Etymology of The Bar
またまた酒の話だが(笑)この前の続きで、今日はBARの語源についてちょっとお話ししよう。
アメリカの歴史は東海岸からはじまった。
イギリスやアイルランドからの移民は最初、東海岸のボストンやフィラデルフィアを中心に住んでいたが…
やがて、以前にも何度かファッションのルーツとともに書いたコトあるが、新天地を求め、一路西を目指したんだ。
その一方で、フランスからの移民はフロリダ半島を迂回して、南部のニューオリンズからミシシッピー川を遡り、セントルイスやシカゴへと進んで行った。
いずれも今からおよそ150年ほど前の話。
彼(彼女)らが進んで行った跡には自然と村ができ、そこには前回話した古代ローマ軍のときと同様にTAVERNやSALON(サロン=フランス語で皆がくつろげる所)が生まれた。
SALONはのちに訛ってSALOON(サルーン=大広間とか談話室)と呼ばれるようになり、これが西部開拓時代の簡易居酒屋の名称となる。
そう、西部劇によく出てくるアレだ。
当時そうした簡易居酒屋は、ビールやウイスキーを樽から計り売りをしていた。
荒くれ男たちの中には、酔っ払って、樽から勝手に飲むドワイルドな者もいた。
そこで、客席と仕切るための横木(Bar=ハードル競技のバーと同じ意味)を設け、酔っ払いが近づけないようにと考えた。
やがて横木は横板に変化し、かつ対面販売するようになる…
そういうスタイルのコトを“BAR”と呼ぶようになった。
このコトバが広く使われるようになったのは1830年代から50年代にかけてだといわれている。
当時のBARは、立ち飲みスタイルで、一部にテーブルとイスが用意されてるだけだった。
このスタイルのBARは、19世紀後半にヨーロッパにも導入されるようになったが、ヨーロッパではもともとテーブルに酒を運んでいくスタイル…
アメリカ式のカウンターでの立ち飲みスタイルのBARをアメリカン・バーといって区別した。
そして1920年代には、ロンドンやパリ、ベルリンにもこうしたアメリカン・バーが出現し、ヨーロッパでもBARが確立されていき、現在へと至る。
なんだかんだ書いたが、カウンターってのは要は酔っ払いの防御柵だったってワケだ(笑)
歴史そして語源…まぁなんとなくでも、そんなコトのひとつも知ってて飲む酒はひと味違う………ような気がする(笑)
dowild.s
Campbell's
しかし暑いねエ…あえて熱い話を…(笑)
食べ物ネタはほとんど書いたコトないdowild.sですが、たまには…♪
ドワイルドな諸君はスープ好きかな!?
好きだよね?
アメリカのスープ缶といったらCampbell's(キャンベルズ)を抜きには語れない。
Campbell Soup Company―スープ缶とそれに関連する他の製品を製造・販売する食品製造会社だ。
あの赤と白の缶のデザインは、ドワイルドな諸君ならずともよーく知られてるトコだろう。
1960年代のアメリカを代表するポップアートの芸術家、アンディ・ウォーホールが、キャンベルズの缶を題材として描いた数々の絵画、これによって一気に有名になったアレだ。
その誕生は1869年、青果商の“ジョセフ・A・キャンベル"とアイスボックス・メーカーの“エイブラハム・アンダーソン"この二人によって設立された。
当初の社名は「ジョセフ・A・キャンベル保存加工会社」と呼ばれ、缶や瓶詰めのトマトなどの野菜、ゼリー、スープ、薬味などを製造・販売していたんだ。
1896年頃、アンダーソンは共同事業を退き、新会社「ジョセフ・キャンベル株式会社」を再建・組織するため最初の会社をあとにする。
翌年、新しいキャンベル社の協力者となる“ジョン・T・ドーランス博士"が働き始めた。
ドーランス氏は、マサチューセッツ工科大学とドイツのゲッティンゲン大学で学位を取得するほどの才能に溢れる化学者で、スープを濃縮する商業的に実現可能な製法を開発した。
時は20世紀へと変わる頃、ヨーロッパではごく当たり前に食べられていたものの、当時のアメリカの食生活においてスープは必需食料品ではなかった。
しかし、この濃縮スープは1缶10セントという手頃な値段と利便性により、またたくまに大衆の間で大人気となったんだ。
