対米戦争による当時の置かれた状況が色濃く表れた百人一首
愛国百人一首がいつどのようにつくられたのか?
『愛国百人一首』は、1942(昭和17)年11月20日に全国新聞紙上に一斉に発表されたもので、日本文学報国会が選定し、情報局が後援、陸海軍と大政翼賛会賛助、毎日新聞社の協力の下にできあがったものとのことです。
日本文学報国会の選定には、
『愛国百人一首』は「国民思想に及ぼす影響と国民士気作興という国家目的」をもっていることから、その観点で12名の選定委員が選ばれて行われました。
佐々木信綱、斉藤茂吉、北原白秋、
尾上柴舟、窪田空穂、太田水穂、
折口信夫、吉植庄亮、土屋文明、
川田順、齋藤瀏、松村英一
そこに、情報局、文部省社会教育局、陸軍省報道部、海軍省報道部、大政翼賛会実践局、文学博士平泉澄、文学博士久松潜一などが選定委員会に出席
1942(昭和17)年9月中旬に、愛国百人一首選定計画が新聞紙上に発表され、約1か月の間に候補歌が約11万首も集められ、その中から選定委員らにより百首が選ばれたという流れです。
選定の要点は
一、万葉から幕末までの歌で、作者が判明している歌
(幕末の歌でも作者が明治以降も生存しているものは除く)
二、臣下の作
三、愛国の意味はある程度まで広く解釈
四、一般に理解しやすく、なるべく朗らかで積極性のあるもの など
『愛国百人一首』の意義
一、日本の和歌の伝統を清め正したこと
二、短歌のみならず、日本の文学の行くべき道の明確な方向を示唆したこと
三、示された渾然たる愛国精神が、強く国民全体の魂に呼びかけ、純忠の一念を激しく揺り動かし、国体観念の明徴と日本精神の昂揚とを全面的に齎すのに役に立つこと
※『愛国百人一首絵入カルタ』に入っている説明による
ということです。
1942(昭和17)年11月の頃は、アメリカとの戦争において、同年6月にミッドウェー海戦でアメリカに大敗し、8月にはアメリカがガダルカナル島に上陸を果たしているという日本が劣勢に立たされ始めていた時期にあたります。
意義の三に表されているように、背景としては、この劣勢を挽回する必要があるから、これでその機運を国内で醸成したいという強い思いがあり、それによってつくられたことが分かります。
『伊勢物語』を読む上で、和歌の理解のために読んだ本について