どちらかといえばインド風の天女
今回はこういうお題でいきます。でもこれ、難しいんですよね。というのは、
天女の概念が仏教由来のものと、中国古来の天の概念から来るものとが
入り混じってしまってるからです。で、自分もいろいろと調べてみたんですが、
詳しく説明している文献もないんです。
どっちからいきましょう。まずは仏教のほうからにしましょうか。
もともと仏教が生まれたインドにはカースト制度があり、そのもとになった
輪廻転生の思想がありました。それがお釈迦様の死後、仏教に取り入れられ
六道輪廻になりました。
六道輪廻とは、生前の行いによって「天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道
地獄道」の6つの世界に生まれ変わるとされます。この中で最も上位の
世界、つまりよい行いをした者が生まれ変わるのが天道です。
そこに住む女性が天女。
天道の住人は寿命が長く、おそらく数百年。また容色が衰えることもありません。
六道の6つの世界の中で最も苦しみが少ないんですが、不死というわけではなく、
やはり死からは逃れられません。また、天道の住人は空を飛ぶなどの神通力が
使えますが、全知でもなく全能でもないんですね。
これは以前にも書きましたが、天人が死ぬときには5つの兆候が現れるとされ、
これを「天人五衰」と言います。具体的には、
衣裳垢膩(えしょうこうじ)衣服が埃と垢で汚れて油染みる。
頭上華萎(ずじょうかい)頭上のまげに結った髪が萎える。
身体臭穢(しんたいしゅうわい)身体が汚れて臭い出す。
腋下汗出(えきげかんしゅつ)腋の下から汗が流れ出る。
不楽本座(ふらくほんざ)自分の席に戻るのを嫌がり楽しみが味わえなくなる。
余談ですが、三島由紀夫の小説『豊饒の海』の第四部の題名が「天人五衰」
でした。うろおぼえですが、老人と青年の対立を描いた難しい作品だったと
記憶しています。三島由紀夫は綿密に創作ノートをつくってから
書き始めるので、内容が複雑なんですよね。
この天道は六道の中の最上位なんですが、この世界では仏と出会うことは
できず、解脱することはできないんですね。仏(仏教)と出会うことが
できるのは六道の中でも人間道だけなんです。(地蔵菩薩をのぞく)
次に天の概念における天女についてみていきます。天の概念は中国由来の
考え方で、天界には天帝という皇帝がいて、すべてのことを司っている。
地上に住む人間の一人ひとりに天命という生まれながらの使命を与え、
それが達成されるように天佑を与え、もし天命に反すれば天罰を
与えるというもの。中国では紀元前の古くから信じられてきました。
で、この場合の天女とは、天帝のそばに仕える女官のことです。やはり
自由に空を飛んだり、人間にはない力を持っています。
ただ、この2つにみられる天女の区別ってすごく曖昧なんです。
日本にはこの2つの考え方のどちらもが入ってきていましたので、
両方が融合してしまっていて、区別ができないんですね。天女が空から
舞い下りてきたといっても、どちらの天女なのかわからない。まあ、
こんなことを気にする人も少ないだろうと思いますが。
さて、次は羽衣伝説について。よくある話のパターンとしては、
水辺に降りてきた天女が、それを盗み見していた男によって羽衣、
(空を飛ぶための衣服、あるいはひれと呼ばれる細長い布)を
隠され、しかたなく夫婦になるが、男の隙を見つけて隠し場所から
羽衣を見つけ出し、それをまとって天に帰ってしまうという民話です。
これ以外のバリエーションもあります。
よく言われるのは、これは世界中で見られる異類婚譚である「白鳥処女説話」
の一つのパターンであるということです。同じく日本の民話である
「鶴女房」などもこれですよね。ただ、描写を読んだだけでは、天女が
上記のどちらのものなのかははっきり書かれてないんですね。
自分の研究テーマの一つに、中国にもともとあった思想が、仏教の
輪廻転生の考え方が入ってきたことによってどのように変化したかと
いうのがあるんですが、多くの場合、この例のように融合してしまって
どっちともわからなくなってしまっているんです。
さてさて、ということで、結論の出ない話になってしまいました。
ただ一つ言えるのは、民話のできかたの一つのパターンとして、
その当時の人々の願望が反映されているということです。
この話も、高貴なものに対するあこがれが表されたものでしょう。
では、今回はこのへんで。
まとめ
天女には中国古来の天の概念からくるものと仏教の天道からくるものとが
あるが、両者の区別は難しい。さらに、おそらく中国の神仙思想の
仙女のイメージも混ざっている。