密教とは? | 怖い話します(選集)

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今回はこういうお題でいきますが、じつに難しい概念です。
もしかしたら間違いがあるかもしれませんので、コメントで
ご指摘いただければ幸いです。まず、密教とは何か?
一口でいうと、秘密の教えということです。

一般的には、顕教(けんきょう)と対比して密教という語が
できたと解されることが多いですね。顕教とは、仏教の中で、
秘密にせず公然と説かれた教えのことで、本来、仏教開祖の
お釈迦様が説いたのが顕教です。頼ってくるものは誰でも
弟子にして、すべてを教えました。

本来はバラモン教の神である帝釈天
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では、どうして密教ができたのか。歴史的には、密教はインドで
ヒンドゥー教との競合の中で形づくられていったと考えられます。
それが中国に渡って発展し、さらに遣唐使であった空海が真言宗、
最澄が天台宗を日本に持ち帰りました。ただし、天台の教えは
すべて密教というわけではありません。

大きな理由は2つあったでしょう。お釈迦様が説いた教えは、
一言でいえば、我欲を捨て、物に執着しないということでした。
でも、普通の人には難しいですよね。特に商売などをやっている場合、
利益にこだわらないわけにはいきません。そこで、ヒンドゥー教に
押される形で「現世利益」を取り入れざるをえなかった。

曼荼羅
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現世利益は密教の大きな特徴です。もう一つは、仏教よりも古い
バラモン教の神々が民衆に深く信仰されていたため、
それを無視できなかったことです。バラモン教の神々は仏教の中に
「天部」として取り入れられます。梵天がブラフマー、
帝釈天がインドラ、吉祥天がラクシュミーという具合。

そして、それらが密教の「曼荼羅」の中に位置づけられたんです。
曼荼羅とは、密教の教えを図像の形でまとめたもので、修行の具で
あるとともに、世界観を象徴しています。具体的には、
主尊を中心に、諸仏の集会(しゅうえ)する楼閣を描きます。

弘法大師空海
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この中心に位置する主尊が、日本密教の場合は「大日如来」となります。
梵語の音写はマハーヴァイローチャナ。大日如来は、形の無い
永遠不滅の真理そのものとされ、太陽神、また宇宙神的な性格を
持っています。本来、如来像は衣一枚だけの簡素な姿で表現され
ますが、大日如来だけは装身具を身につけていることが多いんです。

大日如来は宇宙神ですので、すべての宇宙は大日如来の象徴である
「阿字」に集約され、また、阿字の一字から全てが流出していると
説かれます(阿字観)。宇宙の始まりのビッグバンみたいですね。
・・・もう少し話を具体的な方面に戻して、
では、密教はどうやって修行するのか。

真言密教の本尊 大日如来
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それを述べる前に、密教の修行の目的を明らかにしなくては
なりませんね。密教における最終的な目標は「即身成仏」です。
これ、よく即身仏と混同されるんですが、かなり違うもので、
即身仏は五穀断ちなどをした僧侶が、生きたまま埋葬され、
死後にミイラの形で復活するものです。

即身成仏は、簡単に言えば、仏教修行者がその肉体のままで
悟りを開き、仏となることです。死後の世界で仏になるわけでは
ないんですね。ちなみに、弘法大師空海は、高野山の奥の院で
まだ生きているとされており、毎度の食事が捧げられています。
(実際は火葬された可能性が高い。)

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ここで最初のほうで書いた内容に戻って、密教では現世利益を
重視します。これは生きているままで仏になるのだから、
当然と言えばそうですよね。即身成仏するためには、
「三密の行」を実行します。・身密 手に印契を結ぶ
・口密 口に真言を唱える ・意密 心を大日如来に傾注する

現世利益があるということは、法の力によって世界を
変えることができるということでもあります。空海が
桓武天皇の前で、神泉苑で雨乞いをして成功させた話は有名
ですね。そのための儀式として行われるのが「加持祈祷」です。

密教の法具
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加持は手印・真言呪・観想などの方法で加護を衆生に
与えること。祈祷とは呪文を唱えて神仏に祈ることで、
神道や他の仏教宗派でも使われる言葉ですが、真言密教の
場合は、手に印契を結び、鈷(こ)を用いて護摩を焚き、
真言(マントラ)を口唱して仏の加護を求めます。

また、加持祈祷の修法には大きく、息災・増益・敬愛・調伏の
4つの体系があります。字をみれば意味はおわかりでしょう。
これらによる除災招福などの現世利益を期待したわけです。
加持祈祷は密教伝来以後、たいへん盛んになりますが、
当然ながら、弊害もありました。

加持祈祷
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平安中期以降、国家の大事から日常の細かいことまでを
すべて加持祈祷によって解決しようとする風潮が高まってしまい、
そのぶん、自助努力の気運が削がれたんです。それと、
あまりにも自分勝手な願いで祈祷が行われるようにもなりました。

さてさて、『枕草子』第26段「にくきもの」に、宮中で急な病人が
出て、加持祈祷の者を探させたが、忙しくていつものところにいない。
やっと見つけて祈祷させても、疲れていて、すぐ居眠り声になって
しまったので憎らしい、と出てきます。当時の風潮が
よくわかりますよね。では、今回はこのへんで。