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dowild COWBOY

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他のどこの国にもない仕事―カウボーイ

彼らは太陽とともに目覚め、暗闇が訪れるまで働く。仕事が残っている限りタイムアップはない。

1日12時間、週7日の労働を苦ともせず、自慢の体力と精神力そして明るいジョークで切り抜ける。

彼らにとって、春の芝のコンディションは命の次に重要なコトだ。

雨が降ったあとにカラッと晴れた日が続けば、芝はしっかりと根付くが、どんよりとした湿度の高い日が続くと野ねずみさえも寄りつかない。

晩冬から初春のシーズンにかけては牛のミッドワイフ(助産)に時間を費やす。

最後の一頭となった雌牛が、仔牛を産み落としたときが春のラウンドアップ(放牧)の報せとなる。

アメリカ北部にはほどんど見られないコトらしいが、南西部のモンタナ州あたりじゃ、その時期に何週間もかけ、丘から丘へキャンピングしながらラウンドアップする男たちがいるという。

長い冬を過ごしたあとの彼らにとっての楽しみのひとつにブランディングという作業がある。

ファミリーブランドが入ったアイアン(鉄の棒)で牛に焼き印を入れる作業だ。

彼らは誇りを持ってそれを「アート」と呼んでいる。

一人前のカウボーイになるためには、ブランディング作業の全てを“絹のようにスムーズに”出来なければならないからだ。

馬を自由自在に操り、コーラル(柵)の中へ牛を招きブランディングするのは、ロデオ同様に修練を要するテクニックだ。

ブランディングする直前に、何頭かの雄牛は去勢され食用牛となる。

素早く切り取られた睾丸は「ドワイルドミール」のひとつになって食される。

冷水で洗い流し、バターで浸した睾丸をフライパンで揚げた料理は「ロッキーマウンテン・オイスター」と呼ばれ、ラウンドアップに出掛ける際にそれを頬張りビールで流し込む…

春の稼ぎ時の、景気づけの習慣らしい。

ビア、ロデオ、ローピング、ライディング、シューティングプール、焚き火、女(笑)、そして春のブランディングが彼らのライフワークだ。

GNP世界一を誇るドワイルドな国アメリカの底辺を支えてるのは、もしかしたら…フロンティアスピリットを胸に秘め、西部開拓時代からの伝統を受け継ぐカウボーイなのかもしれない…。

dowild COWBOY

さて、私事ながら明日6月20日は俺の誕生日なんだ☆
年齢を重ねるとよく、そんな祝う歳でもないしなんて言う人がいるが…俺はいくつになったって嬉しい♪

元気で、そしてまたひとつ人として豊かになれたワケだし…

生きたくたって、限られた寿命の人だってたくさんいるんだから…

また1つ健康に歳を迎えれたコトに心から感謝だ♪

さしずめ今夜はドワイルドな Birtday Eveだ☆

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NY Boxing Capital

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梅雨入りしたのに、どうなんだろ?な天気が続いているが…

さぁ、また一週間の始まりだ☆
今週もドワイルドに頑張っていこう♪

ご存知かな?ボクシングは、ニューヨークが誇るドワイルドなエンターテイメントの代表格なモノだって。

1930年代にはすでに「ボクシング・キャピタル」(ボクシングの都)と呼ばれ、当時のプロボクサー“ジャック・デンプシー"が野球の神様ベーブ・ルースに匹敵するスポーツヒーローとなっていた。

NY Boxing Capital

デンプシーの人気は引退後も衰えず、マジソンスクエアガーデンの脇にある彼の経営するレストランは、いつも大勢の客で賑わっていた。

その後、ジョー・ルイスの時代を経て、50年代のボクシングシーンに白人待望のチャンプ“ロッキー・マルシアノ"が登場した。

NY Boxing Capital


彼が王者ウォルコットに逆転KO勝ちした試合は、映画「ロッキー」のシナリオにもされたほどだ。

そしてアル・ウィールという名伯楽の手腕にも助けられて連戦連勝を重ね、ついに引退するまで負けるコトがなかった。

その戦績は49戦全勝43KO。

現在でも彼は無敗のまま引退した史上唯一の伝説のチャンプなんだ。

そして60年代には“カシアス・クレイ"ことモハメド・アリが主役となり、ボクシングの地位は明らかに向上した。


NY Boxing Capital


MSGでの試合を前にニューヨークのジムでトレーニングするクレイの姿は、圧倒的なカリスマ性を持っていた。

プロモーター連中に受け入れられ、71年にMSGで行われたジョー・フレージャー戦での二人のファイトマネーは、当時の金額では破格の250万ドル(約3億円)にもなった。

