いつでもハロウ!
元イラストレーター25年歴/
頑張りすぎる人間関係専門カウンセラー
もりわきまりこです
【自己紹介 ①】不登校になるまで
【自己紹介 ②】働く引きこもりイラストレーター
【自己紹介 ③】自分を棚に上げたままでカウンセラーになりました(最終話)
【イラストレーター時代のはなし】
→『イラストレーターだけど、一流じゃないから名乗る資格はないと思っていた』
誰かのことより、未来のことより、今の自分に愛情と慈しみを持って接してあげよう
今はスッパリ手を引いていますが(廃業)、その昔わたしはイラストレーターでした。
ananの村上龍の一言に奮起してイラストレーターになる!と決めたはいいが、実績ゼロ、コネゼロ、美大もデザイン事務所も出ていません。
マスコミ電話帳や、新聞の求人欄を見てはデザイン会社の名前があればアポを取り、持ち込み営業に飛び回る。
若さと勢いだけで爆走していました。
認知の歪みを背負いながらの爆走は、勢いだけがガソリンです。
持久力はなく、仕事が入ってくるようになると、我に返り現実を憂う癖が出始めます。
「会社人としてやっていけないからフリーランスを選んだが、この先仕事がなくなったらどうしよう」
1日に締め切りが4本あっても常に不安でした。
(やがてからだ壊すんですけどね)
計算高いわたしは、食いっぱぐれがないジャンルに売り込みをかけよう。
「そうだ!健康系と、育児系に絞ろう!」
姑息なリサーチの甲斐あって、10年以上安泰でした。
今も続けていたら、赤すぐ(これは休刊か)、たまひよ、からだにいいこと、健康雑誌あたりで描き散らしていたと思います。
わたしは、幼い頃から本意とは違う受け止められ方をされると、必死に誤解を解く癖がありました。
いつも他人に「なんらかの印象」を持たれることを恐れていたし、好みませんでした。
それくらい他人が思うわたし像に、わたしの方が合わせなければいけないという、家庭で覚えた振る舞い方が染み付いていたからです。
(意固地な面のあるお母さんに嫌われたくなかったのよ)
その生き方に限界がきて、抑うつになったり心理塾に通ったり、父が亡くなったりもあり、自分の人生や、命について真正面から向き合い直しました。
わたしはいつも、過去を憂いて、未来も悲観するのが当たり前になっていたこと、
今というものは、未来が暗くならないために手を打つ布石を探し回る時間だと当たり前のように思い込んで生きていたこと
ちっとも、今、いる自分を取り巻くものや、わたし自身に対しても敬う視点がないまま来ていたのだなぁと気づいた時、わたしは損をすることを選びました。
わたしにとっての損、未来は出たとこ勝負!でいく。
二兎を得ようとすることは、腹がくくれていないと同じ意味です。
誰かのことより、未来のことより、今の自分に愛情と慈しみを持って接してあげる。
働くことは辛いことだと、親を見ながら思っていましたが、親とは違う視点を手に入れ、自分がしたくてできることでご飯を食べています。
イラストの仕事は、今のわたしがカウンセラーの仕事を楽しくやっているように、どこかの誰かが得意を生かしながらのびのび描いている。(と思う)
得意なことや、やる気のあることは、それがやりたい人にお任せしていけばいい。
今の自分は、そこに着地しながら日々を暮らしています。
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