1900年には「パリ万国博覧会」にこのスープ缶製品が出品され、見事ゴールドメダルを受賞した。
コレは現在も缶のラベルに誇らしげに輝いている。
ちなみにラベルの紅白の色合いは、コーネル大学アメリカン・フットボールチームが使用していたユニフォームの爽やかな色彩に感化され採用されたモノで、以来、今日までレイアウトはほとんど変わっていない。
キャンベルズの最もよく知られた製品“濃縮スープ"近年では非濃縮スープ、乾燥スープミックス、グレイビー(肉汁ソース)を始めとするその取扱い濃縮食品に加えて、より広範囲の食品全般を包括するまでに成長している。
俺のお気に入りは“ミネストローネ"♪
具材もタップリで、そのままでも十分なんだけど、俺はプラス、ポークウィンナーをカットしたのとフレッシュトマトを加えて煮込むんだ♪
健康にもイイ、ボリュームたっぷりなスープの出来上がり☆
シーズンに関係なく、時折飲んでいる…というより、食べてるって感覚かな。
作家、片岡義男をして…
「大量生産の規格食品チャンピオンはキャンベルのトマトスープだ」と言わしめた。
赤と白を基調としたキャンベルのデザインは人々の生活の一部となり、スーパーマーケットにおける見事な陳列は「赤白の壁」と賞され、アメリカン・アイコンのひとつとして認識されているドワイルドなスープ・ブランドだ。
―追記―
いつもコメントくれたりして、せっかく知り合いになれた“もぐさん"が、今日突然アメーバブログを閉鎖してしまった。
なんだか、とても悲しいです★
またどこかで、どんな形であろうとお会い出来る事を心から願ってます☆
dowild.s
ANCHOR BREWING CO.
昨日、二日酔いの重い頭を引きずって馴染みのリカーショップに向かった。
(アル中かっ!?)
そこにかつて何処かの店で飲んだことがあったアンカー・ビールが入荷していたので、懐かしい気持ちから久しぶりに飲んでみることにした。
サンフランシスコの地ビール、錨マークが描かれたラベルにはアメリカの匂いがプンプン漂っている。
1896年にサンフランシスコ、カリフォルニア・ワインのワイナリーとして知られているナパバレーにて創業したアンカー社。
麦芽・ホップ・水のみを原料とし、副原料を一切使わないこだわりのビールメーカーだ。
世界を代表するビール評論家マイケル・ジャクソン氏が「探してでも飲む価値あり」と評価したドワイルドなビール。
(歌って踊るあのマイケルじゃないよ)
伝統を尊重しながら「クリーンでクリア」、そして「ピュアでフレッシュ」なビールを造りづづけている。
まずは、アメリカ地ビールの名品「LIBERTY ALE」を飲んでみた。
前に店で飲んだのはコレ。
アメリカ産カスケードホップをを熟成時に添加する事により、マスカットのような甘い柑橘系の香りがするのが特徴だ。
一般的なエール・ビールより色が薄く飲みやすいが、苦味は強くしっかりとした深い味わい。
じっくり腰を据えて飲みたい、そんなビールだ。
2本目は世界唯一のスチームビール、「ANCHOR STEAM BEER」。
創業以来、幻となっていた「スチームビール」を1960年代に半世紀ぶりに復活させたモノ。
スチームビールとは低温(5~9℃)で発酵させなければいけないラガー酵母をエール酵母の時の様に高温(15~25℃)により発酵させて造られるんだ。
19世紀まだ冷却装置のない時代にアメリカ西海岸で氷無しでラガー酵母を使う為に考案された製法。
樽を開けた時にとても強い炭酸がシューッと出てくることから「スチームビール」と名付けられた。
ラガー特有のコクと香りがありながら、エールのような華やかな香りも兼ね添えた味わい。
美味いな~、コレ♪
スッキリした味わいは飲みやすく、思わずグビグビ飲んでしまう☆
地ビールの濃厚な味わいは苦手な人も多いが、慣れていない方でもこれはいけると思う。
ちなみにこのアンカー社、毎年クリスマスシーズンには特別限定の「CHRISTMAS ALE」をリリースしているそうだ。
まだ飲んだことはないが、シナモンやナツメグなどのハーブやスパイス類で味付けされ、毎年違うレシピで造られている。
一体どんな味なんだ?
