The Golden Age of Rock'n Roll
かつて俺が中学生の頃、夢中になって聴いていた音楽。
それは、50'sのシンプルなRock'n Rollだった。
単調でノリのいいビート、キャッチーなメロディとコードライン、そしてその雰囲気。
夢中になって聴きまくっていた若き頃。
時は1955年、アメリカで映画「暴力教室」のオープニング・テーマとして流れた
「1,2,3 O'Clock,4 O'Clock・・・♪」
そのカウントと共にRocl'n Rollという音楽は誕生したんだ。
そうこの曲はお馴染みだよね?
ビル・レイリー&ヒズ・コメッツの「ROCK AROUND THE CLOCK」である。
その翌年、1956年にはチャック・ベリーやリトル・リチャード、そしてエルビス・プレスリーの出現。
華やかなRock'n Rollドリームが幕開けした。
白人開拓者達が民謡から発展させたカントリー・ミュージックは、1920~30年代にはアメリカ全土に広まった。
一方、南部中心に発展したブルースやゴスペルなどの黒人音楽も1940代になると次第に洗練され、リズム&ブルースへと発展していった。
そして、50年代に入りこのカントリーとリズム&ブルースなど様々なジャンルを融合して生まれたのが、Rock'n Rollである。
この「Rock」も「Roll」も元々は黒人のスラングで性交を意味した言葉であった。
やがて「派手な騒ぎ」という意味も加わると、黒人のリズム&ブルースで歌われる言葉となる。
1951年になるとオハイオ州のラジオDJアラン・フリードが、白人の若者に黒人のリズム&ブルースを「ロック&ロールパーティー」という言葉と共に紹介し始めた。
その背景には当時まだ根強かった"人種差別"の問題があったんだ。
レストランはもちろんバス、トイレまでも人種によって隔たれていた時代だった。
そんな厚い壁をも乗り越え、白人・黒人の文化が初めてコラボレーションしたのがRock'n Rollであったと思う。
白人でありながらアメリカ南部のメンフィスでカントリーからブルースまで聴いて育ったエルビス・プレスリー。
エルビスが1956年にテレビ出演した際の「Heartbreak Hotel」
この時のセクシャルなパフォーマンスは全米中に衝撃を与え、たちまち当時のティーン・エイジャー(死語かな?)達のカリスマとなった。
彼が腰をシェイクしながらエロティックに歌うほど大人達は眉をひそめたが、それがかえって若者の心をくすぐった。
(名門音楽番組「エド・サリバン・ショー」にエルビス・プレスリーが出演した際、テレビ局はエルビスの上半身しか映さなかった・・・。)
また、Rock'n Rollギターに革新をもたらしたチャック・ベリー。
これぞRock'n Rollというギター・リフはその後のギタリストに多大な影響を与え「もしもギター・リフに著作権があったのならば、チャック・ベリーは世界一の金持ちになっていただろう」と言われている。
また楽曲についてもビートルズやローリング・ストーンズなどに何曲もカバーされており、「もし、チャック・ベリーがいなかったら・・・?」などと考えてしまう。
その他にも8ビートをいち早くモノにしたリトル・リチャード、バディ・ホリー、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、ロイ・オービソン、エディー・コクラン、ファッツ・ドミノ、ボ・ディドリー・・・。
1950年代アメリカ・・・、ドワイルドに輝かしい時代、夢が溢れていた。
そんなRock'n Rollドリームも50年代末期にはロックの商業化、エルビス。プレスリーの徴兵、チャック・ベリーの服役、事故、死亡・・・。
様々な事件や事故などによって、輝かしいRock'n Rollの時代は終わった。
その後60年代には、そんな彼らの影響を受けた英国系(ビートルズやローリング・ストーンズなど)により、より精神的に踏み込んだロックが台頭し始めるんだ。
ジョージ・ルーカスが自らの青春時代を振り返った映画「アメリカン・グラフティ」には、そんな50's当時のRock'n Rollドリームがリアルに描かれている。
ジャンルが多様化しますます複雑になっていく現代のミュージック・シーン。
たまには頭をカラッポにして、大音量のRock'n Rollで”ツイスト♪”してみるのもいいんじゃないかな?
