いつでもハロウ!

まじかるクラウン元イラストレーター25年歴/

頑張りすぎる人間関係専門カウンセラー

もりわきまりこです

 

今日は、適応障害、抑うつを超え

なんとなく今は、ゆるめに生きてる

わたしのお話をします。

 

よろしければ最後までお読み頂けると

うれしいです。

 

  わたしんち!

 

 

わたしの育ったおうちは

父と母とわたしの三人暮らし。

 

父はお金にだらしがない人でした。

 

仕事はとてもできる人でしたが

給料が酒代に化けてしまい

酒が入ると、人が変わったようになり

大声で怒鳴り散らすことが日常でした。

(酒乱ですねー)

 

母は爪に火を灯すように、家計のやりくりをし

ダメな旦那の尻拭いをずっとしてきた人です。

 

乳幼児期から、すでにその状態だったそうで

不安定なイカダ状態の環境で暮らしているというのは

幼児の心身に影響が出ます。

 

わたしは、おねしょ癖はあまりなかったのですが

不安が募るとおしっこが漏れるという

悲しい癖がありました。

 

今でいう、心因性頻尿です。

 

 

それをネチネチと大人になっても、

母に言われるのが心底嫌でした。

 

 

わたしは、当時としては高齢出産で

生まれた子の部類。

 

物心つく頃の、わたしからみた母は、

女のたしなみと言われるものは一通り出来る

非のうちどころのない

大人の女性にしか見えませんでした。

 

 

夕方になると、お父さんの車のエンジン音が聞こえてくるたび、

ぎゅっと苦しい気持ちになります。

 

「今日は、暴れませんように」

 

父の機嫌が悪くならないよう、楽しい話題を振るなど必要以上に気を遣います、が!

 

祈り虚しく、お酒が入ると暴れます。

 

その度に、わたしは、ここではどこかに行きたかった・・とばかり夢見ながら、

ヘッドフォンの音量を爆上げにして

部屋でオフコースを熱唱していました。

 

  ​ホントのわたし?

 

もともと、わたしはぼーっとしている子供と見えていたそうで

親や先生からは心配されていました。

 

幼い頃は母からずっと「おまえはわがまま」と連呼され、

それは子供っぽい幼稚な人間の振る舞い方だと

 

5歳あたりで、大人みたいになることを目指し

協調性のある子供であることが

正しい子供の姿だとなんとなく思っていました。

 

協調性と社会性、枠に収まろうとすればするほど、ギクシャクした動きになる。

 

それもまた「お前は、運動会の行進の時ギクシャクしている」と指摘される。

 

一生懸命やっているのに「見える結果が全て」

 

「過程を大切に扱わない」教育でした。

 

 

扱われ方は、やがて自画像になります。

 

自分の持ち味をよくないものだと思うと

反対方向にがむしゃらに向かうようになります。

 

ちなみにわたしは、家のことがあり、

心が辛い時はあったけど、友だちができなかったこともなく

いじめられたこともありません。

 

子供の頃から外の人間関係で苦労したこともない。

 

思春期になると、のらりくらりと

上手に女子の中で空気を読みながら、

時に自分を下げてでも、嫌われないよう

上手に世間を渡り歩いてもいました。

 

あまり何も考えず生きていた子でした。

 

 

思春期になる頃、世はお笑いブーム!

頭がいいより運動できるより面白い人の方が世の中をうまく渡れる!

 

自分の可能性を伸ばしたい!と、

当時のわたしの思い込みの激しさは加速していきます。

 

 /

目立ちたい!!!

 \

 

テレビの芸人のギャグを、そのまま学校でやってみたりしているうちに

わたしは、クラスのちょっと面白い人というポジションを獲得しました。

 

今、振り返ってもちょっと異常なほどの承認欲求でした。

 

 

  一人芝居で狂ってマンボ!

 

 

中学生になる頃、MAXレベルで家が荒れていました。

 

わたしは、父のことはバカにしまくり

母のことも炊事の得意な家政婦さんくらいにしか思っていませんでした。

 

「あの頃のおまえはホントに悪い子供だった」

と、のちに母に言われたのを覚えています。

 

『心身が不安定なまま、協調性地獄の枠に

収まろうとしながら、目立ちたい!』

 

狂っています。

 

 

体がサインを出しました。

 

もう、そのすっちゃかめっちゃかな生き方、やめろよ、って。

 

 

高一の冬、急に自分の匂いが気になりだす

今でいう自己臭恐怖という状態になりました。

 

 

直前まで調子に乗りまくっていたわたしの時間に

いきなり幕が降りました。

 

 

そう、こんなものなのです。

 

心の地盤が危うい上で踊る、調子乗りの末路なんて。

 

後々、それが、人生の方向転換ができる大チャンスだったんですが

当時のわたしは知る由もなく、目の前の不幸と解釈しました。

 

 

負のベクトルが全部自分に向いている状態に思え

排除していくことで頭がいっぱいです。

 

 

このような観念は、

思春期にありがちなものらしいのですが、

そんな情報は当時はありません。

 

苦悩の日々が続きます。

 

 

  どっぷり不登校!