ぜひ今年の年末に発売される「アンカー・スペシャルエール2007」は飲んでみたいものだ。
dowild.m
Imagine -John Lennon-
晴れ渡ったすがすがしい天気とは反対に、頭の中はどんより曇っている・・・、重い。
はい、完全な二日酔いでございます。
昨日は飲みすぎた・・・、午前様を通り越して朝帰り・・・。
そんな気分の時はこんな曲を聴いて癒されたい♪
ビートルズが解散した翌年、1971年にジョン・レノンは「Imagine」を発表した。
シンプルなメロディラインをピアノで淡々と弾き語る。
Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above up only sky
Imagine all the people
Living for today
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
No religion too
Imagine life in peace
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one・・・
この曲は宗教や人種、国籍の対立や貧富の差を批判し、平和を訴えている。
彼がイメージする、ユートピア(理想郷)。
世界が一つになって、争いのない平和な世の中に。
ジョン・レノンの歌声は優しく、世界中の人々の心に響いた名曲だ。
35年以上経った今でも色褪せる事なく、当時のジョンの想いが伝わってくる。
何度聴いてもいい曲だよね♪
ちなみにジョン・レノンのトレードマークである「丸眼鏡」は、実は彼が購入したものではなくイギリスの国民健康保険制度により無料で支給されたものであった。
60年後半から70年代のジョン・レノンはパートナーのオノ・ヨーコと共に、「Love&Peace」反戦・平和そして愛を訴える活動を行なってきた。
ただ、当時としては奇抜で前衛的と見られたアピールは批判も多かったんだ。
この「Imagine」も発売当初、無宗教的かつ社会主義的な内容から、イギリスでは1975年までシングルの発売は延期され、ラジオやテレビで放送禁止となった。
こうした時代背景だったが、ジョンとヨーコはそのスタンスを貫き通した。
そして、彼らの活動や作品は後々になって世界に認められるようになったんだ。
永遠に語り継がれるであろうジョンとヨーコのドワイルドな愛。
名曲「Imagine」と共に・・・。
dowild.m
History of The Bar
昨日の話のついでだ、今日は酒場の歴史の話でもしよう。
酒場…酒を商品として提供し、その場で飲ませる店をそう呼ぶ…今どき酒場なんてコトバ使わないけどね(笑)
そういう店のコトを現在では、世界的に「BAR」というアメリカ起源の言葉で呼ぶのが一般的であり、日本でもバーという言葉は広く使われている。
酒場に関する最も古い文献で、紀元前1800年頃に楔形文字で粘土板に刻まれた「ハンムラビ法典」なるモノがある。
古代バビロニア王国のハンムラビ大王が制定した法律で、史上最古の成文法として、法的にも文化的にも極めて有名なモノ。
そこにこんな条文がある…
「もし、ビール酒場の女が、ビールの代金を穀物で受け取らず、銀で受け取るか、あるいは穀物の分量に比べてビールの分量を減らした場合には、その女は罰せられて、水の中に投げ込まれる」(108条)
このコトからも当時、経済的な交換のルールに基づいた酒場が存在していたのは確かだろう。
ただ、具体的にいつ頃からそんな酒場という営業スタイルが生まれたかは、文献や遺物が残ってないので、歴史のウ゛ェールに覆われたミステリアスな話となる…
一方、古代エジプトでは、紀元前1400年頃の「パピルス文書」に“ビールを飲ませる酒場で酔っ払ってはいけない"などという文言が残っていて、その時代のエジプトに酒場が存在していたコトがわかっている。
