相談しなくてはならないと言われました
とにかく自分の目でもう一度確認しなくてはいけないと思い、明日、田の浜へリサーチしにいくことにしました

釜石では食料も物資も足りているように思えますが、他に回せないらしい。。。
自分たちの分を確保しなくてはいけない責任もあるのでしょうが、なんともやるせない気持ちでいっぱいでした

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釜石市身体障害者福祉センターへの食料支援

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大槌にある旅館へ食糧支援
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仙寿院へ支援しに来ていたスリランカの僧侶モットネ アンギラサさん
被災者全員にお経を唱えながらお守りを手首に巻いて頂きました
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スリランカの僧侶が作ったスリランカカレー
千葉のお寺で僧侶自らつくったものを運びました4種類のカレーと次の日の朝はチャイを振る舞っていました こんなところでこんなに美味しいものが頂けると思っていなかったので感動です!!

前回、仙寿院で一緒に支援活動をしていた東京のご住職と再会! 同日に釜石入りしていたことにはお互い驚きました 何かのご縁なのでしょう きっとこちらのご住職とは連絡を取り合わなくてもまたどっかで会う そう強く思いました 

出会う人全てはご縁です 全ての人を支援することはできませんが、ご縁でたどり着いた場所では出来る限りのことを全力で取り組んでいきたいと思っています
巡回していた消防団の方も途中からBBQに参加
写真左にいる消防団長は津波で家族を3人失っていますが、私たちのメンバーであるミキさんと話して少し元気がでたといってくれました 100%元気にすることなんてできない でも5%でもいい 少しでも元気がでてくれたならそれだけで私たちは嬉しいのです
次回みきさんを連れて行かないと私が怒られますねあせる


岩手・大槌町消防団長の祈り 家族3人失い部下も16人 2011年04月11日

 岩手県の大槌町消防団の煙山佳成団長(72)は、出動のため義母と妻子3人を津波の犠牲にしてしまったと自らを責め続けてきた。防潮堤の水門を閉め、避難誘導をして死亡・行方不明になった部下の団員や協力隊員は少なくとも16人いる。11日。震災後初めて警戒態勢を解くよう指示し、黙とうをささげた。

 地震直後、商店を兼ねた家で妻昌子さん(73)が消防団のはんてんを準備し、いつものように出動を見送った。「早く帰ってきてね」

 自転車で消防会館に向かい、仲間が乗る消防車が通り掛かった。同乗した。水門が閉まっているのを確認し、避難を呼び掛けながら、堤防に上がった。津波が間もなく襲ってくると気付いた。車で一気に坂道を上った。追い掛けてきた水で車は後輪が浮かび、90度横に回転。何とか流されずに持ちこたえたが、道路が寸断され孤立した。寒空の下、流れ着いたイカの加工品やサンマをたき火で焼いて食べた。
 翌日、廃虚になった町を歩いて、大槌町の災害対策本部になった公民館にたどり着いた。以来、町職員と公民館で寝泊まりし、消防団を指揮している。

 出動のため家を出た場面が今も頭をよぎる。

 長男隆之さん(40)は寝たきりの義母タマさん(92)に流動食を食べさせていた。「後を頼むぞ」と言い残したのが最後になった。

 避難場所の小学校までタマさんを背負うと10分はかかる。ばあちゃん思いで、流動食の栄養まで気遣う息子が、懸命に逃げた姿が目に浮かんだ。途中で津波に追いつかれたのだろうか。
 出動で気がせいていて「すぐ逃げろ」と言わなかった。悔しい。怖がりだった妻。俺がいなくてさびしかっただろう。
 3人の遺体は見つかった。それだけでもありがたいことなんだと自分に言い聞かせている。(共同)


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菊桃って花知ってますか?
こんなにも私の心ギュッとさせたのはあなただけですラブラブ!
海老名・中新田にて^^ みんなに幸せおすそ分け
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