 

毎朝、母が、弁当を作ってくれます。

 

わたしは、制服を着てそれを持って、家をギリギリに出ます。

 

近所をフラフラして10時ごろ、こっそり家に帰って

弁当を食べるということを繰り返していました。

 

母は今日こそは、学校行きなさいよと、

毎朝しんみりしながら卵を焼いて、ご飯に胡麻を振ります。

 

世間体の悪いわたし、期待に添えない自分に

罪悪感を抱きながら、先の見えない真っ暗で

精神的に追い詰められた日々を過ごしていました。

 

わたしは生きている価値がない、

「だって学校は社会の縮図だというじゃないか!」

この考えにとりつかれたわたしは

人が怖くなってしまい、不登校になってしまいました。

 

当時のわたしは、他人に受け入れられてなんぼという価値観以外

この世にはないと思い込んでいました。

 

家が荒れていた分、学校が家のかわりでした。

 

わたしは、学校が好きだったんです。

 

だから、ショックが余計大きかった。

 

 

遺書ばかり書いていました。

 

⚪︎ぬ場所を探して、毎朝自転車を走らせていました。

 

今日も⚪︎ねない。

 

とにかくなんでもいいから、今の状態に名前が欲しい。

 

こっそり親の保険証を持ち出して

薬局や病院巡りをしますが、

どこへいってもわたしは、健康体だと言われる。

 

「心身症」と唯一、それっぽい症状名がついたとき、

少し気が楽になったのを覚えています。

 

学校に行かない時のわたしは、悩みのない人です。

 

元気はつらつ、ヘラヘラしています。

 

不登校は続き、高校3年の9月、心理的に限界がきました。

 

「もう無理だ、行きたくない、行けない」

 

また、悲しい顔で「行きなさい」と言われると思っていたら

 

お母さんは静かに

「そんなに行きたくないなら、もう行かんでいい」と言いました。

 

わたしは「ああ、お母さんは世間体より

わたしの気持ちを選んでくれた、寄り添うことを選んでくれた」と

瞬時に思い、ザクザク泣きました。

 

初めて、この人は信じていい人なんだと思った瞬間でした。

 

 

わたしは、その月に休学という程で退学し(見栄)

春から残りの単位を取るために

通信制高校に一年通いました。

 

 

同時期、父は、お金の問題や、

車を事故ったりと後戻りが出来ないくらい色々やらかしていていました。

 

母が爪に火を灯して貯めてくれていた

わたしの進学費用を使い込むという事件きっかけで離婚となりました。

 

当時のわたしは、お母さんかわいそう!で

生きていたので

母を悪役である父から引き離すことが良きことだと思っていました。

 

積極的に離婚を促し、新しい家を探すという

自他の境界線がわからない人特有の動きを、

正義だと思ってしていました。

 

母は、その後「お前のおかげでお父さんと別れられてよかった」と、

折に触れ言うのですが

わたしは、その都度平謝りです。

 

どんな結末を迎えようと、夫婦間の問題に

子供のわたしが口を挟むのは筋違いだと思っているからです。

 

 

  ​東京へ行けばなんとかなるような気がして

 

おじいさん所長と二人だけの、地元の建設会社で電話番をし、

夜は温泉旅館の洗い場でバイトをしながら

 

ここではないどこかに

わたしがわたしのまま、ほっと生きられる場所があるのではないか?と

出ていくためのお金を貯めました。

 

家を出る前に、どこかでわたしは気づいていました。

 

「場所を移動しているだけ、何も変わらないよ」

 

脳内の声は聞かなかったことにして

 

長渕の歌のノリで(長渕は好きではない)

21歳になる直前の秋、

軽自動車にふとんを積んで

人生で初めて乗った高速で、地方から埼玉にやってきました。

 

なぜ埼玉なのか?

 

それは、求人誌に載っていた会社の寮が埼玉だったからです!!!

 

(続く)

 

 

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