『愛国百人一首』の選定された44首目は楠木正行です。あの大楠公の楠木正成の長子にあたる人物でです。
(著者所持の『愛国百人一首』の楠木正行の絵札)
か へ ら じ と
か ね て 思 へ ば
梓 弓
な き 数 に 入 る
名 を ぞ と ゞ む る
この歌は、正平2(1347)年、後村上天皇時代の歌です。
歌の意(こころ)
戦陣に出たならば、梓弓の矢のように、還ってこない覚悟しているので、この世を去ってゆく者の名前だけを形見として書き連ねておきます。
楠正行は、大楠公こと楠木正成の長子で、正成が戦死する湊川の戦いのときは11歳でした。お伴したいと願いますが、桜井の駅にて父から、郷里の河内国に帰ります。力を養って、22歳の正平2(1347)年、ついに立ち上がり、足利方の有力武将を藤井寺の戦いで破りますが、翌正平3(1348)年1月に四条畷の戦いで足利方の高師直を総大将とする6万騎という大軍の前に敗れて戦死します。
この歌は、楠正行が正平3(1348)年1月に、四条畷において23歳にて戦死する前に、後村上天皇に拝謁し、後醍醐天皇の御陵を拝した後、如意輪堂の壁に143名の自署の後へ、書いたものです。
(著者所持の『愛国百人一首』の楠木正行の読札・取札)
歌の解説は、『國魂 愛国百人一首の解説』著:西内雅と、愛国百人一首の12人の選定委員の一人である窪田空穂による『愛国百人一首』によって行っています。
『愛国百人一首』とは
『伊勢物語』を読む上で、和歌の理解のために読んだ本について