momoさん…俺たちはその時代生まれてても大丈夫だぁ(笑)
また、古代ローマ…ヨーロッパ、中近東、アフリカを勢力範囲に収めようとしていた時代、いく先々で野営をしていた。
野営地には前線への補給基地として必然的に人々が駐留するようになり、宿泊施設の必要性が生まれた。
その施設のコトをやがてイン(INN=雨露がしのげ、寝るコトができる所)と呼ぶようになる。
INNの周りに集落ができると、それの飲食を独立させたタバーン(TAVERN=居酒屋)が生まれ、INNは宿泊を主とした、TAVERNは飲食を主としたそれぞれの施設となった。
そしてTAVERNからさらに飲食の“飲"だけに対応する小規模な酒場が独立し、主にビールを飲ませる「ALE HOUSE(エール・ハウス)」の登場となる。
15世紀後半のイギリスでは、こうしたビール酒場全盛の時代だったんだ。
こういった宿泊、飲食のスタイルが時代とともに変化し、現在では…
INN→HOTEL
TAVERN→RESTAURANT
ALE HOUSE→BAR
と、こんな感じになったワケだ。
歴史というと、なんか堅っくるしい感じだが、歴史という風なロマンに想像を膨らまし…
お気に入りのBARで、そんな過去を思い浮かべながらバーボンを飲るのもたまにはいい…☆
Hey☆Jimmy
dowild.s
MASAYA&ZEN
昨日、依頼してた腕時計の修理が出来たとのコトで、都内某百貨店まで取りに行った。
ある舶来メーカーのイベントでパフォーマンス&オリジナルカクテルサービスがあるという…
なに、なに?フレアバーテンダーMASAYA&ZENによる…
うちのMASAYA=dowild.mかっ!?
なにアイツ俺に内緒でサイドビジネスやってんだ!?…
んなワケない(笑)
たしかにmも10年以上前にバーテンダーやってたけど(笑)
Flair Bartender(フレアバーテンダー)…そう、あのトム・クルーズの映画「カクテル」で有名になった例のアレだ☆
ボトルやシェイカーでパフォーマンスを披露しながらカクテルを作る様を、やはり20年以上前の話だが、バーテンダーをやってたこの俺も興味深く、しばし眺めてきた。
日本においてこのバーテンディングは、さっき言った1988年の映画「カクテル」の影響で、何軒かの見よう見まねのフレア・バーが現れたが、一過性のブームとして消えてしまった。
正しいフレアが伝えられず、また指導できるバーテンダーもいなかったからだ…
やがて90年代前半に東京、六本木のクラブや、神奈川、横須賀、沖縄などの米軍たちが集まる酒場などで、外国人バーテンダーが現れたりしたが、まだフレアというモノを知る人は少なかった。
90年代後半に入り、フレアが盛んな韓国やシンガポールなどで学んで帰国したバーテンダーや、ジャグリングなどを学びバーに立つ者が確認され、日本にもフレア・バーの足音が少しずつ聞こえ始めてきた…いずれにせよ極々近年の話になる。
ちなみにフレア最古の記録は、1849年アメリカ、サンフランシスコの「エルドラド・サロン」のバーテンダー“ジェリー・トーマス氏"が開発した「ブルー・ブレイザー」が始まりとされている。
それらしきコトをやっていたというのが実の所だが…
彼は19世紀後半にアメリカで活躍した伝説的なバーテンダーで、親しみを込めて“プロフェッサー"と呼ばれていた。
カクテル「トム・アンド・ジェリー」や「マティーニ」の考案者としても噂される人物だ。
現代のフレアとは映画同様、グラスやボトル、シェイカーをスピンさせたりフリップさせたりするモノ。
この“フレア・バーテンディング"のスタイルと名称は、アメリカのバーテンダー“マイク・ワーナー氏"により使われ始めたと言われている。
「FLAIR(フレア)」とは“アピール"や“自己表現"という意味があり、バーテンダーがカクテルなどをサービスする過程でゲストを楽しませるコトを“フレア・バーテンディング"と呼んでいた。