dowild.m
JACK NICHOLSON
昨日に引き続きムービースターネタを☆
迫真の演技とよく言うが、この男をおいてその言葉がストレートに当てはまる俳優は他にはいまい。
ハリウッドで薬物使用を最初に告白した男…ジャック・ニコルソン
60年代半ばから、彼はインディペンデントムービーの父と言われる製作者ロジャー・コーマンの下でモーターサイクルアウトロー映画のプロジェクトに参加した。
ロジャーはニコルソンがドラッグ中毒者であることを知っていたが、それ以上に彼の映画人としての才能に惚れていたんだ。
演技、脚本、製作などオールラウンドの仕事を学んでいる時、ドワイルドな諸君ならよくご存知「イージー★ライダー」に出演。
たまたま役に空きができたのがキッカケで出たこの映画で、いきなりアカデミー助演男優賞にノミネートされた。
皮肉なコトにドラッグに狂えば狂うほど、彼は役者としての魅力を増していった。
現在に至るまで、主演、助演賞でオスカーのノミネートは計12回。
そして“狂乱”ギリギリの領域を渉りながらハリウッドの怪人へとなってしまった…
「カッコーの巣の上で」(75年)でアカデミー主演男優賞を獲ってまもなく「ハリウッドのなかでドラッグを一番やっているのは俺だ!」との告白。
最初に麻薬中毒を告白したってコトで彼は映画業界からの追放を免れた。
当時、脚本家でもあった彼はベトナム戦争を嘆くミュージシャンやアーティストなどのいわゆるヒッピー世代の連中とのコネクションも強く、彼の中でドラッグはタバコやアルコール以上に重要な安定剤になっていた…
しかし、冒頭の写真「ミズーリ・ブレイク」(76年)を撮り終えたあと、さすがにハリウッドは彼との距離を置いた。
ところが、ニコルソンは「シャイニング」(80年)でまたもや“狂気”を演じ、ハリウッドから大絶賛を浴びるコトになる。
あの映画はホント狂気の極みだったよなぁ★
そして誰も、彼の演技を止めるコトは出来なくなった…
「愛と追憶の日々」(83年)で2度目のオスカー助演男優賞を受賞したとき、そこには狂気を地で歩き続けてきたひとりの男の、ゆるぎない存在感が映し出されていた気がする。
父親が強度のアルコール中毒患者で、幼い時に両親が離婚、ニコルソンは母親に育てられた。
驚くコトに彼は38歳になるまで彼女が母親だとは知らなかったんだ、母親を姉だと教えられて育ってきた…
そんな人生の憤りがドラッグへと駆り立てかは定かではない。
狂乱と平穏の境にいる男が演じ放つ光と影…
たぶんハリウッドの歴史上、狂気をやらせたらロバート・デ・ニーロやアル・パチーノの上をいくキレドワイルドな存在だろう。
Today's☆Jimmy
…って、いつも寝てばっかだなコイツ(笑)
dowild.s
Robert Redford
なんか冴えない天気だね★
週末はまた雨らしいし…
気分変えて、今日は久しぶりdowild.sの好きなムービー・スターの話をしよう。
映画好きは別として、若い世代の諸君はあまり知らないかな?
