いつでもハロウ!
元イラストレーター25年歴/
頑張りすぎる人間関係専門カウンセラー
もりわきまりこです
【自己紹介 ①】不登校になるまで
【自己紹介 ②】働く引きこもりイラストレーター
【自己紹介 ③】自分を棚に上げたままでカウンセラーになりました(最終話)
【イラストレーター時代のはなし】
→『イラストレーターだけど、一流じゃないから名乗る資格はないと思っていた』
本番を重ね、プロとしてお金をもらいながら勉強させてもらっていく。
わたしは25歳からイラストの仕事を始めました。
一番最初の仕事は、なぜか男性同士が愛を育むカットイラストです。
そして入稿したあと、掲載誌だけ届き、すぐ会社は夜逃げしたので、原稿料は貰えずじまいで終わるデビューです。
一瞬、えー?とは思いましたが、それ以上驚くこともなく次の営業先を探し、淡々と絵を描く生活をしていました。
2年後、四谷のデザイン事務所の社長さんと知り合い「もっと描けるようになったら使ってやる」
「今はファミリー系だ!徹底的にパクれ」
こういうのが売れ線だから徹底的に練習しろと自社のイラストライブラリーの見本誌を宅急便でどっさり送ってくれました。
めっちゃいい人でした。
徹底的にパクれ、今でいうTTPですね。
(狭い界隈での有名語録)
それまでわたしは、読み物系メインのペン画タッチしか武器がなく、筆だけで絵を描いたことが 得意ではない・・デザインぽくなる。
お箸を生まれて初めて持つ人と、何ら変わりません。
筆を持つ力の入れ方の加減がわからず、描きたいと思っているものが全く描けません。
描けないことに加えて、モデリングしてる事実が「二流のやることだな」とも思っていました。
(若いからわかってない)
つらーーいつらーーーーい時期でした。
数ヶ月後、少し描けるようになり、タッチ見本を持って四谷の社長のところに行くと「まだダメーー」とバッサリです。
それでも背に腹は変えられないので、ダメ元でいくつかのデザイン事務所や出版社を回ってみるとなぜか採用され
そこから、漫画家とほぼ同じです。
本番を重ね、プロとしてお金をもらいながら勉強させてもらっていく。
なんとなく、四谷の社長が勧めてくれた一流作家さんのパクリの絵で、食べていくためと割り切って描き続ける選択をしました。
しかしおもしろいのは、やっぱりわたしはわたしなんですね。
ずっと描いてるうちに独特の味は出るようで、モデリング見本側の一流作家さんよりは、パキッとした絵柄に変わっていきました。
でもやっぱり、わたしは読み物系のペン画のラフを描いている時が一番楽しかったな。
男性誌、カルチャー誌で書き散らすのは楽しかったもん。
(宝島、ViVi、今は無き角川のメンズウォーカー、サリダ、女性セブン etc…の頃だな)
だって、誰のモデリングしなくていいんだもん!!
ラフ出しして
「おもしろいのは僕は好きだけど、今回はやめてください」と言われるのは、結構しょんぼりするものなのです。
(かなり言われたよ・・)
パクリの話は後日談あり。
数年後、今度はわたしがライブラリーに預けていたタッチ見本を(webで閲覧可能だったので)マルっとパクった会社が出てきまして
たまたま大手のライブラリーに所属していたので、著作権保護関係がしっかりしていて、顧問弁護士さんがしっかり護ってくださったおかげでパクった会社から慰謝料40万くらい頂きました。(ラッキー!?)
おもしろいでしょ。
長くやってるといろんなことがあったんだなぁ・・書き出してみて気づくのでした。
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