このマイク・ワーナー氏によるパフォーマンスが広く知れ渡り、その人気はうなぎ上りに高まり、映画「カクテル」により世界の人たちの目に触れ、一躍知られるようになったというワケだ。
現在では毎年「競技」として、世界大会も開催されており、このMASAYA&ZEN君の若いお二人、昨年度の世界チャンピオンだという。
観客がけっこういたので、どさくさに紛れてややピンボケながらも写真に収めてきた。
彼らの妙技を見ながら、そして歴史的にも、まだまだこれから進化を遂げていくエンターテイメントだろう…と
シャンパンカクテルに舌鼓を打ちながら、俺にもやれるなと、ニヤリとした午後の一時だった(笑)
dowild.s
BRIAN JOHNES -The Rolling Stones-
先日ジャニス・ジョップリンの時に少し触れたブライアン・ジョーンズについて語ろう。
幼なじみで既に音楽活動を共にやっていたミック・ジャガーとキース・リチャーズ。
彼らがギタリストのブライアン・ジョーンズと出合ったのは1962年の事。
二人はブライアンの奏でるスライドギターに衝撃を受け、共同生活を始める。
その後まもなく、ブライアンが募集したメンバー募集にミックとキースが加わる形でバンドが結成される。
それが"THE ROLLING STONES"である。
当初、ブライアン・ジョーンズこそがローリング・ストーンズのリーダーだった。
カリスマ性に富み、彼の口調や眼差しは実に魅惑的。
メンバー内で際立ってファッショナブルでお洒落、ブロンド・ヘアーにマッシュルーム・カットもきまっていた。
彼の一挙一動が羨望の的で、まさにドワイルドな男だった。
どんな楽器でも手に取るとすぐにテクニックを習得し、ギターの腕前もキースよりも上。
スライド・ギター、ハーモニカ、ピアノ、メロトロン、リコーダー、シタールといった多彩な楽器は、当時のストーンズのサウンドを華やかに彩った。
そして、ブライアンは黒人音楽ブルースを正しくコピーする事ができるミュージシャンであった。
彼はただ、自分達の好きなブルースのカバーを演奏したかったんだ。
しかし、既にビートルズが成功していた時期。
時代が彼らに求めていたのはオリジナル曲であり、ポップ・スターになる事だった。
ミックとキースの"Glimmer Twins"ソングライター・コンビは、独自のスタイルを確立しバンドの人気も出てきた。
必然的にバンドの主導権はミックとキースに移り、ブライアンな居場所はなくなってしまった。
グループ内で孤立し自堕落な生活に、ドラッグに救いを求め溺れてしまう・・・。
ジャン・リュック・ゴダールが撮影した映画「One Plus One」で映し出される「悪魔を憐れむ歌」のレコーディング風景では、ブライアンがドラッグでイッてしまっている表情がシュールに映されている。
リアリスティックに迫った映画だが、正直俺はブライアンのそんな姿を見たくなかった。
最終的にバンドを解雇、その1ヶ月後1969年7月3日に自宅のプールで水死体として発見される。
死因はアルコールとドラッグ・・・。
謎の死とされ、いろいろな説があるのだが、これについては彼に対する思い入れが強すぎるのであまり触れたくない。
昨年「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」という映画が公開された。
まだ観てはいないのだが、彼の死の真相に迫った映画だそうだ。
彼についてはスキャンダルばかりが先走ってしまっている感があるけど、俺は純粋に輝いていたブライアン・ジョーンズが大好きなんだ。
dowild.m
BLACK T-SHIRT
アメリカンカジュアル…アメカジと一口に言っても、アメリカにはそのカルチャーの多さからファッションとしてのスタイルは無限に存在する。