言っちゃえば彼はその時代のハリウッドのアイドルだった。
70年代初めに世界的な映画スターとしての地位を確立した男“ロバート・レッドフォード"
事実、彼は74年から76年の3年間、世界で最も稼ぐ俳優だったんだ。
大好きで何度も見ているんだが、1969年の映画「明日に向かって撃て!」の出演料で、彼はユタ州コロラドの山中に土地を買った。
“ならず者街道"と呼ばれるマウンテンエリアのバックロードを歩き尽くし、土地々々の伝説に触れていくにつれ、失われていくカウボーイカントリーの真の姿を見た。
子供の頃から憧れだったカウボーイの世界が、今まさに息絶えようとしている現実…
それなのに、自分は役者として金を稼ぐコトを目的に、明るくハッピーなカウボーイ役を演じている…
彼のなかには新たな決意が生まれていた。
「アメリカン・ワイルドライフを映画として残そう」
サンダンス・プロを設立後、自ら映画製作に乗り出した。
しかし、70年代はハリウッドが彼の単独行動を許さず、役者活動メインの生活が余儀なくされた。
「候補者ビル・マッケイ」(72年)への出演を機に「自分の人生を反映するような映画にしか出ない」と誓ったという。
個人主義を威圧する力(ハリウッド)に対して若い力で阻止出来るような映画を積極的にピックアップしたと…
自分たちの社会を描く映像を作りたい…その思いが大衆に通じ、人気はピークを迎えた。
しかし、ついに77年の「遠すぎた橋」を撮り終えたあたりから、ハリウッドは彼の作品を嫌い始めた。
彼の政治的な発言が過ぎたからであろう。
80年代に入り、「普通の人々」でアカデミー賞監督賞とゴールデン・グローブ監督賞を受賞したのをきっかけに、ユタへの移住を決意する。
そのおおよそ10年後に完成したのが、モンタナ州の大自然を舞台にした「リバー・ランズ・スルー・イット」(92年監督・製作総指揮)、さらにその5年後には「モンタナの風に抱かれて」(97年監督・製作・出演)によってカウボーイの現実を映すコトにも成功した。
早いなぁ…もう10年も経つんだ…この映画、かなりいい♪
今年70歳を迎えるレッドフォードのドワイルドネスは健在だ。
『地球の温暖化によって、50年先にはモンタナ州グレーシャー国立公園からグレーシャー(氷河)がなくなると言われている。
あと20年から50年の間にコロラド河の水が第3低位ライン(ほぼ枯渇状態のライン)まで落ちるともね。
俺はアメリカ政府と闘うよ。』
(2005/4/17付 NYタイムズインタビューより)
自力で這い上がり、荒野に辿り着き、リアル・カウボーイとなった男…ロバート・レッドフォード
ドワイルドなラフ&タフな精神があったからこその生き様だろう。
Today's☆Jimmy
tdowild.s
三崎マグロと城ヶ島
美味しい鮪が食いたいな~、なんてフッと思ってさ・・・。
さっそく昨日行ってきました。
三浦半島の最南端、美味しい鮪と言えば三崎港!
全国有数の遠洋マグロ漁業基地の名に恥じない鮪がここにはある。
首都高の渋滞を抜け、横羽線→横浜横須賀道路で三浦市へ。
昼過ぎの到着で腹ペコだったので、さっそく食べる事に。
まずは赤身&中トロのお鮨♪
そして欲張りな赤身とビントロのヅケ、二色丼。
美味いや~!やっぱり三崎は間違いない!
ところで、鮪は栄養素の宝庫。
健康に欠かせない各種ビタミンやミネラル等を豊富に含むそうだ。
そんな健康志向やテイストから、欧米やアジア各国において「SUSHI」ブームが起こっていると言う。
アメリカはもとより、台湾や中国の日本食を中心とした人気から、鮪(特にトロ)の価格が高騰し「マグロ不足」が懸念されているそうだ。
今まで脂身であるトロは日本人が独占していたようなものだからね・・・。
ま~、仕方がないんだけど価格が上がるのは残念だ。
ちなみに鮪の消費量が最も多い都道府県は山梨県らしい・・・。海がないのにナゼだろう?
胃袋が大満足した所で、三崎港の産直施設「うらり」にて冷凍マグロ各種をお買い上げ。
安いよ~、ここは。
そして散歩がてらに城ヶ島大橋を渡り、城ヶ島へ。
(車でだけど。)
切り立った段崖、層をなす岩場、緑豊かな大地。
城ヶ島公園には、豊富な海浜植物と自然が彫り上げた美しいレリーフが広がる。
さしずめshigeが先日書いた「カウアイ島」って言ったら言い過ぎだろうか?
午後になって曇ってしまったのは残念だが、人の手で壊されていないドワイルドな自然がここには残されている。
晴天時には海と空の青色がコントラストとして加わり、展望台から見渡す景色はまさに絶景なんだ。
三浦半島の最南端、相模灘に突き出した緑の島。
北原白秋がこよなく愛し、詩に詠んだことも納得できる。
三浦半島って関東首都圏から近いのに、あまり行く機会はないよね?
でも、ノンビリしてていい所なんだ。
美味しい鮪を食べに、ちょっとドライブに、って気軽に足を運んでみるのもいいんじゃないかな?