マンハッタンの真ん中に建つMSGは、ボクシング世界タイトルマッチが最も多く行われた場所で、その周辺には現在でもボクシングジムがたくさん点在している。

しかし、70年代以降、タイトルマッチの主戦場はニューヨークからラスベガスに移され、この街のボクシングシーンは衰退の一途を辿るかに思われた。

ところが、例の9.11の悲劇以来、ボクササイズやリングワークのトレーニングを求めるニューヨーカーたちで大賑わいなんだ。

ウォール街のビジネスマン、ソーホーで暮らす女性アーティスト、果てはポリスマンにファイヤーマン…

ちょっと余談だが、俺の二番目の妹、歳の頃は3〇歳独身、かれこれ10年位ボクササイズやってるんだよなぁ…
本業は書道の先生やってんだけど、いったい何を目指してんだ!?(笑)

冒頭の写真のようなヤングレディをはじめ様々なニューヨーカーたちが、自己防衛のためタフな肉体を作り上げようとジムへ通い、毎朝、毎夜グローウ゛をはめサンドバックを叩いている。

朝8時と夜8時の時間帯が、ほとんどのジムでピークを迎えるという。

ニューヨークのボクシングジムには全米から優秀なトレーナーが集まっている。

現在、彼らのサラリーを引き上げているのは他でもない、プロボクサーの数千倍いると言われるドワイルドなアマチュアボクサーによるトレーニングフィーなんだ。

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Miles Davis

昔働いていたショットバーで一人のミュージシャンを知り、夢中になって聴いていた時期があった。


それはJAZZトランペッターのマイルス・デイヴィス。


Miles Davis

勤務中にふとその店に置いてあったCDを店内に流してみると、今まで聴いたことのないトランペットの音・・・。


ムーディーな雰囲気のトラディショナルなアコースティック・ジャズの中に響き渡るその音色は、繊細であり大胆なサウンドだった。


ジャズに関しては全くの素人だったが、思わず仕事をそっちのけで聞き入ってしまったよ(笑)。


実は中学生の頃、トランペットを少し吹いたことがあるんだけど、音を出すまでにそうとう苦労したんだ。


簡単な曲なら吹けるようになったが、マイルスの様な感情のこもった繊細なサウンドとは程遠い代物で挫折した思い出がある。


その数年後に出会った、このマイルスが吹くトランペットのサウンドは衝撃だったな~!


何といっても優しい、まるで歌声のようなトーンの音色。


思わず鳥肌が立ってしまったんだ(汗)。


こんなにもハートに響くトランペット、そしてジャズ・ミュージックは初めて聴いた。


1926年イリノイ州に生まれたマイルス・デイヴィス。


裕福な家庭に育ち、10代の頃からトランペットに興味を持ち演奏練習をしていた。


そんな18歳のマイルスが出合ったのは「モダン・ジャズの父」アルトサックス奏者のチャーリー・パーカーだった。


その後すぐにニューヨークに行き、チャーリー・パーカーのバンドに加わる事となった。


マイルスは、チャーリー・パーカーのバンドでのビー・バップから始まり、ソロとして独立してからのクール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、フリー・ジャズの分野と、自ら築き上げた音楽スタイルを変化させていった。