もともとは、アイビールック、サーファースタイル、ウエストコーストスタイルなどを代表とする、アメリカの大学生を手本とした、活動的で清潔感があり、学生らしさを感じさせるカジュアル・ファッションスタイルが源流だが…
今やその幅もカレッジからはじまり、スポーツ、ワーク、ミリタリー、バイカー、サーフ、ウエスタン…など数多くの系統がある。
本来、非常にベーシックでかつシンプルなモノだ。
スタンダードで着回しのきくアイテムが多いので、買い足して長く着られるのもイイ。
最近またアメカジの流行が復活していると言われてるが、ベーシックなスタイルだからこそ生地やディテールにこだわりたいものだ。
というコトで、今日はTシャツ♪
夏になれば誰もが袖を通す大定番アイテムだ。
我がdowildもそうだが、メジャーなのはプリントが入ったモノ。
フロントやバックに入った柄やメッセージは、着る人のセンスやキャラクターを印象づける重要なポイントになる。
ロゴのデザインに惹かれて買うのもよし、カラーリングでチョイスするもよし、ずいぶん前にブログにも書いたが、Tシャツの良し悪しは、見た目にチャーミングかどうか、コレに尽きる♪
で、先日、久しぶりに代官山にふらりと行った時にコイツと出会ってしまった(笑)
真っ黒…そう、ドワイルドな男は黙って黒だ。
今年の夏の流行色は、白・黒・グレーの無彩色らしいし…(KARENさんのブログで勉強しました(^o^;))
Tシャツだけが主張するんじゃなくて、俺の普段のスタイル…アクセサリーやパンツ、シューズといった他のアイテムとも調和がとりやすい。
このTシャツ、なんともディテールが最高なんだ♪
一見なんの変哲もなさそうだが、とてもスタイリッシュ☆
ラウンドしたやや深めのUネック…胸元がセクシーにアピールできる(笑)
リブ編みの100%コットンは着心地バツグン。
タイトながらもピタピタすぎず、男らしいドレープが出るサイジングがGood♪
コレね、日本のアメカジ店の草分け的存在「ハイ!スタンダード」(TEL 03-3464-2109)が、ライダースジャケットの大御所「Schott(ショット)」に別注をかけたモノなんだ☆
このテは必ず大人買い!?するdowild.s、しっかり3枚購入♪
小さいサイズもあったし、女の子が着たらとってもキュートだと思う♪
気になった諸君は今スグCheck it out!
この夏、ラフ&アメリカンなコイツを着て、男らしさを無言で語りたいと思う☆
dowild.s
JANIS JOPLIN
ヒッピー、フラワーチルドレン、ビートニク、そしてウッドストックと60年代後半のアメリカ文化を最も象徴しているアーティストはジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョップリンだろう。
この二人は共通点が多い。
まず1967年6月の"モンタレー・ポップ・フェスティバル"に出演し一躍有名になった事。
そして、混乱の60年代が終わった翌年、1970年に二人ともこの世を去る。
二人とも27歳の若さで・・・。
それを前後するようにローリングストーンズのブライアン・ジョーンズとドアーズのジム・モリソンも27歳で亡くなった。
(ちなみに時代は違うけどニルバーナのカート・コバーンも27歳!)
これはカリスマのジンクスなのか?
はたまた素晴らしい作品を作る為にドラッグで消耗するしかなかったのだろうか・・・?
そんな時代に強烈に輝きを放ったロックの女王"ジャニス・ジョップリン"について話そう。
ブルースを基調にカントリー、R&B、ジャズを融合したサウンドがジャニス・ジョップリンの持ち味。
そこに彼女が自信の全てを曝けだすような魂の叫びを力強く、そして切なく歌う。
ハスキーなしゃがれ声は印象的で、ジャニス流ブルースは鋭く心に響いてくる。
特に当時のライブビデオを見るとその声のパワーと彼女の姿、グッときてしまう。
代表曲「Summertime」や「Move Over」はテレビでもよく流れているから、お馴染みじゃないかな?