しかし、マグロ美味かったな~v(^-^)v
dowild.m
dowild web site
さりげなくホームページをリニューアルしてみました。
ぜひチェックしてみて下さいネ!
(携帯からのユーザーの方、ゴメンなさい。)
新ホームページ、どうですか?
ご意見、ご感想をお待ちしております。
*まだ一部が未完成です。
今回の変更に伴い、dowildの新しいロゴマークが登場!
(コレについては、また後日に。)
いつも言っているけど、dowild.s&mはデジタル関係がとても苦手でさ・・・。
そんなドワイルドな二人でロゴのデザインやホームページまで、すべて手作りで作成しているんだ。
WEBやPCの急激な進化により、世の中に満ち溢れている数々のホームページもどんどん向上し複雑になっている。
アニメが動いたり音が鳴ったりと、視覚的にも楽しめるモノが増えたよね。
全く、どうやってあんなのを作っているのだろうか?
まるでチンプンカンプン(@_@)?
そんな詳しい人達から見れば、dowildホームページはとても簡単なモノなんだろう。
でも、俺らにとっては今のところコレが精一杯です(^_^;)
(まだまだ、分からない事だらけ)
今後も新しい事を覚えながら、徐々に進化していくのでヨロシク!
ブランド立ち上げの頃、真剣にド素人だった二人で話したことがあってさ。
「いろんなホームページがあるけど、何だか細かすぎて分かりづらいよな・・・。もっとシンプルで分かりやすいホームページを作ろうゼ。」
それは今でも守っている大切なコンセプト。
今回のリニューアルで更にスッキリ仕上がったと思う。
ところで、どう?感想ヨロシク!
(しつこいゾ!?)
P.S. 今日はちょっとお出掛けしてきます。美味しいマグロが食べたくなっちゃって・・・。
dowild.m
KAUAI Mistic
dowild-ha☆
まだ行ったコトないんだけど、いつか行くんだという思いを込めて、今日はカウアイ島のコトちょっとお話ししよう。
ハワイの人々が「最後に住みたい」と語る島…カウアイ島。
そのニックネームは「ガーデン・アイランド(庭園の島)」
その名のとおり、濃い緑に覆われたとても美しい島だ。
誕生したのが、およそ600万年前。
火山の女神ペレは最初にこの島に住んだワケだ。
時と太陽、雨と波は島を緑のジャングルと鮮やかな赤土で覆い尽くし…
やがてハワイ髄一の奇景が誕生した。
地球というあまりにも長い歴史の中では、それは瞬きにしか過ぎない出来事だったろうが…
他の島々に比べ最も古い年代のこの島は、言わば“おばあちゃんの島”とでも言えよう。
豊かな森には巨木がまるで皺のように年輪を数え、かつて赤かった山肌には苔のような熱帯のジャングルがへばりついている。
カウアイ島で感じれるのは静寂した静けさ、そして安心感だと人は言う。
時間さえもが止まって感じられる見事な自然…
旅人をやさしく包み込んでくれる…そう、おばあちゃんの皺だらけの笑顔で(笑)
西にある「太平洋のグランド・キャニオン」と呼ばれる“ワイメア・キャニオン"はとても神々しい風景らしい。
北にある「プリンスウ゛ィル ホテル」…そこから見るハナレイ ベイ
の景色はとてもバランスがよく、特にこのホテルのバーからのサンセットは、この世の天国とも言えるほど美しいと言う。
映画「ジュラシック・パーク」で登場したフォールや、つい200年ほど前まで何百年とハワイアンたちが住みついていた住居跡、ミステリアスな秘境も数多くある。
ハナレイ渓谷、シダの洞窟と…
神秘の伝説につつまれた本当のハワイがそこにはあるだろう。
600万年の時間が創り上げたドワイルドな緑の香りを吸い込み、ゆっくりと身体が島と同化していくのを感じながら、いつか老いた島カウアイのやさしさに包まれてみたいものだ。
dowild.s
Dr Pepper
今日はけっこう重い二日酔いで、まだ今イチ思考回路が働かない…
ビール、焼酎、日本酒と…ちょっと過ぎてしまったかな★