彼はいろんな意味でのカテゴライズ化を嫌い、自由なスタンスで自分の音楽を追求した。


ジャズというカテゴリーにこだわらず、エレクトリック楽器やロック、ソウル、フュージョン、ヒップホップ、ラップといった要素を柔軟に取り入れていったんだ。


アフリカ系アメリカ人の音楽形式と西洋音楽の技術と理論が融合して生まれたアメリカ南部の音楽・ジャズ。


もともと自由な表現形式を持っているそのジャズを、天才マイルスは更にどれだけ発展させたのか・・・。


ジャズ界をリードしながらも、画期的な音楽的ムーヴメントの先駆者・革新者であったドワイルドなミュージシャン、マイルス・デイヴィス。


Miles Davis


部屋の明かりを暗くして、マイルスの音楽を堪能するとハートで感じられる。


マイルスが扉を開いた、素晴らしきジャズの世界を。


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TRANSPACIFIC YACHT RACE


TRANSPACIFIC YACHT RACE


1906年、3艇の参加艇から始まったドワイルドな太平洋横断レース。


それが「TRANSPACIFIC YACHT RACE」だ。


ロサンゼルスのサンペドロ沖からハワイ・ホノルルまで、はるか2,225マイル(4,121km)を帆走するこのヨットレースは、世界最古、かつ世界最大規模を誇っている。


伝統と格式を誇るこのレースは、「七つの海を渡る最初の王(世界一周旅行をした王)」と人々の尊敬を集めていたハワイ王朝最後の王・カラカウア王の遺志を継ぐものであった。


1886年にカラカウア王は、サン・フランシスコのPacific Yacht ClubのCommodore宛にサンフランシスコからホノルルまでのヨットレースを提案。


それはカラカウア王の50歳の誕生日パーティーへの招待状でもあったんだ。


それに合わせ、ヨットレースには一等賞は1,000ドル相当、二等賞は500ドル相当の豪華なトロフィーが用意された。


ところが、招待を受けたPacific Yacht Clubのメンバーはそのレースを実現できなかった。


1898年にハワイ諸島はアメリカ合衆国に併合されたが、カラカウア王の叶えられなかったこのレースをハワイの人たちは諦められなかった。


そして1906年にわずか3艇のヨットで最初のTRANSPACIFIC YACHT RACEが実現。


TRANSPACIFIC YACHT RACE

それから100年に渡り2年に1回のペースで開催され、最新鋭の大型ヨットから小型艇、世界的なトップセイラーだけでなく老若男女、多彩な参加者が世界中から集っている。


貿易風を受け、西へ西へとひたすら太陽を追い、昼も夜もなく幾日も走る続けてホノルルを目指す。


参加艇は最短所要時間を競い、狙うはファーストフィニッシュ。


1位になった者には、ハワイ産コア・ウッドで作られた大きな盾が贈られる。


TRANSPACIFIC YACHT RACE

第1回大会の記録は12日9時間59分、過去のレコードは2005年の6日16時間4分。


この100年で記録を倍にまで伸ばしているから、今後の結果も楽しみだよね。


実際のレースは見たことはないのだが、ダイジェストの映像を観たことがある。


広く青い海にダイナミックなヨット。


映像だけど迫力満点だった。


海・自然との戦いであるが、このレースはとても安全で、未だかつてレース中の事故での死亡者はいない。


だからこそ、全ての参加者がハワイを目標に心からこのレースを楽しむ事ができるんだ。


フィニッシュした彼らを迎えてくれるのは、ハワイ式の熱い歓迎とよく冷えたマイタイ。


夜中でも早朝でも、いつフィニッシュしても彼らをもてなし、労をねぎらう。


その「GREAT HAWAIIAN HOSPITALITY」が待っているからこそ、このレースが世界中に人気がある理由であり、「The Top Yacht Race of the World」と呼ばれている所以である。


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Stand by Me

Stand by Me

誰にでもあるだろう、多感な少年、少女の頃の思い出が…

1959年の夏、オレゴンの小さな町―

12歳のゴーディ、クリス、テディ、バーンの仲良し4人組が、行方不明になった少年が列車にひかれ野ざらしになっているという話を聞き、死体を発見しに、不安と興奮を胸に未知の旅へと出るストーリー。