幼い頃からいじめられっ子で自分の容姿や声に強いコンプレックスを持っていたジャニス・ジョップリン。
常に孤独と闘いながら愛に飢え、愛を求めていた。
そんな哀しみや悔しさ、そして愛を切望する気持ちをストレートに彼女は歌うことで表現したんだ。
「BIG BROTHER&THE HOLDING COMPANY」、「COSMIC BLUES BAND」といったように、バンドやメンバーも理想を求めコロコロと変えていった。
最終的に1970年「FULL TILT BOOGIE」というジャニスの理想のバンドを結成し、新作アルバムの録音をはじめる。
しかし、その頃には常用していたヘロインとアルコールが彼女をボロボロにしていた。
彼女は1人ハリウッドのホテルで死体として発見される。
理想のバンドとの録音もほぼ完成し、私生活でも婚約するなど彼女がやっとつかんだ幸せの絶頂期はあまりにも短かったんだ。
この遺作は彼女のニックネームから「Pearl」と名付けられ、71年発売後され全米9週連続1位を記録した。
dowild.m
JIM MORRISON -The Doors-
ロックとは?
かつてそれは権威への反抗の象徴であった。
そんなロックを体現した男がいた。
「The Doors」のボーカリスト、"反逆のカリスマ"ジム・モリソンである。
セクシャルで奇抜なステージ・パフォーマンスや数々のスキャンダル、逮捕、薬物、アルコール・・・。
と言うと誤解を招くかもしれないが、ドアーズの曲は決して下品なモノではなく、詩を取り入れた繊細なサウンドはむしろ知的なモノだ。
大ヒット曲「Light My Fire(ハートに火をつけて)」や「Break On Through」など、複雑で計算されたリズムは実に巧妙だ。
1991年公開のオリバー・ストーン監督「The Doors」は観たかな?
ドアーズの軌跡を描いたドキュメンタリー映画で、主演のヴァル・キルマーがジム・モリソン役にピッタリはまっている。
当時の様子がリアルに伝わってくる、いい映画だよ。
歌も全て吹き替えなしでヴァル・キルマーが歌っているんだけど、これがソックリ似ているんだ。
顔や雰囲気もジム・モリソンを彷彿していて、本人か?と錯覚させられる。
ちなみに、メグ・ライアンのヒッピー姿もチャーミング♪
この映画を観るとよく分かると思うが、ジム・モリソンは詩人である。
そしてその詩を聞かせるドワイルドな"声"を持っていた。
みんな歌には慣れ親しんでいても、詩の朗読ってあまり馴染みがないかな?
言葉にはもの凄いパワーがあるんだよね。
当時のドアーズのライブ・ビデオを観ると、彼らが表現する世界に圧倒される。
ジム・モリソンのパフォーマンス、声のパワー、そしてそれをサポートする楽曲と演奏。
ベースの居ないVo,G,Key,Drの4ピースバンドだが、レベルの高い演奏はジム・モリソンの世界観をしっかり表現している。
特にレイ・マンザレクのオルガンは彼らのサウンドには欠かせない。
数年前に発売されたドアーズのDVD「LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL」は衝撃だった。
ロングヘアーとレザーパンツの男はクールに、そして熱くオーディエンスに語りかける。
(ちなみに、彼は革パンを履いた初めてのロック・ミュージシャンである。)
部屋の明かりを消して、ジム・モリソンの声に耳を傾けてごらん。
マジでトリップできる。
できれば日本語訳を見て、歌詞を理解しながら聞いてほしい。
とっつきにくい楽曲だけど、奥が深くてどんどんハマっていくドアーズ"まぼろしの世界"。
1971年7月3日、27歳という若さでこの世を去ったジム・モリソン。
彼の残した伝説はとてもドワイルドだ。
dowild.m






















