




《3.11の記録・・・読売新聞から》
黒い波 学校のまれた全児童を守りきった教職員
黒い波だった。高さ5メートルの防潮堤をあっという間に乗り越え、しぶきを上げて向かってくる。
岩手県大槌町の赤浜小学校の佐々木啓子校長は、校庭からその大津波を見た。
ーーーーーーーーーーーーーー
3月11日午後2時46分。
学校は「帰りの会」の最中に大地震がきた。
ストーブの上の金だらいが落ち、女の子たちが「キャー」「助けて」と泣き叫ぶ。
ーーーーーーーーーーーーーー
8日前に避難訓練をしたばかり。
「町の避難場所に指定されているここまで津波が来るなんて思いもしなかった」という佐々木校長は、児童に上着を持たせ、校庭に集めた。
直後、校舎から一番最後に出てきた副校長が「ラジオで大津波警報と言っています。6メートルです」と伝えてきた。
「防潮堤を越えるかも」、不安になり、床が2メートル高い体育館に児童を移した。
ところが、余震が相次ぎ、児童たちが屋内を怖がって収拾がつかない。
再び校庭に戻ったのは午後3時頃。
この間、津波は大槌湾を猛スピードで進んでいた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最後に学校を飛び出した佐々木校長は、すでに膝まで水につかっていた。
「この子たちは死なせない!」という思いが体を突き動かす。
前を行く女性教師が、腰まで水につかった2年生2人を引き上げるようにしながら走っていく。
約500メートル先の裏山の高台に出た。
全児童36名、全教職員11名が揃っていた。
落ち着いたところで、初めて海のほうを振り返る。
黒い濁流の中で屋根や船、車がひしめくようにうごめき、赤浜の町とは信じられない光景だった。
(赤浜地区を襲った大津波)