たった2日間のこの冒険が、少年たちの心に忘れえぬ思い出を残した…

この映画、意外にもモダン・ホラーの帝王として現代のアメリカ文学界に君臨する“スティーブン・キング"の中編小説「THE BODY」(原作)の一編を映画化したモノ。

この前の“シャイニング"とか怖い話が定番のキング作品だが、コレは彼自身の思い出を盛り込んだ自伝的小説だ。

『大切なコトほど他人には伝えにくい。言葉にすると色褪せる。』

そう話したキング氏は、自身の思い出を監督“ロブ・ライナー"に託し、映画が完成した。

『夜の闇があたりを包み

月明かりしか見えなくても僕は怖くない

怖くはないさ

君が傍にいてくれるなら

友よ 友よ

いつも傍にいておくれ

いつまでも 僕の傍に…』

子供の頃の思い出…

初めての経験…

初めて自分の力で恐怖に立ち向かうコト。

死にも、親の生身の姿にも初めて触れる。

一歩、退かなければ痛い目に遭うという極限も初体験する。

これらの経験を通じて少年たちは大人の男になる…

60年代の音楽にのって、そんな子供の頃をノスタルジックに思い出させる作品だ。

少年の悩みや友情が、心の奥に潜む不安と重なり、映画をより深くしている。

クリスを演じた“リバー・フェニックス"ジェームス・ディーンの再来とまで言われたが、1993年10月31日、ジョニー・デップが経営するバーで、コカインとモルヒネの過剰摂取により23歳という若さで急死した。

映画の最後の方で、リバー扮するクリスが家路につくとき、彼の姿がフッと消えるシーンがある。

あとづけかもしれないが、今となってはそれがとても印象深い…

きっと誰もが、自分の少年、少女の時代を重ねて思い起こす映画だ。

少年はやがて男になり

少女はやがて女になる

時が流れ、どんなに辛く悲しい経験をしようとも、心の中にある決して変わるコトのないドワイルドなモノがあると信じたい…

I never had any friends later on

like the ones I had when I was twelve.

Jesus, does anyone?

Stand by Me


あの12歳の夏は二度とは戻らない…

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Keith Richards -The Rolling Stones-


Keith Richards -The Rolling Stones-


Mr.Rcck'n Rollと言えば・・・、


いろんな意見があると思うが、おそらくキース・リチャーズが一番ハマるんじゃないかな?


「ロックは勢いと若さで出来るかもしれないけど結局、みんなロールが出来ないんだよ。」


とはキースの言葉。


彼はその言葉通り、ローリングストーンズのギタリストとして60歳を過ぎた今でもロールし続けているんだ。


映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」に主演のジョニー・ディップは、キャプテン"ジャック・スパロウ"をキースをイメージして演じている、と言う。


実際、キース自身も3作目の「ワールド・エンド」にジャック・スパロウの父親役として出演しているそうだ。
(まだ観ていないんだけどこの映画、面白そうだよね!)