さて、昨日の昼間、都内某デパートの屋上でちょっと一休み、喉が渇きビールと思いきやそんなモノ売ってない(笑)
自動販売機で缶コーヒーでもと思ったらコイツに目が止まった。
「Dr Pepper」だ☆
世界中で今も飲まれているソフトドリンクの中では最も古い炭酸飲料。
都内だとワリとあちこちの自販機で目にするようになったが、販売網が少ないため売ってるトコがけっこう限られてる炭酸飲料だ。
前にコカ・コーラ、ペプシコーラの話もしたが、この二つとは似て非なるモノ。
そのテイストはハッキリわかれるシロモノ。
ハマれば熱狂的なファンとなるモノも多く、人類が作った最高のドリンク!と評するモノもいるとかいないとか(笑)
苦手な人にとっては、マズいとか摩訶不思議な味がするといった印象の飲みモノだろう。
1885年にアリゾナ州ケーウ゛・クリークで初めて販売されたとされており、1904年にアメリカで行われた国際博覧会でアメリカ国内に広まった。
実際に販売された日は不明だが、アメリカ特許庁は1885年12月1日をドクターペッパーが初めて売り出された日と認定している。
「モリソンズ・オールド・コーナー・ドラッグストア」のオーナー“ウェード・モリソン”が、かつて働いていたドラッグストアのオーナーである“チャールズ・ペッパー博士”の名前から商品名が取られているが、実際に材料を運び、味を調合したのは、同じ店で働いていた薬剤師の“チャールズ・アンダーソン"という人物だ。
コカ・コーラやペプシコーラと違い、コーラを素に作られた飲みモノじゃない(見た目はヒジョーに似ているが)
ドクターペッパーの味は、ソーダファウンテンにあった数種類の味を混ぜて作られたというコトになっているが、23種類とされている原料は未だに非公開のため確認出来ない。
う~ん、気になるぜェ…
アメリカ、ウェイコにあるドクターペッパー博物館で、その材料の一部が公開されているという。
材料の一つとしてプルーンジュースが使われてるという話もあるが、コレは都市伝説にすぎない。
テキサス州では、最もよく飲まれている炭酸飲料の一つであり、コカ・コーラは無理だが、ペプシコーラの売上を上回るコトは頻繁にあるそうだ。
長くなってしまったが、出てきた缶を見たらあの有名な“ロッキン・ジェリービーン"のキュートガールが描かれていた☆
とってもアメリ缶だぜ(笑)
絵を見てはゴクリ、また見てはゴクリ、久しぶりに変わった味のコイツを飲んだ♪
デパートの屋上でトワイルド男のそんな束の間のひととき…
自分のコトがちょっと可愛いく思えてしまったゼ☆
dowild.s
Airplane to Honolulu
dowild-ha!
どうしてもハワイが頭から離れなくてしかたのないドワイルドです。
それだけ二人ともハワイが大好きなのだが、最近とても悩んでいる事がある・・・。
二人でフラダンスを習いに行こうか?なんてね!?
ま~ま~、余談はコレくらいにして、今日はハワイに行く為の飛行機についてアレやコレやと。
俺らがいつも利用するのは某日本の航空会社。
出発は成田空港からで、空港そばの駐車場まで2台の車で乗りつけるって訳だ。
21時位のフライトだが、いつも早まる気持ちが17時には空港に到着してしまう。
そして早速チェックインを済ませ、一安心して荷物も軽くなった所でフリータイム。
もういい時間じゃない?
求めるモノはビールしかないチーム・ドワイルド・・・。
(いつもだろ!)
空港内のラウンジでプシュっと缶ビールを開けて「ハワイに乾杯☆」
旅行の始まりってさ、ワクワクしちゃってみんなテンション高いよね~!
一気に1本飲みほしたらもう止められない。
何時間も余裕をもって成田に着き、速やかにチェックインまで済ませているのに、いつも搭乗にギリギリ駆け込みなのはナゼだろう?
呼び出し放送に慌てて走る(汗)
そして座席につき間もなく飛行機が発進、離陸をする。
30分もして落ち着くと、キャビン・アテンダントさんが「お飲み物は?」って聞いてくるじゃない?
