
前回の続きですが、今回は、「現世利益」ということを考えてみたいと
思います。他の宗教の話にも触れますが、長い歴史がある宗教は、
その分さまざまな考え方が派生していますので、
自分が書いていることが、必ずしもその宗教の方から、
全面的な賛同を得られるというわけではないでしょう。
そこはご承知おきください。基本的に、
現世利益は世界の伝統宗教ではあまり重視されていません。
特に一神教においてはその傾向が強いようです。
キリスト教では神は全知全能であり、過去から未来にかけて
あまねく在るので、ある特定の人を助けたり利益を与えるといったことは、
意味がないのでまずしません。(ノアとその家族は、
心が清かったため洪水から助けられましたが。)

人は正しく生きて、死後、神の国に入ることをめざすのです。
ですから祈りの際にも「何事も神の御心のままに」
というような内容が好ましいとされます。一方、神の怒りは
じつに厳しいものがあるのは、旧約聖書を読めばわかりますね。
仏教は、本来は人生の修行法のようなものです。
この世の一切が苦であることを知り、因縁の鎖を断ち切って入悟、
成仏を目指すのが本来の姿であると思われます。
しかし日本に入ってきて少し変質しました。
仏教の雨乞い

奈良の大仏は「鎮護国家」のために造られましたし、
僧侶による加持祈祷も行われました。雨ごいや敵の調伏などが
そうですし、病気平癒のための祈祷もありました。これらは
現世での利益を願うものであり、
本来の形からは逸脱していると言えそうです。
もちろん、死後に極楽往生をたのむという考え方も盛んで、
あの地上で栄華を極めた藤原道長も、死に際しては
阿弥陀堂にこもり、仏像の手から自分の手へ糸を結んで、
極楽へ導かれることを願ったと言われています。

さて、神道ですが、日本の神話を読んでも、
神々は善なることばかりをやっているわけではありません。
どっちかと言えば好き勝手なことをしている印象が強いですね。
姉の機屋に生きたまま馬の皮を剥いで投げ込んだり、
それで怒って、真っ暗になるのがわかってて岩戸に隠れたりします。
このあたりを評して、新井白石は『古史通』で、「神は人なり」と述べました。
まあ世界を見ても、多神教の神々というのはだいたいこんな感じです。
北欧神話、ギリシア神話の神は好色だったり、嫉妬深かったり、
人間の命にかかわるたちの悪いイタズラをしたりします。

日本の神道の神は多様で、性格もバラバラですから、
中には人間にとって害になることしかしないやっかいなものもいます。
かといって人間の力では及ばないので、とにかく祀るしかないわけです。
そして、それぞれの神が司る領域が違っていますので、
御利益が様々に分かれます。
家内安全、交通安全、無病息災、縁結び、縁切り、呪詛・・・
また、自分たちの氏族の神は、自分たちだけを豊作にし、災害から
守ってくれます。隣の集落がどうなろうが知ったこっちゃない。
ということで、神道の神は現世利益を願うのに最も適していると言えそうです。
ただし、世の平安などを願うのはともかく、あまりに
利己的な願いばかりしていると変な神が寄ってくるかもしれません(笑)。