かつてのドラッグ中毒、スキャンダル、そして逮捕・・・。


「次に最も早くドラッグで死にそうなロック・スター」


キースにはいつも黒いイメージが付きまとっている。


ドラッグ中毒期の伝説で「キースはドラッグ治療の一環で全身の血液を全て交換した」というのは有名な話。


ホントか嘘かは分からないが、そんな噂もキースなら納得してしまう。


そして血液を入れ替えた直後に「これでまた麻薬が打てる」と言ったとか・・・。


幾度となく逮捕、起訴されていたのだが、ドラッグを乗り越え二度と逮捕されないようキースはそれ以来、手錠型のブレスレットをいつも左腕に付けている。


スキャンダルはそれ位にして(笑)、ロックミュージシャン"キース・リチャーズ"は歳を取った今もなお最高の存在だ。


"いぶし銀"といった感じかな?ますますクールで渋い味わいになってきた。


最近のストーンズのコンサートでは、キース・コーナーが設けられ2曲ほど歌っているんだ。


その枯れた歌声、特にバラードは素晴らしく魅了される。


ビデオなんかでミックとの作曲シーンを観ているとよく分かるんだけど、キースって歌心のあるメロディ・メーカーなんだよね。


彼のギタースタイルは、トレードマークのフェンダー・テレキャスターを5弦のオープンGチューニングでリズムを刻むのがキース流。


Keith Richards -The Rolling Stones-

「Honky Tonk Women」や「Brown Suger」などの曲をはじめ、その個性的なカッティングはストーンズのサウンドに不可欠だ。


ローリングストーンズで40年以上のパートナーであるミック・ジャガーは真のエンター・テイナーである。


それに対し、キースはあくまでもメンバー達との演奏に徹し、いつも楽しんでいるように見える。


現代のキャプテン"ジャック・スパロウ"、キースの存在はいつでもファンキーである。


ブルース、ロックンロールにいつまでも敬意を表し、生身の人間によるグルーヴにこだわるキース・リチャーズ。


いつまでも転がり続けるドワイルドなRock'n Rollerだ。


Keith Richards -The Rolling Stones-

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The Beach Boys

今日も暑かったね~!


ギラギラと焼きつく太陽の季節、そう夏はもうそこまでやってきている。


Tシャツにビーサンのリラックスなスタイルには最も快適な気候・・・、俺らドワイルドが最もワクワクしてしまう時期がこの暑い夏なんだ。


それはそうと、年々次第に暑くなってきてるよね。


40度?20年前には考えられなかった気温だ。


地球温暖化現象は深刻な問題、世界中の人々みんなが現状を受け止め、意識をしていけばきっと改善されると信じていこう。


ちょっと横道に反れてしまった(汗)、本題に戻ろうか。


そんな暑い夏、特にビーチサイドで聞きたい曲はみんなそれぞれにあるだろう。


俺はね・・・、やっぱり「The Beach Boys」が好きなんだ。


1960年代にザ・ビートルズのライバル的な存在で活躍したKing of Surf Music、ビーチボーイズ。


The Beach Boys

お馴染み「Surfin' USA」や「California Girls」なんて、いつ聴いてもゴキゲンなサウンドだ♪


思わず海に飛び込みたくなってしまう!(笑)


軽快でノリノリのサウンド、強烈なビート感、緻密で透明感のあるコーラス・・・。


南国や真夏のビーチの雰囲気にバッチリはまる。


当時のアメリカ西海岸の若者文化、青い海、ビキニの女の子、サーフィン、ホッドロッドなどをテーマにした彼らの楽曲は、夏の雰囲気がたっぷり詰まっているんだ。


1961年南カリフォルニアで結成、アルバム「Surf'n Safari」でデビューしたビーチボーイズ。


それ以前から存在したベンチャーズなどギター・インストがメインだったサーフ・ミュージックに、ソリッドなロックンロールとファルセットのコーラスをミックスした彼らのスタイル。


彼らはビートルズよりも以前に、自分達で作曲・演奏して成功した世界で最初のロック・バンドであったんだ。


当時の単純だったポップスとは一線を画す、さりげなく凝ったアレンジを施しているのもポイント。


1966年のアルバム「Pet Sounds」は彼らの実験精神の集大成で、その完成度の高さはビートルズも影響を受けたという。


一番最近の大ヒット曲、1988年(もう19年前か・・・)に全米1位に輝いた名曲「Kokomo」。


トム・クルーズ主演の映画「カクテル」の挿入歌としてもお馴染みじゃないかな?


かつての全盛期を彷彿する"ビーチ・ボーイズのサウンド"も健在だが、もうボーイズではないメンバー達に伴って(!?)ウエスト・コーストから大人の高級リゾートへと成長した感じかな(笑)


健康的かつ開放的でさわやかな海がピッタリの彼らのサウンドはEndless Summer。


今年の熱い夏もビーチボーイズをBGMにドワイルドにエンジョイしよーゼ!


