ブロッコリーな日々 -2ページ目

ブロッコリーな日々

アイドルマート下花店店長の落書き

ジョン・レノンの“イマジン”が優しくつつみ込む 

---戦場「キリング・フィールド」の感動

1985年製作/イギリス
原題:The Killing Fields
配給:ワーナー・ブラザース

監督:ローランド・ジョフィ

主演:サム・ウォーターストン

 

舞台は、1973年8月のカンボジア。

ニューヨーク・タイムズの記者シドニー・シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は、特派員としてカンボジアの首都プノンペンに来た。

 

当時のカンボジアはアメリカを後楯にしたロン・ノル政権と、反米・救国を旗印に掲げた革命派勢力、クメール・ルージュとの闘いが表面化した「きな臭い時期」でもあった。

 

カンボジア人のディス・プラン(ハイン・S・ニョール)が、現地で彼の通訳・ガイドとして仕事を助けてくれることになった。

翌74年に入って、革命派のプノンペン進攻は目前に迫った。

外国人や政府関係者は、必死に国外へ出ようとかけずりまわり、プランの家族も、シャンバーグの手を借りて、無事にアメリカへ旅立つ。

同年4月、プノンペン解放、ロン・ノル政権はついに崩壊、新しくクメール・ルージュを率いるポル・ポト政権が誕生した。

シャンバーグ、プラン、そしてアメリカ人キャメラマンのロックオフ(ジョン・マルコヴィッチ)、イギリス人記者のジョン・スウェイン(ジュリアン・サンズ)は、病院に取材に行くが、クメール・ルージュの兵士に逮捕される。

 

プランは三人の命の恩人となったのである。

四人は最後の避難所であるフランス大使館へと逃げ込むが、やがて、カンボジア人であるプランだけが、クメール・ルージュに引き立てられ、どこかへ連行されていった。

 

数日後、シャンバークたちは無事、国外へ避難することができた---

ニューヨークに戻ったシャンバークは、プランの身を案じながらも、カンボジアの取材記事でピューリツッァー賞を受賞した。

この栄誉はすべてプランのおかげだった。受賞式の日、ロックオフがシャンバーグを訪れ「あの賞が欲しくてプランを脱出させなかったんだな」となじるのだった。

---その頃、プランは、過去の身分を隠し、クメール・ルージュの監視下で労働していた。

町の住人たちは農村で強制労働させられ、子供が親をスパイするという惨状の中で、数え切れないほどの人々が殺された。

 

やがて、辛くも脱走したプランは累々たる屍を踏み越えて、とある村にたどりつき、村の長の家でハウスボーイとして働くようになる。

しかしその主人もクメール・ルージュに殺されたため、託された少年とともに村を脱出。

 

途中、地雷で少年は死に、プランが死ぬ思いをしながら、タイの難民キャンプにたどりついたのは、79年も秋になったころだった。

プラン生存の連絡を受けたシャンバーグは、タイの難民キャンプへ飛んだ。

 

「許してくれ」とシャンバーグ。「許すことなどないよ」とプラン。抱き合う二人をカーラジオから流れるジョン・レノンの“イマジン”が優しくつつみ込む--

 

壮絶な映画で言葉を失う。また、二人の再会場面は、涙を誘う。

"イマジン"が、これほど似合っている映画はない、と思う。平和ボケの日本人にはぜひ観て欲しい。

見逃した人には激しくおススメ。。