巡回していた消防団の方も途中からBBQに参加
写真左にいる消防団長は津波で家族を3人失っていますが、私たちのメンバーであるミキさんと話して少し元気がでたといってくれました 100%元気にすることなんてできない でも5%でもいい 少しでも元気がでてくれたならそれだけで私たちは嬉しいのです
次回みきさんを連れて行かないと私が怒られますねあせる


岩手・大槌町消防団長の祈り 家族3人失い部下も16人 2011年04月11日

 岩手県の大槌町消防団の煙山佳成団長(72)は、出動のため義母と妻子3人を津波の犠牲にしてしまったと自らを責め続けてきた。防潮堤の水門を閉め、避難誘導をして死亡・行方不明になった部下の団員や協力隊員は少なくとも16人いる。11日。震災後初めて警戒態勢を解くよう指示し、黙とうをささげた。

 地震直後、商店を兼ねた家で妻昌子さん(73)が消防団のはんてんを準備し、いつものように出動を見送った。「早く帰ってきてね」

 自転車で消防会館に向かい、仲間が乗る消防車が通り掛かった。同乗した。水門が閉まっているのを確認し、避難を呼び掛けながら、堤防に上がった。津波が間もなく襲ってくると気付いた。車で一気に坂道を上った。追い掛けてきた水で車は後輪が浮かび、90度横に回転。何とか流されずに持ちこたえたが、道路が寸断され孤立した。寒空の下、流れ着いたイカの加工品やサンマをたき火で焼いて食べた。
 翌日、廃虚になった町を歩いて、大槌町の災害対策本部になった公民館にたどり着いた。以来、町職員と公民館で寝泊まりし、消防団を指揮している。

 出動のため家を出た場面が今も頭をよぎる。

 長男隆之さん(40)は寝たきりの義母タマさん(92)に流動食を食べさせていた。「後を頼むぞ」と言い残したのが最後になった。

 避難場所の小学校までタマさんを背負うと10分はかかる。ばあちゃん思いで、流動食の栄養まで気遣う息子が、懸命に逃げた姿が目に浮かんだ。途中で津波に追いつかれたのだろうか。
 出動で気がせいていて「すぐ逃げろ」と言わなかった。悔しい。怖がりだった妻。俺がいなくてさびしかっただろう。
 3人の遺体は見つかった。それだけでもありがたいことなんだと自分に言い聞かせている。(共同)


$海老名から被災地へ。直接支援活動ブログ