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Native Americans

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穏やかな表情の中にも威厳に満ちた顔してるね…

アメリカ・インディアンは“生"を愛好しながらも“死"を恐れていないという。

生きるコトが楽しい…

そして、満足しているからだろう…

今日はそんなアメリカ・インディアンから“生き方について"少し学んでみよう。

☆インディアンは戸外生活のおかげで、家族はみな健康に、力強く、活発だ。

そして働くコトにとても誇りを持っている。

なぜなら小さい頃から働くように育てられ、女性だって力仕事をしたりする。

母親たちは「コレをあの子に食べさせてあげる」という労働だから、喜びがあったのだろう。

そう、労働が喜びならば、結果、心は満足しているワケだ。

☆人生で最も重要なのはバランスだ。

あるアメリカ・インディアンが書いた「Wokini」というタイトルの本がある。

Wokini―インディアンの言葉で「新しい人生」とか「幸福」という意味を表す。

その本の第六章に「人生のバランス」の大切さを説いている。

何も心と体のバランスだけじゃない。

仕事と趣味のバランス、仕事と家庭のバランス、右脳と左脳のバランス、理屈と感情のバランス、合理性と神秘性のバランス、精神的なモノと物質的なモノとのバランス…

大切なのは内容そのものよりも、その本質だと思う。

その本質こそが、一言で言えばバランスなんじゃないかな。

人生にバランスがなければ、人は健全ではない…

バランスを欠けば、人生で最も大切な喜びを失う…

☆アメリカ・インディアンにはノイローゼの人はいないそうだ。

聞けば現代社会において、私はこんなにも悩んでいますと訴えるノイローゼの人が多いという。

こう言ってはなんだが、時間を持て余しているからではないか…(もちろん、全てがそうとは言わない)

アメリカ・インディアンのように、日々しなきゃならないコトがあれば、くよくよ悩んでなんかいられないだろう。

今現在もし悩んでいる諸君がいたら、少しでもいいから“自分以外のコト"に興味を持ってみたらどうだろう。

人に好かれるだとか、嫌われるだとか考えず…

何をしたって、雨の日は雨なんだし、寒い日は寒いんだから。

☆過程を大切にする生き方。

たとえば、子供の遊び。
子供は遊びの結果、何かを達成しようとしているんじゃないと思う。遊びそのもののなかに意味を感じているはずだ。

過程ではなく結果を大切にする生き方をしていると工夫ができない。

時間の過ぎていく過程に目を向ければ、それはとても豊かな時間になる。

インディアンは動物を観察しているから、どうやって捕まえるか、どこの部分が危険か知っている。

そして、いつ捕まえたらいいのかをよく知っている。

ドワイルドな諸君、結果じゃなく過程にこそ注意を向けてみてはいかがだろう。

地上の命には限りがある…

心の準備を整えてインディアンたちはそれを受け入れる…

そのために彼らは自然の中でプラクティスを重ねる…

誰にでも時間は平等にある、そしてあらゆる可能性を秘めたのが俺たち人間だ。

Wonderful life…ドワイルドに生きてみませんか☆

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BOND THE MOVIEーJAMES BOND 007

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「My name is BOND,James Bond」

この決めセリフを聞くとニヤリとしてしまうのは俺だけかな?

写真のように、シルエットだけで「ジェームズ・ボンド」と世界が理解する“お約束”のポーズ。

そう、ドワイルドな諸君もよ~くご存知「007」だ。

最初のボンド・ムービーから45年の歳月が流れたが、今でもボンド・ムービーはプログラム・ピクチャーとして、世界中の男たちをニヤリとさせているんじゃないか?

ハイテク満載のスポーツカー、秘密の武器、粋な所作、そして服を着るコトを好まない美女たち…(笑)