遠慮するのも何だから!?もちろん「ビールを下さい!」って。
機内食が運ばれてきても、そこはドワイルド。
ビール片手にちびちびツマミながら食べてるものだから、なかなかフィニッシュしない。
その間に何杯ビールをお替りするのやら・・・。
ひとつ断っておくが、そんな飲んでいても人に迷惑は掛けないよ。
紳士的な酔っ払いって感じかな?たぶん(笑)
そんなこんなで、翌朝ホノルル空港には無事に到着する事ができる?
そうそう、飛行機について語るとなると欠かせない人物・・・。
我がチーム・ドワイルドのdowild.2氏である。
2氏は知識が豊富で何にでも詳しく、特に飛行機に関してはいろいろ裏技を持っている。
詳しくは言えないが、いつもdowild.2氏のお陰で行きも帰りも快適な空の旅ができるんだ。
かつて2氏が一緒にハワイに行けなかった時があってさ・・・。
そんなハワイで、マカハのビーチでくつろいでいる時に頭上を飛行機が飛んで行った。
それを見て、フト誰かが「飛行機って時速何キロ位で飛び上がるのかな?」って呟いたんだ。
そんな事、誰も知らなかった。
「こんな時、2さんがいれば即答で教えてくれるのにな~。」
なんてみんなで寂しくなっちゃって、レンタルした携帯電話で電話しましたよ。
遥か日本の2氏に。
2氏は寝ていた所を電話で起こされたようで、寝ぼけながらも
「離陸時は時速260kmだよ。」
と、さすが!即答してくれたんだ。
素朴な疑問が解決し「ありがとう2さん♪」満足して電話を切ったのだが。
フト時計を見ると昼の11時・・・。
と言うことは、日本はまだ朝の6時!
「これから仕事だっていうのに、朝も早くから2さんゴメンなさい。」
ってビール片手にマカハの海に向かって謝りました、とさ。
2さん、今さらながらあの時はスイマセン・・・。
mahalo,
dowild.m
Legend of surfer
dowild-ha☆
Good day♪とてもいい天気で、昼間からのビールが最高にウマいよ(笑)
酔いの気分のいいトコでカミングアウトしちゃおう…
スポーツ全般、球技を主体になんでもこなすほど運動神経はいいほうだ…自分で言うなって(笑)
けど、こんなにもハワイが大好きなのに…水泳だけは…からっきしダメなんだよ(*_*)
まぁ、クロールのフリ、平泳ぎのフリみたいな、なんとな~くギリギリの感じでフリはするけど…(^^;)
足のつかない場所はちょっと…
小学生の頃、プールで思いっきり飛び込んだら、なんと溺れちゃって(汗)同級生のしかも女の子に助けられたんだ…
挙げ句の果てに中耳炎になってしまい…以来かな★
dowild.mことmasayaは、さすが学生の頃、水泳部にもいただけあって泳ぎは達者だ☆
最近はやってないようだが、サーフィンもなかなかウマイもんだ。
それでもドワイルドな根性は人一倍あるから(笑)ハワイ行った時にロングボードは何度かやったコトあるんだゼ♪
そんな泳げないdowild.sが、今日はある一人の偉大なサーファーの話をしよう。
「レジェンド」と呼ぶにふさわしい本物のサーファーって、ほんの一握りの限られた者しかいない。
しかもハワイのノースショア、ワイメア ベイなんて、サーファーの中でも極限に達した者しか入れないトコだ。
冬のノースも行ったコトあるが、ドワイルド男のこの俺もあの波を見ただけでビビった(笑)
レジェンドサーファー…彼の名は「エディ・アイカウ」
長年ライフガードとして何百人というスイマーやサーファーたちを救助してきた彼は、数々のサーフミートで優勝してきたトップサーファーでもあった。
1978年、春…彼らは古代カタマラン(古代ポリネシアンの双胴船)と全く同じデザインで作られた“ホクレア号”の2度目のポリネシアンボヤージュで、タヒチへ向かってホノルル港を出発した。
数時間後、折からのトロピカルストームと大波に打たれたホクレア号はモロカイ沖で転覆してしまった。