先日、シリーズ最新作「007 カジノ・ロワイヤル」を観て、改めてジェームズ・ボンドから“男の美学”を学んだ…

俺の年代だと、初代ジェームズ・ボンド=ショーン・コネリーの印象が一番強いが、世の反応もやはり同じで、ボンド役が交代するたびに賛否が吹き荒れてきた007シリーズ。

2代目ジョージ・レイゼンビー、3代目ロジャー・ムーア、4代目ティモシー・ダルトン、5代目ピアース・ブロスナン…と。

そして今回「6代目ダニエル・クレイグ」

BOND THE MOVIEーJAMES BOND 007

案の定、映画の見始め「…?」違和感を覚えた。

ところが…見てるうちに…

死に直面しても笑いを忘れないユーモア、どんなアクションもこなす完璧な肉体美、スマートに女性を口説く色気…

歴代ボンドの魅力の全てを兼ね備えていた☆

若き日のショーン・コネリーに迫る、いやそれを超えたかも、パーフェクトなボンド俳優だと思えた。

今作、シリーズ21作目にして、若きボンドがいかにして“最強のスパイ 007"になっていくかという、とても興味深いストーリー。

まだ荒々しさを残す若き日のボンドを、D.クレイグは見事に演じている。

007は、今またさらにここから…と、期待させる映画だ。

コアなファンが喜ぶシーンも、随所に盛り込まれている♪

ボンドの愛車である「アストン・マーティンDB5」の入手経路…

BOND THE MOVIEーJAMES BOND 007

あの決めセリフ「マイ・ネーム・イズ・ボンド、ジェームズ・ボンド」の誕生の瞬間…などなど。

しかし、45年かぁ…ストーリーはイアン・フレミングの原作で楽しみ、映画では“男はこうでなくちゃいけない"を学ぶ…

ボンド・ムービーは「男の美学」を教えてくれる教科書だ☆

マティーニの飲み方やワインの選び方、スーツの着こなし方を含め、ジェームズ・ボンドが教えてくれた「美学」は、映画の中で殺した悪人の数より多いんじゃないか?(笑)

シリーズ最高傑作と賞された「カジノ・ロワイヤル」…

コレを観るのにライセンスは必要ない…ニヤリ(笑)

BOND THE MOVIEーJAMES BOND 007

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Norman Rockwell


Norman Rockwell


"古き良きアメリカ"を描き続けた作家、ノーマン・ロックウェル。


彼の絵にはとても惹かれるものがある。


近代美術の画家というよりはイラストレーターといった感じで捉えられがちだが、彼の残していった作品は最もアメリカ的なアートだと思う。


1916年から1963年と実に40年以上にわたって「Saturday Evening Post」誌の表紙を飾った彼の作品。


どれもアメリカの市民生活の哀歓をリアルに描きあげているんだ。


無邪気な笑顔、あどけない表情、愛嬌、細やかなしぐさ、ストーリー、小物、雰囲気・・・。


忠実で繊細な画風でありながらも、実に表情豊かでノスタルジックな作品は優しく、そして温かい。


彼の作品には少年少女が多く登場する。


彼らの元気で純真な姿は自分の幼少時代を想いおこさせ、当時の純粋な心と夢がよみがえる。


この絵は「SUNSET」、一番好きな作品なんだ。


Norman Rockwell


遊びつかれた二人が1日が終わるのを惜しみ、夕日を見ながら夢を語りあっている。


誰にでもあったであろう、甘酸っぱい思い出。


これは「TRAFFIC CONDITIONS」


Norman Rockwell


子犬が道の真ん中で立ち往生してしまい、車が通れず渋滞してしまった、という微笑ましい風景。


まるで騒がしい街の音や人々の声が聞こえてくるようだよね。


ノーマン・ロックウェルのイラストはその画風から「超写実」と言われている。


ただ人物を描き写しているだけのものではなく、人の骨格や筋肉、皮膚、表情筋に至るまで解剖学に精通した上での描写である。


だからこそ描かれた人々の豊かな表情から、細やかな感情まで伝わってくるんだ。


彼はまた、平和や差別、戦争、政治など社会風刺をテーマにした作品も多く描いた。


Norman Rockwell


これらには"人の幸せ"を願う、彼のメッセージが込められていると思う。


ノーマン・ロックウェルは多作で生涯に2000を超える作品を描いたのだが、残念な事に1943年に彼のスタジオで起きた火事により多くの作品が焼失してしまった。


だが、彼の作品はアメリカ人だけでなく、かつて少年時代を過ごした全ての人の心の中でドワイルドな夢として生き続けるだろう。


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