荒れ狂う夜中の海の中、クルー十数名の命を助けるためにキャプテンから許可を得たエディは、20m近いうねりの中に彼の赤いサーフボードで、モロカイ島へ向けてパドリングを始めたんだ。
やがてクルー全員は、コーストガードに救助されるコトとなるが、エディの姿はついにモロカイ島には現れず、次の日、彼の赤いサーフボードだけが発見されたという。
それから一週間後、ワイメア ベイで行われたエディのメモリアルサービスは、当時のアリヨシ州知事、ファシ・ホノルル市長までもが出席。
ヘリコプターからはプルメリアの花が何百と海へまかれた…
彼を追悼するコンサート「クィックシルバー・エディ・アイカウ・メモリアル」はこの日始まった…
ワイメアの波が真価を発揮するデカさになるまで、何年も開催が延期されるコトもあるという。
ワイメアの谷間の奥からベイの上を通り過ぎる風も…
一瞬の雲をともなう自然の涙、ハワイアンブレッシングの雨も…
ベイの谷間に咲くハイビスカスも…
今も変わらない。
ドワイルドなレジェンドサーファー、エディ・アイカウはきっと…海へ帰ったんだと思う…
dowild.s
Hawaiian hula
dowild-ha☆
天気はいいんだけど、なにしろ風がものすごく強い日だったね。
昨日の夕方からの雷と雨といい、どうもしっくりこない天候が余計にハワイを恋しくさせます(笑)
そんなリゾートとして訪れるハワイ…そこには間違いなく魅力がいっぱい溢れてる♪
リピーターとして何度も足を運んでいるうちにハワイのもつ別の魅力にも気がついてくるんだ。
それは自然であり、歴史であり、文化であり…
何度も言ってるようだが、漂ってくる空気感が本当に穏やかでこれ以上ないくらいに安らいだ気分にしてくれる…
自分で踊れるワケじゃないが(笑)何か興味を持ちその神秘性に惹かれるフラ。
今日はそんなフラの伝導師でもある、一人の男の魅力をお伝えしよう。
ハワイの伝統的な芸能であるにも関わらず、フラほど曲解されているモノはない。
商業化され、間違った解釈をされてる部分がホント大きいからだ。
キリスト教が入ってきた当時、布教の妨げになるとフラが禁止された不幸な歴史もその要因のひとつだろう。
古典的なフラ・カヒコ…
そこから派生した現代的なフラ・アウアナ…
本来のフラはすごくプリミティブかつスピリチュアルで、特に男の踊り手によるフラには勇壮な印象さえある。
ハワイで最も名を知られているクムフラ(フラの指導者)“ケアリィ・ライシェル"もそんな一人だ。
クムフラとは本来、「ダンスの源」という意味がある。
フラのすべて…フラの歴史、ハワイ語、チャントと呼ばれる伝統的な詠唱のスタイルなどなど、全てに精通してなければならない。
ケアリィの名をハワイ内外に轟かせるコトになったのは、クムフラとしてより、ミュージシャンとしての方が大きい。
1994年リリースのデビューアルバム「Kawaipunahele(カワイプナヘレ)」はハワイのミュージックシーンでは記録的な35万枚のセールスとなり、翌年にはハワイのグラミー賞と言われる「ナ・ホク・アワード」で主要5部門を受賞したハワイのトップスターだ。
その歌声は、柔らかさのなかに力強さを秘めており、心地よいコンテンポラリーなハワイアン・アレンジであり、何よりハワイのネイティウ゛な香りをたたえているコトだ。
ハワイ語の歌詞を書き、時に伝統的なチャント・スタイルの詠唱も聞かせる。
若い頃、投獄されるほどの問題を起こしたが、クムフラとして指導にあたってるコトや、ハワイ語やチャントなどの伝統に通じているコトを裁判官が酌量してくれてそれを逃れたというドワイルドなエピソードもある。
まさにハワイの伝統に救われたって話だよな☆
そんなコトのお返しの念も込めて彼は今日もフラを通して、文化的な土台になるモノや、精神的な誇りなどを教えている…厳格なクムフラとして…
その笑顔にそんな人柄が(コワモテだけどっていう点が俺とも似てる^^)よーく表れてるハワイアンとしてのプライドを毅然と持ったドワイルドな男だ。
dowild.s



























